シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
14日のシルクロード講座へお越しください

   私は5日から甘粛省と青海省のチベット地域の旅に出ます。家を出るのは午前6時です、

 遅ればせながら今年1月が金婚式でしたので、ワイフへの感謝の気持ちの旅です。

 行先は、麦積山石窟と炳霊寺石窟及びチベット仏教の3つばかりの寺院とイスラムのモスクなどです。

 

 実はここは昨年の日本シルクロード文化センターのツアーでも行きました。わたしは今年で3回目になります。何度も行ったことのあるところですので、喜びを共有しようと思ったのです。

 

 しかし気になることがあります。

9月14日の「シルクロード講座」です。

帰国は12日の深夜になりますから参加のお願いは13日になってしまいます。ですから、今日のブログであらかじめのお知らせをしておきたいと思いました。

 

今日付けの新聞「赤旗」に、何度目かのウイグル問題の記事が掲載されていました。

「中国からトルコへ 弾圧逃れたウイグル人 市民権得られず生活困窮 少数民族の『強制収容所』 中国政府 テロ対策理由に正当化」。

同じ中国と日本という共産党でも、真っ向から意見が対立しています。

 

ウイグル人は、正確な人数はわかりませんが、数百万人が海外で生活しています。過去の出来事を歴史的に見ると、1千万人を超えると思えます。

9月14日は、アフメットさんというカシュガル出身のIT技術者が主としてお話しします。

 

以前、別のこの種の集会で彼のパワーポイントを見たのですが、その写真の中に強制収容所で金網をつかんで叫んでいる中肉中背の男がいました。彼が私のカシュガルの友人Yでした。カシュガルへ行くと彼がいつも私に会いに来てくれました。カシュガルへはもうすでに20回以上は行っているでしょう。一番長い滞在は1週間ということがありました。わたしが年金生活に入った2004年の時でした。

 

そんなYも、もっと身近なウイグル人もみんな強制収容所に囚われています。

中国共産党は、ウイグル人など少数民族の人たちを、いったいどうしようとしているのでしょう?

 

私の結論は、真因は「一対一ロ政策」にあると思います。

「海のシルクロード」を除けば中国の海外への経済派遣の出口・入り口は新疆ウイグル自治区にあるといえます。その重要拠点にウイグル人がいることは許せないのでしょうね。

ですから、ウイグル人の文化的伝統や歴史を継承するいわゆる知識人をまず最初にやり玉に挙げてとらえ、そして次々と知識的な層からとらえているのだといえます。

 

東京理科大学を出て新疆大学の学長をしていた、ウイグルでは最上部の知識層を形成する方が、理由も分からず拘束されて、執行猶予付きの死刑判決を受けています。

私が「日本シルクロード文化センター」を立ち上げる前に、新疆の地で日本語学校をつくろうと構想して活動したことがありました。

候補に挙がったのは、北新疆のイリで小中学生の孤児を引き取って私費で学校に引き取っていたヌルタイ・アジさんも逮捕されて同様に執行猶予付きの死刑判決を受けています。

 

そのほかには中国当局はとても卑怯で狡猾な手段を取りました。

2014年から15年ころまでのウイグル人は、パスポートの取得が非常に困難でした。それが一転してだれでも自由に海外に行くことができるとしてパスポートを自由に発行しました。2〜3年過ぎると、彼らが外国旅行などをして帰国すると、まるで「一網打尽」というように捕まえて強制収容していったのです。

 

これには過去の経歴と歴史的事実があります。

1956年4月、毛沢東は「百花斉放百家争鳴」という政策を打ち出します。

中国という国家の運営は共産党だけではできない。知識層や国民の皆さんと一緒にやっていたい。それには共産党に遠慮のない批判をしてください、と

いう考えでした。

 

はじめはオズオズと最後には遠慮のない意見や批判が出されました。

57年6月。毛沢東は「これはいったいどうしたことだ」と疑問を発し、実に55万人もの知識人を「右派知識人」として認定して逮捕・批判・追放しました。

 

今回の一連の迫害は、これとほとんど同じやり方です。しかし、違う面もあります。今度の対象は少数民族のウイグル人です。あとになって「ごめんなさい。あれは冤罪でした」という必要がないからです。まったくひどい話です。

 

まっ!とにかく9月14日(土曜日)は、ぜひ、狛江駅前までお越しください。一つしかない改札口を出て左に出ると、ロータリーがあります。時計の方向で11時の位置に小道があります。そこをまっすぐに60メートルも行くと、「泉龍寺」です。境内の右側が「仏教文庫」です。

引退した元和尚さんは元駒澤大学の先生、奥さんも元桐朋学園大学の先生でした。温かく迎えてくださると思います。

 

9月3日

| ウイグル情報 | 11:09 | comments(0) | - |
2019年 モンゴル大草原の旅

 日馬富士の国際学校

 悪路を経て、いよいよウランバートルに着いた。

この町は急速な経済発展で車が多すぎる。韓国以外は日本の車が圧倒的に多い。その大渋滞の中、市の郊外にある日馬富士の学校の前に着く。ちょうど夏休みで学校は閉鎖状態。バスから降りて学校の前でしばし休憩。

 ここで分かったのは、ここは相撲学校ではなく、インターナショナルスクール。だということ。とにかく詳しいことはわからない。情報がないので共同通信の記事を引用する。

 

 下記は18年9月1日の開校式風景の写真と共同通信の記事である。

 ここまでの2枚の写真がネット引用である

 

 元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏が出資して設立した私立学校「新モンゴル日馬富士学校」が1日、モンゴルの首都ウランバートルで開校した。ビャンバドルジ氏は開校式で「祖国への恩返しだ。日本の優れた教育も取り入れ、よい市民を育てたい」と話した。

 小中高の一貫教育で、教養と礼儀を身に付けた人材を育成する狙い。スポーツを通じて忍耐強さや責任感、他人を尊重する気持ちも養うという。ビャンバドルジ氏は「子供たちには、日本にも親しみを持ってもらいたい」と話した。当初の生徒は約740人で教職員は70人余り。将来は生徒数1800人、教職員140人の規模になる計画だ。

わたしは半袖、彼女はヤッケ

 

 旭鷲山の学校

 旭鷲山のビルは9年前に来たときは繁華街のまん中にあったが、ここは(日馬富士の学校も含めて)市の郊外というより、人口が増えて拡大していった新興住宅地にあるとのこと。バスの車中から眺めただけだった。

2人の元相撲取りたちのビルの付近は、まだ貧しい人たちの住む地域だが、

新しいマンションや家が建ってきて、新興の住宅街に変貌していっているようである。

では、貧しい人たちはどこへ行くのだろう・・・・

 

 旭鷲山に関しては、日本での報道に限って言えば、あまり芳しくない情報ばかりだが、横綱にもなれなかった関取が、良くこのような大きな学校を建てることができたなァ〜〜と思ったものである。

 

 国立民族歴史博物館

 チンギス・ハーン広場の北西の角にあるモンゴル国立民族歴史博物館へ行く。
入場料は支払い済みだが、撮影する場合は別途1万トゥグリク(約445円)が必要になる。

監視の館員さんに露骨に撮影料支払い済みの証明を求められた。

博物館の入り口

『大遼契丹」と中国語で書いてある

「契丹族(キタイ)はモンゴルと争った東胡系の部族で、鮮卑の文字を使う・・・」

などと説明してある。なぜか漢語で・・・

 

 内部展示は、2階の民族衣装と装飾品のコーナーが見事。

今回は契丹(キタイ)の展示がメインだった。

チンギス・ハーンが勃興する前にモンゴル高原に覇を遂げた騎馬遊牧民。

だがそれでもチンギス・ハーンの展示があるから奇妙である。考えてみれば、それも却って当然なのかもしれない。ソ連支配時代はチンギス・ハーンの名前を出すだけでも弾圧されていたのだから・・・


 

 

 その他の古代から現代の歴史を追うコーナーは、展示品がやや貧弱で期待外れ。
 1階には、チンギス・ハーン関連グッズが並ぶお土産品店もあるので、そこだけ覗いている人もいた。いいんだよ、それくらいで。

 この博物館は9年前にも行ったが、そのときはともかく展示物の英語文がまことに誤訳の多いものだった。カナダ・トロントにいるウイグル人の友人に翻訳していただいた結論であった。今回の場合はまだ不明。わたしにそんなものが分かるわけがない。

 でもまあ、9年前よりは見る価値の多い展示になっていた。

 

 モンゴルの歌舞

 ここも9年前にみんなで見た歌舞団である。

 見ていくうちにだんだん思い出してくる。

 とにかくプロ集団だから歌でも踊りでも少しの失敗も許されない。

 その点ではまったくミスのない完璧な歌と演技の集団であった。

 

 

 

 

 お土産

 さあ〜、カシミヤやあれこれを買うことのできるお土産屋である。

 お土産屋さんを出てから分かったことだが、このビルも9年前に来た店である。

 私は、あまのじゃくだからではないが、袖のないラクダの皮のベストを買った。あとは自分のシャツ。それだけである。

 みなさんは大奮闘でした。

 

 9日目 8月1日 明日は帰国

 そして8月2日早朝。朝食の弁当を持って空港へ。

 でも驚くべきことに空港でもまだお土産を買っている方がたがいる。

 前日、スタッフの提案で、財布に残った少額の紙幣をカンパとして集めてガイドとドライバーに寄付しようというIちゃんの提案があって、私などはポケットにあった小銭をすべて出したものだが、まだ残していた人がかなりいたのである。

 

 今回は事前に3人の仲間にお願いして「スタッフ」として仕事をしてほしいとお願いした。

 会計やあれこれ。苦情処理などを受ける担当、そして部屋割りなど宿泊に関する担当など、みなさん適確に仕事をされて、それだけでも私の仕事はずいぶんと少なくなった。感謝してもしきれない。

 

 合計で1220劼琉路を走った。

 このハードなドライブを経てモンゴルの数々の自然を訪ねる旅は終わった。

 新しい友人もたくさんできた。

 12月のシルクロード講座は、忘年会を兼ねて、この旅の報告と写真交換会などが待っている。

 

 すでに旅の途中で、3人の女性が手を挙げて「来年はウズベキスタンへ行きたいです」と注文してきた。

 私は蘭州から河西回廊を経て敦煌、トルファン、ウルムチへ行きたいのだけれど〜〜〜〜

(終わり)

| モンゴル関連 | 10:30 | comments(0) | - |
2019年 モンゴル大草原の旅

8日目 31日 再び、ダラハンへ戻る、そして旅の感想を

シベリア国境が山火事の関係でロクに景色も見られなかったあと、私たち一行は再びダルハンに戻ることになった。無論、再びの悪路。

 

スフバートルの位置関係を知るためにも、地図で見てみよう。

ロシアのロの字の下あたりがスフバートル市です。

 

 

朝の散歩、何人かでスフバートルの駅と汽車を見に行く。

鉄道の労働者たちと記念写真。

日本にもいるようなオジサンたちです

 

鉄道フアンなら垂涎ものだろうが、昔のシベリア鉄道を駆け巡った鉄道が置かれている。

Hさんが少しポーズをとったので、すかさず1枚。

題して「囚人と汽車」。昔の映画「美女と野獣」をもじったもの。

 

 

そして驚きの朝食。小さなパンが2切れ、ハムも2切れ、生卵。一同しばし唖然。しかし、これが普通のモンゴルの人の朝食なのです。「このような朝食も食べられない人もいるのです」。そういわれてみな気を取り直して食べる。良い勉強になりました。

 

トイレ休憩ついでに

悪路の途中で小さなお土産屋さん。

いつでも、どこでも、「お土産」と聞くと目の色を変える人がたくさんいます。

彼女のために言いますが、これはウランバートルで会う友人へのお土産だそうです。

ダルハンへの道は「工事中の車が入ってくる前に通してほしい」と

ドライバーがお願いしていたので、無事、通過することができた。

 

私は提案した。「ダルハンの街では少しはゆっくりできるが、ウランバートルに戻れば翌朝の成田への便が朝7時なのでゆっくり楽しむ時間もない。ならば、ダルハンのホテルでこの旅の「お別れ会」をしよう」ということを。

 

司会は、Iちゃん。

 

「羊の肉を思いきり食わせてくれ」と、私が注文したら、写真手前のような大きな肉。

これでのけぞるようにして「わたし、食べられな〜〜い」という人もいました。

 

旅の最終の懇親会は、皆さんから「楽しかった」の賛辞が続いたが、多少詳しく列挙してみる。

Kさん「モンゴルで入るお風呂(実はシャワーのみ)がこんなに大切なことだと実感した。東日本の被災地の方がたのことを思い浮かべた。それにしても天候がねェ〜〜〜」。

 

I氏「妻(Iちゃん)と結婚30年で来ました。わたしは多少ハングルができるのですが、山の上へ歩いて行って遊牧民のゲルで話しました。彼も韓国へ行ったことがあるとのことで、馬乳酒をすすめられながら韓国語でいろいろ話しました」。

 

M氏「野口ツアーでこんなにのんびりしたのは初めて。とても良かった」。

 

Hさん「普通のツアーでは行けない素晴らしい旅でした」。

 

Sさん「皆さん暖かくてとてもいい雰囲気でした。天候のこともあったのですが、乗馬を楽しむことができたし、大草原がよかった」。

 

うちの奥さん「夫が、星空がきれいだよって誘ってくれました。3時に起きた時きれいな星空でした。どこまで行っても草原。みなさんも個性的で楽しかった」。

 

S氏「ノマド(遊牧民)の生活を感じてみたくて参加。乗馬も楽しかった。夜中、ゲルの中に猫がネズミをくわえて入ってきたので驚いた」。

 

Sさん「モンゴルへは是非行ってみたいという気持ちだけで参加した。モンゴルの大草原や自然を間近に見ることができて本当に良かった。描こうと思っていた絵を描けなくて残念でしたが、それでも満足しています」。

 

Tさん「初めての自然の中での生活。1週間お風呂に入らない経験もしました。乗馬が楽しかった。ゲルに4泊したけれど、ただただ寒かった」。

Aさん「初めての一人旅でした。ヨーロッパとは違う街を経験しました。改めて感じたことは、私たちは豊かな生活が身についてしまっていますが、この自然のもとでの生活を守ることも大切だなと思いました。乗馬の初体験が素晴らしかったです」。

 

Tさん「父がシベリア帰りなので、モンゴルの寒さなどを体験したかった。プルジェワルスキー馬を見ることができたことが素晴らしかった。ゲルで寒いとき、遊牧民の娘さんが布団をかけてくれた。その優しさに感動した」。

 

K爺「マッサージ道路のドライブで認知症になるヒマがなかった」。

 

ムンフ(ガイド)「野口様のおかげです。ゲルの問題やトイレのこと、シャワーのことなど頭が痛くなるほどでした」。

Hさん「武蔵境のスイングホールでの野口さんの講演の際に、モンゴルのツアーのことを伺って、その場で申し込みました。モンゴルは見たことあるもの全部がホンモノでした。遊牧民の小さな女の子とダンスをしたことが楽しかった」。

 

Kさん「初めての野口ツアーでした。気兼ねのない人たちばかりで楽しかったです。ゲルの4日間の生活は素晴らしかったです。大草原に癒されました。星を見られなかったのが残念でした」。

 

 

こんな言葉が続いて、うれしい限りです。

だからシルクロードツアーはやめられないのですね。

| モンゴル関連 | 11:04 | comments(0) | - |
2019年 モンゴル大草原の旅

7日目 7月30日 セレンゲ県のスフバートルへ向かう

 

スフバートルのすぐ向こうはロシアのシベリアである。

180劼離蓮璽疋疋薀ぅ屐

余計なことながら大相撲の横綱鶴竜関の出身地はスフバートル州なので、そこはモンゴルの東のほう。国境に近いところはスフバートル市。これは「州」と「市」の違いなのだろう。

 

私の今回の旅の企画の大きなポイントはここスフバートルであった。

遠くから大草原や多くの河川あるいはシベリア鉄道などの遠望を眺めることのできる「サイハンの丘」という場所での長〜い休憩である。の、はずであった。

 

しかし何ということか、絶景が見えない!シベリアのイルクーツク地方の大規模な山火事を原因とする煙が流れてきて、一面、カスミがかかったような空になっていて、遠望がまったく望めないのである。なんということか!これにはまったくガッカリである。

ま、9年前に撮影した写真をご覧ください。

まさしくこれが絶景というものです。2010年8月の写真です

ガイドが「30分休憩します」といっても、だれも動かなかった、

という話分かるでしょう?

手前の中州にシベリア鉄道が走っている、ということでした。

これが今年7月30日の現状です

息を吹きかけて煙を吹き飛ばしたいくらい

!!!

 

少しだけ山登りをすると9年前にはなかった建物や「展望台」ができている。どこの国でも、どんなところでも、いったん観光地となるとあれやこれやと建造物や派手な看板をつくる。もうそんなことはどうでもよい。かえすがえすも残念!!!

少しだけの山登り。コリアの方がたがたくさんいました。

モンゴルは「北朝鮮と国交があるので、北か南かわかりません。

でも、私はわかります。服装や眼の動きで・・・黒い服の人は韓国です

歩くのは10分くらいですね

 

今回の旅における私の計画の誤算は、この時期が雨期であることを知らなかったこと。もう一つは、このシベリアの山火事である。

しかし、皆さんはニコニコ顔であることだけが救いである。

 

今日の宿泊は「セレンゲホテル」。

180劼離疋薀ぅ屬世、日本と違って道路は大雨で壊れているところが当然、あるだろう。だが、やはりこれまで以上の悪路であった。直線の道路の先を見通せるようなところから先を見ると、絶望を覚えるような悪路続きである。

車の「わだち」がどんどん広がっていきます

このバスの乗客も「マッサージ」をたっぷりしてもらっていることだろう

途中のトイレ休憩で、大きなお店へ

トイレ休憩の名所のようです

お買い物は家族連れで・・・・

道路をヤギが堂々とわたっていきます。

 

 

この日はセレンゲ県スフバートルのホテルである。

みなさん、「ホテル」ということで非日常の生活から日本のような快適な生活に戻れると思って明るい顔をしている。だが、そうはいかない。ここも「カギがあかない」「シャワーが水しか出ない」「暖房がつかない」などなど、あらゆる点でクレームが出る。

 

部屋や設備の不備に関して同室の人にクレームばかり言っている女性がいた。「彼女から建物の文句ばかり言われていていやになってしまうと」訴えられた。わたしは彼女に「モンゴルという日本より条件の悪い世界に来たのだから、日本のようにはいかないことを知っているでしょう?ここはモンゴルなのだから」ということを強調する。そういうと彼女は「そうだったわね」とすぐに気づいてくれる。つい、愚痴が出てしまうのだろう。「愚痴は野口まで」である。

ガイドのムンフさんは良く働いてださいました。

大学生と5〜6歳の息子がいます。

元「お嬢様」だったようで、私が「おじょうさん」と呼びかけると

「はい!」と答えていました。今回の最年少参加者です。Kさん

ムンフさんが写した全員集合写真

 

ホテルへ戻って夕食後の懇親会。

夕食のあとの楽しい宴は10時半頃に終わったが、今度は私の部屋が分からない。廊下からそっとワイフに声を出して部屋が分かった。

| モンゴル関連 | 11:17 | comments(0) | - |
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