シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
シルクロード−中国・西域の歴史と少数民族 野口 信彦  1998年9月

 私が98年5月にウルムチからトルファンに向かう際、同行したウイグル人の日本語ガイド青年も「今、私たちウイグル人の青年たちは毎晩のように密かに集まって情勢を分析している。国際情勢はNHKのラジオ国際放送を聞いて知り、ウイグルの独立運動・東トルキスタン独立への運動の状況は、サウジアラビアのウイグル語放送を聞いてつかんでいる」と話していた。

ホータン近郊のある集落の女の子。

※今日の写真は、いずれも筆者撮影のものです。

 

サウジアラビアのウイグル語放送とは意外の感がしないでもなかったが、同じムスリムだからこそあり得る話だと感じたことがある。彼らにとっては、すべての情報システムが当局の管理下にあるので“隣町の出来事”も、クチコミ以外には、はるか外国の電波でなければ知ることができない状態なのである。

カラコルムハイウエイのどこかで

 

98年8月、南疆のカシュガルに旅した際、あるウイグル人青年たちの誕生パーティーに招かれた。そこでのかれらの話は、89年の天安門事件の学生たちの指導者であったウイグル人のウーアルカイシが、現在でも依然として偶像視されているということであった。分離・独立運動の是非を別としても、彼らにとってはやむにやまれぬ思いがするのであろう。

 

おわりに

 これまで数回のシルクロードの旅のあと、98年には2回にわたってウルムチ、トルファン、カシュガル方面に旅した。パキスタン国境に近いタシュクルガンへの旅も大きな目的であったが、洪水による増水と道路の崩壊で行くことがかなわなかった。

カラコルムハイウェイ

クンジュラプ峠で、左端は友人のK氏、中央はパキスタン兵士

 

 中国の西域=新疆ウイグル自治区における少数民族への中国共産党の統治は絶対的である。その統治の特色は民族自治でなく「民族区域自治」政策である。このことについて我々外国人は口をはさめない。

 

それらの新疆ウイグル地域やシルクロードを旅して率直に感じたことは、私たち外国人はシルクロードにロマンをみるが、新疆に生活する少数民族は漢族の同化政策の波に抗しながらも、悠々と自分たちの文化を保ち続けようとする姿であった。

 

 一方、シルクロードの貴重な文物の発掘・保存に国際的な協力が必要になっている。これらの発掘・保存は中国自身による努力とともに、隣国日本の経済、文化、人的交流も含めた援助や国連による調査・研究、援助・協力、紛争調停なども必要なのである。いずれにせよ、我々外国人にとっても中国人にとっても、シルクロードは21世紀に継承されるべき世界の遺産であり、薫り高きロマンなのである。ロマンはいつまでも大切に残すことが、現代の我々に残された課題ではないのだろうか。

ホータン郊外の遺跡

 

 もう一つの重大な課題は、ウイグル人の独立運動を支援する国際的なラジオ放送が、アメリカ中央情報局(CIA)の全面的な資金援助を受けてなりたっていることである。チベットに関しても同様である。

カナダ・トロントのチベット人亡命者の住むアパート。ここでのチベット人は、文化や習慣の違いからか、多くのカナダ人から嫌われていた。

 

 

 もうひとつの懸念すべき事柄は、日本のこの種の運動が、主として反共・反中国を是とする右翼団体や右翼的人士の支援を受けていることである。

 日本で右翼団体が関わりあっているということは、多くの国民の唾棄するところとなり、国民的な規模の運動には絶対にならないということである。

 

 “溺れる者わらをもつかむ”という心情はある程度理解できるが、当事者たちは一刻も早くこの面の理解を深めて打開を図っていただきたい。

 

(中国・シルクロード研究者、「シルクロード・ジャーナル」主宰、パミール・中央アジ

研究会創立会員、狛江山遊会創立会長、日本勤労者山岳連盟事務局長、日本ヒマラヤ協会会員)

                             1998年9月  野口信彦

 

※この時期はまだ、「日本シルクロード文化センター」は創立されていない。

                       2020年10月1日 野口信彦

 

参考文献

 『シルクロードを掘る』樋口隆康著 大阪書籍刊。

 『最新教科書 現代中国』柏書房刊。。

 『ウイグル その人びとと文化』権藤与志夫編著 朝日選書424 朝日新聞社刊。

 『民族で読む中国』可児弘明、国分良成、鈴木正崇、関根政美共著 朝日選書595 朝日新聞社刊。

 『中国55の少数民族を訪ねて』市川捷護、市橋雄二共著 白水社刊。

 『東アジア 民族の興亡』−漢民族と異民族の4千年−大林太良 生田滋、日本経済新聞社。

 『民主主義をめざす中国−中国経済発展と民主化−』西野久雄著 リーベル出版刊。

 『新疆維吾爾自治区概況』新疆人民出版社、ウルムチ、1985年。

 『新疆年鑑(1987年)』新疆人民出版社、ウルムチ、1989年。

 『新疆年鑑(1988年)』新疆人民出版社、ウルムチ、1988年。

 『新疆年鑑(1989年)』新疆人民出版社、ウルムチ、1989年。

 『新疆経済工作手冊』新疆人民出版社、ウルムチ、1989年。

 『新疆概覧』新疆撮影芸術出版社、ウルムチ、1988年。

| シルクロード | 09:28 | comments(0) | - |
シルクロード−中国・西域の歴史と少数民族 野口 信彦  1998年9月

 

3.新疆ウイグル自治区における少数民族問題

  • 中国政府の少数民族政策の基本

 中国は1949年の解放前にも解放後も、少数民族問題について、またその政策においてさまざまな段階を経てきている。解放後、中国の党と政府は少数民族政策に細心の注意と配慮をはらってきた。しかしその“細心の注意と配慮”の収斂するところは、民族自決権、分離・独立権の否定を基本とした少数民族政策にあり、同一地域での異民族同士の自治のみを認めるという「民族区域自治」政策である。

 

 1982年に改定された新しい憲法には「中華人民共和国の各民族は、すべて平等である。国家は、各少数民族の合法的な権利および利益を保障し、各民族の平等、団結、相互援助の関係を維持、発展させる。いずれの民族に対する差別および抑圧をも禁止し、民族の団結を破壊するか、または民族の分裂を引き起こす行為を禁止する」とうたっている。各民族は一律に平等であるという政策は、中国政府が民族問題を解決するためにとったもっとも基本的な原則である。

 

 しかし、問題が複雑になった原因は、中国共産党が中華人民共和国成立直前まで、漢族とそれ以外の各民族との「連邦制」を国家統合の基本原則とすることを主張していたが、建国後の1949年の「中国人民政治協商会議共同綱領」では「連邦制」は取り消され、中央政府指導下の「民族区域自治」とされたことにあった

 

(2)ウイグルの分離・独立運動

 1960年代半ばの文化大革命当時、中国政府はウイグルの学校やイスラム寺院を閉鎖するとともに文化活動をも規制したことによってウイグル民族は漢族同化の危機に直面した。さらに当局は、1971年には旧ウイグル文字を廃止しようとして漢化政策を強制した。そのためウイグル文化の絶滅がすすみ、少なからぬ青少年がウイグル文字の原典を読めなくなる危険に直面した。

中華人民共和国における省級行政区の分布図。5つの自治区がある

 

人民代表大会のウイグル人代表は1980年の第5期全人代第3回全体会議で、「新文字改革」や「同化政策」を批判して、55年の憲法精神にもとづく真の民族自治を要求した。その結果、民族自治の線は絶対に認めなかったものの、それ以外の政策は緩和され、ウイグル人の「文字改革」のためにつくられたローマ字のウイグル新文字の強制はなくなった。

 

これにたいし、ウイグル自治区のイスラム教諸民族は、東トルキスタン人民共和国の崩壊(1944年建国、翌年崩壊)後も暴動や襲撃を繰り返してきた。1981年夏には、漢族との対立が激化、自治権獲得の運動と分離・独立の闘いが各地に広がった。

東トルキスタン共和国亡命政府の旗

 

 

 新疆のカザフ、ウズベク、キルギス民族には、中央アジアにそれぞれの故郷があるが、ウイグルには、湖南省の桃源県にいるごく少数の住民以外は、ほとんどが新疆に集中しており、新疆以外には祖国がない。80年に少数民族学校とイスラム教寺院が復活してからは、漢学校に通う学生がいなくなり、政府に大きなショックを与えている。ウイグル人が求めているのは、漢人指導による自治ではなく、ウイグル人自身による自治である。

 

今、中国政府が最も警戒しているのは、ウイグル自治区内の分離主義者とイスラム原理主義者が、トルコ・イラン・アラブ諸国に亡命しているウイグル人と呼応して「東トルキスタン・イスラム共和国」を再建するのではないかということである。

 

新疆ウイグル自治区では、1996年4月中旬から5月20日にかけて、自治区内の15か所で45回にわたって、計6万5千人が隣国カザフスタンにあるといわれる「東トルキスタン民族革命陣線」と連携のうえで、漢族幹部による主要部門の独占に反発し、彼らが新疆から離れることを要求するとともに、独立国家の樹立をめざして暴動を起こした(香港『動向』96年6月第130号ほか)。

 

また1997年2月5日から6日にかけて、同自治区伊寧(イーニン)市において、新中国建国以来、最大規模といわれる暴動の発生が伝えられた。この事件に関してトルコにあるウイグル人運動組織「東トルキスタン連帯社会評議会」の指導者は、「もはや武装闘争による独立しかあり得ない」と述べた(『読売新聞』97年2月18日付ほか)。

 

 この分離運動をくい止めるために中国政府はその後、漢人を大量に同区に移住させ大兵力を駐屯させた。とくに90年代の蘭州−ウルムチ鉄道の開通からは、政府の呼びかけに応じた青年たちが生産建設兵団として大量に移住している。50代初めには人口の6・7%だった漢人は、90年代には41%にまで達し、軍も加えれば最大民族になった。98年時点では、それをはるかに上まわるであろう。

 

カシュガルのバザールで出会ったウイグル人男性。彼はこの面貌で43歳だといった。08年6月

※ここから下の写真は筆者撮影の写真です。

カシュガルから100劼離瓮トのドゥランメシュレプを演奏するトフティさん(右)。11年6月

ホータン郊外のポプラ並木。いまではこの並木もウイグル人官僚の小遣い稼ぎのために「道路拡幅」ち偽られて、伐採されてしまっている。 11年6月

 

| シルクロード | 06:34 | comments(0) | - |
シルクロード−中国・西域の歴史と少数民族 野口 信彦 1998年9月

(注5)匈奴=確実な記録には前4世紀末からモンゴルに現れ、以後5世紀間、北アジアに活躍した遊牧騎馬民。はじめ前318年に韓、魏、趙、などが匈奴を率いて秦を攻撃した事件があり、その後はしばしば燕、趙、秦等の戦国諸国に侵入するようになった。そのため、これら諸国は長城を築き、北方の防備につとめた。秦の始皇帝は将軍蒙恬(もうてん)を派遣し、匈奴を陰山の北に退去させるが、冒頓(ぼくとつ)を単于(ぜんう=皇帝)に戴いた匈奴は東胡、月氏、丁令等の諸族を撃破し、ついで前201年に中国の山西省北部に侵入する。

 

紀元前250年、匈奴の版図

高祖 劉邦

 

漢の高祖は翌年、みずから大軍を率いて北征したが、40万の匈奴軍に包囲され、王妃が匈奴に巨額の貢物を贈って、長安に逃げ帰った。以後、漢の武帝の時代に衛青、霍去病らの将軍によって打撃を加えられるまで匈奴が優位にあったが、やがて内紛を繰り返し、その勢力は衰える。2世期の半ば以後、西方に移動して北アジア史上から姿を消した。

霍去病の像(甘粛省酒泉市)

 

(注6)烏孫=中国の漢代から南北朝時代にかけて天山山脈の北方、イリ川流域からイシク・クル(湖)の周辺に展開した遊牧民族。はじめ河西にいた月氏と隣接していたが、匈奴に協力して月氏を西方に追ったのにともない、イリ地方に移住したものとされる。その後、匈奴より独立し、イリ河流域にまで進出した漢と同盟関係を結ぶ。しかし烏孫内部には親漢派と親匈奴派とがあって対立し、やがて2世紀後半には鮮卑族の圧迫を受け、さらに5世紀後半になって柔然の侵略を受けてパミール方面へ逃げ、忽然と姿を消した。人種的にはトルコ人あるいはアーリア系と目されていたが、考古学調査によりスキタイ・サカのサカ族の子孫との見方が強まっている。

紀元前2世紀、匈奴とその周辺国。

 

(注7)突厥(とっけつ)=6世紀中葉から約2世紀間、モンゴル高原からアルタイ地方、そしてトルキスタン地方まで支配下においた遊牧国家。はじめアルタイ山脈の南西にいた阿史那氏は柔然に服属していたが、その族長土門のとき強大となり、ジュンガリアにいた鉄勒諸部を討って服属させた。土門は551年には柔然を破って独立し、みずから伊利可汗と称した。

紀元前250年、匈奴の版図

 

その後、木杆可汗のとき柔然を滅亡させ、契丹を討ち、キルギスまで勢力下におき、本拠を北モンゴルのウトケン山に移す。のちの東突厥である。一方、土門の弟ディザブロスはトルキスタンの経略に向かい、エフタルを滅ぼして本拠をユルドゥズ渓谷(クチャの北)におき西面可汗を称した。583年には独立し、西突厥と呼ばれたものである。いったん唐朝によって滅ぼされたが再興し、744年に内乱によって滅亡するまで続いた。

 

| シルクロード | 07:03 | comments(0) | - |
シルクロード−中国・西域の歴史と少数民族 野口 信彦  1998年9月

 

2.新疆ウイグル自治区形成の歴史

 

 シルクロード上におけるオアシス都市国家は商業的性格を持ち、古来、東西交通上重要な役割を果たしてきた。そのために、この地域は常に周辺諸国からの軍事的脅威にさらされてきた。もちろん、タリム盆地の支配をねらっていたのは北アジアの遊牧国家であったが、さらに中国の王朝もその支配に意欲的であった。

大月氏へと赴く張騫使節団

 

☆紀元前2世紀後半、前漢の武帝が張騫(ちょうけん)を中央アジアの部族・大月氏に派遣したころ、西域を支配していたのは、遊牧騎馬民の匈奴(注6)と烏孫(注7)であった。その烏孫の中心は新疆の西部・イリ地方にあり、烏孫王の墓と思われるものもその一角にある。また、土地の人びとは天山の西部分の山並みを烏孫山と称している。漢が匈奴に対抗するために王室の女性を2度にわたり烏孫王に降嫁させたことは有名である。その後、タリム盆地支配をめぐって漢と匈奴との熾烈な争いが続いた。匈奴は漢との争いに敗れ、タリム盆地から後退することもあったが、天山北部の草原は依然、その支配下にあった。

紀元前3世紀、秦帝国と北方民族

 

☆紀元3〜4世紀以後、匈奴の支配が衰退した後、柔然(じゅうぜん)が勢力を伸ばす。その後、前漢、後漢と続く。

 

☆5世紀には、やはり北方遊牧騎馬民である柔然、エフタルと続き、5世紀末、柔然の支配から独立した高車丁零(こうしゃていれい)が北疆地域に移動し、以後、ここはトルコ族の世界になる。

 

☆6世紀後半、突厥(とっけつ)(注8)が勢力を伸ばし、さらにタリム盆地のオアシスをも従属させている。

 

☆6世紀末、突厥は東西に分裂し、北疆は西突厥の領域に入った。その後、唐が西域に進出、西突厥と争い、7世紀半ば、これを滅ぼした。唐は北疆地域の牧畜民を管理・監督する役所として北庭都護府を現在の天山北麓のジムサルに置いた。このころから、唐は北アジアから中央アジアまで未曾有の領域を有する大帝国となっていく。

 

☆7世紀には唐が支配。840年、モンゴル高原のウイグルが滅亡した後、多くのウイグル族が天山一帯に移住したことが知られている。その後、現在のトルファン一帯に中心を置いた西ウイグル国の支配を受けたが、12世紀はじめ、カラキタイ(西遼)の領域に入った。

 

☆8世紀には吐蕃(チベット)が支配した。8世紀の半ば、唐は「安史の乱」により国力が疲弊し、西域の支配が緩む。この後、新疆北部にはウイグルが勢力を伸ばし、9世紀にはウイグルが実質的に支配した。

 

☆13世紀はじめ、西域はチンギスハーン率いるモンゴルの支配下に入る。その後、モンゴル帝国のオゴタイ汗国、チャガタイ汗国などがこの地域を領有した。それまで北疆地域はトルコ族の世界であったが、このころバイカル湖付近からモンゴル系のオイラト族も移住し、次第にモンゴル族の世界へと変わっていった。

13世紀の東アジア諸国と北方諸民族。

 

☆15世紀にはオイラト、モグーリスタン汗国の時代となった。15世紀前半、オイラト族が歴史的に顕著な活動をするのは、トゴン、エセン父子の時代と17世紀後半か

18世紀半ばまで、いわゆるジュンガル王国の時代である。トゴン、エセンはその勢力を東の大興安嶺にまで広げ、モンゴリア最大の実力者としてその名を轟かせた。またジュンガル王国の時代、タリム盆地、中央アジアにまで進出し、一大遊牧国家を築きあげたが、18世紀半ば清朝の攻撃を受けて滅亡した。このとき、ジュンガリアの人的被害は甚だしく、椿園(チンエン)の『西域見聞録』によれば、清軍のために男女百万人が殺戮され、千里にわたって人煙が絶えたという。

15世紀の東アジア諸国と北方諸民族。

 

☆18世紀には清朝の支配、東の中華帝国と西・北の遊牧騎馬民などの侵入と支配など、ほとんど途切れることがなかった。新疆は18世紀後半、清朝の領域に入ったのち、北疆は準部、南疆は回部として封建諸公の支配下におかれた。

 

☆19世紀末、新疆はロシア、イギリスなどの列強の侵略の対象となり、これを憂慮した清朝は1884年、新疆省を設置、本土と同列に置いた。辛亥革命の後、国民党政府から派遣された主席たちと新疆の住民との間に軋轢(あつれき)が生じ、しばしば暴動が発生した。

オイラトのキャラバン(20世紀)

 

☆1949年、新疆首席に就任したボルハンは国民党から離別し、新疆の平和解放を宣言した。そして、1959年10月1日、中国では2番目の自治区、新疆ウイグル自治区が成立したのである。

 

☆他方、北疆地域は遊牧民族を中心に独特な歴史が展開された。

 

 と、いう歴史認識と概略は、あくまでも中原の支配者であった歴代の中華帝国の視点によるものである。我々日本人や諸外国のシルクロード・ファンも、知らず知らずのうちにその範疇の認識からスタートすることになる。機会があれば、故老舎からも高く評価されたウイグル族の偉大な詩人・マホメット・カシュガリーや同じく傑出した思想家・詩人でウイグル古典文学の代表的存在でもあり、後年、中国政府によって、焚書の憂き目にもあったユスフ・ハス・ハシブなどの著作を通した、ウイグル人による歴史展開の文書に是非、お目にかかりたいものである。

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