シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
安史の乱の真実

今日は広島に原爆が投下されてから75年。

国連で核兵器は犯罪であるという核兵器禁止条約が決議されたにもかかわらず、我が国政府はこの条約を批准していません。アメリカの「核の傘」のもとにいるからです。

世界でただ一つの被爆国である日本政府がいまだにこの条約を批准していないことは、世界の誰もが不思議なことだと思っています。

 

今日の話題はそれとは別です。

題して「安史の乱の真実」。

私はきのうまで2か月かけて4回の研究会に通っていました。

題して「シルクロード交易とソグド人」。

講師は学習院大学などで講師をしている若手の研究者・福島恵さんでした。

研究会の決まり事で、マスクをしたままマイクを握り、私たちとの間には透明のシールドがかけられていました。私もそうですが、彼女も話し続けていると呼吸が苦しくなるのか、ハーハー言っていました。

「安史の乱」は、唐の玄宗皇帝の末年755年に起こった反乱事件です。

安禄山率いる反乱軍は唐の都の長安を陥れました。

青の矢印が反乱軍の進路、赤が唐軍

 

一方で、玄宗は蜀の国(いまの四川省)に亡命して退位し、唐は滅亡寸前となったのですが、反乱軍の内部で分裂が起こり、唐王朝も新皇帝の粛宗のもとに、モンゴル高原の覇者であったウイグルなどの支援を得て立ち直り、763年にやっと反乱軍を鎮圧することができたのです。

 

一般的に反乱の直接的な原因は、玄宗皇帝の寵愛を受けた楊貴妃の甥で権力を握っていた楊国忠と北方のいくつかの節度使を兼ねていた安禄山が対立したことにあるとされている、と福島さんは言いました。

 

福島理論というより、従来の考え方はこれでした。でも、わたしは絶世の美女であったとされる楊貴妃の絡むロマンスがらみのストーリーにはあまり関心がありません。わたしの理解では、安史の乱の遠因は、唐王朝が北方の節度使に強引に求めていた「馬」の提供に反対する「康待賓の乱」(安史の乱の34年前に起きた六胡州)にあったのではないかという主張でした。

「安史の乱」の全体図

 

 

まず、「康待賓の乱」とはなんでしょうか。

この乱は、開元9(721)年に、河曲六胡州の地で康待賓をリーダーとして、安慕容、何黒奴、石神奴、康鉄頭らが唐王朝に対して反旗を翻したものでした。

 

この六胡州の地は、突厥の頡利可汗が唐将李靖に敗れた際に、その配下とともに置かれた地であり、史料においてその居住民は「降突厥」と記されており、「葉護」など突厥の官称号を称していたことから、突厥的要素を強く持っていたことがうかがえます。彼らは、康・安・何・石など、ソグド人特有の姓を保持し続けており、彼らがソグド系突厥であった可能性が非常に強いといえます。

 

ではなぜ、六胡州のソグド系突厥たちは反乱を起こしたのでしょうか。

それは、武人となっても変わらず保持していた彼らのもつ「商業的特性」に大きく関係しているといえます。

 

実は、六胡州の地を含むオルドスの地では馬が飼育され売買されていました。康待賓の乱が起こる前から、唐王朝所有の馬は減少する一方であり、唐にとって、ソグド系突厥が所有する馬やその牧場は魅力的なものであったでしょう。

 

実際、唐将王修呂垢任乏元8年(720年)には受降城を制圧しており、その直後に起きた康待賓の乱の鎮圧を命じられたのも、この王修任靴拭H爐枠人霙丹妓紊砲海涼呂鮗めた牛仙客と共に「群牧使」の官職についています。

この地での馬の飼育・売買が視野に入れられた人選であったといえましょう。このような事件後の対応からみると、唐王朝の目的は明白でした。

 

つまり、六胡州のソグド系突厥たちは、その地で馬の飼育・売買を行なっており、所有する馬の減少に窮した唐王朝がその利権を求め、彼らに圧迫を加え始めたのではないか。康待賓の乱はそのような施策に反発したソグド系突厥たちの反乱であったと考えられるでしょう。

 

次に「安史の乱」で安禄山や史思明は、従来、その出自が「ソグド系のもの」などと、あいまいに論じられていました。しかし、安禄山の母は突厥の巫女、父は康というソグド姓を持つ「雑胡」、すなわち突厥・ソグドのハーフであり、史思明も「突厥の雑胡」と記されています。安禄山・史思明は共にソグド系突厥であったと定義してよいでしょう。


| シルクロード | 10:55 | comments(0) | - |
悩み多き年頃のわたし

7月に入り、もう明日は8月です。

自室の窓から外を見ていると、季節の変化が読み取れるような気がします。

日ごとに夕暮れが早まっています。

ウオーキングをしていて、午後6時半になると夕闇の気配が漂ってきます。

8月は、それがどんどん早まり、もう秋は近くまで来ています。

 

先日も「日本シルクロード文化センター」の役員会で確認したのですが、11月7日(土)には、クラブの創立15周年記念のイベントを開きます。

テーマは「仮題」ですが「西域=シルクロードを経てきた朝鮮半島の文明――日本と朝鮮2000年の歴史を見る――」。

このテーマは今年1月の総会で確認されたことなのですが、演者を誰にするかで困っていました。7月の役員会では、行きがかり上、私がやることになってしまいました。

 

さらに、テーマの設定で困っています。ですからいつまでたっても「仮題」で終始しています。

実は、古代朝鮮(高句麗や新羅の時代です)に西域から入って行ったシルクロード文明が、どうなっているのか、あるいはそれらが日本へ渡来してきたものにはどんなものがあるかが、ほとんど知られていないのです。ほとほと手を焼いています。

 

大阪の森安先生に問い合わせても「わたしも2、3年前に調べ始めたのですが、あまりの資料の少なさに諦めました」との返事が来たくらいですから・・・・

でもその気になって史料や資料を探すと、意外なところに手掛かりがつかめてきています。

わたしの目の前の資料棚には、書籍類が幅(内容はともかくとしてです)50センチくらいになりました。  

 

日朝協会の石井都連理事長がわたしと62年来の親友なのですが、彼に助けを求めました。結局、私への病気見舞いを兼ねて『日本と朝鮮の2000年―日本と朝鮮の歴史を正しく知ろう』吉田博徳著(日朝協会元会長・顧問)、発行「学びあい支えあう会」を寄贈してくれました。「誰か講演をしてくれる人はいないか」と聞いても「いない。そちらで誰かが勉強して話すしかないのでは」と言われてしまいました。

 

さらに、NHK発行の『日本と朝鮮半島2000年』(上・下 2020年発行)という本を購入するとともに、この元となったDVD全10巻を大枚2万数千円も出して購入し、メモを取りながら見ました。ほかにも古代朝鮮のギリシャと月氏国との交流を描いた貴重な書籍なども京都の歴史の先生から手に入れることができました。

 

で、いざレジュメを書き始めようと思って、早や2か月。

まったく手がつきません。指が動かないのです。

テーマの難解さと未知の世界に入り込む勇気のなさが原因です。

他人の本の書き写しをしても始まりません。

オリジナリティがなければ意味がありません。

あ〜あ、どうしよう!!!

でも、書き始めるしかないのですよね〜〜〜

| 古代朝鮮の歴史 | 10:51 | comments(0) | - |
今日からもありますよ

また今日から40年前のNHKのシルクロードシリーズが放映されます。

NHKプレミアム(衛星放送)で午後6時からです。

毎週月・火・水の3日間放映するようですが、きょうは「幻の黒水城」とありました。

「黒水城」というのは漢語=中国語です。

もともとはモンゴル語で「カラホト」といいます。

ここはロシアの探検家・コズロフが発見した、西夏王国の財宝などを隠しておく城でした。

10年前の、ここカラホトでの人工物は、右手の木造の階段だけでした。

 

私が最初にカラホトへ行ったのは2010年の8月でした。旅仲間3人の旅でした。

城跡に一歩足を踏み入れた私たちは、お互いにしゃべることを恐れ、離ればなれに歩き、黙々と砂まみれになりながら西夏をしのんで歩き回りました。まさに感動のカラホトでした。

何かの建物の跡でしょうね。何かは分かりません。

 

それが2〜3年前にわがクラブのツアーで再度訪問しました。

入り口が造られ、入り口から城跡までは車で10分以上かかります。

城跡に近づくと、スピーカーから爆音が聞こえます。だみ声の男のアナウンスが聞こえます。「あれをしてはいけない、これもしてはいけない」という注意です。注意というより「どう喝」まがいの声です。

 

あの感動のカラホトはどこへ行ったのやら、悲惨な状況で私は帰国後、レポートをする気も失せていました。それが、私が行った10年前のさらに30年前ですから、どういう映像になっているか楽しみです。

ナレーターの石坂浩二さんは、なかなか良い雰囲気を出しているのですが、ただ二つ、「天山」を「てんざん」といい、「西域(さいいき)」を「西域」を「せいいき」というのが気にいりません。NHKの原稿が悪いのでしょうが・・・

でも、シルクロードのはしりの頃ですから、そんなこともあるでしょう。

| シルクロード | 09:48 | comments(0) | - |
悩み多きシルクロードへの途

ご承知の方も多いと思いますが、今日から再び1980年放映の名作「シルクロード」が放映されます。

このテレビは、すでに何回も再放映されていますが、私にはこれにはほろ苦い思い出があります。

 

もう数十年前のことになりますが、ひょんなことから、東大大学院で地学を研究していた李という漢人学生と知り合いました。

日中友好協会主催の「中国建国〇〇年記念レセプション」に案内した時のこと、中国大使館の幹部があいさつしていました。

彼は「野口先生、なんでこんな奴がいるところへ私を連れてきたのですか?」と抗議されました。

彼にとっては中国共産党の役人などは”人民の敵”くらいに思っていたのでしょう。

 

しばらくは、横浜の「ユーラシア博物館」や中華街を案内したり、上野の博物館へ行ったり、我が家でご馳走したりしていました。

ある日、我が家から帰ろうとした彼に、手に一杯のビデオテープを渡しました。貸したのです。

わたしがうちの奥さんに頼んで録画してもらったNHKの”シルクロード”全巻でした。

彼女が学校の視聴覚室で働く同僚にお願いして、全巻を録画していただいたのです。貴重なものでした。

小躍りして喜んで帰った彼とは、それっきり、数十年間、音信不通です。

 

別の話ですが・・・・

これは、板橋区に住んでいた友人の話です。

あるとき、彼は誘われて自民党後援会の集まりに行きました。

そのとき、区議会選挙に立候補する自民党の候補者が、こう言ったそうです。

「みなさんは、わたしに与えた恩義は忘れても、わたしから受けた恩義は忘れないでください!」と。

後援会員に得々と話したのでしょうね。自民党の本質を表していると思います。

古い話ですが、これは板橋区の年配の方には有名な話です。

 

李くんも、受けた恩義を忘れてしまったんでしょうね。

「シルクロード」そのものは、前回の放映の際に、全巻を録画したのでいいのですが、漢民族の本質を知った思いでした。

それはともかく、しばらくは、毎週、月・火・水の午後6時から、衛星放送のBSプレミアムでの放映です。

その時間だけは、40年前当時のシルクロードの世界に浸ってください。

 

そうそう、同じチャンネルで午後9時からは「E.T.」も放映されますよ。

まだ小学生だった息子と娘を連れて、新宿の映画館で見ました。

スクリーンをじっと見つめていた2人のまなざしが忘れられません。

 

| シルクロード | 10:01 | comments(0) | - |
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