シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
「孫の運動会」

 おとといの土曜日。前日の急な娘からの電話で孫娘の運動会に行くことになりました。最近、このブログを書く時間もないほどの超多忙な毎日ですが、この日だけはどういうことか、時間は何とかなるというタイミング。親が死んでも行こうと思いました。もうとっくにいませんが・・・・・

前夜、嬉しくて眠れなかったような顔ですね

 

 以前から“ランドセル姿を見てみたい”と言っていたのですが、なかなかそのチャンスがありませんでした。親がいないときに学校近くに姿を見せれば、ストーカーか不審人物に思われてしまいますから・・・

 

 学校へ娘夫婦と行くと、校長席の近くのテントに「敬老席」がありました。電車ではあまり座りませんが、この日は躊躇なく座りました。ブルーシートにじかに座ると、この太っ腹、立ち上がるのが大変なんです。

 

 で、運動会といっても、結局、誰でも同じことでしょうが、自分の家族・親族の姿しか見ません。1年生の孫娘が、まだまだ小さく、可憐で、かわいい姿をグラウンドの向こう側に見るくらいだけです。双眼鏡がないので、国技館で撮影に使ったカメラの望遠レンズで見ていました。うちのカミさんと望遠レンズの取りっこでした。

 かけっこもニコニコ笑いながら悠々と走って3番目。

かけっこもはじめは一番だったのですが、うしろから追い抜かれても平然としていました。

でも一番がいいんじゃないですから、かまわないのです。

 

 

 前週、わが家にお泊りできたときに披露してくれたダンスは、1,2年生の玉入れ前の集団ダンスでした。あまりの可愛さに目が潤んでしまいました。

 皆さんどなたでも経験があるでしょうから、これ以上爺じバカぶりを語ると嫌われますから、これくらいにします。

運動会最初のラジオ体操。このラジオ体操は科学的にも子供の身体に有害だと明らかになっているのに、やめません。

NHKがはじめて文科省が推薦しているからでしょう。

 

玉入れの前のダンスですが、うまく撮れていません。

こんなように孫しか被写体はいませんね。

 

少し運動会の歴史を調べてみました。去年9月4日の、毎日小学生新聞からです。

 

 日本で最初の運動会があったのは、海軍兵学校。1874年、明治7年のことだそうです。イギリスから来たダグラスという教師が「アスレチックスポーツ」をしたいと提案してからだと言います。日本ではこれを「競闘遊戯」と訳したそうです。種目は短中距離走、走り高跳び、三段跳び、走り幅跳び、二人三脚、卵採り(一定間隔に置かれた卵を20個拾って走る)、背負い競走、水おけ競争など全部で18の種目があったそうです。

 これらが全国に広がっていき、数校が河川敷や神社などに集まってやっていたそうですが、それが次第に軍事的なものに様相が変化していきました。

ネットから借用の写真ですが、私は小学校5年生の頃ですね。

 

 しかし反面で、運動会は当初から「村の祭り」の性格も持っていました。周囲の村々から集まって、店や家業を休んで町全体で取り組む、にぎやかなお祭りのようなものになっていきました。なかでも仮装行列は集落ごとに一番力を入れたとあります。文部省や府県が“あまり派手すぎないように”と注意を繰り返したほどだと言います。

 

 日中戦争がはじまると運動会も軍国主義の様相を帯びてきました。全員が力を合わせて行う種目が増え、愛国行進曲などのダンス、「敵前上陸」「爆弾リレー」などの競技などが見られます。

 

 これがアジア太平洋戦争に入るとさらに軍事色一色になり、「体練大会」「錬成大会」と名前を変えるところが多くなり、教科の体操科が体練科と名前を変え、科目に体練科武道が新設されました。種目にも柔道、なぎなた、剣道が登場しました。

 

 戦後は、運動会の位置づけを、集団行動をできるようにし、運動に親しむ態度、責任感や連帯感を育て、体力の向上につながる活動をするように、となっていきます。

 

 しかしいま、学校体育に「なぎなた」や「柔剣道」が復活していることも、平和憲法の9条をなくす政治の流れと無関係ではないと思います。柔剣道とは、鉄砲の先に剣をつけて敵を刺し殺すことです。こんなものはスポーツではありません。殺人技です。

かけっこの着順を判定する先生たち。この先生たちも年1回の運動会なので、なかなかなれないで大変そうでした。

 

 

 学校や教師たちは努力をされていると思いますが、子どもの安全や健康に気をつけ、事故を起こさないで学校の特色や伝統を生かしつつ、あくまでも児童・生徒主体性を尊重したものにしていくことが学校・親・地域社会全体の責任だといえます。

5,6年生の何かの体操ですが、子どもたちはこの頃になると、女の子から少女ですね

子どもの元気な姿が一番うれしいですね

やっと立てました!

 

 ひとこと:学校の配慮でしょうが、片親がいない子供を配慮して、児童たちは親と一緒に昼食を食べない学校が多いと言います。それはよく理解できるのですが、多くの子どもたちは親や家族が来ています。この子たちへの配慮も必要なのではないでしょうか。「孫しか見えないジジバカの声」。

| コメント | 10:37 | comments(0) | - |
“戦争の犠牲になった大相撲”

  きのうの千秋楽観戦記の続編です。

 仲間たちとかつての戦争の加害と被害に歴史を研究しています。

 そこで分かったことは、日本が起こした過去の侵略戦争は、大相撲まで奪っていたということです。

 

 力士たちは徴用され、、金属製品の優勝カップは軍部に供出され、国技館は風船爆弾の製造工場となり、ついには東京大空襲で炎上しました。

 当時2歳だった私の家も深川にあったためすべて焼失しました。

 6000坪の土地と家屋敷はすべて灰燼に帰しました。

 2度とこんなことがあってはならないと思います。

 

大相撲に下賜された天皇賜杯。金属や鉄製品不足のため軍部が「金属類回収令」を出して没収しました。そのほか、優勝や敢闘賞などで授けられる銀杯や思い出の詰まった宝物30余りも供出させられました。

 

徴兵制のもと、力士にも「赤紙」の召集令状が来て、戦地に向かいました。戦後、横綱になって活躍した栃錦、吉葉山も出征していたのです。残った力士は、俵担ぎや荷造り、火消しなどの力仕事に駆り出されました。

 

 

国技館は1944年(昭和19年)に軍部に接収され、風船に爆弾を乗せ、偏西風でアメリカ本土を攻撃するというのです。おとぎ話のような志向ですね。

大相撲の興業は国技館を追い出され、後楽園や回向院でやらざるを得ませんでした。

 

1945年3月未明、東京の東の下町は大空襲に見舞われ、国技館の丸屋根に焼夷弾が落ち、桟敷席も観客席もすべてが焼け落ちてしまいました。この空襲では2人の力士が亡くなりました。

 

相撲博物館の「戦後70年『大相撲と戦争』展」のコメントには、「大相撲から戦争をとらえることで、戦争の悲惨と平和の尊さについて考える機会になれば幸いです」とあります。

 

| 大相撲を論ず | 09:42 | comments(0) | - |
大相撲千秋楽に行ってきました

  24日、急なことでしたが、大相撲の千秋楽に行ってきました。その2〜3日前、前から声をかけていた方から「8500円のチケットが2枚手に入りました」との電話。うちの奥さんにもフラレ、友人たち2〜3人にも声をかけたのですが、みんな急なことで無理。

 金額に見合った席で、須藤さんは「わっ、こんな前の席で、取り組みが良く見えるわね〜」と。自分はいつも最後部席なので感嘆しきり。いつもテレビで見る角度のちょうど後ろ側。向こう正面の二階の前の席

 その女性とは、以前シルクロード講座でお話していただいたことのある須藤明子さん。チベットなどを撮影しているプロカメラマンなのですが、最近になって分かったことは、彼女は大相撲の大ファンで、1回の場所で4〜5回は見に行くとのこと。しかも最上階(一番うしろ)。いつも10人以上の彼女の「配下」の男女の若者たちがいます。

幕内以下の相撲が面白い

 

 

 私が入場したのは午前11時半頃。ちょうど三段目の取り組みでした。相撲はこれくらいの取り組みが面白い。

 これくらいの金額のチケットとなると、館内に入場するとまず、指定されているお茶屋さんへ顔を出し、席まで案内してもらう。慣れた人は事前にお弁当やお酒あるいはお茶・つまみ・菓子などを注文しておく。それを紙袋に入れて運んでもらう。席に着くと袋に包んだチップを手渡して観戦となる。私は一切を省略。自分の好きな弁当と酒・ビールを買いたかったから。

十両の相撲です

 

 そして必ずもらえるものが、きょうの取り組みや星取表、あるいは取り組みに掛けられる懸賞の会社やメーカー名を書いたもの。会場のアナウンスでは必ずこの懸賞の提供会社の名前が呼ばれる。3本かけた会社は同じ会社名が3回呼ばれるから面白い。

誰の相撲だったか忘れました

 

 取り組みが次第に番付の上位になります。しかし、1時2時になっても会場は空席が目立ちます。やはり3時近くになっての十両の取り組みが始まるころから席が埋まっていきます。

 給料のない幕下以下の位置から、勝ち越すと十両に上がって給料が100万円になり、付き人もつく位置とでは月とスッポンのような違いが出ます。ですから必死になって取る相撲が見えるここらあたりの相撲が一番面白いのです。

 

 結論として幕内優勝はご存知の通り日馬富士の優勝。

 

 私の隣の席には仙台から来た若いママさんと4歳に女の子。前日から両国近くのホテルに泊まってこの日も泊まって明日帰るという。彼女たちは日馬富士の大ファン。私は「大丈夫だよ、きょうは日馬富士が必ず優勝するから安心してみていていいよ」という。しかし、この母娘、日馬富士の取組みが近づくと「もう心臓がバクバク、助けてください!」と大騒ぎ。母娘で「せ〜〜の!」といって「はるまふじ〜〜〜!!!」と大声で声援。4歳の女の子もかなり相撲にくわしい子でした。見ていて気持ちがいいくらいの日馬富士ファンでした。わたしもモンゴル出身の相撲取りはなじみがあるので応援していますが、この母娘のまえではそんなこと言えませんでした。

 そうなんです、場所でも次第に星を下げてきた豪栄道と次第に星を上げてきた日馬富士でははっきりしていました。当然の日馬富士の優勝でした。

 

本割の相撲では日馬富士が圧倒していました。

 押し出しだと思います。

 そして優勝決定戦です。

 

 

これも押し出しで豪栄道を圧倒

 

 表彰式では、知ってはいましたが驚きました。

 ガソリン1年分とかビール・酒1年分とかたくさんたくさんありました。自分の気になるモノばかり書きましたが、優勝賞金は1千万(十両は100万円)、各国大使館からの賞品も多く、幕内で優勝するとこういうことなのかと思うくらいたくさんの賞金・賞品が出ます。技能賞などの三賞は200万円。

 因みに、年収はと言うと横綱は約5千万円、大関で4千万円、三役が2千万年、平幕で1500万円といいます。白鵬などは1億円になるといいます。平幕で励みになるのは「金星」4万円。これは引退するまで毎月の給料に付け加わるそうで、なくなることはないと言います。

 まあ、こんな世界ですが、それだけの苦労もしているわけです。

表彰式です

これだけで30分以上もやっていましたね

 

 しかし、城内にいるとテレビで見るような、今の取り組みの分析や星の推移などが分かりません。野球でもやっているように、会場に大型のテレビをつけてよくわかるようにすればいいのにと思います。まだまだ、古いんですね考え方が。

 

  終わってからの打ち上げは若い人が多いのか、両国駅の裏側の横丁。ジンギスカン(羊の肉)食べ放題とアルコール飲み放題で5千円。私も久しぶりの羊の肉でしたが、彼らの食べっぷりにはかないません。2時間ほど頑張ってから一人で帰ってきました。

  久しぶりの相撲観戦と若者たちとの交流でした。

| 大相撲を論ず | 06:54 | comments(0) | - |
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