シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
大相撲を論ずー12 ”ニッポンすごいデスネ″&大企業の品質データ偽造問題&モンゴル叩きの三題囃子

最近、テレビで“日本はここがすごい”という類の番組が非常に多くなっています。私もよく見ます。

外国から、その道の専門家や技術者などが来日して、日本の技術力や親切心や心配りなどを紹介する番組です。

 

これに気を良くしてばかりはいられません。

“自虐史観“という言い方が言われていますが、アジア太平洋戦争で日本が中国や朝鮮をはじめとしたアジア各国にたいして、侵略や残虐な仕打ちの数々を行ってきました。2千万人を殺害したという記録もあります。それらの歴史犯罪は、わたしたちのおじいさんやひいおじさんの世代が起こしたことなのです。

 

そのおじいさんたちが起こした侵略戦争を私たちの世代が反省することを“自虐史観“という言い方であざ笑います。それに合わせたような観点から、先にあげたナショナリズムが押し出されてくるのだと思います。

 

一方、世界に誇ることのできるものが日本の技術力です。シルクロードの旅で各国へ行くと、皆さん一様に日本の技術力を高く評価してくれます。TOYOTA、NISSANやSONYなどは、それを持っているだけでステータスになっています。

 

それがここのところひび割れてきています。

神戸製鋼、東芝、日産、東レなどでのデータ改ざん問題、そして新幹線「のぞみ」の台車が破壊寸前だったことが分かった、インシデント問題。

これは日本の、先進的だと言われた技術力が根本的に喪失する問題として重大です。

 

これらの傾向は、排外主義として警戒すべき事柄であり、このようなナショナリズムが自然発生的におこったものなのか、日本が世界から疑問を投げかけられる問題としてゆるがせにできません。

 

さらに言うと、日本支配層は、かつては朝鮮の「三国志」といわれる内乱につけ込んで、自らの支配を維持するためにハクスキノエの戦いを挑み、惨敗したことをはじめとして、秀吉の朝鮮侵攻、そして明治維新後の“征韓論”その後に続く日清戦争、日露戦争など、そしてアジア太平洋戦争へと一貫して朝鮮半島や中国、アジアへの侵略の道を突き進んできました。

ハクスキノエ(白村江)の戦いの攻略図

大韓民国 扶余・白馬江の流れ(下記HPより転載)

征韓論を議論する明治政府

日清戦争で日本軍歩兵の一斉射撃

ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年)
日本と中国(清)が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)を

ロシアも狙っている。

日露戦争で戦場となった地域の俯瞰図

 

さらに、かつていや現在でも“中華思想”がアジアと世界の脅威になっていますが、その中華思想に比して“小中華思想”という考え方があります。日本のソレが当てはまります。その志向がモンゴルにも適用させて“モンゴル叩き”あるいは“白鵬叩き”として表れているのだと思います。

 

 

“白鵬叩き”に関しては昨日のこのブログで引用しました。

日馬富士の暴力問題は、すでに司法の手に委ねているわけです。“モンゴル憎し”ついでに白鵬も悪いとするには、なんとしても無理があります。

日本の、日本人の一部のこのような短絡した志向には十分警戒しなければなりません。

それらの風潮・傾向を権力が操っているとしたら、怖いものがあります。

| 大相撲を論ず | 08:30 | comments(0) | - |
「白鵬たたき」にみる日本型“イジメ”の構造

12/14(木) 6:00配信

東洋経済オンライン

※きょうは、バー・ボルドーさんのフエースブックに掲載された、東洋経済オンラインの太田 肇 :同志社大学教授の論を転載します。少々長い文章ですが、写真も入れずに一気にお読みください(野口)。

 

 

テレビのワイドショーやネットニュースなどで日々報じられている元横綱・日馬富士の暴力問題だが、次第に「モンゴル人力士批判」、とりわけ「白鵬たたき」の様相を呈してきた。巡業先に「殺害予告の脅迫状」が届くまでエスカレートしたこの流れに対し、『承認欲求』の著者で大の大相撲ファンでもある太田肇氏の組織論の観点から異論を提起する。

標的にされた白鵬

 元横綱・日馬富士の暴行事件がマスコミをにぎわした。ところがいつの間にかバッシングの矛先が横綱・白鵬に向いていった。白鵬自身、暴行現場に居合わせた1
人というだけで事件とは無関係なはずなのに、事件の延長でたたかれるのは気の毒な気がする。たとえていうなら「別件逮捕」のようなものだ。

 たしかに嘉風(よしかぜ)との一番で行事の判定に納得せず、土俵の上下で抗議の態度をとり続けたのはいただけない。注意され、何らかの制裁を受けてもしかたがないだろう。

 しかし明らかな非礼はそれだけで、表彰式での発言や万歳三唱はそれ自体、社会的に糾弾されるようなものではない。にもかかわらず日本相撲協会は表彰式の言動について厳重注意した。テレビのコメンテーターや大相撲関係の委員たちもこぞって白鵬の「品格」を問題にし、なかには発言や万歳などを理由に出場停止処分にすべきだという人もいた。

 私はテレビで表彰式の模様を見ていたが、白鵬の言動に驚きはしたものの、むしろ拍手を送りたかった。「日馬富士や貴ノ岩を土俵に上げてあげたい」という発言からはライバル力士への思いやりが伝わってきたし、万歳三唱を求めたのも、大相撲界をおおう空気を少しでも明るくしようとする白鵬ならではの気配りが感じられた。実際に満員の観客は白鵬の提案に呼応して高らかに万歳三唱し、館内は大いに盛り上がった。

 しかし、だからこそ大相撲のお目付役や親方衆にとっては面白くない。自分たちのほうが「偉い」はずなのに、白鵬に場を仕切られ、観客まで味方につけられてしまったからである。ただ明白な非行やルール違反がない以上、表だってそれを非難できない。そこで「品格」という便利な口実を前面に出したのだろう。

白鵬へのバッシングは今に始まったことではない。朝青龍が現役の時代には白鵬は模範力士として持ち上げられていたが、ヒール役の朝青龍が引退に追い込まれてから世間の風向きが少しずつ変わっていった。日本人力士なら許されるような取り口や些細な言動が問題にされ、だんだんと「強いが品格に欠ける横綱」というイメージが植え付けられていった。

 それには伏線もある。たとえば人権問題には敏感であるべきNHKのアナウンサーや解説者さえ、大相撲実況中継のなかで事あるごとに「日本人の横綱がほしい」と口にし、館内でモンゴル人力士への差別的なヤジが乱れ飛んだときもそれをとがめようとさえしなかった。

■バッシングの裏にある、屈折した承認欲求

 私は「白鵬たたき」に日本社会特有のイジメの構造が象徴的な形で表れており、その背後には日本人の屈折した承認欲求が潜んでいるととらえている。

 人間には他人から認められたい、ほめられたいという承認欲求がある。しかし日本の社会では魅力的な個性や優れた能力、卓越した業績をたたえる「表の承認」より、出すぎず、和を乱さないことをよしとする「裏の承認」風土がある。そのため承認欲求は他人への嫉妬や意地、メンツというような屈折した形で表れやすい。そして自分の承認欲求を満たすため、「出る杭(くい)」を打ったり、他人の足を引っぱったりする。他人の価値を下げることで、自分の存在感を示そうとするのである。

 白鵬は恰好のターゲットになったわけだ。彼の突出した実力と業績は周囲の羨望を集め、外国人ということで日本人のナショナリズムにも火をつける。しかもNHKまであからさまに日本人びいきをするし、相撲協会からは厳重注意というお墨付きをもらった。そうなると、もうバッシングにブレーキはかからない。

 さらに都合がよいのは、相手が大横綱であるという点である。とくにマスコミにとって、表面上は「強者」でありながら反撃の手段をもたない相手ほど攻撃しやすい標的はない。強者と戦う「正義の味方」を演じられるからである。

朝青龍にしても白鵬にしても、彼らがかりにアメリカ人かイギリス人だったらこれほどたたかれただろうか、とついつい考えてしまう。

■学校や職場のイジメも構図は同じ

 こうして白鵬に対する集団的なバッシングが広がった。相撲と無関係な各界の重鎮からネトウヨ、そして一般の人たちまで、日ごろのうっぷんを晴らすかのようにSNSなどを使っていっせいに白鵬をたたきはじめたのである。

 その展開は学校や職場のイジメと驚くほど似ている。

 たとえば公立の小学校や中学校では、進学塾に通う勉強がよくできる子、海外留学の経験があり教師よりも英会話が堪能な子、音楽など芸術のプロをめざし英才教育を受けている子などがしばしばイジメに遭う。

 教師も人間なので、このような子がクラスにいると内心は面白くない。それがちょっとした言動に表れることがある。それを目にした生徒たちは教師のホンネを敏感に察知し、標的となる子の些細な落ち度をとらえて嫌がらせや仲間外しなどをはじめる。

 職場もまた学校と同様、わが国ではメンバーが固定していて閉鎖的なため、独特の慣習や序列ができやすい。そのため上司や先輩のお株を奪うような仕事をする人や、空気を読まない人が入ってくると職場ぐるみで嫌がらせをするようになる。しかも「敵」をつくって自分たちの結束を高めようとするため、嫌がらせはエスカレートしていく。

 高度成長期と違って、企業も経済も拡大することができないし、会社の中では役職ポストも削減されている。「表の承認」を得るチャンスが少なくなっているのだ。そのためグローバル化という世界の潮流と裏腹に、日本人の意識はますます内向きになっている。人々の活躍や成功をたたえるより、異質なものを排除し「出る杭」を打つ日本社会の暗部「裏の承認」がますます色濃くなっているように感じる。

 このような日本社会の現状を理解し、人々の心中に巣くう歪んだ承認欲求を直視しないかぎり、口先だけでいくらきれい事をとなえてもイジメはなくならない。正義漢ぶって白鵬バッシングに溜飲を下げている場合ではないのだ。

太田 肇 :同志社大学教授

| 大相撲を論ず | 09:45 | comments(0) | - |
白鵬批判への批判その二

 2012年9月場所、千秋楽の結びの一番。日馬富士が白鵬に勝てば横綱昇進が決まるという大一番だった。わたしは某局の仕事で花道の奥で立ち見していた。予想通り熱戦が繰り広げられた。2人が土俵に上がった時から館内は喝采に包まれていた。しかもその喝采の多くは新横綱誕生への応援であった。そして日馬富士は勝った!2場所連続の全勝優勝だ。館内の割れんばかりの拍手喝采を聞き、わたしは涙がこぼれるほど感動した。この国の国民、相撲ファンはなんと素晴らしいだろうと。相撲がもっと好きになった瞬間でもあった。

2013年5月の光が丘での「モンゴル祭り」でのブフ(モンゴル相撲)大会。

行司役の大男は、いまの逸ノ城関。まだ坊主頭です。

 

  モンゴル国では国家ナーダムに外国籍の力士の参加を拒否しているし、内モンゴルでは出身地力士の優遇が問題視されている。それに比べれば、この雰囲気は想像をはるかに超える凄さと熱気が感じられた。真の相撲ファンの姿があったのだ。


 しかし、最近のメディアを通して発信される一部のコメンテーターや有名人の発言は実にくだらない。明らかに会場の熱気とはかけ離れた感覚を持っている。白鵬の言動に対して「40回優勝に値するかどうか」とも発言した「有識者」がいる。耳を疑いたくなる発言であり、非識者ではないかと思ったほどである。


 日馬富士の暴力事件はそれ自体の問題として取り上げられるべきであろう。相撲協会はその解決に向けて努力しているし、警察など司法機関が公正に解決するだろう。またそれが力士全員にとって教訓になれば相撲界も改善されていくだろう。ある暴力事件がほかの力士に飛び火し、次第にモンゴル力士排除論へ向かってきている。危惧すべきことである。


白鵬批判論はそのごくわずかな欠点を大きく取り上げて、その輝かしい業績を過小評価している気がしてならない。そのため公正を欠くばかりではなく、議論がピンぼけしてしまっている。それどころではない。「白鵬主犯、黒幕説」まで出てきて、犯人と言わんばかりの誹謗中傷が広がっている。これは十分に名誉毀損に当たる言動であり、白鵬側が法的手段に訴えてもよかろう。


 ところで、『思考停止社会ー「遵守」に蝕まれる日本ー』 (郷原信郎著、講談社現代新書、2009)という本がある。「思考停止」とは、ある物事に対して自ら考えることなく、「既成の判断を無批判に受け入れる 」ことである。同著には「思考停止マスメディア」という章があり、日本のマスメディアのあり方を批判している。

同じモンゴル祭りでの横綱鶴竜。


 「本来、真実をありのままに報道し、社会で起きていることについて、国民に正しい認識を持ってもらうことを使命しているはずのマスメディアが、かえって世の中に誤解を生じさせているのはなぜだろうか、マスメディアは、なぜ社会全体の「思考停止」状態の要因になってしまったのでしょうか」(p.161)。無論それが日本のマスメディア全体の本質とは言い切れない部分もあるが、しばしばそういう傾向は見て取れることは確かである。換言すれば、毎日繰り返し報道することが人々に思考停止をもたらしている。特に白鵬批判論が一般論化してしまう恐れがあるのだ。


 日馬富士や貴乃花の騒動で、相撲協会が9日、ついに某テレビ局に名誉毀損、信用毀損で抗議文を送ったという報道がある。問題はさらに複雑化している。メディアの立場も、報道視点もそれぞれ異なるものの、全体的に問題を誇張的に扱っている傾向が顕著である。そうしたメディアの在り方を鋭く批判しているのが森田浩之である。氏は『スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉―』(生活人新書、2007)の中で次のように指摘する。

 
 「スポーツニュースは、(中略)物語は起こったことを伝えるのではなく、起こったことをどう理解すべきかをわたしたちに教える。(中略)厄介なのは、スポーツニュースの描く日本人の自画像が、ちんまりスケールが小さくて、ちょっと時代に合っていないということだ」。
  ここに大きなポイントがある。つまり、メディアは、そのニュース(出来事)を報道するというよりも視聴者をある理解へ誘導しているのである。それは前述の思考停止にもつながる問題である。となれば、日馬富士事件およびその後の白鵬へのバッシング開始も誘導的で、白鵬を悪玉として思考停止させようとしているだろうか。


 われわれはメディアリテラシをしっかり持つ必要がある。ネットによれば、毎日配信される日馬富士の問題および相撲関連のニュースにはだれもが飽きてきたという。それは視聴者の思考はもう飽和状態になったことを意味する。マスメディアは、公正性と自制心を持つべきであり、多様な考え方を取り上げ、問題の核心を視聴者、国民に正しく伝える必要があるのではないだろうか。
       文責:日本ウェルネススポーツ大学准教授       富川力道

首都圏在住のモンゴル人の交流の場所になっている、モンゴル祭り。

| 大相撲を論ず | 02:07 | comments(0) | - |
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE