シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ウイグル人の友人が還ってきました

4月3日水曜日の午後、かなり深刻な会議をしているところへスマホに電話がかかってきました。ウイグル人の私の最も親しい友人Nさんからでした。

「おおっ!Nさんか、生きていたのか!!!」と驚きの声をあげました。みんなも何ごとだろうと驚いていました。

 

30秒も話をすると切れてしまいます。もう一度かかってきた電話では「ここではいつもこのようなことがあるんですよ」といいますが、この後は互いの家族の様子を話すくらいしか話せません。当局がちゃんと聞いているからです。

 

彼のように、旅行会社のガイドですと多くの外国人と接します。普通ですと、このようなウイグル人は、みな、「再教育センター」入りが必要となるのですが、(おそらく)あまりにも多くの人を強制収容してしまったので、会社でも人手が少なくなってしまったのでしょう。奥さんも一緒に過ごしているとのこと。

とにかくこれはこれで、涙が出るほどうれしいことでした。

でも、まだまだ数多くの人が強制収容されています。

 

 

べつのはなしですが、きのう、今はなくなった「シルクロード倶楽部」の元会員という友人から、「部屋を整理していたら『ウイグル語辞典』」が出てきましたので、お入りようでしたらお送りしましょうか」というメールが来ました。

 

その倶楽部のボスは、“ウイグルの独立運動をやるから・・・”という理由で、せっかくの倶楽部と事務所を閉鎖してしまいました。

 

それはそれで残念だったのですが、事務所の中でも「北京オリンピックに行ってだれか爆弾を投げ込んでチャンコロを殺して来い」というような会話が飛び交っていました。私はその場で「ちゃんころ」という言い方に抗議をしました。

 

シルクロード関連というと、えてして“少数民族を弾圧する憎い中国共産党”という構図が出てきます。

中国共産党や中国政府が嫌いということはあっても、それはその人の思想・信条の問題です。しかし、その手段として爆弾を投げ込んで来いということは論外です。これこそテロ行為です。

 

わが国では歴史のある反共右翼の団体や人物がいます。

しかし、その多くは非合法な形で暴力を使い、麻薬やなにかを取引したりします。

いわゆる非合法な部分を数多く持った団体や個人が多いといえます。

ですから、ほとんどすべての日本国民から唾棄され、嫌悪されているのです。

 

一般に、すべてではありませんが、特に中国周縁の諸民族(私は極力、少数民族という言葉を使用しないようにしています。なぜならその言葉は、多数民族が少数の民族を虐げ、弾圧するというイメージがあるからです。)は、日本へ来て数年が過ぎたとしても、日本の政治状況や諸政党の主義・主張や傾向、あるいは政党分布などをわからないでいます。

それでいて、さまざまな右翼団体や個人は、悪意を底に秘めて、“ウイグルを助けよう”などといいます。

私はこれまで数多く、そのような場に何度も遭遇してきました。

 

自分の国の独立や運動は、自分たちの努力と力で進めるべきことです。

かつて、1944年に「東トルキスタン共和国政府」が樹立されるであろうという寸前に崩壊した原因は、第二次世界大戦で戦勝国同士の闇取引で、ウイグルの人民が、それまで支援を受けてきたソ連から裏切られて崩壊・壊滅した教訓がありました。

国際的な世論の支援は求めても、武器やお金をもらっての独立運動は必ず失敗します。

 

我が国でも「日本ウイグル協会」などを応援している右翼団体があります。

ウイグル人の幹部たちの多くは、私の言うような事情や関係を知りません。

反共右翼は自分たちの活躍する場を、虎視眈々と狙っているのです。ウイグルのことなどはどうでもいいのです

 

実は恥ずかしながら、65年も前に亡くなった私の父親は、戦前は100人近くもの社員(子分ですね)を抱えていたヤクザの親分でした。

1970年頃、日活の映画で、渡哲也が主演した「暁の挑戦」という映画のモデルでもありました。

私の叔父(父の義兄)「中田峰四郎」は、戦前、張作霖とも親交のあった右翼の大立者でした(ウィキペディアで「鶴見騒擾事件」をひいてみると出てきます)。ですからそのような事情や関係や状況はよく理解できるのです。

| ウイグル情報 | 11:33 | comments(0) | - |
中大の考古学シンポに行ってきました

もう旧聞に属しますが、3月30日の土曜日、中央大学人文科学研究所公開シンポジウム「ユーラシア考古学を楽しむ」に行ってきました。

 

旧ソ連が崩壊して以降、ユーラシア関連の遺跡の発掘や古文書の公開など、膨大な量の資料・史料がロシアから奔出していますが、中央アジア分野においても例外ではありません。

この日のシンポジウムは、ユーラシア大陸各地域で発掘に当たってきた各分野をけん引する研究者が一堂に集って、ユーラシア考古学の現在に迫ることにありました。

 

我が家から車で40分くらい。中大は八王子という住所でしたが、府中の少し先という辺りに、多摩動物園の近くに白く大きなビルが立ち並んでいます。それが、私も初めて行った中央大学の多摩キャンパスです。

学食を食べました。カキフライにハンバーグがついたライスで520円!なんという安さでしょう。しかし、学食というものはどこでもこれくらいの値段でしょうね。

まさに「白亜の殿堂」ですね

 

おなか一杯になって会場につくと、ロビーで我が日本シルクロード文化センターの会員である当金彦宏さんにお会いしました。そして、向こうのテーブルには創価大学の林俊雄先生があり、ご挨拶して教室に入ると、我が日本シルクロード文化センターの創立10周年記念の集いで記念講演をしていただいた森安先生が大阪から来ていました。私がこのシンポを知ったのは「森安通信」で知らされたからです。数年前の創立記念の講演のお礼を改めて言いました.

立っている方が森安孝夫先生です

 

 

このブログでシンポの報告を事細かに報告することはできませんので、誰が、何を報告したのかを記してみます。

 

その前に、会場はテーブルが15人か20人ほどしか座れない程度だったのですが、最終的には49人近くがいました。事務局の目算が外れて2倍も来てしまったようです。

狭い教室がいっぱいになりました。

私の席は前列の机の中央でしたが、ご覧の通りです。

 

冒頭の報告は、総論的なものとして位置づけられていたようです。

林俊雄先生からの「ユーラシア考古学を楽しむ」です。

林さんは報告の「意図」として次のように書いています。

「考古学は、マスコミに取り上げられることの最も多い学問である。一般大衆に対する関心、新発見に対する期待が高い。新発見は、それまで論争が続いてきた問題に決着をつけることもあれば、定説を覆すこともある。またさらなる謎を呼ぶこともある。それらの新発見の中から、私が特に関心を持ったもの、私自身がかかわった発掘を中心に8件を取り上げる。ユーラシア考古学の成果、現状、現代社会との関わりを紹介し、知の世界に遊んでいただきたい」とあります。

林俊雄先生

 

8件をご紹介しておきましょう。

  1. 狩猟採集の段階で高度な技術、社会制度(アナトリア)
  2. 車両の起源(メソポタミア、中欧)
  3. 馬の家畜化(ウクライナ、カザフスタン)
  4. 草原遊牧権力の発生(モンゴル、トゥバ、カザフスタン)
  5. 匈奴の王公墓は衰退期(モンゴル)
  6. 赤色象嵌装飾品は5世紀か7世紀か?(アルタイほかユーラシア各地)
  7. チュルクの石人は第一突厥から存在したか?(モンゴル、天山)
  8. 「アルタイのプリンセス」返還問題(アルタイ)

 

まさに息を呑むような内容で、耳をそばだてて聞き入りしました。

私がこれまで出席した数多くのシンポジウムのなかでも、この日はもっとも緊張してきたシンポでした。

私は少しの休憩時間の時に、林先生とお話しして5月の「シルクロード講座」でのお話をお願いして快諾されました。

 

 

続いての報告は、これも著名な山内和也先生(帝京大学教授)によるお話し、

「スイヤブと砕葉鎮城」

山内和也先生

 

 

次は、岩本篤志立正大学准教授による「バクトリア北部の仏教遺跡と玄奘―立正大学の発掘調査から」

 

 

最後は、清水信行先生(青山学院大学名誉教授)による、「沿海州渤海古城 クラスキノ城址の調査成果と課題」

私たちのクラブに渤海を研究したいという会員がいます。

私自身も2011年4月に、秋田県の渤海の迎賓館の遺跡を見に行ったことがあります。

 

 

立正大学の岩本先生とお話しする時間が少しありました。

わたしの尊敬する加藤九祚先生と最後にお会いしたのはウズベキスタンの国内空港からタシケントに向かう空港でした。そのとき九祚先生は「おや野口さんじゃありませんか」と声をかけて下さいました。そのときの先生には10人近くの若手の研究者風の方がたがいました。「いや、立正大学の人たちですよ」と言っていました。

ここで加藤九祚先生にお目にかかったのが最後でした。

カラテペの発掘現場

 

ここでティータイムがあり、続いて若手の先生方によるレポートが各20分ずつありました。

しかし、先生方の報告というものは、ほとんど時間を無視して話すので、1人で20分や30分は平気で時間オーバーします。です方からティータイムでゆっくり交流したりする時間がありません。

 

私はやっとのことで渤海の報告をされた清水先生にお会いしてシルクロード講座でのお話を要請しました。

他の先生とはやっと名刺を交換するのみでした。

いずれにしても、この日のシンポジウムは、私に強烈な刺激をもたらしてくれたものでした。

| シルクロード | 10:32 | comments(0) | - |
「モンゴル」は大忙し

まだ4ケ月先の日本シルクロード文化センター主催のモンゴル・ツアーの参加者が23名になりました。

このツアーで旅行会社にお願いするのは、モンゴルの首都・ウランバートルへの直行便の航空券だけ。あとは主として私が実務を引き受けています。

 

7月の旅とはいえ、とにかく自分の分も含めて23人分の航空券を確保することが最優先。メールのある方、ない方。電話でもつかまらない人、おまけに我が家のFAXは目下故障中。

 

こんなすったもんだの末に、みなさんの登録が終わりつつあります。

パスポートに記載されている漢字とローマ字つづりの正しい名前、パスポート番号と有効期限、それに加えて住所、固定電話と携帯電話の番号などなど。

まあ〜この作業が2カ月近くかかりました。実務とはいえ大変でした。

 

それにしても、モンゴルの旅というものが、こんなに人気があったとは思いもよりませんでした。

始めは、2〜3年前に、ブナの木を見る自然愛好サークルに「白神山地は素晴らしいよ」と言っていたので行くことになったのですが、その下見に参加した女性の方がたから「モンゴルに連れて行って!」とせがまれたのです。

そして昨年末から、モンゴルへ行くことを前提にあれこれ調べ始めたのですが、その時点から参加希望者がどんどん増えていきました。

 

しかし、海千山千の方が多いのでいろいろ大変です。

有効期限というのは、旅行が終わる時点から半年先まで有効なパスポートでないと入国できない仕組みになっています。

それを、「私のパスポートは今年の11月まである。8月2日に帰ってくるのになんでダメなんだ!」と怒鳴りつけられる始末。なかには、1〜2年前に切れているパスポートの写真を送って来て平気な猛者のおば(あ)さまも2〜3名いました。なかにはパスポートを持っていない方もいました。立派なことです。

 

先日は全員の方がたに、色々な文書を送りました。

モンゴルの歴史、「モンゴルが人類史に果たした歴史的役割」や、かつての旅日記、それにあれとこれと・・・

一昨日は参加費の請求を忘れていたので、その文書と一緒にふたたびあれこれ郵送です。

 

ここで気づいたことがあります。

5〜6種類の文書をプリントするのですが、その紙代(約700枚の紙を使いました)とインク代がバカになりません。インクなどは、キャノンならキャノンの純正部品でないとだめというブザーが鳴ります。おまけにタカ〜〜イ!!!

独占禁止法違反で国会で取り上げてもらいたいくらいです。よくみなさん黙っていますね。どこのメーカーの製品だっていいじゃないか!といいたいですね。

 

そしてみなさんには始めに「おことわり」を強調しておきました。

この旅は旅行会社のパックツアーではないこと、自分と仲間たちで一緒に作り上げる手づくりの旅であることです。あまり言いたくはないのですが「個人責任」の旅だということです。

 

「23名もの参加者ですから、添乗員が必要でしょう?」と言ってくださった旅行社を退職された元添乗員の女性が言ってくれました。残念ながら初めからそのつもりであれば予算建てしたのですが、残念ながらおことわりせざるを得ませんでした。

 

そして4月13日の恒例の「シルクロード講座」は、モンゴルに特化したものになりました。

題して「モンゴル遊牧民の暮らしと文化」。お話は、「NPO法人北方アジア交流センターしゃがあ代表」の西村幹也代表

 

うちの奥さんもこの旅に参加するのですが、彼女が図書館から借りてきてくれた西村さんの著書『もっと知りたい モンゴル』(心交社 2009年刊)を読んでいるところです。

 

6月1日(土曜日)午後には、参加者のなんというか『結団式』のようなことをします。

ここでは、先に書いた元添乗員の方から、旅のもろもろの留意事項や注意事項、さらには簡単なモンゴル語の授業やあれこれを行います。

| モンゴル関連 | 11:46 | comments(0) | - |
カザフの大統領が突然やめた

 3月19日の外電で、中央アジア・カザフスタンのナザルバエフ大統領が辞任するというニュースが入った。AFP・時事の外電から拾ってみよう。

指導力維持し、権力移行目指す=突如辞任のカザフ大統領

 

 【モスクワ時事】中央アジアのカザフスタンで30年近くにわたり実権を握ってきたナザルバエフ大統領(78)が19日、突如辞任を表明した。ナザルバエフ氏は辞任後も安全保障会議議長と与党党首の職にとどまることから、指導力を維持しながら、来春の大統領選に向けて後継者の選定と権力移行を目指すとみられる。


 ナザルバエフ氏はソ連カザフ共和国で1980年代に頭角を現し、共和国最高会議の投票で90年に大統領に選出された。ソ連時代末期に当時のゴルバチョフ大統領がナザルバエフ氏を副大統領に指名しようと考えていたと伝えられるほどの実力者で、91年に初の直接選挙で当選して以降、これまでに5選された。

カザフスタン共和国初代大統領・ナザルバエフ
任期 1991年12月1日〜2019年3月20日


 ナザルバエフ氏の指導力と石油などの豊富な天然資源でカザフは中央アジア諸国の中でも高い経済成長を遂げた。一方で長年権力を握る同氏が年齢を重ねるにつれ、後継問題が大きな課題として浮上。任期は2020年4月までだったが、自身の年齢もにらみ今回の決断に踏み切ったもようだ。同氏は辞任表明した19日のテレビ演説で「私の今後の課題は新たな世代の指導者の出現を確実なものにすることだ」と強調した。


 後継候補としてはナザルバエフ氏が16年に上院議員に任命した長女ダリガ氏の名前が挙がる。ただ、ナザルバエフ氏の親族に富と権力が集中していることには批判があり、同氏もかつて米メディアのインタビューで「子供たちへの(大統領職の)継承は想定していない」と述べている。国の要職や与党党首を務めながら、後継候補を絞り込んでいくとみられる。
 ナザルバエフ氏辞任を受け、20日にトカエフ上院議長が大統領代行に就任。上院はダリガ氏を後任の上院議長に選出した。

 これには、後日談がありました。

 22日の朝日では、大統領代行に指名されたトカエフ氏は、カザフスタンの首都名称を、退任したナザルバエフ氏の長年の功績をたたえるために、アスタナからファーストネームの「ヌルスルタン」に変更するように提案しました。

 

 こういった提案は、ほとんどがそのまま採用されるのが、半分、独裁国の通例となっています。

 しかし、異変が起こりました。23日の朝日外電では、この首都名を変更する法案が国会で可決された問題で、これに反対する市民ら約80人が当局に拘束されたと伝えています。

 

 私は1989年に、二度にわたりカザフスタンの当時の首都アルマータ(現在はカザフ語のアルマトゥ)に行き、私の所属する山岳連盟の2つの登山隊の遠征と200名からなるトレッキング隊の派遣についてミーティングをしたことがあります。

近代的なアルマトイの街並み(ネット写真借用)

20世紀初頭に建立されたロシア正教会に属するゼンコフ教会。

木造の建築物として世界で2番目の高さを誇る

私もよく散歩しました(2009年5月撮影)

 

 1998年に首都を現在にアスタナに移しましたが、理由は、まだ若い天山山脈の造山運動による地震に備えて首都を移したことになっています。

 

 しかし、当時の国政世論では首都移管によってナザルバエフ自身の功績とする目的もあったといいます。

 

 彼、ナザルバエフは、ソ連が崩壊する直前にゴルバチョフ大統領から副大統領に任命されるという段階にまで出世していたソ連共産党中央委員会の有能な幹部でした。当然彼は、カザフスタンの党書記長としてモスクワ入りしていたわけです。

 

 ソ連崩壊後、彼はカザフにおいて「民主化」をすすめて、見事に新生カザフスタンの大統領に横滑りしたのです。それ以来ずっと30年にわたって現職でしたから、独裁色が強まるのもうなずけます。それを許してきたカザフの市民の民主主義にも問題があります。

貯金もだいぶできたので、娘は親しいものにその地位をゆずって安穏な生活に浸ろうというわけです。

 独裁者はほとんどの場合、自分の名前を印象付けようとします。

 

 わが国でも、新元号に首相である自分の苗字の一つを加えようとしているという「噂」もあります。

 

ここからの写真も、野口が2009年5月に撮影したアルマトゥのものです。地図は除きます

市内の小学生たち

赤印がセミパラチンスクの核実験場

セミパラチンスクの核実験で生まれた「奇形児」

木造の「民族楽器博物館」

私が初めて行った1989年のときは、この「オトラルホテル」が最高級のホテルでした。

私たちの案内をしてくれた旅行社の幹部は、当時、ここから出てきた共産党幹部の

乗る乗用車を足で蹴っていました。

みんなソ連共産党が憎しみの対象でしたので、大嫌いでした。

市内の中央バザールの風景

アルマトゥ空港から見える天山山脈の支脈のアラタウ山脈

これは1989年に撮影した、当時の空港ターミナル

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