シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
シルクロード三昧の日

 いやいや、1月12日の土曜日は朝からシルクロード三昧の日でした。

 

 順を追って説明しますと、午前は泉龍寺の境内にある「仏教文庫」というところで年一度の総会を開きました。

 私の知っている範囲で、日本のというより東京周辺で、私たちのような民間のシルクロード関連団体の存在と活動が、年々少なく薄れていっているのが実情だと思います。

 

 その原因は、主としてその団体やクラブを構成する人たちの高齢化です。そしてその団体を統括するリーダーや専門家の高齢化と志向のマンネリ化があります。さらにいえば、その団体・クラブと付き合っている“シルクロードファン”の高齢化現象もあります。 

 

 私たち「日本シルクロード文化センター」も決して例外ではありません。

 毎年恒例の11月の「シルクロードのつどい」も、昨年は過去最少の30人程度の参加にとどまりました。創立時は100人以上が詰めかけました。

仏教文庫で行なわれた日本シルクロード文化センターの総会出席者

 

 当日、総会に出席した11人の会員のうち、普段、パソコンを使っている人は4人。我がクラブのホームページを更新できる人は事務局長一人。しかも彼女は“今は多忙だから絶対無理”といって更新できない状態です。 

 このような状況を打開するには、みんなが一つずつテクニックを覚えてネット通信に長けなければなりません。“私はできない”では済まされないのです。

 それらのIT機器を駆使してシルクロードのネットワ―クを拡大していかなければならないのです。

 

 その日の午後はいつもの会場に移って第99回目のシルクロード講座です。

 この日は10年間もイランで音楽を学んでいた北川修一さんがタンブールやタールを演奏し、その友人のシューヘイさんがトンバクを演奏しました。

 この日は、彼らのファンなのでしょうか友人でしょうか、6〜7人の方がたが参加されました。

 イラン大使館のイラン語講座で一緒だったというリンボーダンスを踊る女性、どういうことか北京大学を出て18年も新疆にいたというドクターコースを出た女性、やはりかなりの期間、北京の大学で学んだという2人の女性も参加されていました。そして、今年イランに留学するという若い男性も参加されていました。

 

北川修一さん

トンバクを演奏するシューヘイさん

 

初めてお目見えする方がたもいました。

 

 そしてしたたかに日本酒を飲んで帰宅してからは、7時半からNHKプレミアムで「ヤグノブ渓谷の秘境に住む少数民族」というような番組がありました。

 半年ほど前、この番組を制作するNHK関連会社の社員から「ソグド人に関することを教えてほしい」という電話があり、何度かメールで私が執筆したソグド関連の論文や写真を送ったことがありました。 

 タジキスタンの首都ドゥシャンベから80kmほど離れたところに「ヤグノブ渓谷」があります。そこの住民がはるか昔のソグド人の末裔だということを私は10数年前から知っていました。しかし、それ以上のことはわかりません。

 帰宅後の酔眼朦朧とした中でテレビの録画を見たので、もう一度見なくてはならないと思っています。

NHKプレミアムの「シルクロード謎の民 大峡谷に生きる」 

 

テレビ画面をカメラに収めたものです。

 

 

 余談ながら、きのう13日は早朝、寒い中、川崎市の多摩川の河川敷で実施された「新春マラソン」へ挨拶に行きました。

 全国各地で実施されている私の所属するスポーツ団体の新春マラソンも、シルクロード分野における状況とあまり変わらず、全体的に参加者が減っています。

 

 11時前には帰宅して、こんどは両国の国技館です。12時ころから午後6時までずっと観戦です。わたしの関心事はもとより全国的な関心事は稀勢の里がどうなるかでした。

 プロカメラマンの若い女性が一人で仕切っているこの相撲観戦サークルは、小中学生から50〜60代の人まで幅広くいます。中心は30〜40代の主として女性が多いです。きのうは20人くらいが東の二階の一番うしろの座席で固まって観戦しました。

 

 私がまわりの仲間たちと予想をしました。「今日の稀勢の里は負ける。今場所はよくて9勝、最悪の場合は今日から3連敗して引退するかもしれない。大関陣は今日は3人のうち2人は負ける」と言いました。結果は3大関が負けて、稀勢の里も力なく負けました。暗雲が垂れ込めたというより、ほとんど絶望状態です。

私の後ろの座席には、稀勢の里応援団が席を占めて声援を送っていましたが・・・・

 

 しかし、場内の稀勢の里ファンは圧倒的です。懸賞金も白鵬の2倍以上の55本もありました。

 “日本人の横綱”に対する期待が大きかったと言いますが、白鵬以外の横綱も国籍は日本です。しかもこのグローバルの時代、日本人だからという選択肢はもう古いのではないでしょうか。

 

 しかも、アメリカ人やヨーロッパだとチヤホヤするけれど、アジア人だと“日本人より下”という考え方がどうしても抜け出せないようです。

 これを私は「欧米崇拝思考」と呼び、その克服を呼びかけています。相撲とは関係ないですが・・・・

| シルクロード講座の報告 | 11:11 | comments(0) | - |
正月ももう終わりにしましょう

七草までは正月と言うようですが、私は三ケ日が過ぎれば正月は終わりだと思うようにしています。

 

おせち料理は我が家では大みそかの夕食から始まります。元日から2〜3日くらいまでは、それ以外食べられません。

うちの奥さんは、大学を出てすぐに教員となり、普通の娘のような料理学校で勉強する機会がなかったのですが、姑(私の母)から色々な料理を教わって身につけたようです。

かなりバラエティに富んだものをつくります。娘がそれをどこまで受け継いでいるのか心配なのですが・・・

 

毎年2日には去年7月に再婚した息子夫婦と娘の一家が来ます。孫へのお年玉を私たちは3000円にしています。今年3年生になるからです。来年は4000円です。

孫むすめの”コレ”がうれしいですね

息子と新しい娘・りおさん

 

息子たちが来たので、「お年玉を張りきって出してやれよ」と言ったのが効いたのか、1万円も出していました。出しすぎです。孫はソファの裏側に“身を潜めて”中身を見にいったのですが、やがて、「ウヒャー」というような驚きの声が聞こえてきました。想像もできなかった金額だったからでしょう。リビングの一番端から、もう片側の端っこに座っている「おじちゃん、おばちゃん」に正座をして最敬礼を繰り返していました。

大枚のお年玉で、正座でお礼

 

3日の朝食はうちの奥さんにお願いして、白いごはんにシラスをかけて、卵かけごはんにしました。これが絶品でした。4日の朝食も当然のように同じものでした。今日も。

飽きっぽいのかもしれませんが、おせち料理だけで生活はできません。

我が家の正月も、どこにでもある普通の正月です。

”おじちゃん”に、たまごっちを教えてあげています

 

3日には日本シルクロード文化センターの役員のメンバーを中心とした新年会があります。ここでの唯一のお願いは、“おせち料理を一つ残らず征伐してほしい”ということです。大きなテーブル一杯に料理がたくさん出て、大方のおせちは「征伐」できました。日本酒も焼酎もワインもずいぶんと減りました。無料ご招待だと手土産が必要になるので、この新年会は1,000円会費です。提案者が会費受取人になってくれていました。

 

今日からは様変わりです。8日に開催する小規模ながら全国規模の会議があり、すでにきのうからは、それに向けて報告レジュメの準備に取り掛かっています。

毎年、近くの業者さんからいただくコマの大きなカレンダーにそれぞれの予定を書き入れるのですが、もうすでに真っ黒です。私は黒、ワイフは赤でそれぞれ書き入れるのでカレンダーは大賑わいです。

 

そして今日は息子たちの、(再婚ですが)結婚披露パーティです。17〜8年前、4歳上の嫁のイビリでうつ病になり、死の淵を歩いていた息子を博多まで飛んで救出に行ってから再起まで、彼は苦難の連続でした。いまは「ドローン」の会社を経営しています。

 

お相手は「羊毛フェルト」作品を多数生み出している、その世界の第一人者です。パリや香港、上海などにも定期的な教室を持つ人ですが、私とは住む世界が違います。

私は今年夏にモンゴルへ行くのですが、そこは羊毛の世界。「一緒に行こう」と冗談を言っています。彼女は大学生と高校生の息子2人がいるお母さん。良き知り合い、娘ができたと喜んでいます。

 

今朝の新聞で知り合いの女性の投書が掲載されていました。水野はるみさん(62歳)、彼女のご主人は33年前に冬の穂高で雪崩で死にました。投書を見て「もう33年もたったのか〜〜」と感慨深いものを感じました。

| コメント | 09:22 | comments(0) | - |
ウイグル人の年越し 

きのうブログを書き終えて、どうも何か書き足りない気がして、大掃除中も気になっていました。

いま、掃除をサボって自室に戻ってゆっくりしていて思い出しました。

 

ウイグルの世界と日本と決定的に違うことは、1月1日の「正月」というのは、ただ単に12月31日の翌日だということです。

「新年ハオ!」と互いに祝福しあっても、翌日になれば元どうりです。

新しい服も買いません。おせち料理もありません。爆竹は漢人の習慣だから嫌がります。

 

私の子どものころは、年末は学生服のそでがテカテカに光ったものから、新しい学生服を買ってもらうのが大きな喜びでした。

底なしの貧乏だった我が家で、息子2人には正月くらい新しい学生服を買ってあげようと、必死に金をためた母親の苦労が今頃になって身に沁みます。

 

休日もたしか1日だけだったような気がします。

しかも肝心なことは、ウイグル人はイスラム教徒。

西側諸国や漢人の世界の西暦とは違うので、まったくと言っていいほどカンケイないんです。

 

それを書き足したかったのです。

 

でも、こんなのんきなことを書いている今でも、多くのウイグル人たちは酷寒の囚人房で、いつ帰れるかもしれない未来に望みをもって戦っているのです。

私の知っている多くの友人たちのほとんどは拘束されたままです。

あの顔、この顔、みんなみんな捕まっているようです。

行って確かめる術もありません。

悲しいけれど悔しいことです。

残るのは怒りのみです。

 

まだ、掃除が待っています。

適当にやります。

明日は正月。

 

型どおりですが、みなさん、良いお年をお迎えください。

 

31日  野口信彦

 

2011年12月のトルファンのスーパーです。

店に入るときは、身体に身につけているものは財布以外すべてをロッカーに入れます。

支払いが済むと、警備員から全身の身体検査を受けてからロッカーに進めます。

当時でさえ、それくらいですから、今はどうなっているんでしょうか。

子供用品売り場です。

生まれて五カ月の孫娘に何か買っていきましたが、

どれを買っても喜ばれませんでした。

| シルクロード | 11:12 | comments(0) | - |
ウイグル人の年越し

 2011年の冬、私はウイグル人の友人の息子たちをガイドにしてタクラマカン沙漠一周の冬の旅をしました。カシュガルで別の友人の手配で26歳の青年の運転するタクシーをチャーターしてです。

 真冬のタクラマカン沙漠はマイナス10度から30度くらいです。

しばらく、冬のタクラマカン沙漠の風景をお楽しみください。

ロプノール近くの観光地ですが、このような光景です

111224 こんな人跡未踏の地にも、漢人の住宅が建てられている

111224  タクラマカン沙漠最果ての地にも道路拡幅工事の開発の手が・・

111224 チェルチェンの「楼蘭体育館」

111224 チェルチェンの博物館は「土曜日だから休館だ」って!

111224  石油スタンドの娘さんにカメラを向けると恥ずかしながらもちょっと・・・・

 

あと3日で正月です。月日が過ぎるのはまったく早いものです。

今年は特に私にとっても世界にとっても激動の1年でした。

まだ、年賀状も書いていません。いつも正月になってから書きます。

大掃除も今日からです。年末だからと言って大掃除をするのはおかしいと思っていて、あまりやりません。じゃあ、いつもやっているのかというと我が部屋も先週に半年ぶりに掃除をしたくらいですから・・・・

 

 しばらくウイグル人のことを書いてなかったので、私がウルムチで過ごしたウイグル人の正月風景を思い返してみましょう。

 

 もう7年前になるでしょうか、私は年末年始をウイグル人の親友の家にステイしていました。彼ら夫婦の大きなダブルベッドのある部屋の隣に部屋をあてがわれました。新疆生産建設兵団舞踊団の評判の踊り手であった美人の奥さんは、私が部屋にいても平気な顔でネグリジェのままで部屋を横切り、私がいても彼女はいつも彼に抱きついていってキスをねだっています。困ったものです。

 

 ウルムチの冬はマイナス10度から30度くらいにまで下がります。私が滞在していた時も、道路は固く凍り付き、粉雪が舞い、寒風が吹きすさんでいました。ですから靴も普通の靴では危なくて歩けません。

 

 特徴的なことは、年末はとくに大みそかは友人の家々をまわることです。

 私は友人の彼と2人でまわりましたが、これは女性はまわらないのでしょうか?よくわかりません。というのは、奥さんの友人の家までも私たち男2人がまわるからです。

 

 それぞれの家では、多くの友人がまわるので、ちゃんとした接待はできません。お茶とお菓子だけでした。ずいぶんとまわりました。10軒以上はまわったと思います。大体5分から10分くらいで失礼するのですが、彼は初対面の私を紹介するので、もう少し時間がかかったようでした。

 

 夜中の12時に新年を迎える時のことはよく覚えていません。

 むかし、大学に留学していたころは、時報が12時を示すと「新年好(ハオ)!」と叫んで互いに新年のお祝いをします。

 こういうことも聞いたことがあります。「そのとき、そこにいた女性にキスをしてもかまわない」と、幸か不幸かそれは実現しなかったのですが、かなりの間、本気にしていました。

 

次の写真は、ウルムチに帰り着いてからの冬のウルムチです。

111228 国際大バザール

111227  夜のウイグル人街の路上。車の上に衣料品を乗せて商売

111226 帽子売り場のおじさん

 

下の写真は、ウルムチの有名な舞踊家や女優さんたちの写真です。

私の友人の女性の歓迎会があったので、私も乱入しました。

合計19人の女性の集団は圧巻でした。

左は大阪の大学に10年間留学した女性、右は東京の大学に留学中の娘の母親。

111226  19人の平均年齢50歳の軍団はさすがに強烈でした

この仕草だけでも踊りの名手だと思えるでしょう?

 

 

 今にして思えば、懐かしいあれこれですが、現実は地獄の様相を呈しています。

 

 この写真に写っている方がたのどなたが、今でも街に住んで普通の生活をしていられるのでしょうか

 旅人から聞いた話では、ウルムチの街から成人の男の姿が見あたらないと言います。

 外国に行ったことのある者、

 家族が外国に留学しているもの、

 外国人と付き合ったことのある者、

 外国へ行ったことのある者、

 これらの人びとはみんな、「なんとか教育センター」という名の強制収容所に入れられているのです。

 

 なぜ、中国の党と政府は、このような前代未聞の、いや、ヒトラーやスターリンやポルポトはやったことがありますが、なぜこのような残虐な仕打ちをするのでしょうか。

 

答えはどうやら、「新シルクロード経済圏構想」いわゆる「一帯一路」政策にあるようです。

それについては、もう少し研究しなければなりませんが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| シルクロード | 17:32 | comments(0) | - |
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