シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
晩秋の那須と猪苗代湖に行ってきました

 近くの行きつけのガソリンスタンドで給油した時、店のおじさん「あまり出かけてないですね。オイルも何も大丈夫ですよ」と言われました。どういうことか、その言葉に火がつきました。以前は月に1000卅っていたのですから。しかし出かける理由が思い当たりません。そこで考えたのが、「久しぶりに紅葉を見に行こう」でした。

 

 そのころワイフは元の教員時代の後輩が弘前大学の教員になっていて、踊りに使うお面を大量に譲ることになったようで、私の車で届けることを考えていたようでした。しかし、問い合わせたところ、11月の下旬はもうすでに雪が降るので無理だということになりました。

 

 そこで両者の意見が一致して、彼女が探し出したのが「おおるり山荘」。

 ここはこれまでにも何度か行きました。ワイフが気に入ったところは、1人一泊6000円少々という値段。しかも一泊二食で。

 

この会社は、あちこちのつぶれた温泉を買い取って、建物はそのままでサービスを増やしたということだそうで(あくまでも風聞です)、客を東京まで迎えに行って、送りもする。その値段が1000円だそうです。これを彼女は数年前の大学のクラス会で利用して以来の「お得意様」になっています。

那須には「殺生石」というところがありました。

昔、インドの悪い魔物が日本まで来て、村々で悪いことをしていたので、だれかがこれを退治したという伝説。

大昔にインドから悪い魔物が来たという伝説も、国際的ですね。

要するに硫黄で殺したということだそうです。

 

 

奥日光でも那須でも、温泉街からはナビでないと行かれないような奥まったところにあります。私はそこへ行くドライブが好きなので、行きます。

ホテルには老人夫婦が8組くらいいました。ところがこの日は学生のグループが20人以上来ていました。にぎやかなのはいいことです。

男の子を気にする女子大生たちは、髪の手入れをバッチリしていて、きれいです。そのほかにはお嫁さんが舅夫婦を案内してきたような3人組、男だけで5人がいました。多分、釣りでしょう。

 

 道端には雪が少し降り積もっていました。夜は寒いですが、昼間は暖かい陽気でした。帰宅してからの今週はスポーツ分野でその活動方向をめぐる重要な検討が加えられます。正念場です。そのためのしばしの休息でした。

ほれ!今シーズン初の雪です

 

 東北道と山道の運転もこれまでと変わりなく悠々と運転できました。700辧

 

 

どうやら彼女は、ここへ来たかったようです。踊りの創作の何かを得ることが目的だったようです。

ここは猪苗代湖近くの「野口英世記念館」です。

| 旅日記 | 11:18 | comments(0) | - |
お遍路さんも“シルクロード”を歩くことなのかなぁ〜?

牽強付会(自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけること)のそしりを免れませんが、お遍路コースを歩くことも“シルクロード”の概念と同じなのかなぁ〜と思えてなりません。

 

私たちの「シルクロード」の概念とは“人・モノ・宗教・軍隊や交易などで移動する行為”は“シルクロード”だと考えています。

四国のお遍路も秩父の霊場をめぐる歩きも、同じようなことが全国にたくさんあります。

 

これは「お遍路」を編み出した「一遍上人」をまつったお寺でのイベントです。

 

 

そこから、さまざまな文明が交流し、宗教が普及していったのであれば、もうこれは立派なシルクロードでしょう。

いや、逆に“シルクロード”を定義した人のほうに問題があったのだと思われてなりません。

そういう意味では「奥州街道」、「中山道」や「東海道」も同様でしょう。

お寺は山寺が多いので、階段も多い。しかし、私たちはどういうことか

たいした苦労もしないで上ることができた。

仏教の力とか、そういうことではない。自分の力で登ったのである。

 

 

四国でのどなたかの話が印象的でした。

明治維新で汽車や車が日本に入ってくるまでは、どこへ行くにも歩いていたのですね。

そういう意味では「お遍路」なんてたいしたことではなく、日本中を、そして地球上を、人びとはみな歩いていたのですね。

祥子の友人の実家での「お遍路小屋」完成記念のイベントで。

 

閑話休題

こんどの旅で、私の中で明確になったことがあります。

それは、およそ宗教(仏教・キリスト教・イスラム教)などに対する態度です。

たしかに数百万人、数千万人が、それらの宗教の信徒になっています。

それはそれで、真摯に教祖や神の教えを語り、唱え、

守り、信仰を続けています。

 

しかし、四国八十八の寺で見たものは、お年寄りはもちろん、若い夫婦や様々な層・種類の方がたが真剣にお経を唱え、暑さに負けずに歩いていたことでした。

つくづく日本は仏教国だなぁ〜と感じたものでした。

何がそこまでさせるのだろう、とも思いました。

それが宗教だといってしまえばおしまいですが、では、その先はどうするのだろうと思います。

ここは四国最強の500段を超える階段でした。

 

その先はみんなで考えてみましょう・・・

| 旅日記 | 11:17 | comments(0) | - |
ファインダーから覗いた妻“舞姫”の踊り 四国遍路を踊り巡った“舞姫”

 9月11日にフエリ―で徳島へ向かい、12日は所用で友人と待ち合わせてある人と面談。話し合いは成功裏に終えました。

 きのう9月23日に、86番札所からスタートして88番ですべての舞踊遍路が終わりました。実質所要日数は11日間でした。

 

 舞踊家・野口祥子の舞踊遍路は9月13日からスタートしました。

 彼女の長年の夢、いや、よく聞いてみると昨年、徳島県のある老人と会った際、「踊りでお遍路を全部まわってみたらどうですか?」と言われてインスピレーションが湧きあがったようです。

 

 彼女が何をもくろんでいるのか知らないままにいた私に、彼女は言いました。「運転やスピーカーのセットなどで同行してほしい」と。私が“忙しいからダメだ・・・”と断れば彼女の夢は潰えます。一人で自分の軽自動車で運転していく自信はないようです。毎日が忙しい私にとっては難題だったのですが、長距離を車で運転できるということが魅力でした。

 私はその企画を全然知らなかったのですが、同行を依頼され75歳の誕生日を期して新車を購入しました。「後期高齢者」に反感を持っていた私は「好機到来者」であるとして心機一転したのです。

 

 彼女・野口祥子は別に敬虔な仏教徒でもないのですが、作法は知っています。彼女は神社へ行ってもどこへいっても、宗教学を学んだからか、道理と礼儀を踏まえています。こちらは無宗教。「無神論者」だというほどえらくはありません。「無神経論者」だろうと自分に言い聞かせています。いままで、どこのお寺へ行っても合掌してのお祈りはしたことがありません。頭を下げることもしませんでした。しようという気が全く起きないのです。それが失礼だとかも全く思いません。

 

 “唯物論と唯心論とのせめぎあい”だなどというほどのこともありません。夫婦であっても違うところは違うのです。私が彼女の舞踊遍路について行ったとしても、私はあくまでもドライバー兼サポーターなのであり、お遍路や弘法大師や仏教とは無関係です。もっと正直に言うと、長距離のドライブ、ヘアピンカーブがたくさんある曲がりくねった山道を、右に左にハンドルをきって上り下りする運転ができることを楽しみにして参加したのです。

 

 ただ思うことがあります。歩き遍路の皆さん、こんなに苦労して歩いても、車に乗ってお遍路して回っても、それはそれで立派なことだと思うのですが、その心と目的は「世の中の平和と安全と安寧」であろうと思います。ですが、ただ祈ればよいのでしょうか。たぶん、祈ることで心の問題は解決し、それでよいのでしょう。私は祈ることだけでなく、実践で世界と日本の人びとの平和と安全のために働いてきました。私は人生のほとんどの時間を費やして、60年近くもそれを実現しようと思って実践してきました。ですから山門をくぐってお寺の境内に入っても、なんの遠慮もしません。堂々と入っていきます。弘法大師よ、君と俺とは結局は共通の理想に燃えているのではないか、と。

 

 ただ、仏教の教えの問題は、「国家の安寧」あるいは「国家安泰」を唱えたことによって、時の権力に最大限利用されたことであろうと思います。それを最初に利用したのは聖徳太子でしょう。でも、仏教について私はなにも学んだことはありません。犬の遠吠えでしょうね、これは。

 

 閑話休題

 面白い話がありました。

 高知県のお遍路さんたちをお世話しているHさんという有名な人がいます。彼の好意でお宅に泊めていただきました。私は個人のお宅に泊まることは絶対に嫌なのですが、“お世話になっているので断るのは失礼だから・・・”といわれるままに泊めていただきました。

 

 朝になるとうちの奥さんがいるのに、狭い部屋の中をパンツ一つで歩きまわり、朝食を食べている私の目の前に泥だらけの靴下をポンと投げるなど傍若無人でした。それくらいのことは許せますが、飲みながらいろいろ話していると、「おれは昔、山口組の若頭の山健組のヤクザだった。親分の女に手を出して指を詰められた」といいます。

 

 彼と昔(戦前)のヤクザの世界のことや、人類の誕生のことなどを話しましたが議論になりません。“誰も見たことがないのだからわからんのじゃ”というので、議論にならないのです。“そんな言い方でよく今まで世間を歩いてこられたナ”と毒づきました。

 

 きのう23日は、遍路旅が終わってからワイフの長兄の家へ行きました。広島県の宮島の近くです。まず、お風呂に飛び込んでサッパリしてから、待ちかねていたようにビールで乾杯。夕飯は刺身だけを口にして7時には寝てしまいました。

 あ〜〜あ、終わった!!!

 

 ワイフは久しぶりのお兄ちゃんとの再会で楽しそうです。

 義姉も楽しそうに世話を焼いてくれます。

 その奥さんは長兄よりもはやくワイフと友達だったので、これもまた楽しそうでした。

 私は酒を飲んで、PCに向かって、ときたま話に加わるだけです。

 

※写真はたくさん撮影したのですが、どういうことか掲載できません。

 わかったら追加して掲載します。

| 旅日記 | 10:43 | comments(0) | - |
番外 キューバの旅が終わって

長い間待ち望んでいたキューバの旅が終わった。

必ずしも「満足した」とは言い切れないが、ともかく終わった。

 

“言い切れないもの”は何かと考えた。旅行社の気遣いの不十分さは大した要素ではない。ではその要因は何か。キューバの社会主義の未成熟さなのか、あるいは・・・ それ以外のことは思い浮かばない。

外国にまで軍隊を送り込む国、国家の幹部がボリビアの革命に参加するという姿、日本に生まれ育った私たちからは想像だにできなかったが、その論理はここでは“普通”なのだろうか、それとも・・・・

今回は“・・・”これが多い。それが実際である。

 

アメリカの経済封鎖で革命勝利後もずっと貧しいままであったこの国の人びとは、底抜けに明るかった。だが、「底」は抜けてはいない。貧しいが故の歪(ひずみ)がそこここにあるような気がした。

 さらにまた、ほとんど地球の裏側にあるこの国と日本とは1万キロ以上も離れている。これからも情報の希薄は変わらないだろう。

 だが、この国はあのアメリカの武力脅迫に一歩も引かずに戦う決意を持っていた国でもある。

 私はこんなキューバと人とカリブの海が好きなのだ、きっと。

 

閑話休題

 

 話は変わるが、わたしは今日で75歳になった。最近は体の衰えを感じ、思考の衰えも感じる。だが、このまま朽ちていく気はない。世間では「後期高齢者」というが、私はそんな風には思いたくない。「好機到来者」だと思うようにしている。

 

3〜4日前に新車を購入した。“死ぬ前の最後の車は中古でなく新車を。それもレクサスあたりを”と思っていたが、レクサスほどでなくとも三菱のいい感じの車だ。なぜ、三菱かって?うちのカミさんが三菱の中古を買っているが、そのメンテナンスでいつも午前中に担当者から電話がくる。彼女は午前中は舞踊家としての身体つくり、踊りの構想を練る時間帯。いつも私が電話に出る。いつしか営業マンとは連帯感が芽生えた。それだけの理由である。三菱を選んだのは。そういうカミさんも4月中旬に舞踊公演を打つ。それが終わったら新車を買うといっている。まだまだ私たちは若い!

                    2018年2月26日  野口信彦

クラシックカーのほうが恰好いいですネ

 

| 旅日記 | 10:07 | comments(0) | - |
−旅の終わりにゲバラ語録を―     2018年2月24日 野口信彦

チェ・ゲバラ

 

  • バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なるによって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家など想像できない。(国連総会出席のためにニューヨーク滞在中、インタビューでの質問“革命家にとって重要なことは?”に応えて)
  • 私のことを冒険家というのなら、たしかにそうだ。しかし、私は違うタイプの冒険家だ。自分の真理を証明するためなら、命も賭ける冒険家だ。
  • 祖国か、死か!(これは7月26日運動スローガン、また合言葉でもある)
  • 我々にとって社会主義の確かな定義は、“人間の人間による搾取の撤廃”以外にない。
  • 一人の人間の命は、地球上で一番豊かな人間の全財産の百万倍の価値がある。隣人の為に尽くす誇りは、高所得を得るより遥かに大切だ。蓄財できる全ての黄金よりも遥かに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念だ。
  • 人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない。人間を磨くにも、人間とコミュニケーションを取るしかないんだよ。
  • 指導者とは、人が自分と同じところまで追いつけるように誘導するものだ。ただ言葉で強いるのでなく、後ろにいる人たちを力づけて、自分のレベルまで引き上げようとするのだ。
  • 国民に意思を伝えるためには、国民の一人となって感じなければならない。国民の欲するもの、要求するもの、感じるものを知らなければならない。
  • 酒は飲まない。タバコを吸う。女を好きにならない位なら、男を辞める。だからと言って、あるいはどんな理由であっても、革命家としての任務を全うできないのなら、僕は革命家を辞める。
  • 僕を導くものは、真実への情熱だけだ。あらゆる問題について、僕はこの点から考える。
  • 世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。(5人の子供たちに遺した手紙の一部 キューバを去ってボリビアに向かうに当たり自分の死を予感して)
  • 今世界の他の国が、僕のささやかな力添えを望んでいる。君はキューバの責任者だからできないが、僕にはそれができる。別れの時が来てしまったのだ。喜びと悲しみの入り混じった気持ちで、こんなことをするのだ、と察して欲しい。僕はこの地に、建設者としての希望の最も純粋なもの、そして僕が最も愛している人々を残して行く……また僕を息子のように受け入れた国民からも去って行く、それは僕をとっても悲しい気持ちにするのだが。僕は、新しい戦場に、君が教えてくれた信念、我が国民の革命精神、最も神聖な義務を遂行するという気持ちを携えて行こう、帝国主義のあるところならどこでも戦うために、だ。(フィデル・カストロに宛てた別れの手紙の一部)
  • もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、「そのとおりだ」。
  • 私はキリストではないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、手に入る武器は何でも使って戦う。自分自身が十字架に磔(はりつけ)になるよりは、敵を打ち負かそうと思うんだ。
  • どこで死に襲われようと、我々の戦いの雄叫びが誰かの耳に届き、我々の武器を取るために別の手が差し出され、他の人たちが立ち上がるなら、喜んで死を受け入れよう!
  • 「きみは、そこで何をしているんだね? 民主主義を再建しにきたのか」アメリカのキューバ侵攻軍の捕虜の中に黒人を発見して。
  •                               (ウィキペディアからお借りしている)

 

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