シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
今こそ分かれ目、いざさらば

きのう安倍首相の退陣表明がありました。

その2日前、ある集まりで私は「安倍首相は病気を理由に退陣するだろうと思う。彼の病気は難病にも指定されている病気なので、しかも若い時からの病気だそうで、これ以上苦しまないようになればいいとも思います。

 

しかし7年余の政権でやってきたことは、それとは別に、歴代自民党首相でも最悪の政治であったから、これはさらに徹底して追及していく必要がある」といいました。

今こそ臨時国会を開いて後継首相を決め、焦眉の課題になっていることを議論し、進めていくことが大切です。

 

よく、“弔い合戦”などと称して、父親が亡くなって、妻や息子や娘が立候補すると、だいたい当選するものですが、これは“義理人情”を知っている日本人の心情に付け込んだ作戦で、正しい政治の在り方ではありません。金の力、地盤の継承などが絡んでいます。これでは政治家としての試練を経ていないことになります。

 

コロナ禍の対策でも、なすすべを知らない状態で国会からも逃げ回っていました。

わたしたちの「シルクロード講座」も9月を含めて5回も中止になりました。このすべてが安倍首相の責任だとは言いませんが、もっとやるべきことや、政治の主導権を握った施策がなかったものかと思います。

 

そのせいとは言い切れませんが、日本シルクロード文化センター創立15周年記念イベントも、「泉の森会館」での記念講演会も、きのう、中止としました。残念ですが・・・

いま大事なことは、震源地対策を明確にしてPCR検査を強化することだと思います。

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シルクロード余話

        ――人民解放軍の「戦略」――

 

新疆ウイグル自治区最西端のカシュガルからさらに西へ420劼砲△襪里、パキスタンとの国境に近いタシュクルガン。さらに130劼離ンジュラプ峠。

この道をカラコルムハイウエイといいます。

「クンジュラプ峠」まで87辧▲僖スタンのフンザまで90辧▲ルギット経由でイスラマバードまで610劼覆匹鳩納┐気譴討い泙后これはパキスタン側の標識ですね。ここは「タシュクルガン」(石の城)かもしれません。

 

中国共産党が国民党との戦いを経て権力を握った1949年10月1日でした。

当時、新疆に存在していた各種勢力と国民党との連合政府との交渉を経て、最終的に1949年に新疆に進駐しました。

 

権力を握った当時は、膨大な数の軍隊がありました。その人たちの再就職先にということで「新疆生産建設兵団」をつくりました。普段は工業・農業に参加していますが、ソ連や隣国との戦争があれば強大な戦力を持った軍団に早変わりする集団です。

その後すぐに建設をスタートさせたのが「中巴友好道路」別名「カラコルムハイウエイ」です。

 

 

その道路のパキスタンとの国境地点がクンジュラプ峠です。

私は新疆には40回ほど行きましたが、この国境まで行けたのはたった1回だけです。そのかなり手前の「カラクリ湖」へは何度か行きましたが、行けた打率は3割です。

それほど雨や風などの自然の障害や地方政府の差し金でいかれなかったのです。

パミールへの道の途中にある「カラクリ湖」です。

これが「カラコルム・ハイウエイ」ですが、少しの雨ですぐに道路が埋まるので通行禁止になります。

 

この国境の標高が問題なのです。

NHKの特集では、4693メートルと言っていました。

ウイキペディアでは、4880メートルになっています。

ところが私の、当時、性能の良かったカシオの時計の高度計は3800メートルを指しています。

パキスタンの国境警備の兵士と記念撮影。この時私は30メートルほど国境侵犯をしました。

同じ国境の中国側から。当時はこんなにノンビリしていました。

 

※今日の写真はいずれも2004年夏のものです。

 

しばらくして真相を解明することができました。

そこにいた国境警備の軍人が言ったのです。

「軍は隣国に対して、標高を高くしておけば攻めてこれないだろうということで、1000メートルくらい高くしている」とのこと。

大笑いです。人工衛星が地球の周りを飛び交っている時代に、そんなことをしても何の役にも立たないということに気がつかないのでしょうか。まさに噴飯ものです。

 

 

権力奪取後の中国共産党政府は、ほとんど同時に、雲南省からチベット高原に行ける道路を建設し、このクンジュラプ峠経由のカラコルムハイウエイを建設したのです。

なぜかといえば、いまでも“中印紛争”がありますが、その頃から国境紛争があったのです。戦争となれば、中国の西と東から戦車と歩兵がチベットとパミール高原を経由してインドに侵攻する戦略があったのです。名前は「・・・友好道路」ですが・・・

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息子の子どものこと

きょう、夜中の2時ころから目が覚めて寝られない。いつもそうなのだが・・・・

3時ころ、机に向かってPCを開いた。というのは、息子が「今週、息子に会いに九州へ行く」と言っていたからだ。ついに息子が自分の子どもと23年ぶりに会える。福岡空港へ向かうというF.B.を目にした。

 

詳しい経緯は控えるが、23歳で4歳年上の大学院生と結婚した息子は、やがて男児を得た。しかしその子が3歳のとき、息子が死に瀕しているという電話を、彼の妻になった女性から受けた。「死ぬ勇気もない癖に、今日も自殺を図ったのよ。バカみたい」と言い捨てた彼女に抗議をしてから、翌朝、私は羽田で一番早い便で福岡空港へ向かった。もう20年も前のことか。

 

極度のうつ状態の彼と会ってから保育園へ3歳の孫を迎えに行った。彼から話を聞こうとしてもロクな言葉が返ってこない。しゃべれないのだ。夕刻、息子の車に少しの荷物をまとめて1200劼鯀って狛江の我が家へたどり着いた。それ以来、彼は強度のうつ病で我が家にひっそりと居ついていた。

 

その孫息子が23歳になったという。10日ほど前に、「お母さんのお誕生日祝い」ということで、娘と孫、そして息子夫婦が我が家に集まった。“仲良し家族”が全員集まったのだ。その席で今のお嫁ちゃんからこの話が切り出された(彼女は、あと数年で50歳だが、可愛いのでわたしは「お嫁ちゃん」といっている)。

息子の母親(私の妻ですが)は、「今日の私のお誕生プレゼントで最もうれしいプレゼントよ」と言って涙ぐんでいた。あのかわいい赤ちゃんだった孫息子が、二度と会えないと思っていたお父さんに会えるのだ。

大好きなおじちゃんとおばちゃんと、おばあちゃんのお誕生会での寧音ちゃん

 

 

なんで互いの存在を知りえたかというと、お互いに「何かのアカウントを調べていて知った」という。ここでは、文明の発展がそのような結果を生んだのだろうと思う。

今日は2人で北九州のどこかへドライブをするという。水害が起こっているので・・・と心配している。

 

お互いにどういう顔をするのだろうか、どんな会話をするのだろうか?心配しても仕方がないが、23年ぶりの息子に会える喜びをかみしめながら、うろたえるであろう息子を思うと心が張り裂けそうにもなる。

 

きれいなお嫁ちゃんには、2人の超イケメンの大学生が2人いる。

私たち夫婦は一挙に3人もの男の子が増えたのである。

昨年1月、日比谷のレストランでの結婚を祝う会で。母と2人の息子

私たち夫婦も彼らと会うのが楽しみでした

2人

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「白人優性思考」と「欧米崇拝志向」

 

4月末に退院してからすでに2か月以上が過ぎました。「これから静養と体力回復の時期になるだろうし、コロナの自粛の期間なので古くなったテレビを10万円くらいで買い替えよう」とワイフに提案しました。彼女は出費に対して渋い顔をしていましたが、それでも「それぞれ5万円ずつ出し合って」というのは、当のあちらさんの言い分です。

この孫娘も、おばあちゃんを指導するユーチューバーのようです。おじいちゃんには教えてもくれません。

この写真は、今年の正月のものです。

 

息子に選んでもらおうということになりました。すぐに息子から「お母さん」あてにメールが来ました。

2日後に息子が嫁さんと2人でやって来ました。

 

そして40インチの、大きな大きなテレビを2台買ってきました。10万円以上はプレゼントだそうです。コロナ自粛で従業員に2人辞めてもらったというので経営を心配していたのですが、テレビの仕事が多いので半年遅れの収入があったのだそうです。息子の初めての親孝行だと思います。

前置きはそれくらいにします。私はそれ以来、テレビっ子になりました。

息子夫婦です。お嫁ちゃんは、フエルト作家で日本のみならず上海・ドイツ

パリなどでも講習会や展示を開くなどしている、当代一流の羊毛作家だそうです。

ようするにスイーツなどを羊の革などで造りあげるあれです。

 

 

まず、驚いたのは「NET FLIX」というものがありました。

内外、東西を問わず好きな映画やドラマが好きなだけ見られるのです。

私はこの頃、“古代朝鮮へシルクロードの西から伝わった文明にどのようなものがあったのか”を調べている最中でした。ですから、以前、ちょっとだけ見たことのある「朱蒙」を改めて全編を見ました。面白かったです。もちろん「愛の不時着」も「師仁堂」も見ましたよ。

今回のブログのテーマからすると、これでは話が進みません。

 

最近、NHKのBSプレミアムは、昔の名画を放映しています。ヒチコックの「ハリーの災難」やチャーリー・チャップリンの輝くばかりの名作の数々です。その中を挟んで、往年の西部劇も再放映されています。

ジョン・ウエインや往年のスターたちが、アパッチに襲撃されている幌馬車隊を助けるという類(たぐい)の西部劇です。めいさく「捜索者」も見ました。胸がキュンとなりました。

ジョン・ウエイン主演の映画「捜索者」のポスター

雪が降る中をひたすらコマンチ族を追うイーサンとマーティン

(ジェフリー・ハンター)(左)

 

私も中学生のころ、近くの映画館で三本立て15円の映画館にいきました。蒲田や川崎まで足を延ばしたこともあります。時々お金がなくて入り口でストップということもありました。でも考えてみれば、先住民たちが幸福な生活を営んでいるところへ、大西洋を越えて「開拓移民」がやってきて「俺たちの土地だ」と言って、先住民を殺しながら土地を拡大して行ったのですね、理不尽です、あれは。

 

初期ヨーロッパ植民地主義のスペインやポルトガルなどは、マゼラン、バスコ・ダ・ガマや航海王子などがアジアや南北アメリカを発見し、開拓して行きました。

 

生誕地シーネスにあるヴァスコ・ダ・ガマ像

頭部がとられた米マサチューセッツ州ボストンのコロンブス像

 

私もペルーを訪ねてから多少調べたのですが、ペルーでは1千万人の人口があったインカ帝国がスペインのわずか10数人の兵力で滅亡させられ、捕まえた国王に命令させてわずかな期間に16トンの金を集めたといいます。

 

そのインカの人口はおよそ1千万人いたと言います。その人口がわずかの間に96%が殺され、亡くなったといいます。余談ですがインカは、太平洋沿岸に「インカ道」を1万kmにわたって作り上げています。これも「人類文明のネットワーク=シルクロード」だといえます。

モンゴルが統治していたヨーロッパ部との命令伝達や報告を求めるために造った「駅伝」がありますが、同じようなものがあったのです。「インカ道」です。

ペルー・インカ道の案内図

「インカの道」を3泊4日で全踏破を目指すトレッキングのスタート地点

ワイナピチュから見るマチュピチュ遺跡

 

原因は、虐殺・奴隷・梅毒を中心とした性病・自国から持ち込んだ各種の伝染病、その逆もあります。外国への奴隷・・・これがヨーロッパ世界の、冒険や開拓や侵略の実態だったのです。

ですから、今さらコロンブスの像を引き倒したからといって、その程度で人類的な犯罪行為を許すわけにはいかないでしょう。

 

白人世界が有色人種を虐殺し差別する理由は何もないのです。たまたま太陽光線あたり方の違いで色の区別がついたのではないでしょうか?

ヨーロッパが“自らを最も優れた人種である”と自認していることがそもそもの誤りであり、始まりなのです。

 

G7という国際会議があると、カナダとオーストラリアの首相は必ず、先住民の子どもへの「同化教育」を反省します。先住民の子どもを親から無理やり引き離してイギリスへ連れて行き、キリスト教教育を強制したことを、です。そんなことでは許されません。

問題はそこだけではないのです

“白人は優れているから有色人種に対して何をしてもいのだ”という「白人優性思考」そのものを反省・根絶しなければ、真の謝罪にはならないのです。

 

今回の黒人射殺事件は、これまでの各種の事件の典型となる事件ではあったのですが、差別行為をしたかつての英雄の像を引き倒しただけではすまないということなのです。もっと根源的なところまで反省・謝罪しなければならないのだと思います。

日本でのその典型は、「沖縄」でしょう。

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▲茵璽蹈奪冓弧世糧達は、侵略と植民地化をもたらした

私は、文明が発達することに異論はないのですが、と、このブログを書き始めようと思ったのですが、別の私の「心」が表題のような“ささやき”をはじめました。

 

アフリカ東部に起こった人類は、生きるために、食べるものを求めるために「出アフリカ」を繰り返しました。

現生人類(ホモ・サピエンス)は何度かの挑戦のあと、アフリカを出てアラビア半島などから世界各地に散らばりました。いわゆる、グレートジャーニーですね。

わたしは、グレートジャーニーこそ、シルクロードを学ぶ者の原点だと思っています。

 

見知らぬ世界や土地・自然などを訪ねて旅をする、ここにシルクロードの本性があると思っています。

現生人類は他の人類と違って種族保存の本能や能力に優れていたのでしょう、他の人類は滅亡していく中でも生き残り、現在に至っています。

そういう意味では、20〜30万年前に出現した現生人類こそ、真の冒険者と言えるでしょう。

 

しかしその後、稲作を発見し、鉄を手にして武器をつくり、それらを発達させていきました。最近に至って文明を手にするに至った人類は、ヨーロッパの狭い土地から広い土地を望むようになりました。

ヨーロッパ世界が他の大陸を発見し、世界の形を変えたのはコロンブスだといわれています。

 

その前にひと言。私たちは教科書などで、世界で初めてアメリカ大陸を発見したのはコロンブスで、初めて世界を一周したのはマゼランだとも教わりました。

ここは注意してお読みいただきたいのです。

アメリカ大陸を世界で初めて発見したのは「コロンブス」で、世界で初めて地球を一周したのが「マゼラン」だという「説」「考え方」「思考」のことです。

ここでいう「世界」とはヨーロッパのことを言うのです。我々のいるアジアやヨーロッパ以外の人たちは、この「世界」に加わっていないのです。

ですから、世界で初めてという言葉は、「ヨーロッパ世界では初めて」というように読むほうが正しいのだと思います。

 

その後、発見されたアメリカ大陸にヨーロッパ各地から「白人」が、新天地を求めて大挙して渡り、アメリカ合衆国という白人主体の国をつくってからは、欧米志向という考え方が形成されてきました。労働力が足りないのでアフリカから黒人を奴隷として強制連行してきたのです。

産業革命を通じて、この欧米が文化的にも軍事的にも人類の最先端を行くようになりました。

 

先進文明を学ぶことは当然のことなのですが、それがあまりにも行き過ぎると、何でも欧米が一番で、それ以外のアジアやアフリカなどは遅れているという考えになっていきます。

 

20年ほど昔のことです。私の職場にいた女性がオーストラリア人と再婚するという話がありました。彼女は私のいた団体の「女性委員会」のメンバーでした。そこへ同じ委員会の女性が事務所へきて、別の女性からその話を聞きました。「うわ〜、素敵ねえ〜、素晴らしいわ〜〜」といいました。じゃあ、再婚相手がアジアのほかの有色人種であったなら、アフリカ系の黒人であったなら、彼女はそのような言い方はしなかったといいます。私は本人に確認しました。すると彼女は「クロンボはイヤよ」です。驚きました。

 

数年前、パリでテロが起こって10数人が殺害された事件がありました。同じ日、シリアで数百人が内戦で殺されました。新聞やテレビはパリの報道でもちきりでした。

これっておかしくないですか?同じ人命なのに・・・・・

 

 

※体力復活のため、毎日、午前と午後にウオーキングやジムへ通っていて、あまり時間が取れません。

 毎日ブログを書くことは難しいのです。ご了承ください。

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