シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
無頓着でした

先日、「無罪放免」のブログを書いたところ、想像以上の方がたからの反響(主としてお祝いのメッセージ)が寄せられて驚きました。感謝の気持ちを感じたことと驚きも隠せませんでした。

 

わたし個人のことに引き寄せて言わせていただけば、古くからの友人・知人、無論、15年来の活動を進めてきた、シルクロード分野の長年のお付き合いある方がた、この20数年来のシルクロード・ツアーに参加されたことのある方がた、そしてスポーツ関連でのつき合いのある方がた、100人近くの仲間からドット寄せられました。うれしいことです。

 

一方で、あのブログとその反響から思うに、実に多くの方がたが「胆嚢炎」を患い、「大腸ポリープ」を取り除き、「大腸がん」をはじめとした各種のガンを患っている(いた)ということでした。

 

ある友人は10年ころ前、ガンを患い暗澹とした気持ちで「シルクロード講座」などに通ったということを書かれていました。そのころの私は彼が「がん」で暗い気持になっていたことを知りながらも、彼の気持ちや立場を本当に理解する力が弱く、表面的にとらえていた面がありました。

 

「語彙」の少ない私は、そのことをお詫びする適切な言葉も見つけられないままお礼の返信を送りました。そして、そのような各種の病気を抱えている方がたがなんと多くいるのだろうと改めて思いました。

また、街を歩いていて気がつくことは、脳梗塞など頭や心臓などの病気で体が不自由になっている方の多いことにも、最近目がいくようになってきています。自分が高齢化し、病気などにかかると、そういうことが良く見えるようになってきたのでしょう。

私の今回の一連の「病気」の原因は、長年にわたる偏食や多量(でもないと思っていたのですが・・・)のアルコール摂取(なんか医学用語のようになっていますね)などが原因だろうと思います。

 

直接的な原因は2月のアフリカ旅行だったと思います。長年にわたって体を鍛えておかなかった怠慢によって、ヴィクトリア滝で歩けなくなったこと、今でもよくわからないのですが、片目が、突然、パニックのようにグルグル回りだしたことなどが、3月以降の一覧の病気の“静かなるスタート”だったように思います。

ですから今年になって2月のアフリカ旅行とその後の3回の入・退院からはほとんどロクなものを読んでいません。

 

「人類史における世界の感染の歴史」のようなものに挑戦してみたいと友人たちに宣言していたのですが、多くの専門家たちが書いているということもあって、その気も失せました。

ところが5月11日の「無罪宣告」以降、その気になってきたのです。単純なんですね私は。“書きたい”という欲求が沸々とわいてきたのです。

 

何を始めたいのかは、機会があれば書きますが、いまはまだ発表する段階ではありません。

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“親孝行、したいときには親はなし!”

 

ずいぶんとご無沙汰しました。

 

この間の経過を申しますと、3月5日に朝からの腹痛に耐えられず近所の大学病院(慈恵医科大第三病院)に急患で行きました。

そこで「胆嚢炎」という診断でそのまま入院。

 

翌日、胆のう除去の内視鏡手術をしたのですが、心の準備がなかったことと激痛とで悲鳴を上げました。

胆のうに内視鏡で管を通して「嚢」を体外に排出することになったのです。

担当した医師に「お前がへたくそだからこんなに痛いんだろう!ヤブ医者め!」と怒鳴りながら。これまでの人生で経験したことのない激痛でした。

 

1週間後の13日、夜中にトイレに行った時に出た大きなくしゃみをした際に、(翌日に判明したのですが)管が外れてしまいました。昔から私のくしゃみの音は飛び切り大きかったのです。息子が中学生の時、二階のトイレで大きなくしゃみをしたのです。

二軒となりに息子の同級生がいたのですが、翌日「お前の父ちゃん、スッゲー大きなくしゃみするなア〜」と驚かれたとのことでした。

 

その後、下血で退院取消となり、下血も収まった25日にやっと退院。3週間の入院生活でした。大腸の中にある「憩室(けいしつ)」というところから出血をしているとのことで、出血している憩室を探し出すために、二度ほど下剤を1・5リットル、水を1リットルほど飲んで、大腸の壁にバリウムを吹き付けて出血個所を探し出す検査でした。二度の検査で発見したのですが、科学の発達はずいぶんのものだと思いました。私の父は1953年(昭和28年)に同じ胆嚢炎で死にました。

 

その後、4月1日に再入院して翌日の2日に内視鏡による大腸ポリープの除去手術。

そして5日に退院。

3月25日に退院した日、ワイフの車で狛江の有名な根川通りの満開の桜を見て家に帰りました。

 

さらに、4月20日には3回目の入院で翌日にやっと大腸ポリープの除去手術。

大きな5つのポリープがあったとの話。

これは22日に退院できたのですが、前日の21日には主治医に呼ばれて、思いもしなかったことを言われました。「取り除いた五つの大腸ポリープのうち2つの根が深いので、がんの疑いがある」との宣告。

「あったとしても早期がんなので心配はいらない」とはいわれたのですが、5月11日に「死刑判決」か「無罪放免」かの結果が出るということになりました。

慈恵第3病院の一番上、9階の左から2つ目が私のいた病室でした。

 

兄と私は“一卵性兄弟”と思えるほど仲がいいのですが、2歳上の兄も私と同様の病気を患い、10年以上をかけて手術などをして克服したとのこと。

私はそれを、2カ月で経験し、さらに兄は患っていなかった「大腸がん」に5月中下旬から挑むことになりそうです。

体調の弱まって抵抗力のない現在は、新型コロナにかからないように自宅に引きこもっています。94kgあった体重も今は84圈なかなか戻りません。

 

そんな25日の土曜日、息子夫婦がやって来ました(前日にリビングのテレビを買い替えるから付き合ってくれと言っておいたからですが・・・)。

息子夫婦とうちの奥さんが近くの世田谷通りにある山田電器までテレビを買いに行きました。

 

帰ってきた息子は、なんと49インチの15万円の大型テレビを2台買ってきました。

一つはもともと私たちが10万円程度で買うことにしていたリビングのテレビ。

もう一台は私の部屋にあった小さめのテレビを、49インチのテレビに買い替えるために、息子の奴が、私になんの承諾も得ないで、自分のおごりで勝手に買い替えたとのことです。

 

写真専門学校時代、遊び惚(ほう)けてバイクで交通事故を起こすなどの親不孝ばかりしていた息子を、50万円だけ渡してソ連や東欧諸国のヨーロッパへ写真の勉強のために「追放」したことがありました。ソ連崩壊の直前でした。

もうかなり以前のことですが、離婚の際には息子の元妻のおかげで自殺未遂まではかったのですが、翌日、朝いちばんの飛行機で福岡まで出かけて救出してきました。その後、息子をネパールの観覧飛行の会社の社長をしている友人に預けてきましたが、半年後に帰国後、空の世界に入って行ったのです。

 

その息子もテレビ東京の「空から日本を見てみよう」の単独航空撮影を担当するとか各種の航空写真、ドローンでの小笠原諸島・西島の航空撮影などで、多少、その世界では知られるようになったのですが、思いもかけない親孝行に私たち夫婦は大喜びでした。

 

この数十年、息子に「ありがとう」と言えるようなことをされたことがないのですが、今回は「思いもしなかったテレビをありがとう」と言うことができました。

翌日は、今まであった大きな楕円形のテーブルを思い切って捨てて、小さめの夫婦2人で食事ができる程度の新しいテーブルを持ってきてくれました。

でも、子どもというものは存在しているだけでも親孝行なんですね。

 

すっかり模様替えをしたリビングで、いまこの原稿を書いています。

年のいった父親の闘病生活を身近に見て“おやじが生きているうちに親孝行をしよう”とでも思ったのでしょう。

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きのう一時退院しました。

みなさま

きのう25日、一時退院しました。3月5日からちょうど3週間、21日になりました。

退院と言っても「一時退院」です。

これは胆のうで緊急入院して、その治療のさなかに発見された大腸ポリープでもなく、大腸から出血(全身の血液の半分が出血したらしいです)して、それを差し止める治療が、一応終わったということです。輸血したことが心配ですが・・・・

いわば、今回は3つの病気が発見されたということです。

 

再度、4月1日に入院して、2日には胆嚢炎除去の手術です。

これはうまくいけば、5〜6日で退院できますが、胆のうが癒着していると切腹しての手術になるのでもっとかかります。

 

それからしばらくしたら、今度は大腸ポリープ除去手術です。これも5〜6日で退院です。

 

今朝病院でうちの奥さんと退院から次の手術までの栄養指導を受けました。

結論は、いままで77年間に好きなものを食って、好きなだけ飲んできた結果が、アフリカ旅行でのアクシデントを契機に、この3月に表面に現れたということでしょう。

「油濃いものはダメ、酒はダメ、肉・刺身はダメ!野菜と油抜きの鳥のささ身くらいだ」といわれました。

「それだったら、死んだほうがいい!」とは言いませんでしたが・・・

前日からやっと出された病院食は、文字通りそのような内容でしたが、何日も食事を食べていない私にとっては「ごちそう」でした。味付けもそれなりに工夫しているんでしょうね。

 

こうなったら真夜中でもベッドから私をニコニコしてトイレに連れて行ってくれて、下血したものを子細に見て、分析して医師に報告してくれる、あるいは真夜中でも点滴を入れ替え、血圧を測り、体温を測ってくれる多くの若い看護師さんたちの労苦に報いなければならないと思っています。

3連休を返上して診察してくれた医師たちのご苦労にも感謝しなければなりません。

 

あと2回の手術を成功させて、ゆっくりでも早くでも現役復帰して、以前のように頑張りたいと思っています。

面会時間は午後2時なのですが、毎朝9時には病院に来てくれて励ましてくれたうちの奥さんにも感謝しなければなりません。

 

みなさん!飲みたいだけ飲んで、油濃いものを食べただけ食べる食生活は今すぐやめたほうがいいですよ、と言おうと思ったのですが、そんな生活をしていたのは私だけだったようです。

 

自戒!自戒!です。

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突然ですが、ただいま入院中です

ブログをご覧の皆様、お元気でしょうか?

私は元気ではありません。

 

3月6日に、朝からおなかが痛かったのですが、夕方になっても収まらないので近くの大学病院へ急患で行きました。

で、そのまま入院になりました。胆嚢炎です。

その治療中に大きな大腸ポリープが4つもあることが判明し、いまだに治療・検査の毎日が続いています。

週末か翌週には一時退院できそうですが、4月初めには胆のう除去手術があり、別日程で大腸ポリープを取る手術もあります。

 

胆のうには右わき腹からチューブを差し込み、肝臓を通過して胆のうを刺して胆汁を出すのですが、予期しなかった痛さで悶えました。

大腸にはこれまで3回もカメラを入れて観察しています。

下血もあり、だいぶあちこち長年のほころびが出ているようです。

 

もう、”まな板の上のコイ”だと覚悟して医師の言うとうりに素直に従っています。

4月中には、あれこれの仕事も終わって療養生活に入れるかもしれませんが、ブログは気が向いたときに書きます。

忙しい最中でこそあれこれ考えることができますが、入院・治療・手術となると、なかなかシルクロードにまでは気が向きません。

おりしも新型コロナが暴れまわっていますが、みなさま、よくよくご注意されて感染などなさらぬように祈ります。

 

桜も開花したようですが、それを見ることもできず、まずは元気になることを最大の目標に頑張っております。

 

3月19日 野口信彦

 

 

 

 

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ア フ リ カ 南 部 の 旅 

間違い湾

テーブルマウンテンの山の上から見るとコバルトブルーに輝いた美しい海が見えます。この湾の名前が別名「間違い湾」。

なぜかというと、インド洋からヨーロッパへと戻ってきた貿易船などが、喜望峰を回って右に旋回すると大西洋に入ってヨーロッパに帰ります。そこで多くの船がこの湾を見て右に曲がって入って行くと「湾」ですから突き当たりになります。それで間違いに気が付くということから、間違い湾という名前がついたということです。

喜望峰(アフリカ大陸最南端)で記念撮影

この像はバスコ・ダ・ガマかな?

モダンジャズの源流を探す

夕食はウオーターフロントで。ここは文字通り港のすぐ近くにあるのですが、規模の大きなスーパーや様々な催事場があります。同行の皆さんはお土産の買い物です。

私は1人離れて入り口近くにあった舞台へ戻ってジャズライブの見学。

今回の旅ではとても望みはかなわないだろうなと思っていたことが、モダンジャズの源流・アフリカの音楽を聴く、あるいは収集することでした。

 

聴いた結果は、豈はからんや、少々というかだいぶ期待外れでした。やはりアメリカやヨーロッパの最近のギターがメインの「ジャズもどき」のコピーでした。こういうものはあまり聴きたくないのですが、ないよりマシ、集合時間まで聴いていました。

客席には家族連れや様ざまなグループが聴いています。聴衆はみなコーラを飲み、何か食べ物を買ってきて楽しんでいます。それ等の光景を見るだけでもよかったと思いました。感心したことは客席間の程よい間合いに大きなビニールの袋を置いてごみ袋にしていたことでした。アフリカというと、ニューヨークのハーレムのように、ごみの溢れた街かどというイメージがあったのですが、それは昔のこと。かなり清潔好きだということが分かりました。私の間違えていた先入観だったのですね。

 

 

酒嫌い

この日の夕食では、大ジョッキを呑もうとしたのですが、うちの奥さんと添乗員ちゃんに止められました。止められると意地になる私ですから注文したのですが、一口飲んでやめました。うまくないのです。それとやはり身体や脳への影響を考えたことました。帰りの長い時間の機内でもアルコールは飲みませんでした。私って自制心があるんですね。

 

サザンクロス=南十字星を見る

そして、夕食後は再び真っ暗になったテーブルマウンテンの入り口辺りまで行ってケープタウンの夜景観賞です。それともう一つ注文がついて「サザンクロス=南十字星」を見ることでした。夜空は星を見るには絶好の真っ暗な空です。

港町の夜景です

一行のメンバーです

この日は朝からすでに日本人の初老の男性の現地ガイドがついていました。言語明朗、滑舌最高の彼の説明は良く聞き分けられるのです。しかし、耳障りだった言葉は、やたらと「この街かどは昔の上流階級が住んでいた地域、こちらは貧しい人たちの住んでいた町」といいます。アパルトヘイト時代感覚が残っているのでしょうか。

みなさん、一生懸命にサザンクロスを探していましたが、彼に「南十字星は皆さ見ている方角の正反対のうしろですよ」と言われて大笑い。かすかに見えました。

私は沖縄と緯度がほとんど同じのネパールのヒマラヤの山の中で、夜中にトイレに起きた時に見たことがあります。星がこわいくらいに大きく見えた時でした。

 

帰路は当然、往路と同じコースで帰ります。ただし、ケープタウン空港からヨハネスブルグ空港では座席に座ったまま。そしてシンガポール国際空港での長い乗りつぎの時間のあと羽田へ。合計15000辧2箸任呂垢靴鮹輅犬靴

カンパーイ!!

 

そして・・・

今回の訪問を機に、アフリカの歴史研究を決意しました。

アフリカでのアクシデントの医療検査はもちろんしました。結果はいずれもなにもなかったのです。

しかし、3月6日の朝からおなかが痛かったのですが、夕刻になっても痛いので、ワイフの車で走って5分の大学病院へ行きました。すると胆嚢炎でそのまま入院となってしまいました。

すると入院中に、ほかの病気も見つかってしまいました。大腸ポリープです。

2週間くらいの入院治療ののちの退院。そののち、2〜3か月のうちのその2つの手術の予定が立ってしまいました。

嘆いていても事態は好転しません。ちゃんと病気を治してから、再び元気になって頑張るしかありません。私・野口はこれくらいのことではへこたれません。

このい睇賊,離戰奪匹能颪い討い泙后  

 

3月9日 野口

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