シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
2016年度学位授与式 告辞

今朝、しばらくブログを書いていないので、何を書こうかと思っていたところ、法政大学学長の2016年度学位授与式の告辞をコピーを見ることができました。

なにか「私をブログに載せて!」と言っているようですので、載せます。

 

私としては、普段、こういうことはしないのですが、故あってきのうまで神経をすり減らすような出来事があり、無事にそれを克服することができたので、そういう心境になりました。

きょうの「現代シルクロード研究会」の準備も、いまから3時間半でやる決意ができました。

それが終わったら何人かで多摩川べりの桜でも見ることにしましょう。

 

なお、2016年度告辞ということは、昨年2017年のことですね。

ときあたかもちょうど1年前のことでした。野口

 

2016年度学位授与式 告辞

2017年03月24

田中優子法政大学学長(2017年3月24日)

 

皆様、卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

卒業にあたって、皆さんにひとつの言葉を贈りたいと思います。それは「自由を生き抜く」という言葉です。

約1
年前、2016
年度初頭に、法政大学は大学憲章を発表しました。その憲章に、「自由を生き抜く実践知」という言葉を冠しました。1年前ということは、皆さんが在学中のほとんどのあいだ大学憲章はなかったわけですが、2年間をかけ、法政大学は社会に対する「約束」を明確にしようと、教職員が協力し合って「ブランディング」という作業を積み重ねていました。

「ブランド」という言葉を知っていると思います。これは単に知名度を表す言葉ではなく、社会への約束を意味するのです。つまり社会からの長い間の信頼がなければブランドは確立されません。法政大学は135年の歴史をもち、すでに社会から信頼されている大学です。それを基盤に特徴を言葉にし、さらに信頼される大学になろうと、憲章を制定したわけです。信頼される大学であり続けることは、卒業した皆さんへの社会からの信用につながります。皆さんは生涯、法政大学の卒業生であることを担って、社会で働きます。法政大学が高く評価されれば皆さんの役に立ち、また、皆さんが社会で良いお仕事をされれば、大学の信頼度はさらに上がるのです。法政大学はそのためにも、大学憲章を背景に、確固たるブランドであり続けます。皆さんもどうぞ、ご自身のために、「法政大学の卒業生は素敵だ」と思われるような生き方をして下さい。

さて、皆さんがほとんど接する機会がなかったこの憲章の言葉の中で、卒業後にも大事にして欲しいのが、「自由を生き抜く」という姿勢です。「自由」は法政大学に建学以来受け継がれてきた精神です。法政大学は、法学によって近代市民社会の基礎を作った大学のひとつです。戦後は空襲で校舎の大半を失いましたが、学徒出陣や勤労動員から戻った学生たちによって自主的に再開されました。そしてそこに、戦後民主主義を推進する、自由を大切にする学者たちが集まってきました。私は1970年代に法政大学の学生でしたが、私の世代は、そのような先生方に教えを受けたのです。自由の気風はひとつには学生の自主性を生み出し、もうひとつには教授陣の生き方と研究に反映しています。

高度経済成長期には、「自由」という言葉は自主独立の意味より、消費における自由奔放を意味するようになりました。しかしこれからの世界で、自由は再び重要な意味を帯びるようになります。国家主義と力の覇権が個人を脅かす時代になるかも知れません。日本のグローバリゼーションはさらに進みます。グローバリゼーションは、一方では多様性を認める社会に向かいますが、もう一方では画一化をもたらし、格差社会の一要因となっています。この矛盾のなかで自由を生き抜くには、個人が互いに多様性を認め合いながら、国家主義と覇権争いの犠牲になることなく、個人のつながりとしてのグローバリゼーションに向かっていく必要があります。

グローバル化だけでなく、人の流動化、人工知能の出現、少子高齢化、地域の問題、大きな負債、世界の不安定、日本はそれらを抱えて世界のなかで生きていくことになります。変化が好きな方々には、新しい仕事が次々と出現し、多様な国の人たちとつきあう、たいへん面白い社会です。一方、安定という意味では今までのようにはいかなくなります。今後も大きく変化していく世界と日本において必要な能力や知性とは、この変化に対応できる知性です。

しかし単に臨機応変ということではなく、自分とは異なる環境や境遇のなかで生きてきた人への想像力をもちつつ、社会と環境にとって最適な判断ができる知性が必要なのです。そして、その判断が個々の価値観に根ざしていることです。「自由を生き抜く」とは、その個々の価値観を大切にすることです。変化する世界で自由を生き抜くために、迷いの中で自ら学び、他の意見に耳を傾けて絶えず知識を更新し、考え続けて下さい。

自由を生き抜く能力を身につけるために、現実に根ざした「実践知」というものが必要になります。「実践知」はギリシャ哲学で「フロネーシス」と言い、「深い思慮」を意味します。現実社会に根を張り、たとえ不都合な現実であってもそれに直面しながら、それぞれの立場で、理想に向かって課題を解決していく知恵であり知性です。私たちはしばしば、現実に押しつぶされそうになります。しかし自由を生き抜くとは、現実を無視して空想の世界に遊ぶことではありません。現実に妥協して自分の本心を封じ込めることでもありません。現実を観察し、よく知り、理解し、他者の自由を尊重しながら、まっすぐ前を向いて、自分の生き方で生きていくことです。

そのような能動的な生き方をするにはどうしたらいいのでしょう?アメリカの臨床心理学者ガイ・ウィンチという人の講演を、インターネット上で聞いたことがあるのですが、たいへん興味深い事例を話していました。

ウィンチさんは、ある保育所を訪ねたそうです。3
人の子供が同じ道具で遊んでいました。それは箱の形をしていて、赤いボタンをスライドすると子犬のおもちゃが飛び出す仕組みでしたが、この子供たちはその方法を知りません。
ある女の子が、紫のボタンを引いたり押したりしていました。何も起こりません。後ずさりして箱を見ながら、下唇をふるわせました。
彼女の隣にいた男の子は、この様子を見て、自分の箱に触りもせずに泣き出しました。
しかしもうひとりの別の女の子は、思いつく限りのさまざまな操作をやり尽くして、とうとう赤いボタンをスライドし、子犬が飛び出しました。彼女は大喜びでした。

この話が印象に残ったのは、大学でも同じような光景を見てきたからです。設定されている目標に向き合ったとき、ちょっとやってみただけで「できない」とあきらめてしまう学生、やってみる前から「難しそうだ、面倒だ」と目をそむけてしまう学生、そして方法がわからなくても、さまざま試みて自ら方法を発見する学生です。

ウィンチさんはこれを、3人の能力の違いとは考えませんでした。みな、赤いボタンの操作を発見する能力はあったのですが、できなかった唯一の理由は、彼らの心が「できない」と信じこんだことだ、と結論しています。これを「無力感」と言い、自尊心の低さだと言っています。多くの研究から、自尊心が低いほどストレスや不安に弱く、失敗による傷も深くなり回復に時間がかかることがわかっているそうです。そして、身体の健康と同時に心の健康に気を配り、ネガティブな思考におそわれた時は、ほんの数分でも他のことに気持ちを集中してそらす、という応急処置をすすめています。それは現実を認めないという意味ではありません。現実を感情的にとらえるのではなく知性で理解する次元に置き直し、自尊心の問題も含め、自らの環境や社会の課題としてよく考える、ということなのです。社会と自分の関係を考える、その過程に「自由」があります。

いわゆるブラック企業だけでなく、大企業のなかでも心の健康を保てないことがあることを、長時間労働による自殺の事件で私たちは知っています。自分の心身の健康を保ちながら能力を発揮し、自由を生き抜くためには、上司や組織に従うだけでなく、自らの働き方を自ら編み出し主張することも重要なのです。「自由を生き抜く」という言葉を、どうか覚えておいてください。

ところで、皆さんは今日卒業していきますが、校友会の一員として、これから卒業生のネットワークを大いに活用することができます。校友の絆を使って未来を開いていって下さい。皆さんがその絆を断ち切らなければ、校友会も大学も、皆さんを応援することができます。

今日はお別れの日ではありません。旅立ちの日です。これからも法政大学のコミュニティの一員として、一緒に、この変化の激しい厳しい社会を、希望をもって乗り越えていきましょう。  あらためて、卒業、おめでとうございました。

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世界は日の出を待っている

 

 驚きましたね。米朝首脳会談が実現しそうです。実現するかどうかには、まだ紆余曲折がありそうですが。

 

北朝鮮の金正恩が、核実験や弾道ミサイルの試射などの凍結を約束しました。5月には会談する見通しです。最後まで「あんなのはゼスチュアだけだから信用できない」と言っていたのは、世界でも日本政府だけ。

ホワイトハウスでトランプ米大統領との面会を終え、記者団に説明する

韓国大統領府の鄭義溶(チョンウィヨン)・国家安保室長(中央)

=8日、ワシントン、ランハム裕子撮影

韓国大統領府の鄭義溶国家安保室長と握手して破顔一笑する

金正恩朝鮮労働党委員長(右)=北朝鮮ウェブサイト「わが民族同士」から

 

 トランプの尻馬に乗って、「最後まで北朝鮮への規制の強化を」と言ってきたものが、肝心の親分が違う方向を歩きだして、あわてて「4月にアメリカ詣で」をしたいと言い出した。外交も内政もまるで日本国民に責任を負わない無責任首相だと思いませんか。

 “振り向けばだれもいなかった”っていうやつですね。

 

  その日本政府はモリ・カケ問題で瀬戸際に立たされています。

  政府と財務省は、国民の選ばれた代表である国会議員と国会に虚偽の文書を提出して、追及されても追及されても「捜査に影響があるから・・・」ということで拒否をしています。

大臣室に入る佐川宣寿・国税庁長官=9日午後7時17分、東京・霞が関、越田省吾撮影

 

 その追及される側の張本人であった佐川国税庁長官(前理財局長)がついに辞任することになりました。さらに近畿財務局の職員の自殺まで起きました。トカゲのしっぽは切れても「頭」はまだ残っています。「事実なら首相を辞任する」といっている首相の尻にも火がついてきました。

 安倍首相は総辞職・国会解散すべきです。

 

 

 表題の「世界は日の出を待っている」とは、第一次世界大戦の長い戦いに嫌気がさしていたドイツとフランスの兵士たちが、リリー・マルレーンの歌とともに熱狂的に歓迎した曲です。

 

 それに引き換え、スケールは違いますが、日本レスリング協会の会長とはどういう人物でしょう。倫理委員会の議論がスタートする前から「パワハラなどはなかった」と断言していました。これから調査しようとしているのに、なぜ会長が「なかった」というのでしょうか。これこそがパワハラそのものではないでしょうか。

 

 世界が大きく変わろうとしているのに、そして“世界が日の出を待っている”のに、日本のスポーツ界の閉鎖性と頑迷なパワハラぶりは百年一日のごとく微動だにしません。

 

 次は狛江市長問題。あろうことか狛江市長が市の職員や女性の市議たちに何度もセクハラを繰り返してきたことが、市議会の共産党市議が明らかにしました。「返杯・献杯は九州男子の・・・」と迷言を吐いていますが、この男もどうしようもないセクハラ男・パワハラ男です。

高橋都彦狛江市長

 

 

 ハリウッドからスタートした(実は数十年前から世界の女性が告発をしていたのですが)「# Me Twoo」の動きは日を追って大きくなっています。

この動きよ、もっともっと大きくなれ、である。

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スポーツマンシップの行く道

  先日のこと。隔週くらいに仲間内でスポーツ関連の勉強会を開いているのですが、そこで議論になったこと。

ピョンチャン・オリンピックの女子スピードスケートで小平奈緒選手が優勝して、韓国の選手が2位になった際、小平選手が2位になった友人の韓国選手の肩に手をかけて慰め、励ましている場面が“感動”を呼んでいるということに関して。

小平奈緒選手と2位の李相花選手(共同)

 

 私が、「スポーツ選手であれば、ああいうことは当然のことだから、何もマスコミが“感動!”“感動!”と騒ぐことはないんじゃないか」といいました。すると、誰に対してでもすぐに喧嘩口調で話す同年輩の女性が「感動でいいんじゃないの?」と異論を唱えました。女性というか年齢のかさばった彼女たちは決して持論を引っ込めません。ですから、「お互いの考え方と意見の持ち方だから、言い争うことじゃないから」と議論を打ち切りました。このテの人と言い争うのは疲れるからです。

 

 それはともかく、今回のオリンピックは数々の収穫がありました。北区西が丘にある「味の素ナショナルトレーニングセンター」の働きの成果でもあると思います。良い指導者、よい施設、そしてアスリート本位の国の予算。

現実は多くのスポーツ愛好者はその道をふさがれていますが・・・

味の素ナショナルトレーニングセンター

 

 「金メダルは目標であるけれど、そのためだけに努力しているのではない」

「自分の最大限の努力の結果が金メダルなのであって、まだまだ私は進化し続ける」・・・

 これらの彼女のアスリートとしての意識は、素晴らしいものです。

カメラとマイクを向けられるとロクに自分の意見も話せないスポーツ選手がいる中で、この人は優れたスポーツ思想を持っていると思います。

 

お相撲さんでも、金星を挙げたり、勝ち越した力士にインタビューすると、すらすらと話す力士が増えています。以前は“マグレです”を繰り返す力士ばかりでしたが。

それに比べるとオリンピック後の悪しき話題として、女子レスリング界の問題が持ちあがっています。

 

 伊調かおる選手とコーチとの関係が“パワハラ”だと騒がれています。そのこと自体については、事実関係を確かめて良い結論が出ればいいことですが、私が言いたいことは、残念ながら、あのようなことはスポーツ界にとっては日常茶飯事の普通のことになっているということです。「オレがかわいがって指導したのに、ほかのコーチに教わろうとしている。許せん」、「オレのメンツをつぶした・・・・」。

  それくらい人間関係や指導・被指導の関係は個人本位でいびつになっているのがほとんどです。

伊調馨選手(左)と栄和人強化本部長

 

 だからこそ“スポーツマン・シップ”が大切なのだと思います。

 試合や競技の時は正々堂々と戦い、それが終われば友だち。互いにリスペクトの精神で対し、相手から学ぶということが基本なのです。

 

 政治の分野でも同じことが言えるでしょう。国会に提出した国の文書に手を加えて改ざんし、存在している文書を「ない」とうそを言う、これなどは「退場!」です。

 カーリングのチームがさわやかな話題を呼んでいますが、北海道の言葉「そだね〜」がはやり言葉になっています。

カーリング女子3位決定戦で英国を破り銅メダルを獲得し、喜ぶ

(左から)吉田知、藤沢、本橋、鈴木、吉田夕=24日、韓国・江陵

 

  それに比べて安倍内閣の「うそだね〜」がなんと多いことよ。直さなければなりません。

戦争への道を一直線。政治は国と国民の平和と安心のためにあることを忘れた男。

「うそだね〜」。

 

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友あり、病気になる。また悲しからずや、いや、楽しからずや、だ。

 きのう、ブログを書いている途中で、60年来の親友が脳こうそくで救急搬送されたというはがきが来ていた。ポストの角に引っかかっていて気が付かなかったのだ。多忙な私を気遣って電話やメールでなく、はがきを送る彼の気持ちがうれしかった。

 

 顔も洗わず、歯も磨かず車に飛び乗って、狛江から多摩川を登戸に渡って多摩川堤通りをガス橋まで行き、そこから東京側に入りました。さらに多摩川沿い(私の子どものころはここを「六郷川」と呼んでいました)に六郷土手まで行き、羽田の大師橋まで。そこからは産業道路に合流して大森方面へ向かい、「大鳥居駅」を超えてから右に折れて「森ケ崎」へ向かい東京労災病院へ。

 

 幸い、脳こうそくもたいしたことなく(脳こうそく自体は大した病気なのですが・・・)、絶対安静が5日つづき、やっときのうから平常通りになり、来週には退院できそうだとのことでひと安心。

 

 わたしの妻も2年余り前に脳こうそくになりました。病状はそれまでと何ら変わりはなく、踊りに古武術にウォーキングにと、毎晩一緒の晩酌のビール一杯と普段通りの生活を維持できています。

 しかし、街に目を転じて気を付けてみると、実に多くの方が何らかの病気を経験して杖をついていたリ、体の不自由な歩き方をしていらっしゃいます。ですから、体に何らかの不具合があるからと言って、「障がい者」だとか「障害者」などという必要は全くありません。

 

 と言って別にこの話題をパラリンピックに持っていこう意図はありません。脳や心臓あるいは体の動きに不自由を来たす病気の方が実に多いということと、だからといって特別な意識で見る必要もないということを言いたかったのです。

 

 もう一つの話題。

 この東京労災病院というのは、昔私が勤めていた会社の近くでした。

ちょうど、患者を見回りに来た若い看護師さんに「60年前のこの病院は、2階建てのボロボロの建物だったんだよ」というと、彼女は「ボロボロ」に関心を持つのでなく「60年前って冗談でしょう?」というのです。

 

 それはともかく、先日のキューバの話でも「40年前に行ったキューバ」のことでした。この年になると20年や30年は、ほんのちょっと前のことでしかなくなってしまいます。「近現代を一身にわが身で体験できるから・・・」なんていっても、要するにジジイになっているだけのこと。

 

 しかし、避けようのないこの「老化」という現在を私はこよなく愛することにしています。だって、避けようがないのだから、楽しむしか仕方がないと思っているのです。でも、孫娘が結婚するときまでは生きていたいと思います。医師になると言っていますから、あと20年で27歳。私は95歳。ちょっと無理かな〜〜

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40年ぶりのキューバに行ってきました ―その革命の系譜−

少し、キューバの歴史を振り返ってみましょう。

 

先史時代は、よくわからない。

コロンブスが入り込んで来たときから先住民を絶滅させるほどの侵略と虐殺と略奪の歴史であった。

 

 1959年、キューバの親米バティスタ政権に対する反乱は1953年のカストロの指導した「7月26日運動」に始まった。カストロは数人の同志とともに東部のモンカダ兵営を襲撃したが、最初の蜂起は失敗、メキシコに逃れ、その地で革命を目ざす組織をつくり、1956年キューバに上陸、同志のゲバラとともに苦しいゲリラ戦を展開した後、農民の支持を受けて首都ハバナを占拠し、1959年1月1日、バティスタ政権を倒した。

アメリカの傀儡独裁大統領バティスタ

 

フィデル・カストロ

チェ・ゲバラ

 

独裁政権の打倒

 カストロは民族主義的な社会改革を目指し、まず農地改革法を制定、小作人の解放をはかった。多くのサトウキビ農園はアメリカ人地主のものだったので、アメリカは激しく反発、キューバ産の砂糖の輸入を制限するなど対抗策をとった。キューバはソ連に接近し、60年2月に貿易援助協定を締結、社会主義路線への転換を明らかにし、アメリカ企業を接収して国有化を断行、61年に1月には両国は外交関係を断絶した。

 

社会主義革命
 アメリカは諜報機関のCIAが画策して、亡命キューバ人を支援して上陸させ、革命政府の転覆を謀ったが失敗、アメリカに不信感を強めたカストロはソ連に接近し、61年5月にキューバ社会主義宣言を発表し、社会主義路線を採ることを明確にした

 

キューバ危機

 アメリカのケネディ大統領はラテンアメリカ諸国に「進歩のための同盟」結成の働きかけを行ってキューバ孤立化を図り、さらに同年4月に亡命キューバ人による反革命軍のキューバ侵攻を支援したが、失敗した。1962年ソ連がキューバにミサイル基地を建設したことを知ったアメリカはキューバを海上封鎖し、10月の「キューバ危機」となった。これは米ソによる第三次世界大戦の危機であったが、妥協が成立、ソ連はミサイルを撤去した。こうして社会主義キューバは存続することができたが、アメリカによる経済封鎖は継続されている。

 

キューバの社会改革

 カストロの指導するキューバ共産党の一党独裁の下で、当初はソ連の支援と影響を強く受けながら進められた。まずアメリカ人地主・資本家を追放してその農園、工場などの資産を国有化し、教育・医療などの無料化などの社会保障、道路・住宅・水道・電気などの建設、生活物資の配給制などが実施された。しかし、ソ連の援助と砂糖のソ連東欧圏への輸出に依存したため、経済は向上せず国民生活の困窮は続き、反革命の動きも現れたが、カストロはそれらを国外追放にするなど革命路線を維持した。また60年代に入ると中ソ論争のあおりを食らって社会主義陣営が分裂、カストロもソ連一辺倒から次第に離れて、第三世界との連携を重視するようになり、またラテンアメリカ諸国やアフリカの革命運動、民族運動への支援を強めた(ボリビアでのゲバラの活動もその一環だった)。

「世界史用語解説 授業と学習のヒント」=キューバ革命 を参照。

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