シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
現代シルクロード研究会は延期します

参りました!

 

先日、現代このブログ欄にシルクロード研究会の開催を書いたのに、延期の連絡です。

1週間ほど前から「せき」が出て苦しみました。現代シルクロード研究会のときでも声が出ないだろうとの判断で、延期を決めました。

先週の土曜日には市の高齢者無料医療診療〜〜〜で近くの町医者に行ったのですが、その時にも症状を訴えたのですが、咳止めの薬をくれただけでした。

 

今回の風邪は激しい咳が出ます。あまりにも激しい咳が出るので、おなかの下の方、腹筋のあたりが筋肉痛を起こしたほどです。ベッドに横になると咳が出るので寝ていられません。階下に行って撮りためてある映画などを見て夜を過ごしています。

10年ほど前に撮影したホータンのポプラ並木です

 

 

きのうの朝、友人の看護師さんに電話で様子を話したのですが、声が出ないのです。ロクに話もできません。でもやっと話せた内容を聞くと彼女は言いました。「野口さんも年なんだし、何があるかわからないから病院へ行った方がいい」とのことでいきました。うちの奥さんからも言われたのですが「大丈夫だよ」といって行かないことにしていたのに・・・

 

声帯がいかれてしまって、声が出ないのです。会議の欠席連絡をしても、一目で(いや、ひと言で、)風邪だと分かってしまいます。

病院の待合室でフェースブックを見ていると、大阪の友人Sさんも私とまったく同じ症状。激励を送りました。“大阪からウイルスを送るな!”と。

同じころ ウイグルの老人の歩く姿

 

予約していないのでだいぶ待たされましたが、診断を受けました。様子を聞くと「ただの、のど風邪ですよ」とのこと。単純な私はこれで、すっかり治ったような気になってしまって、帰りは“ルンルン”気分でした。と言っても、うちの奥さんの車が送り迎えしてくれたのですが。

でも医者に聞きました。「この風邪はいま、流行しているんですか?」と。しかし彼は言いました「だいたい、風邪で大学病院に来る人は少ないですよ」。

 

先日も書きましたが、モンゴル研究の2回目は、かなり苦労しましたが自信を持って発表できるものでした。残念ながら3月にお預けです。

母親が生きている頃、私が風邪をひくと「カゼで酒も飲めないくらいだと心配するけれど、今日は酒を飲んでいるから大丈夫」と言っていました。でも、きのうは飲めませんでした。お酒がほしいと思わないのですね。

 

というわけで、1月28日(土曜日)に予定していた「現代シルクロード研究会」は3月に延期いたします。申し訳ありません。

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今年もよろしくお願いします。

 2017年の新しい年があけました。

 今年もよろしくお願いいたします。

 昨年はブログを大幅にさぼりました。“今年は改心して書きます”などとは決して申しません。気の向いたときにせいぜい一生懸命に書きます。

 

 きのうは恒例の息子と娘夫婦一家が来ての新年会です。

 どういうことか、毎年、幡ヶ谷にいる婿殿の母親がついてきます。「一人暮らしだからおせち料理をつくるのも面倒なので、野口家のおいしい料理が楽しみで来ます」ということです。昨年までは婿殿の弟までがついてきていました。

 三鷹の法律事務所は娘が所長で婿殿が所属弁護士。子どもの保育園の送り迎えがあるので所長を分担しているらしい。仕事が軌道に乗っているのかどうか、聞いたことはありません。

 

 正月でも何でも主役はやはり孫娘です。

 以前、「サンタさんには何をお願いするの?」と聞くと「リカちゃんハウスの広々ゆったりキッチンなんとか・・・」をお願いするといいました。私は車の運転中でしたが、大声で「サンタさんお願いします!!というと「おじいちゃん、サンタさんには大きな声を出さなくてもいいの。ちゃんと聞いてくれているから大丈夫よ」とやさしく諭されました。

 

 年末は初めて親から離れて尾瀬の方へスキー合宿へ行ったそうです。「リフトで一番高いところまで行って、ボーゲンで滑ったよ」と一人前のことを言います。夜の交流会で教わったダンスも披露してくれました。指導員のお兄さんに恋をしたそうです。月日の立つのは早いものです。彼女は4月には一年生。

アフタースキーで教わったダンスを披露してくれました。

左はお父さん。孫娘にお父さんがいると、おじいちゃんには近寄りません。

私のライバルは、彼女のお父さんです。

前歯がぐらぐらしているとのこと。もう大人になるのかよと

少々寂しくなります。

 

 息子は昨年、やっと念願のドローンの会社を立ち上げました。テレビでも紹介された西ノ島をドローンで撮影することに成功し、12月には、山岳遭難者を発見する競技大会(?)で並み居る人たちを引き離して優勝。賞金50万円を獲得しました。「親父に10万円位おとしだまはないのか」というと、「経費やスタッフの慰労でほとんど消えちゃった」とのこと、やっと経営者の自覚が出てきたようです。

 

 私と一日違いの誕生日で45歳になる息子ですが、きのうは、テーブルのものを片づけるし、両親からのたまりにたまったパソコンの質問の講習会、パソコンで教えてもらいたいことが盛りだくさん。ひとつひとつ丁寧に答えてくれます。今までなかったことです。少しは成長したようです。「そんなことなら、この家に住めよ」といいたいくらいに聞きたいことがたまっていました。我がワイフは、パソコンやスマホの使い方を教わることにかこつけて、夜中の12時頃まで息子にまとわりついていたようです。 

 

 そして、きょうは日本シルクロード文化センター役員会のみなさんを中心にした新年会をわが家で開きます。

明日からはまた通常の毎日です。1月末の「現代シルクロード研究会」では、今年一年間通して講義を開く講座での発表。2月15日には、武蔵野市の老年・壮年の市民講座でシルクロードの講演会、この2つの講演の準備中ですが、それ以外にも昨年から引き受けた全国的な交流組織の事務局長としてのハードな仕事も待っています。仕事といっても無論、無給です。

 

 トルコでのテロ、新疆での連日の暴動まがいの事件、地球各地で悪政と圧政に抗する市民の闘いも激しくなるでしょう。そんな今年ですが、荒波を乗りきっていくことにしましょう。

 

 そうそう、4月から5月にかけては、ウルムチからマイカーでローマまでシルクロードを行く車の旅に参加することになりそうです。約1カ月半、ウイグル人や漢人と一緒です。それより車をどうしようかと思案中です。

 2月で74歳。今、わたしは人生の全盛期です。

トルファンの私の友人の姪っ子たち。一人は今、カナダに留学中。

可愛い娘たちです。

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わが友・田部井淳子が死んだ!

 

2016年10月23日 野口 信彦

 

 夕べのニュースで田部井淳子さんの死を知った。

 ガンであることは知っていたが、衝撃であった。

 

 田部井淳子さんは「女子登攀クラブ」の一員として1975年、エベレストへ行き、雪崩事故の関係で登攀隊員になり登頂を成し遂げた。その「田部井淳子」は、一躍世界中から注目を浴びるようになった。

エベレスト登頂の瞬間の田部井淳子さん。

(女子登攀クラブ提供)

 

 その彼女がガンで亡くなった。77歳である。あと10年は生きていてほしかった。ガンであることを知ってはいたが、「死」とは無関係だと思い込んでいた。

 

 9月11日には尊敬していた加藤九祚さんがウズベキスタンの発掘作業先で大往生を遂げた。8月24日にタシケントの空港でお会いしたばかりだった。

 また先には、日本勤労者山岳連盟創立者の伊藤正一さんが死んだ。黒部の山賊とも仲良く、北アルプスの三俣山荘や水晶小屋を経営していた。政府の山小屋撤去命令に抗して、労山は長年、「守る会」を組織して戦った。伊藤正一さんは、イギリスの貴族から始まった近代登山が、日本では一部のエリート層だけのものであってはならないとして、「日本勤労者山岳会」を1960年に立ち上げた。

 

 次々と身近な人が、私たちと幽明境を異にしていく。たまらない気持ちである。

 

 私が田部井さんと初めて、親しくお付き合いするようになったのは1990年の「HATJ」(日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト)を立ち上げる2年くらい前の準備段階からであった

 毎週水曜日の夜、原宿の、いま、もっとも賑わっている小さな“なんとか通り”にあった神崎忠男氏(現会長)の自宅だった。そして私に姉のように接してくれていたのが、田部井淳子さんであった。気安く人なつこい田部井さんとはとても気が合った。

 

 私は日本勤労者山岳連盟=略称・労山を代表して準備会議に参加していた。この団体は私たち労山と日本山岳協会、日本山岳会、日本ヒマラヤ協会との山岳4団体でつくりあげることになっていたからである。無論、対等平等の満場一致制であった。

 

 当初、田部井さんは労山の団体名を誤解して「日本労働者山岳同盟」と呼んだ。まるで、山岳パルチザンかゲリラ組織のような印象があったのだろうか。「違うよ田部井さん、労山ができた当初は、国民の大部分は勤労者だからそういう名称になったんだよ」と説明したが、どこまで理解してくれたか疑問ではある。

 

 朝日の記事では、長野県の信州大学山岳部を出た近藤幸雄が、田部井さんに関する詳しい記事を多くの紙面を割いて書いてくれた。感謝したい。田部井さんのご主人も同じ大学だった。

きょう10月23日の朝日新聞

 

 日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラストの立ち上げは、田部井さんの母校、昭和女子大の人見絹江記念講堂で国際シンポジウムとして開いた。この国際シンポジウムの準備では、皇太子出席問題※でひと悶着があったが、エベレスト初登頂者のヒラリー、超人メスナー、仏・シャモニーの市長も務めたボニントンら華々しい顔ぶれの出席で大成功をおさめた。

 

※国際シンポジウムに日本山岳会の一部役員が、無断で“ヒラリーさんに会いたがっている皇太子さんに出席していただく”と発表したので問題にしたのである。私は「皇太子さんが出席することに反対なのではない。物事は満場一致で決めるという約束にもかかわらず、この会議に無断で進めたことが問題なのだ。皇太子さんが日本山岳会の一会員として参加するのは何ら問題がないが」と主張した。結局この主張が通ったが、日本山岳会など既存登山界にはそのような陰で動く勢力がまだ数多くいたのである。しかし、それに批判的な若い役員が存在しているのも事実である。

 

 ヒマラヤの自然保護だけでなく、日本でも実践しようと第1回清掃登山が丹沢で行われた。このときもずっと田部井さんと一緒だった。懐かしい思い出は、まだまだある。

 

 その後私は、1996年の夏、かねての念願であったチベットのカイラスへの山登りに行った。日本山岳会の根深誠氏らと一緒だった。だが、残念ながら、連日10回以上にも及ぶスタック(車が川にはまって身動きできなくなる状態)の連続で、食料と燃料が尽きて敗退した。四川省の成都から入った私たちの帰路はネパールだった。

 

チベットの聖なる場所に掲げられるタルチョ

シーシャ・パンマのベースキャンプ(5000メートル)で

1週間ほど停滞した

車がスタックすると、巡礼途中のチベットの人たちが、

氷河が解けた冷たい水の中に入って救助してくれる。

ヒューマニズムという精神で・・・

チベット高原を走ると、毎日毎日、このようなスタックが続く

座席に座っていて、おへそまで水が上がってくると、

屋根に脱出しなければならない

 

拙著『幻想のカイラス−不思議の国チベット・ランクル紀行』(東研出版、98年8月発行)に、以下の文言があった。

 ネパールと中国・チベットの国境である「ニエラム」で休憩をしていると、見たような女性登山者がいる。「田部井淳子さんじゃありませんか?」。怪訝(けげん)な顔をしていた彼女は、ややあってから「どなた様ですか?」、「野口ですよ!労山の野口」。「あ〜あ野口さん。日本でなかなか会えないのに、こんなところで会えるなんて。でも、チベット人みたいね、真っ黒になって」。私の顔が日焼けして真っ黒で見分けがつかなかったようだ。

 彼女はこれから登りに行くといっていたが、帰国後、登頂に成功したあいさつの絵ハガキが来た。文中から引用した。

 

 まだまだ思い出は尽きない。10月29日の講演の原稿書きやレジュメづくりなどで超多忙なのだが、きょうばかりは田部井淳子を悼むことを書かなければならないと感じた。無念である。

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さあ〜アンコール・ワット観光、だが、その前にー13

5月7日

いつも部屋は、こんな具合です。

ホテルのフロント

 

 旅の途中で、日本の旅行社に連絡してホテルを抑えてもらっていた。きょうはアンコール・ワットの観光である。ここばかりはガイドがいないと何にもわからないのでガイドをお願いしてあった。きょうは「セデナ」というガイドが来る予定であった。だが時間になってもガイドが来ない。ガイドのセデナの電話番号はあらかじめ知っていたので、フロントから電話をしてもらった。すると彼は「聞いていません」という。すると入れ替わりにホテルに日本人が走りこんできた。

ロビーから玄関を見る

 

 彼は日本人経営の旅行会社シェムリアップ支社の日本人社員であった。「申し訳ありません。野口さまが見えることは知っていたのですが、ガイドと車の手配を忘れていました」。「じゃあ、君は私がここへ来てアンコール・ワットを刊行するというのに、何をするのかぜんぜん考えなかったのかい?」「完全に忘れていました。申し訳ありません」という。「観光を案内する会社が、基本的なことをやらなかったんだね。それがプロの仕事か!」と一喝。そして彼に、「家族はいるの?日本へはどれくらい帰ってないの?」とやさしく声を掛けた。脅かしておいて、優しい声を掛けるのは、あまり性格の良い人はしない。

掃除の女性

 

オトシマエ

 だが私もそれだけで終わらせるような男ではない。仕事をミスした会社に黙っていない。次のような条件を提案した。

  • きょうアンコール・ワットへ行くが、明日のアンコール・トムの観光にも車とガイドを提供すること。
  • 9日にこのホテルをチェックアウトするが、午後2時半まで部屋で大相撲をテレビを見ていたい。その分の料金も保証すること(シェムリアップの午後2時半は、日本の相撲中継の終わる午後6時だから)。
  • 9日にラオスまで空路でいくが、空港まで私を車で送ること。

 を、提案した。結果は、すべてOKだった。私はなんとあこぎな人間なのだろうと、かすかな反省を感じていた。

 

 彼は合わせて「きょうのドリンクは私どもが支払わせていただきます」というので、「じゃあ、これからビールを10本飲むからね」と冗談を言うと、それも本気に受けとめて「はい、それもけっこうです」という。

 ついでに、「明日は博物館もご案内いたしましょうか」とまで言ってくれた。私はとんだ乱暴者のようである。

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慟哭の村 キリング・フィールドの沈黙ー9

民主カンプチア時代のポルポトによる大虐殺があった場所のひとつ、キリング・フィールドへ行く。市内から南西へ12km。トゥール・スレン博物館に拘置された人びとがここに運ばれ、1975年から1978年にかけて、ポル・ポト派によ

 り約2万人の人びとが虐殺された現場である。

 

 ガイドがいないので困っていたが、幸いなことに日本語音声のガイドがあったので助かった。ナレーションの日本語が「ここはほかの博物館と違って、皆さんを楽しい思いにさせることができません」と言う。まわりのあちこちにある小さな木の札には「沈黙を」とある。入場者はほとんどすべてが欧米の外国人。それまでほとんど街中で見かけることがなかった欧米の外国人である。その中にはチラホラ日本人も見える。そしてほとんどが沈黙のままである。イヤホンガイドを聞いているからだが・・・

 

 

あちこちに虐殺されて遺骨が発掘された跡がある

 

 私はポルポトがいかに残虐な大虐殺を行なったかを知っている。

 カンボジアの全国各地139ヶ所にわたって、この種のキリング・フィールドがあることも知っていた。

 だが、実際に敷地の中央に1988年に建てられたガラスの塔の内部に、9000近くの頭蓋骨や肋骨などの人骨があることは知らなかった。その人骨の山を見たときの衝撃は忘れることができない。いまでもこの全国各地のキリング・フィールドを含めた全土には、まだ掘り出されていない遺体が無数にあるという。

中央にある記念塔。このガラスのなかに無数のしゃれこうべが陳列されている

 

 

カンボジア暗黒の時代

 

 1975年4月1日。クメール共和国がクメール・ルージュに敗れて、その日のうちにロン・ノルはハワイへ亡命。12日、アメリカ大使もヘリコプターでタイへ脱出した。

 

 4月17日、クメール・ルージュが首都プノンペンに入場した。その後、新しい支配者は「B52の爆撃を避けるため」というデマを理由にして、都市住民を強制的に農村へ移住させた。これには例外はなかった。住民は妊婦も病人も炎天下を歩かされて、多くの死者が出た。

ポルポトの軍は、トラックに乗ってやってきた。

強制退去によって200万人いた首都プノンペンはゴーストタウンと化した.

(インターネットから)

 

 

 7月1日、「民主カンボジア憲法」を公布して、国名を「民主カンプチア」に改称した。その新しい支配者となったクメール・ルージュは、貨幣制度の廃止、都市住民を農村へ入植させて強制労働などという、極端な「原始共産」的な政策を実行した。

虐殺は「無造作」に行なわれた。銃弾は高くつくので、

農機具で撲殺されたという

 

 

 大虐殺の対象は旧政権関係者、都市の富裕層や知識人、学生、外国へ留学した経験のある者、クメール・ルージュ内の親ベトナム派などは例外なく虐殺された。“反乱の疑いのあるもの”と認定されると、政治犯収容所(現在のトゥースレン虐殺博物館)などに収容され、その人たちも例外なく虐殺された。

 

まだ掘り起こされていないのだろうか。

 

 1975年から79年のポルポト時代の4年間は、中国の毛沢東の思想を教条的に反映して「農本主義」的な政策が採られたが、このような政策がうまくいくはずもない。結果、そのような非効率・非合理主義によって大干ばつをもたらした。出生率の低下、飢餓と虐殺、マラリアの蔓延などが主な原因とする。その数は、いまだに正確な数は把握できていないが300万人を超えていると思われる。200万人説もある。いずれも資料のほとんどが焼失されているため正確な数字がわからない。1960年代に行なわれた国勢調査の人口と最近の人口調査で、比率としておおよそのパーセントがわかるということを聞いた。

ここにあった小屋にある農機具で殺された

 

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