シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
希望のある年にするか、それとも・・・・

新年のご挨拶を申します。今年もよろしくお願いいたします。

 

今年2020年は、言うまでもなく東京オリンピック・パラリンピックの年です。

スポーツの分野で活動している私は、かなり緊張した一年になります。

シルクロードの分野では、今月11日には「日本シルクロード文化センター」の年1回の総会があり、午後には再三お伝えしている、「シルクロード講座」の渡辺一枝講演会があります。

 

2つの分野での活動を支えてくれる正月は家族のきずなが高まることにもなります。

もう恒例となりましたが、正月2日は、昨年1月5日に再婚した長男夫婦と長女夫婦が孫と婿殿の母親ともども来宅します。長男の嫁さんとしては今年が初めての来宅です。息子と同い年の彼女はかなりの美人です。

プロカメラマンでドローンの会社経営の息子とお嫁さん

 

長男の妻はやはり再婚で、大学生のイケメンの息子が2人います。

彼女はフエルト作家というのか、羊毛でスイーツやあれこれをつくって教えています。『福田りおの羊毛フエルトテクニック』などという本も出しています。

かなりのお弟子さんもいるようで、都内各地で教えるとともに香港・上海・パリやドイツなどでも毎年、講習会や発表会か何かを主催あるいは主宰しているようです。

私はその方面はまったく関心がないのですが、それらしきことをフエースブックに載せるので、知っています。

 

娘夫婦もこの日は一日我が家で過ごします。どういうことか婿殿の母親もいつも一緒です。以前は婿殿の弟まで来ていました。「独り住まいだからおせち料理をつくる手間を省く」ために息子夫婦と一緒に来るそうです。そんなことを平気で言う明るいお母さんです。わがワイフと同じ年ですが、勤めていた学校の卒業生だったとのこと。

花粉症の時に着けるゴーグルで遊ぶむすめと婿殿

 

孫にお年玉をプレゼントすると、今年は私たちの目の前で金額を確かめることはしませんでした。初めて成績表を見せてもらいましたが、左側に〇が並んでいました。

おばあちゃんのお面をつけて遊ぶ孫娘

私の左手側が婿殿の母親。

 

ところで、今年のシルクロードはどうなるのだろう。

すでにウイグルの地は“阿鼻叫喚”の地となっており、中央アジアの状況は変化がなく、中東方面は米軍のイラン司令官爆殺事件で戦争のきな臭いにおいがますます強くなってきています。

 

そして地球人類の誰もが逃れることのできない気候変動の危機が日一日と迫りつつあります。

このことについては「分かっているけどどうやったらいいかわからない」という人がほとんどです。

それには私たち一人一人の身の回りから気候変動の危機を頭に入れて取り組むしかありません。しかし、それ以上に重要なことは、毎日、莫大な量の“気候変動の種”をまき散らす企業に規制を加えることのできる政府の役割と仕事があるということです。

 

環境相がCOP25の会議に出席して、ろくなことも言えないで帰ってくるような政府では、何も期待できません。おまけに2回も「化石賞」を授与されるなど、日本政府の恥を世界に振りまいてきたような「仕事」も果たしてきました。それどころか結婚前の不倫の恋やあれやこれやのスキャンダルを週刊誌に暴露されて仕事もできないことになるでしょう。

 

昨年は私の多くの友人たちが亡くなりました。とても悲しいことですが、しかたのないところもあります。

とてもおめでとうを言える状況ではありません。

 

しかし、愚痴ばかり言っていても仕方がありません。

そのような状況からも何か明るい僥倖を見つけて前に進んでいくしかありません。

模索の中から未来を探し出すしかありません。

そんなところから、今年もよろしくお願いします、と言います。

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巨星堕つ!

中央ユーラシアで、私が行ったことのない国にアフガニスタンとイラクがあります。行ける条件が整えば必ず行きたいと思っている国でしたが、そのアフガンで人道支援活動を長く続けてきた中村哲医師が銃撃されて殺害されました。

殺害された中村哲医師

 

はじめは“命に別状はない”との報道でほっとしていたのですが、追いかけるようにして「死亡」の報。“そんなバカな!”という気持ちと“ついにそのときが来たか!”という両方の意識が頭の中を駆け巡りました。

アフガン東部ナンガルハル州ジャララバードで銃撃・殺害された中村医師を追悼する人びと

 

 

私にはメールや電話で多くの友人から急報が寄せられました。女性でヒマラヤ登山家の友人、アフガンの音楽を追求している友人夫婦、シルクロード研究者や多くの友人たちからです。

 

中村氏の業績や活動内容は、きのうきょうの報道で多くの日本人が知りました。各界の友人・知人たちも多くの哀悼の意をささげています。

ですからその内容をここで語りはしませんが、日本人が海外へ出て、あのような活動をする人は稀有です。わたしもそのような一員になりたいと思ったことがありましたが、“できない条件”があまりにも多く、夢は叶いませんでした。

 

今はただ、中村医師に続く、意志のある方がたの出現を願うばかりです。

第二第三の巨星出現を待ち望んでいます。

 

心から哀悼の意をささげます。

 

12月5日  野口信彦

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八千草薫さんと私とのつきあい

わたしが最も好きな女優は吉永小百合であり、八千草薫さんでした。

八千草薫さんと「さん」付けするには、十分な理由があるのです。

その理由のひとつは、私より高齢であるということ、日本の映画や芝居という文化分野で多大な貢献をしてきたことがあり、最大の原因は「美しい」ということです。

 

と、ここまでは誰でもが言えることなのですが、あまりみなさんの知らないことをおはなしします。

私の現役最後の仕事は「日本勤労者山岳連盟」(略称・労山)の専従事務局長だったのですが、八千草さんの亡き夫・谷口千吉監督は、その労山創立の呼びかけ人だったということです。無類の山好きで、彼女と結婚してからも自然の中に分け入り、妻の力量にあった山登りをしていました。

 

もう30年近くになるでしょうか、わが団体の機関誌に谷口千吉さんの思い出を書いていただこうということになり、八千草さんに書いていただきました。それ以来、わたしの“恋の炎”は消えることなく燃え続けているのです。彼女の経営する拙宅近くの成城の小料理屋へ行ったこともあります。もちろん、彼女はいなかったのですが、素敵な雰囲気のお店でした。

 

そのすぐ近くに石原裕次郎の豪華な家があります。いまは奥さんが一人で住んでいて、成城で買い物をすると目立つので狛江まで来て買い物をするとワイフから聞いたことがあります。

                                       

むかし、TBSテレビで多摩川の狛江市内の決壊の被害を扱った「岸辺のアルバム」というテレビドラマがありました。わたしは毎日が多忙で一度も見ることがなかったのですが、当時は大評判だったようでした。八千草さんは、その多摩川の自然の中に分け入って歩いていたということも最近知りました。

 

友人に私の住まいを聞かれて「狛江」というと、よく「あ〜、あの岸辺のアルバムの狛江ですね」と言われました。そのほかには「バカラとばくで捕まった市長のいた狛江ですね」ともいわれるし、「共産党員市長のいる狛江市ですね」とも言われますが、わたしは「超高級住宅街の成城学園の高台からガクンと落ちた先の狛江」だとも言います。

 

共産党員の矢野市長(だった)とは古くからの友人でしたので、夜になって「夫婦で飲もうよ」となって、楽しく話すうちに気が付いたら朝だったということもありました。

バカラとばくの市長だった人物は高橋三雄氏でした。そしてその当時、私は山登りの会「狛江山遊会」の会長でした。あるとき駅近くから自転車で帰宅するとき、無灯火でした。それまで20〜30年も無灯火で乗っていました(よくないことだと、今では反省しています)。その時、警官が私を止めて「罰金だ」とかなんとか言い出しました。わたしはジョークのつもりで「おれは狛江山遊会の会長だぞ!」というと、その若い警官は私を石井三雄氏の後援会長かと勘違いしたようです。「失礼しました」で終わりでした。でも私は「でも交通違反だろう?」といっても、「どうぞお帰り下さい」というばかりでした。権力者に媚びるということは、こういうことだなと痛感しました。

 

その多摩川水害の被害者たちが国を相手に裁判を起こし、その多摩川水害訴訟団として事務局長に吉沢四郎の名前で活躍したのが、ペンネーム土井大助さんだったのです。

2014年に死去する前の土井さんとは主には居酒屋の付き合いでしたが(でも拙著の推薦の言葉なども寄せてくださっていました)、前年に亡くなった奥方の死を毎度毎度、嘆き悲しんでいました。そのとき私は、このような夫でいたいなと思ったものでした。

 

でもその前に、1960年代後半の中国の文化大革命の際、私は北京で日本人紅衛兵たちによる暴力や脅迫などによって生か死か、という状況の時、土井さんは同じ中国の大連にいたことを後で知りました。

 

八千草さんの自宅は、その成城でしたし、小料理屋さんもその近くでした。その関係で岸辺のアルバムのロケの前後には、狛江の多摩川土手をよく歩いていたそうです。そのように自然が好きだったそうです。

緒方貞子さんも亡くなって、そして私の親しい先輩や友人たちも亡くなって、「その人の生涯はどのような人生だったのだろうか」と思いこむことが多くなってきました。「自分の人生はどうだったのだろうか」という思いとともに、「この先何年あるかわからない自分は、いかに生きるべきか」ということを、ことのほか痛切に考えるようになりました。

 

きょうは、思いが余ってか話があちこちに飛びましたが、八千草薫さんと私とのお付き合いはそれだけのことでしたが、哀しく、寂しい想いがするばかりです。

それに輪をかけて悲しかったことは、沖縄・首里城の焼失です。

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金婚記念のチベット・アムド旅行

ロンウ―寺

前回の本欄の内容で訂正です。

ドライバー君のお宅でごちそうになった夜のことです。あとからドルチェから聞いて知ったのですが、ノコちゃんから指示された金額のお礼を支払おうとしたら、断固拒否されたとのことです。「お客さんをお招きしてお金など受け取るわけにいかない」ということでした。もう一つあとから聞いたのですが、私たち夫婦のお礼の気持ちもうちの奥さんがお渡ししたとのことです。さすがです。

でも丁重に断られても、なんとかして手輪渡すのがガイドの仕事なのに、彼女はそのまま「はいそうですか」とひっこめてしまったのですね。しようがない人ですね。

 

翌日はいよいよ西寧の街に向かいます。

最初はロンウ―寺(隆務寺)です。

このお寺もラプラン寺と同様、限りなく広いお寺です。今回は説明を省きます。といっても今回は何人もの方がたを引率しての旅ではないからと安心してあまりメモを取らなかったのです。

ここがロンウ―寺の正門です

 

「五体投地」

このお寺の特徴のひとつは数多くの「五体投地」の場所があるということです。

入り口の近くのお堂には、主婦や子どもあるいはおなかの大きい女性や老人の男女ありとあらゆる年代の方がたが、回っています。正確に言うと五体投地ではなく、お堂をグルグルまわることだけです。

その代わり、入り口から出て道路を挟んだ広場は広々とした五体投地の場所です。まずは写真をご覧ください。

 

入り口から入ったところで子どもを遊ばせながら手仕事をしているお母さんが居ました。それよりそばにいた2〜3歳の男の子がなんともかわいくて彼の写真ばかり撮っていました。

彼はこのあと、私を履き出そうとしていました。ニコニコとして

 

道路の向こうの五体投地の広場に出て、遠くの高台などを見ていると突然の爆発音。爆発か!と驚いてみていると、なんと爆竹を大量に爆発させているのです。白、黄色、赤、紫といろいろの色がついています。

色とりどりの色で華やかです。でもご近所はうるさいでしょうね。

 

 

振り返ってお寺を見てみると、お寺の後方にはところどころ小さな建物があります。五体投地を休憩している人に聞いてみると、あれはお寺の現役を退職した人たちの家だそうです。日本で言えば、年金生活をしていて、養護老人ホームに入るまでもないような人の家です。

どこのお寺でも「養老院」と書いた施設があります。結婚をしないで仏教の道を歩んできた人ですから、それくらいのことはしないといけないですね。

後ろの山のどこかに「鳥葬」をおこなう場所がありました

 

 

五体投地をしたことはありませんが、私にとってはダイエットができていいなと思います。全体重をかけて腕で体重を支えて、次は反対側の筋肉を使って立ち上がる。

しかし、そんなことを言って失礼です。それぞれの人が、様ざまな悩みやダライ・ラマと心の中で対話できるという喜びなどを感じながら歩き、礼をささげているのでしょう。わたしもついに彼らと一緒になって5〜6回、歩きめぐりました。

これはお寺の中の礼拝堂です

お寺の外の五体投地をする場所です

 

お母さんに連れられてきた子どもたちも、ときには一緒に五体投地をしています。わけの分からないままに五体投地をする子どもや、多少は理解できて礼をささげる子もいるでしょう。なんともゆったりした風景です。

 

 

しかし、チベット人が焼身自殺するのは、チベット自治区ではなく、この青海省だといいます。ラサの街で6人縦隊の隊伍を組んで行進する武警があちこちにいます。最後尾の一人は必ず消火器を持っています。すべてあれは見せかけのパフォーマンスだということがよく分かりますね。それを考えた軍の幹部はそういうことが分からないのですね。

なかなかおしゃれなシティガールです。最近は、ちょっと着替えれば西寧や上海を歩けるような服装の女性が多いです

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いま、改めてスポーツ・オリンピックを考える

 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開幕まで、1年を切りました。

しばらくぶりのこのブログでは、中央ユーラシアの歴史や様々な出来事を発信してきましたが、私のもうひとつの「本職」はスポーツやオリ・パラなどです。本職と言っても賃金を得る職業ではなく、スポーツ運動やスポーツ研究者としてスポーツの様々な場面で参加しているものです。

 

オリンピック・デーをご存じですか?

 

 皆さんは6月23日という日が何の日なのかご存じでしょうか?

1994年に制定された「オリンピック・デー」なのです。

 第二次世界大戦後の1948年、国際オリンピック委員会(IOC)は第42次総会において、1894年6月23日のIOC創設を記念し、ここで近代オリンピックをスタートさせることを決めた日です。そしてこの日をオリンピックデーとすることを決めました。

 「スポーツを通じて相互理解と友好の精神をつちかい、平和でより良い世界の建設に貢献する」というオリンピズムの普及と、さらなる理解を得るための活動がオリンピズム・ムーブメントです。世界各国のNOCは、そのために様々な活動を行っています。

 

オリンピック・ムーブメントの頂点はオリンピックの開催です。

 オリンピックの開催は、人びとに大きな夢を与える最大の祭典です。同時に、オリンピックの基本精神と理想を多くの人びとに理解してもらう最高のオリンピック・ムーブメントでもあります。

 

 なぜ、「五輪」というのでしょうか?

 これは事情を知れば、“ああ〜、なるほど”と思います。今は亡き川本信正さんというスポーツ評論家がいました。元読売新聞の記者でした。川本さんがスポーツ記者の頃、オリンピックという文字を書くときにかなり字数を取ることに悩み、なんとか短く書く方法はないものかと考えた結果、五輪マークからヒントを得て「五輪」としたことが始まりです。

 私も川本さんの生前、何度もお話を伺うことがあり、そのことは知っていました。最初にお会いしたのは1970年代の初めころだったと思います。

 私たちは1965年11月に「新日本体育連盟」という、体協(日本体育協会、現在の名称は日本スポーツ協会。わたしたちはすでの20年以上前に「新日本体育連盟」から「新日本スポーツ連盟」とその名称を変更させています)とは全く性質の違うスポーツの全国組織を発足させました。基本的な考えは「いつでもどこでもだれでもがスポーツを」と「スポーツは平和とともに」でした。川本さんはこの全く新しいスポーツ団体の誕生を見て、「東の空からスポーツの希望の星が日の出のように昇った」と述べて感激したそうです。わたしは創立の年の2月に、その分野で働くために、北京体育学院(現在は、北京体育大学)留学したのです。

 

 もう少し話を進めます。

 オリンピックを開催するのは国ではなく「都市です。

またNOC(国内オリンピック委員会)は、IOCの下部団体ではなく平等の立場です。スポーツは誰に対しても平等だという考え方から来ています。ですからIOCが認めていないNOCやIF(国際競技団体)も存在しているのです。

 

 もう少し話を進めます。

 1983年のIOC総会で、当時のサマランチ会長は、1976年のカナダのモントリオールで開催されたオリンピックが財政的には大失敗し、42年が経過した2019年の今もその負債を市民が返済しているという事態に考えが至ったようです。

「スポーツで平和を守れるのであれば、オリンピックは残さなければならない」という考えから「プロを導入する」方向に大胆に舵を切ったのです。しかし、プロを導入したことからくる、「負の遺産」も大きく残されているのも事実です。アメリカのテレビ局の時間が最優先されるような・・

 最後に。オリンピック・ムーブメントの真意は「平和と友情」です。主催の東京都と組織委員会は、あまりそのことには熱心ではないようです。そのことよりも、1945年までアジアの各地を日本侵略軍が襲って各地・各国の人びとを虐殺した象徴であった「旭日旗」をオリンピックに持ち込もうとすることのほうが熱心なようです。

 さらに、この「平和と友情」の精神が欠けた国際大会では、ただの世界選手権になってしまいます。「戦争をやめよう、軍隊を持たないと世界に宣言している日本という国が、わざわざその憲法を変える必要は全くない」ということも大切なのですが、そのこともあまり多くは語りません。

 繰り返しますが、オリンピックの基本は、平和と友情なのです。

 

 

 

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