シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
我々はなぜ、シルクロードの旅行を中止したのかー1

下記は、シルクロード・ツアー参加希望者へ送った手紙です。諸般の事情から一部内容を変更しています。

 

 

シルクロード・ツアーに参加を申込まれたみなさまへ

7月5日から実施予定の「シルクロードの真髄を極める旅」を中止いたします。

2017年5月21日  

日本シルクロード文化センター代表・野口信彦

 

大変残念ですが、シルクロードツアーの中止をお伝えしなければなりません。

 5月10日のツアー申し込み締め切り日を前後して、飛行機の予約確定や新疆各地のホテル予約など様ざまな手続きのために、正式の申込書やパスポートのコピーをお送りしていただくなど、あわただしい日々がありました。

 そんな5月16日、こんどの旅のお世話をして下さっているウルムチのNさん(私の30年来の友人です)から切迫した電話がかかってきました。

 「野口さん、今度のツアーをキャンセルしてください。私の職場に安全局がいつ来るか分からない状態です。」と言うのです。私は始め何のことかわかりませんでした。

きょうの写真はすべて、イメージ写真です。これはベゼクリク千仏洞

 

 

 中国新疆ではいま、中国政府によるウイグル人への激しく厳しい弾圧があります。これはチベットでも同様です。ですから、普段からウイグルとチベットへ行くにはかなり厳しい「審査」があって実現しています。そのNさんに危害が及ぶ状況になっているとのことなのです。

 

 勿論、電話もメールもすべて盗聴・盗視されている状況下ですので、私と彼との電話の会話でも率直な会話はできません。内容の真の意味は分かりかねたのですが、どうやらNさんが当局(国家安全局。戦前の特高警察以上の弾圧組織)の「審査の対象」になっていて、きょう明日にも職場へ乗り込んできて連行される状況だということが、ようやく理解できました。通常、新疆では“安全局に連れていかれれば、ほとんどの人は生きて帰ってこられない”といわれています。彼は「毎日、ドキドキしながら出勤しています」とだけ言っていました。

 電話を聞いて、私は初めてのことなので呆然としました。そして30年来の親友の命が危険にさらされていることにショックを受け、暗澹たる気持ちになりました。

 彼に問い合わせることもできません。

トルファンの女の子

 

 そして、まず今回の参加希望者のみなさんのためにも、せっかく休暇を確保するとかご家族のご理解を得たなどのさまざまな努力の結果ですので、今回のツアーと同日程・同料金以下で新疆とチベット以外のところへ行く方法を考えました。

 

 候補地の一つは、内モンゴルと寧夏回族自治区方面のカラホト(黒水城)を中心とした西夏の各地と敦煌を含めた河西回廊方面です。

 もう一つは、青海省各地のチベット文化の観光地と西沙ウイグル(西暦840年にモンゴル高原の覇者であったウイグルの先祖が、キルギスに滅亡させられた際、キルギスに追われて、新疆ではなく河西回廊方面へも落ち延びたウイグル族の末裔)のいる地域や、蘭州付近の炳霊寺石窟など古代仏教遺跡のある地域でした。

 そして16日以降、必死になって候補地を探しましたが、日程が近づいていることと、Nさんは通常の旅行会社では実現できないような安い単価で見積もっているので、すべてが今回の参加費を越えてしまうことも判明しました。

 

 結論として、日本シルクロード文化センター企画の今年度のシルクロード・ツアーは中止せざるを得ないと役員会でも判断いたしました。無論、このようなリスクを負ったツアーを企画した私の責任は大きいのですが、彼の地の巨大な政治的な圧力のもとでは、如何ともしがたい状況であったことをご理解いただきたいと思います。

ウルムチのモスク

                  記

  • ツアーは中止しますが、今度は野口の個人的なシルクロードの旅を企画してお知らせします。上記2か所を対象として、決まり次第、改めてご意思のある方はどうぞ一緒の旅を楽しみましょう。候補地は前述の地域を考えております。時期は8月頃になると思います。
| シルクロードの光と影 | 09:06 | comments(0) | - |
ウイグル人の歴史・風俗・習慣―71  ハミの帽子商人

 

 ハミのバザールで帽子を売っている夫婦の店に案内された。

 案内してくれた地元の公務員の友人が、自分の妻の両親がバザールで帽子を販売しているというので案内してもらった。そこの夫のほうは60歳前後。名前は聞いたが、ウイグル人の名前は発音を聞き取ることが難しいので、一度聞いたくらいでは覚えられない。

サラちゃんの夫デリシャットとその大学時代の友人たち

 

 「私は祖先の代からずっとここコムル(ウイグル名。漢語でハミ)に住んでいます。1981年までは人民公社や農村で働いていましたが、81年に国から畑や家をもらってから自分で農業をしてきました。しかし農業だけでは生活できないので、妻がカシュガルまで行って帽子作りを勉強して2人でこの商売を始めました。ウイグルの帽子はカシュガルから仕入れて、ハンチングのような帽子は妻が作って売っています。今も農業は続けています。毎年利益が1万5000元くらい出ます。帽子売りも同じくらいの利益が出ますが、今年2004年の売り上げは2000年の半分に減ってしまいました。毎年3万元(日本円で45万円くらい)の売り上げだったものが、今はその半分です。

この帽子屋さんの写真も、パソコンの中の移動の際に失われてしまった。

 

 私は高校まで行きました。生活は厳しかった。今、娘も市の人民政府で働いています。孫は4歳。かわいいので孫が喜ぶものを買ってあげることが喜びです。ほかにほしいものはありません。今が幸せです。

私はたくさん本を読みました。しかし、2002年に病気になり、みな忘れてしまいました。あなたもこのことがわかると思います(認知症のことらしい。でも私は認知症ではない、たぶん)。

 

テレビなどで見ると、ウイグル人と日本人の習慣は同じだ。だから私は日本人が好きだ。いろいろやりたいことはあるが、お金がなければ何もできない。仕方がない」。

 

 農民など一般庶民は、貧困と低学歴が理由なのか、自分の将来、子どもや孫の将来を積極的・発展的に考えるということがあまりできないようである。現状維持からほんの少し上向きになればいい、という考え方が農民や商人たちに支配的なのであろう。

ハミ王陵の前で。

よく見ると、この13年前のズボンは、まだある。帽子はホテルの部屋に忘れたので、ロビーで気がついて部屋に戻ったら、「そんなものはありませんでした」と言われた。まだ掃除の途中なのに〜、である。

 

 

※このシリーズも、きょうで71回目です。ハミまで来てしまったら終わるしかありません。

 事情があって西域南道のツアーが中止になって、河西回廊に変更しました。

 ことのついでに、河西回廊編を始めましょうか?

| シルクロードの光と影 | 07:11 | comments(0) | - |
ウイグル人―70  十二ムカーム保存・継承の悩み

 話はさらに続く。

「ハミ人は昔からメシュレプが好きで、ハミムカームを非常に大切にしてきた。特に、ハミのムカームは新疆のほかの地域とちがって独特なものがある。それはほかの地域のムカームはいろいろな楽器で演奏されるが、ハミムカームはこの胡弓だけをつかい、非常に美しいメロディをつくることができる。ハミムカームはわれわれの宝ものである。わたしたちはハミムカームを発展させるというより、今まさにハミムカームを学んでいるところだと言える。今一番心配なことは、ムカームの後継者がいないということである。

この日私は、メモを取るのに夢中であまり撮影していない。

 

現在のハミムカームのレベルでは満足したくない、もっとより深く研究したい。しかし、経済的な困難もあるし、このハミムカームをもっと研究したいという人が少ない。ムカームをどのようにして発展させるかの問題である。新疆ウイグル自治区政府やハミの人民政府も応援しているが、積極的に努力する人が少ない。だから、ハミムカームはまだ整理されていない。完全には整理されていないため、ほかの民族に強い影響をあたえることができない。ただ、ハミ人の日常生活のなかで、歌ったり、踊ったりすることだけに限られている。

わたしは60年間、このハミムカームをやってきたなかで、かなりの努力が求められものであることがわかった。

 

わたしは、ハミムカームはひとつの学問領域であると考えている。社会の要求によれば、たくさんの若い人材=ムカームシュナス=を育てなければならないことである。わたしは12歳から60歳までハミムカームをやってきたが、まだまだわからないところがたくさんある。わたしは、たくさんの若い者にこのハミムカームを勉強してもらいたいと願っている。もっともっと研究してもらいたい。勉強したいという者もいるが、本格的にまじめに勉強する者が非常に少ない。

この写真は、ずっと今でも私の部屋に飾ってある。

 

ハミムカームの由来といえば、紀元1世紀以前から伝えられてきたものと考えられている。地方・環境・習慣・人によってムカームは何なのかが分からない者も、聞きたくないという者もいる。しかし、ムカームが大好きな人がたくさんいる。ムカームはわたしたちの心に精神的な栄養を与えてくれる。ムカームは本当にウイグル文明の宝である。ムカームの本当の価値をわからないから、後継者がなかなか出てこないのだ。

 

自治区の十二ムカームは整理された。ヤルカンドの十二ムカームが整理されたが、ハミのムカームは特性をもっているため、まだ整理されていない。ハミムカームは非常に内容的に豊かであるから、自治区政府は特別な形で整理することを考えているようだ。

 

現在、各地域のムカームは自治区政府によってほとんど整理し終わった。ハミムカームの整理だけが政府のこれからの仕事であると思う。私はきっとすばらしいハミムカームが世の中に生まれると思う」。

ウイグルの地域文化であるハミムカームの継承者を育成することは、個人の努力だけでは不十分であろう。ハミ政府も努力しているようだが、さらなる前進を望みたい。しかし、ここの胡弓が中国にわたり、日本にも及んでいたとは!!・・・・

サラマットの夫デリシャットを挟んだ二人の老夫婦は

今頃どうしているだろうか・・・

 

※『ウイグル十二ムカーム シルクロード・こだまする愛の歌』が、集広舎から2014年1月に出版されている。ウイグル研究者として長い間、ウイグル研究に携わって来られた萩田麗子さんが翻訳・解説をつとめたおられる。日本では唯一、この本をお勧めである。

| シルクロードの光と影 | 08:54 | comments(0) | - |
―69 ハミムカームの継承と古老の悩み

コムル(ハミ)市内のある団地の5階に行く。そこにはハミムカームの長老がいた。

長老の名前はローゼソフィさん。

 

「ハミの歴史については、自分が生まれたところしかわからない。みんなわたしと同じ考えを持っている。ハミも地域性があるから地域によって生活習慣も違う。ハミの歴史はとても複雑である」といって、ハミの歴史そのものについては結局、話してくれなかった。知らなくて話してくれなかったのか、知っていても話してくれなかったのかどうかは分からない。ウイでも間違いなく話したくなかったのである。ウイグル人はおしなべて歴史を語りたがらない。ローゼソフィさんは、後継者のために「ハミムカーム」をテープに録音して教えているという。

ローゼソフィさんは音楽教室を開いて、伝統を守り抜こうとしていた

 

「1000年前、ムハンマド・カシュガリーは日本を研究し、大陸の一番東に『JAPAN』という国があるといった。だから、そのうち日本人がわれわれ西域人を研究するはずだといった。それはあなたかもしれない。ハミではミイラもたくさん発見された。

 

ハミムカームが今日まで伝えられてきたのは、ハミ王朝のおかげである。1982年にハミで発見されたミイラは、今はカシュガル博物館に所蔵されている。1600年の歴史があるという。わたしが知っているのは、ハミムカームを今まで伝えてきたのは胡弓である。胡弓があってこそ、ハミムカームは今日まで伝えられてきた。昔、漢人がここにきて、この胡弓を見て、今の漢人が使用している二胡をつくった。

 

ハミムカームの特徴は、ただこの胡弓だけで伝えてきたものである。17弦の楽器があるが、これだけがハミムカームに一番ふさわしい。

以前は胡弓の形は簡単だったが、今はいろいろと改善されてこの形になっている。今はこのような胡弓をつくる工場もないし、このような胡弓を作れる人も少ない。今、この胡弓の値段は500〜600元ぐらいする。

以前、ハミのムカームをほかの楽器とあわせて演奏したこともあるが、一番微妙なところまで表現できなかった。やはり、この胡弓だけで演奏したほうがムカームの味が出る」。

誰が写したのか、ローゼソフィさんのおはなしをオスマンが通訳してくれる。私はそれを筆記で記録する。2004年のことである。

帰国後、録音したテープ(通訳の実力を知っていたので)をグリさんに聞いてもらったところ、「こんなでたらめな日本語はありません!」と、オスマンの通訳に怒りを表していた。でも、彼の実力では仕方のないこと。彼女が数カ月かけて通訳・翻訳し直した日本語で後日「シルクロードの光と影」を発刊することができた。

 

 

やがて長老は胡弓を取り出して弾きはじめた。楽器の大きな缶詰のような銅の部分は日本製だという。哀愁を帯びた音色がいつまでもわたしの心に残った。どういうことか、わたしは10数年前に行ったことのある、富山の「おわら 風の盆」を思い出していた。

| シルクロードの光と影 | 04:46 | comments(0) | - |
ウイグル人の風俗―68  野口先生の大歓迎会!

※漢語で「野口さん」のことを「野口先生」という。学校の教師のことではない。

 

ハミの街

 初めて訪れた新疆の玄関口ハミの街は、かなり漢化されているのかと思っていたが、決してそうではなかった。新疆の他のオアシスと変わらない顔をしていた。しかし、街の現代化はすすんでいて、トルファンの街と引けをとらない繁栄ぶりであった。

 

 以前、サラちゃんの夫・デリシャットが卒業した大学がハミ農業大学だった。彼は私を案内するためにわざわざ時間を作ってハミの街を案内してくれたのだ。ともあれ、まずは私を歓迎するための宴会に。市内の緑豊かな一角に宴会専用の建物があり、そこに案内された。宴会場には、彼の大学時代の男女の友人たちが、三々五々集まってきた。

これらの撮影は、私のカメラを持ったデリシャットの撮影である。

彼は農業大学卒だが、機械いじりが好きである。

 

ハミの出前演奏家

出前演奏家のバッタルさん夫婦。

 

ハミ市郊外にある文化宮のような宴会場で友人たちが私の歓迎の宴を開いてくれた時、出前演奏家のパッタルさん夫婦がやってきた。みんなが金を出し合って呼んでくれたのだろう。いや、こちらの習慣では“割り勘”ということはないらしい。誰かが出してくれたのだ。とするとデリシャットしかいないではないか。彼のニキビの痕跡が色濃く残った顔の表情からは想像もできなかったが・・・・・

狃の子は歩き出すと踊り出す”というウイグル女性は、誰でも踊りが好きで、上手である。

因みに狠砲了劼呂靴磴戮蠅世垢伐里い世”である。

 

 

 

夫のパッタルさんは55歳。30年間も演奏をしてきたというが、2000年頃からこのように宴会場で演奏をして稼いでいる。2003年、ハミ市のコンクールで2位になったという。妻のアイシャムグリさん(50歳)は、夫に従って3〜4年前から同じ仕事を始めた。ハミの昔からの楽器・ヤギの皮でできたギジェツキ(ハミにしかない大きな胡弓のような楽器)を夫が、大きなタンバリンのようなダップを妻が演奏する。

大きなタンバリンのような楽器は「ダップ」という。指の叩き方でものすごく大きな音が出る。

私がやっても、当然、かすれたような音しか出ない。

 

 

夫婦の本業は農業だが、収入はプラスマイナスでほとんどゼロだという。それでは生活できないので、1回50元から100元くらいで演奏して収入を得ている。

みんな踊り出し、私も女性たちから踊りに引っぱり出された。

こういうことが苦手なんだが、デリシャットがせっかく準備した歓迎の席。

踊りを断ることもできない。

 

 ここの踊りもハミのメシュレプである。花束を持った女性が男性を誘い出して踊り、しばらく踊ってから3〜4回まわってお辞儀をしてから相手に花束を渡して次の人に移る。それを次々に繰り返すのだ。わたしも少し覚えた。

 

※これらの出来事も、2004年のことである。もう13年も昔のことになっている。

 今年の日本シルクロード文化センターのシルクロード・ツアーも爐△舛蕕療垤”で中止になった。

 そのことについては、書けるようになったら書こう。

 

| シルクロードの光と影 | 06:15 | comments(0) | - |
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE