シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
中国の共謀罪

もう10年前になるでしょうか。中国の新疆・カシュガルの街を歩いていました。

あるホテルの入り口に「張り紙」がありました。近づいてよく読むと、「不審な人間が何人か集まっていたら当局に通報すること」などと当局の通達が書いてありました。

 

新疆では、当局の許可なくウイグル人たちが数人集まると当局に通報されます。ナゼ、通報するかというと、“通報すると報奨金がもらえるから”です。

 

数年前は、結婚式の予定の打ち合わせをしていた男たちが通報されました。そして兵士の襲撃で全員が殺されました。新聞発表では「テロをはかっていた男たちの策動を事前に防いだ」とありました。

 

これも数年前の同じカシュガルの街。みんなでモスクの前を通り過ぎていくと、10数人の男たちが血相を変えて相談をしています。私は本能的に、今流の言葉で“ヤバイ”と思いました。これから軍警と衝突することが明白な状態だったのです。

 

このような場面に外国人が遭遇することはあり得るのですが、巻き込まれてはいけません。すぐにその場を離れました。その時だけはどういうことか漢人の女性ガイド。のんびりした彼女は事情が呑み込めません。彼女をも含めて全員をバスまで急がせて乗車させました。

 

この漢人女性ガイドは、というよりも、漢族は一般的には、表面的・心情的にはウイグル人と“仲が良い”のですが、本能的に“ウイグル人を憎んでいます”。これをどう表現すればよいのか分かりませんが、いざとなると表面的な友好の表情が一変します。とにかく嫌いなのです、ウイグル人が・・・逆も同様です。

 

この2〜3年、ホータンなど南疆の街は、通りのあちこちにコンクリート製の防御壁がつくられていて、自動小銃を抱え引き金に指を添えた兵士たちが恐ろしい顔をして通行人をにらんでいます。この状態は新疆では当たり前の様相になっているようです。

 

さらに日本の旅行会社の人たちが言います。新疆はもう旅行ができない。道路でも、デパートでもスーパーでも、どこでも軍警が検問をします。車の底から荷物から何から何まですべてひっくり返して調べます。ですからなにもかもがストップです。道路は大渋滞になり、買い物は進まず、市民生活が破壊されたままだと言います。

 

信じたくはありませんが、“ウイグル人の5人に1人はスパイだ”という話。安全局がスパイになれという条件に“1カ月の収入と同じ金額を与える”ということになっているようです。貧しい生活で漢人と大きな格差のある月収ですから、「独立」の意志に燃えていなければ、1か月分の「臨時収入」は大きいものです。簡単にコロビます。

 

共謀罪について、日本では、次のように書かれています

共謀罪(きょうぼうざい)

  1. 何かしらの犯罪の共謀それ自体を構成要件(ある行為を犯罪と評価するための条件)とする犯罪の総称。米法のコンスピラシー(Conspiracy)がその例である。   (ウィキペディア)

まさに、国会を通過した稀代の悪法・共謀罪は、新疆やチベットと同じような特高警察の現代版になっています。戦争へ、軍国主義への地ならしです。

 

ここ東京で、以前は首都圏在住のウイグル人たちの交流がかなり活発でした。それが今では、ほとんどなくなりました。日本留学中あるいは生活のなかで、誰が何を言うかを中国当局や大使館がつぶさに調べています。“まずい発言や行動”があれば、一時帰国した場合、二度と日本へは戻れません。国費留学生は、取り消されます。ですから、一生、新疆へ帰れないウイグル人も何人かいます。

沈黙することによって身の安全をはかっているからです。

 

中国憲法に、衣食住の自由、集会・結社の自由など基本的人権が謳われているにもかかわらず、この牢獄のような状態をなんと表現すればいいのでしょうか。

そしてわたしはウイグルの地を愛し、シルクロードを愛するものとして言いたいことがあります。

 

・ウイグル人は、中国の地で暮らしている限りは、その国の法律を守らなければなりません。それが基本的人権です。

・それを守るために団結することが大事です。

・テロなどやっていれば、誰もあなたがたを支持しません。

・世界のあちこちに存在しているウイグル人の組織・団体が、争いばかりしていては自由や民主主義は勝ち取れません。

・そして、他の民族・漢族(かれらも迫害に遭っているのです)たちとも共通の要求で団結することです。

・憎しみや恨みなど、恩讐は投げ捨てて団結することです。

・それくらいのことができなければ、自由をかちとり、民主主義をかちとり、基本的人権をかちとることなど、できるわけがありません。

・そうしてこそ、国際的な支持が得られるのです。

 

 

 

 

 

| シルクロードの光と影 | 10:31 | comments(0) | - |
「友」が生きていた!!!

171109  野口 信彦

今年恒例、7月のシルクロードツアーの下準備も終わろうとしていた5月16日、突然、ウルムチの「友」から自宅に電話がかかって来た。

「野口さん、7月のツアーをキャンセルして下さい。安全局が何度もわたしの事務所に来て、わたしを調べています。いつ捕まるかわからないので、わたしはドキドキしています」との電話。

きょうの写真は1枚を除いて、すべて私の撮影したものです。

ここは西域南道の砂漠の中。

 

安全局とは、分かりやすく言えば戦前の日本の特高警察のような存在。しかも、中国の軍事費予算を上回る巨額の予算をもって、“国の安全”のために働いているところ。

今でも子どもが親の言うことを聞かないと「言うことを聞かないと安全局に連れていってもらうよ」といわれるほどの鬼の住むようなところといわれている。

10年ほど前に、プロカメラマンの息子を伴って旅でのウイグル女性の踊り。

これは彼の作品。

 

突然のことで、さすがの私も狼狽した。と同時に、安全局がそこまでするとはどういうことが原因なのか、とも考えた。日ごろの私の日本での言動が原因なのか。それとも・・・・思案を巡らせたが、どうにもわからない。

ホータンの並木道。これがシルクロードの象徴的なシーンですね。

 

ともかくツアーは急きょ、敦煌から東へ向かう河西回廊から青海省の西寧市、そこから最後は西安の兵馬俑などを訪ねるコースに変更した。ウイグル人のいる新疆でなければよいのだ。

しかし、ずっと頭から離れないのは、その「友」の安否である。何度もメールを送ることは、かえって彼に迷惑になるから送れない。電話もできない。彼の安否を心配するしかできないのだ。

どこかのバザールでの老人。かれはこれで50歳代ということでした。

 

さらに追い討ちが来た。

今年定例の秋のイベントを11月5日に準備していたが、生涯に一度のチャンスともいえる「楼蘭」へのツアーのお誘いが来たのだ。しかも11月5日出発になっている。イベント開催を1日早めてもらって、ワイフにも相談し家計からの支出も得て(100万円の費用)参加することになっていたのだが、これも突然のキャンセルの連絡。

理由を聞くと「10月18日から中国共産党大会が開かれるから」ということだった。

これが新疆シルクロードを代表するような絵画です。新疆ではどこへ行ってもこの写真があります。

 

いったい中国はどうしてしまったのだろう。

10月中旬の北京での党大会と7月の新疆シルクロードのツアーに、どんな不都合があるのだろう。

北京での党大会が終わってからの、はるか離れたタクラマカン砂漠のど真ん中へ行くツアーとの間にどんな不都合があるのだろうか。どうしても不可解である。

 

11月4日に開催したわがクラブの秋のイベントに、新疆シルクロードの干し葡萄の販売をお願いしたウイグル人の友人に、消息の途絶えた「友」の様子を話しても、ただただ暗い顔をするだけだった。“もう、この世にいないでしょう”といわんばかりの顔で・・・

うれてもうれなくてもかまわないのだ、と主張しています、彼は。

 

それがきのう11月6日午後8時20分頃。

突然、わが家の電話が鳴った。受話器を取ると聞きなれた「友」の声であった。わたしは奇声に近い声をあげてしまった。「お〜〜お〜〜、○まるさんかい?どうしてた?生きていたのかい?」としか言えなかった。もう彼は日本へ来ることもできない。私が個人的に新疆を訪れることも不可能。「何人かでツアーとして来られるなら会えますね」と彼は言うのみだった。逮捕はされなかった、会社も解散されなかったという。

この赤ちゃんがいつまでも安全で幸せな生活ができるようになるのはいつのことでしょうか。

 

受話器を置いた私は、自然と大きな声で泣いていた。オイオイ泣いた。うれし泣きだった。いい年をして泣くことなどあまりなくなったのだが、この時ばかりは泣いた。うれし泣きであれば、いくら泣いても誰も困らないだろう。

ワイフは黙っていた。数カ月、わが家にステイしてお世話もした「友」の無事を黙って喜んでいるのだろう。

| シルクロードの光と影 | 10:13 | comments(0) | - |
「成長しましたネ」 大慈恩寺・大雁塔

  兵馬俑のあと大雁塔に行く。希望者は塔の上に登っていった。

  私は何度も登っていたので、広場で中国人観光客のウォッチング。大慈恩寺・大雁塔である。塔は現在の西安の東南郊外の慈恩寺境内にある。

大雁塔入り口辺りにあるレストラン


5年前はなかった、一見、お寺の門のようにつくられている正体不明の門

マックのような店

 

 慈恩寺は648年、唐の第三代皇帝の高宗李治が、亡くなった母・文徳皇后の慈恩を追慕して建立した寺で、高宗の皇太子時代に建てられた。当時の慈恩寺は僧房1897室、僧侶300人が集まっていた。しかし、唐代末期、戦乱のため焼き払われ、今の大きさは昔の十分の一に過ぎないという。現在の境内にある当時の建物は大雁塔だけだが、塔の前方には明代と清代の建物が残っている。その講堂の中に金色の阿弥陀仏と昔の仏座が展示されている。

講堂前の「大雄宝殿」には釈迦如来の三身仏と十八羅漢がある。これらの仏像は明代のもので、後年、鍍金(メッキ)をし、塗装して現在に至っている。

 

塔の東南に明、清代の慈恩寺歴代住職の舎利塔が8基ある。庭園には鐘楼と鼓楼があり、その中にそれぞれ大きな鐘と太鼓が掛けられている。

シルクロードを通って西域128ヶ国を歴訪し、インドでの求法の旅を終え、多くの経典と仏像を長安に持ち帰った唐の高僧玄奘三蔵は、慈恩寺が訳経をするには最適の寺として、この寺の境内に塔を建立して、仏像と経典を保存したいということを高宗に願い出た。高宗は玄奘の願いを適(かな)え、玄奘の建議によってインドの塔婆を真似て、五層の塔を建てた。これが652年のことであった。

大雁塔は、はるかなり!

 

この塔に使用された材料は煉瓦、石灰、土、餅米で、内部を土で築き、外面に煉瓦を積んだ。塔が1日でも早く出来あがるように、玄奘は毎日、朝早くから夜遅くまで煉瓦などの材料を籠で背負って運搬したと伝えられている。塔が竣功してから、玄奘の持ち返った仏像などがその中に安置された。そして、玄奘は慈恩寺を訳経院とし、約11年間にわたって経典の翻訳を続けたのである。

 

これが昔から建っている大雁塔です

 

 

 大雁塔は則天武后の長安年間(701〜704)に大改造を行って十層になったが、その後の戦乱などで七層から上が崩壊した。現在の塔は煉瓦造りの七層で、高さ64m、中に螺旋階段があり、階段は人と漸くすれ違うことができるほどの幅だが、最上階まで登ることができ、西安の街並みが展望できる。また、各層には正確に東西南北の四方に窓が開いている。塔の南入口の左右の龕には唐第二代皇帝太宗の「大塔三蔵聖教序」の石碑と唐第三代皇帝高宗の「大塔三蔵聖教序記」の石碑がある。碑文の内容は玄奘三蔵の労苦を称えたものである。

 唐の下部の東西南北にそれぞれ石門の上に横木が一本ずつある。南の石門の横木を潜ると、中央広間の回廊の南側の石碑の上に科挙の合格者の名前と出身地が刻まれている。他の石門の横木にはそれぞれ精巧な線刻の仏像と天王像があり、特に西側の石門の横木に陰刻した釈迦説法図と殿堂図は圧巻である。五門単層四柱造りの仏殿が拓本取りで真っ黒になっているが、陰刻された鴟尾や屋根などの状況は鮮明である。

この仏殿図は日本の奈良〜平安時代の木造建築の原形となっただけでなく、中国建築市場でも唐代の建築様式、絵画、彫刻芸術を伝える重要な文化財になっている。

大雁塔はすでに1300年の歴史があり、その間、震度7以上の地震に2度見舞われているが、昔日の雄姿のままに重厚な姿を見せている。

しあわせ家族

 

 と、以上は前回、河西回廊の旅をしたときの5年前の私の文章である。

だが今回の旅でまたまた驚いた。5年前の時にも、あまりの変わりように驚いたものだが、今回はそれからまたさらに変わっているのである。大雁塔塔そのものは変わってはいないが、それ以外はほとんど変わっている。広い広場もなくなっている。狭くなったわけではないが、無くなっている。説明もしたくないので、皆さん、実際に行ってみればいいです。

お仕事の休憩時間のようです

何をしているのか・・・・・・

せっかく金をかけて造ったモノレールは、賄賂のためにどこかの寸法が寸足らず。

結局、動かないモノレールです。

 

| シルクロードの光と影 | 09:17 | comments(0) | - |
なぜ、長安はシルクロードの出発点というのか

よく人は「長安はシルクロードの出発点である」という。これは、モノの見方考え方からすると、世の中心は中華であり、そのすべては中国から発するという考え方からきている。だからそういうのである。テレビで“シルクロードもの”を放映すると、必ずそうなるでも。わたしたちがそういった呪縛(じゅばく)にとらわれる必要はさらさら、ない。

 

タクラマカン沙漠を説明するときは、必ず“一度砂漠に入ったら、二度と生きては帰れない砂漠”と説明する。そう説明したほうがおどろおどろしくて良いのだろう。とんでもない、その意味もあるのだろうが、ウイグル語のテクリマカンでは、“タクラマカン沙漠は、緑豊かな果物がたくさん採れるところ”ともいうのである。そんなことをいうテレビ局は一つもない。むしろ、そんな“おかしなことを言う”のは私だけではないだろうか。

 

テレビ局に、そのような間違った知識を植え付ける学者の存在があることもある。彼らは戦前・戦中そして現在でも、中華思想によって形成された知識で学んできたからである。自分では学ばないで・・・・

西洋史と言うとローマ史・ギリシア史、東洋史と言えば中国史という、型のはまった学習方法から抜け出せないものか。

 

なぜ、出発点でなければならないのだろうか。終点でも良いではないか。行った者があれば、還ってきた者もいる。西から来た者もいるのである。私たちの今回の旅は、敦煌から西安だった。

 

いつのころから始まったのかよくわからないが、太古、中原で覇を争う国ぐにがあり、やがてそれらの国は「夏(か)」を名乗った。夏の次は「周」であった。

 

ウイキペディアでは、中華思想(ちゅうかしそう)は、華(中国)の天子が天下の中心であり、その徳・礼などは神聖なものであるとして、朝廷が自らを夏、華夏、中国と美称し、他方で辺境の異民族を天子の徳が及ばない夷(野蛮)であるとして卑しむ思想である。中国語の原文によって華夷思想(かいしそう)とも称する、とある。日本の「天皇」も、中華思想に準じている。

よく使われる「中華思想」の絵図である。

 

 

中華思想ではこれらの“卑しまれている人びとや部族”を「東夷(とうい)」「南蛮(なんばんなかば)」「西戎(せいじゅう)」「北狄(ほくてき)」といった。いずれも、虫けらやケモノ、あるいは野蛮人という意味である。よく言うよ、である。

 

秦は「西戎」の末裔だといわれる。さじずめ朝鮮や日本などは「東夷」になる。だからいまでも、中国では“日本人は頭が悪い”ということが定説になっている。だから日本人がノーベル賞をとると悔しがり、中国人がノーベル平和賞を受賞すると弾圧する。朝鮮に対しては、いまでも「属国」扱いである。

またベトナムでも、蕃国(夷狄)としてのラオスやカンボジアに対して自らを中国(中華)とする形での小中華思想が存在した。

 

明治維新以降、“日本は朝鮮を治める責任と義務があるという考え”のもとで、西郷隆盛などは「征韓論」を唱えた。これを私は「小中華思想」と言う。

さらに50回近くも新疆ウイグルの地を訪れている私は、ウイグル人にも「大ウイグル主義」があることを見ている。誰でも“自分はあいつより偉いのだゾ”といいたいのだろうか。

 

始皇帝は、紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げた。そして、中国史上では最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。2200年も前のことである。

皇帝という名称は、神話的な「三皇五帝」から2つの漢字(漢数字)を抜いて「皇帝」という名称がつくられた。

秦の始皇帝

 

ふたたびウイキペディアに拠るが、始皇帝は中国統一を成し遂げたのちに「始皇帝」と名乗った。歴史上の重要な人物であり、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。統一後、始皇帝は重心の李斯とともに主要経済活動や政治改革をすすめた。従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への全国的な中央集権を行い、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを行った。しかし、万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦の始皇帝陵の建設などを、多くの人民に犠牲を払わせつつ行った。

『史記・秦始皇本紀』

 

また、法による統治を敷き焚書坑儒(ふんしょこうじゅ=思想弾圧。儒者を穴に埋め、その書物を焼くことなど)もした。

 

これは、毛沢東が個人権力を確立しようとした文革でも同様のことが起こった。

毛沢東と妻の江青。彼女は上海の二流の女優だったが、毛沢東を追って、やがて権力を握り、暴政をふるった

 

毛沢東が孔子を批判する大キャンペーンを打った。焚書坑儒と同じ狙いである

 

日本では戦前の「治安維持法」がそうであり、現在では安倍内閣が制定した「共謀罪」がそれに当たる。いつの時代も支配者・権力者が自分の都合の悪い場合は、これらに弾圧を加える。

共謀罪に反対する集会とデモの呼びかけ

| シルクロードの光と影 | 09:47 | comments(0) | - |
西安へ。ところで新疆ウイグルの今は・・・

のこちゃんとお別れの西寧の夜は日本食。「うなぎの寿司」には参った。ウナギはウナギで食べなければ・・・・でもまあ、久しぶりの日本食。もうすぐ日本だから・・・という気持ちもあったがこれにした。

 

8月12日

きょうは青海蔵医学博物館などを観光ののち、午後4時すぎフライトの飛行機で西安へとぶ。のこちゃんやご主人とお別れの握手で空港内へ。機内に入ったがいつまでたっても飛ばない。しばらく過ぎてから、いったんロビーへ戻ることに。“これはフライトキャンセルになるかもしれないぞ”とのこちゃんへ、いざという時に西寧で再び宿泊する準備をお願いする電話。

青海省・蔵医学博物館

館内には驚いたことに1960年代前半の文革発動になった「雷峰同志に学ぼう」のポスターがあった

一階正面にある「タンカ」

ガイドのチベット女性のスタイルがあまりにも美しかったので・・・

ウオッチング

ウオッチング

 

しかし、3時間遅れで飛んだ飛行機は西安の空港へ。よく見るとこの空港は西安市内ではなく、咸陽(かんよう)にある。ここは一度来てみたかった歴史遺産満載の街咸陽の都である。

 

税関から出口へ向かうと、自動小銃の引き金に指をかけた兵士(特警)が何人もいる。やはり普段、見慣れない光景なので緊張する。無論、絶対にカメラは向けられない。

この自動小銃に関しては、この連載の一番初めに書かなければならなかったことがある。新疆ウイグルのことである。

 

親友のヌルさんは「私の職場にも安全局が来て、私を調べています」という電話が最後で、いまだにメールの返事はない。

 

新疆での出来事を様ざまな人の話で総合すると、次のような状況だという。

ウルムチでもどこでも、特警が小隊ごとに街を徘徊しており、ところかまわず「検査」をする。買い物でにぎわうスーパーでも、銀行でもバス停でもどこでもあたりかまわず「検査」をする。人びとの持ち物の中身を徹底的に検査するのである。テロの関わるものを持っているかどうかを。本音は「ウイグル人はテロをする。だから検査しているのだ」です。だから買い物をしていても、なにをしてもどこでも大渋滞が続くのだという。

とくに大変なのが、自動小銃を持った特警が道路際に設置したコンクリート製の「トーチカ」のような中にいて、通交する車の検査をする。車の底まで徹底的に調べるという。通りがかりのすべての車を検査するので、当然、道路は大渋滞。

 

“ほんらい「社会主義」というものは、一切の強制や暴力から解放された社会をいうのだとわたしたちは教わりました。中国のこのようなことは社会主義でも何でもありません。

 

昔、『幻想のカイラス』という本を出版したが、いまでは「幻想の社会主義中国像」と言いたいところです。

きょうの朝日新聞には「ウイグル人留学生拘束 エジプトで多数 中国要請か」という記事が大きく出た。

エジプトへ留学しているウイグル人留学生が7月頃から当局に拘束されており、その数は65人ともいわれている。

イスラム教に関してはウイグル人もエジプトも同じスンニ派。トルコ国籍もあるウイグル人留学生の話では、100人以上が拘束されていると話している。報道によると、中国政府は今年初めころから、エジプトの子どもを留学させている家族に対し、子どもを帰国させるよう命じた。さらに子どもへの仕送り禁止、送金した場合は「テロリスト支援」容疑で逮捕されていった。また、昨年2016年、中国政府はエジプト政府に160億ドル以上の経済支援を約束したという。

 

この経過を見るだけで、この問題の系譜がお分かりでしょう?160億ドルと引き換えにウイグル人留学生を逮捕させたのだ。そういえば、ヌルさんにも息子がいた。以前、東京に留学していたことがあるが、いまはトルコに留学しているという話を5〜6年前に彼から聞いたことがある。それらのことも安全局がお父さんである彼を調査している原因の一つかもしれない。

 

スーパーでも道端でも特警が無条件に調査するこのような仕打ちに対する、一般のウイグル人の気分・感情をあなたはご理解出来ますか?人権も民主主義も幸福な生活を送る権利までをも、まったく無視されているこのような事態を、あなたは想像できますか?

 

日本では、これらの一つでも起これば、国内すべてを巻き込む大事件となるでしょう。こんなことが日常、当たり前にまかり通っているのが、中国の新疆ウイグル(そしてチベットも含めて)の毎日なのです。

 

 

ここから下の写真は、みな、インターネットの写真です。

残虐なシーンがありますが、これが現実です。

 

 

7月5日のこの日は数百人のウイグル人がウルムチで虐殺されました。左には子どももいます

説明できません

特警の姿がこれです

 

| シルクロードの光と影 | 11:20 | comments(0) | - |
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