シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ガックリ陽関―3

実は榆林窟へ行く前日、要するに旅の初日の16日、莫高窟へ行ってからは、陽関、月牙泉、鳴沙山とかなりの強行軍でした。

出発の日も羽田から上海、そして国内線の虹橋空港へ移動してから西安へ、そこからさらに敦煌空港へと飛行機を3回乗り換えての移動で、ホテルに入ったのは午後11時近く。朝は3時に起きて4時半に家を出て車で空港でしたから、さすがの私もつかれました。

 

莫高窟が終わってからいったん市内へ戻って昼食。そこでみなさんに相談しました。これから陽関の観光が終わってから月牙泉、鳴沙山へ行きたい人と、陽関が終わってからは休息にする人とを分けようと。結局、9人のうち5人が休息することにしました。

 

その陽関ですが、写真を無くしたのでご紹介できないのが残念なのですが、入り口から終点まで、新しい建物がたくさんつくられ、けばけばしい色彩の飾りが、これでもかこれでもかと飾り立てられています。

私は、心の中で“これではシルクロードが壊されるままになってしまう”と危機感を覚えました。古代からの歴史遺産を保存することよりも、いま、集客して金を集めることが最優先で、古代とか保存などは頭の中にない、というやり方に鳴ています。

 

陽関そのものは変わってはいないのですが、これではいずれ、陽関に「万国旗」がはためくかもしれません。満艦飾になるかもしれません。

シルクロードよ、何処へ〜〜〜〜〜〜〜???

 

※きょうは写真はありません。私の撮影の考えは、今日のような内容の”ケバケバしい”ものは撮影しないので、ないのです。私はそれを誇りに思っています。

でも1枚だけ、気にいった写真を。

 

歩くことが困難になった高齢者用にはいいですね。

 

| シルクロードの光と影 | 12:30 | comments(0) | - |
システム化された敦煌

河西回廊とチベット地域の旅から帰ってきました。

私が企画した歴史遺産の観光計画を、チベットの担当者は、それを取捨選択するのではなく、すべて取り入れて行程に組んでいたのです。結果的にかなりの強行軍になり疲れました。

今回の旅に関しては、すでに本欄のブログで詳しく書いていますので、今回は、これまでと違ったところを主に書かせていただきます。

 

 

非効率!しかし大画面

驚きました!

いま、敦煌の莫高窟の観光は大変、面倒になっている、というか、システム化されています。

まず、朝一番で市内から莫高窟まで行って「映画センター」のチケットを買わなければなりません。

次は、再び市内へ戻って映画センターで敦煌の啓発映画を鑑賞します。ひとつは「千年莫高窟」もうひとつは同じ建物内の会場を移して「夢の仏宮」

ここが数十億円をかけて造られた「映画センター」

 

 

啓発映画と一言でいっても、これはかなり迫力のある360度の大画面でした。「何とか大画面」というのでしょうが、何もわかりません。紹介のパンフがあればよく分かるのですが、何もありません。

40〜50分の映画鑑賞のあとは、再び莫高窟へ向かいます。

であれば、はじめから市内でチケットを買って市内の映画館で映画を見せればいいものを、わざわざ全員を莫高窟まで行かせてチケットを買わせる意味が理解できません。ずいぶんと非効率ですが、ここは中国、これくらいでは驚きません。

私の友人の季萍さんは、敦煌研究院の副院長にはなっていなくて、この映画センターの所長さんでした。

 

長蛇の列

 

莫高窟へ入るための長蛇の列

 

莫高窟も変わっていました。

以前は受付でカメラやバッグすべてを預けなければなりませんでしたが、今は、持ち込みOKです。

その代わり莫高窟の内部を撮影することは厳禁。でも中国人たちはスマホで平気で写しています。

私は初めて、莫高窟に入城しての撮影をしました。

 

大混雑

さらに驚いたことがあります

中国政府は今、「内部拡大」で国民の国内旅行を奨励しています。

どこもかしこも大混雑、チケットを買う行列が長〜〜く伸びています。

いま、敦煌では壁画や仏像などの維持保存のために、入場者数を1日6千人に規制していますが、7〜8月は3万人まで規制を緩和しているとのこと。

むこうから大軍が押し寄せてきます。

第17窟も大混雑です。

 

莫大な経費をかけた映画センターなどの建築費を賄わなければならないからでしょうか。なんのための1日6千人の規制なのか意味がなくなります。

夏は3万人の入場がOKということは、実質的には「入場者数は無制限」ということでしょう。

敦煌よどこへ行く、ですね。

| シルクロードの光と影 | 10:39 | comments(0) | - |
我々はなぜ、シルクロードの旅行を中止したのかー1

下記は、シルクロード・ツアー参加希望者へ送った手紙です。諸般の事情から一部内容を変更しています。

 

 

シルクロード・ツアーに参加を申込まれたみなさまへ

7月5日から実施予定の「シルクロードの真髄を極める旅」を中止いたします。

2017年5月21日  

日本シルクロード文化センター代表・野口信彦

 

大変残念ですが、シルクロードツアーの中止をお伝えしなければなりません。

 5月10日のツアー申し込み締め切り日を前後して、飛行機の予約確定や新疆各地のホテル予約など様ざまな手続きのために、正式の申込書やパスポートのコピーをお送りしていただくなど、あわただしい日々がありました。

 そんな5月16日、こんどの旅のお世話をして下さっているウルムチのNさん(私の30年来の友人です)から切迫した電話がかかってきました。

 「野口さん、今度のツアーをキャンセルしてください。私の職場に安全局がいつ来るか分からない状態です。」と言うのです。私は始め何のことかわかりませんでした。

きょうの写真はすべて、イメージ写真です。これはベゼクリク千仏洞

 

 

 中国新疆ではいま、中国政府によるウイグル人への激しく厳しい弾圧があります。これはチベットでも同様です。ですから、普段からウイグルとチベットへ行くにはかなり厳しい「審査」があって実現しています。そのNさんに危害が及ぶ状況になっているとのことなのです。

 

 勿論、電話もメールもすべて盗聴・盗視されている状況下ですので、私と彼との電話の会話でも率直な会話はできません。内容の真の意味は分かりかねたのですが、どうやらNさんが当局(国家安全局。戦前の特高警察以上の弾圧組織)の「審査の対象」になっていて、きょう明日にも職場へ乗り込んできて連行される状況だということが、ようやく理解できました。通常、新疆では“安全局に連れていかれれば、ほとんどの人は生きて帰ってこられない”といわれています。彼は「毎日、ドキドキしながら出勤しています」とだけ言っていました。

 電話を聞いて、私は初めてのことなので呆然としました。そして30年来の親友の命が危険にさらされていることにショックを受け、暗澹たる気持ちになりました。

 彼に問い合わせることもできません。

トルファンの女の子

 

 そして、まず今回の参加希望者のみなさんのためにも、せっかく休暇を確保するとかご家族のご理解を得たなどのさまざまな努力の結果ですので、今回のツアーと同日程・同料金以下で新疆とチベット以外のところへ行く方法を考えました。

 

 候補地の一つは、内モンゴルと寧夏回族自治区方面のカラホト(黒水城)を中心とした西夏の各地と敦煌を含めた河西回廊方面です。

 もう一つは、青海省各地のチベット文化の観光地と西沙ウイグル(西暦840年にモンゴル高原の覇者であったウイグルの先祖が、キルギスに滅亡させられた際、キルギスに追われて、新疆ではなく河西回廊方面へも落ち延びたウイグル族の末裔)のいる地域や、蘭州付近の炳霊寺石窟など古代仏教遺跡のある地域でした。

 そして16日以降、必死になって候補地を探しましたが、日程が近づいていることと、Nさんは通常の旅行会社では実現できないような安い単価で見積もっているので、すべてが今回の参加費を越えてしまうことも判明しました。

 

 結論として、日本シルクロード文化センター企画の今年度のシルクロード・ツアーは中止せざるを得ないと役員会でも判断いたしました。無論、このようなリスクを負ったツアーを企画した私の責任は大きいのですが、彼の地の巨大な政治的な圧力のもとでは、如何ともしがたい状況であったことをご理解いただきたいと思います。

ウルムチのモスク

                  記

  • ツアーは中止しますが、今度は野口の個人的なシルクロードの旅を企画してお知らせします。上記2か所を対象として、決まり次第、改めてご意思のある方はどうぞ一緒の旅を楽しみましょう。候補地は前述の地域を考えております。時期は8月頃になると思います。
| シルクロードの光と影 | 09:06 | comments(0) | - |
ウイグル人の歴史・風俗・習慣―71  ハミの帽子商人

 

 ハミのバザールで帽子を売っている夫婦の店に案内された。

 案内してくれた地元の公務員の友人が、自分の妻の両親がバザールで帽子を販売しているというので案内してもらった。そこの夫のほうは60歳前後。名前は聞いたが、ウイグル人の名前は発音を聞き取ることが難しいので、一度聞いたくらいでは覚えられない。

サラちゃんの夫デリシャットとその大学時代の友人たち

 

 「私は祖先の代からずっとここコムル(ウイグル名。漢語でハミ)に住んでいます。1981年までは人民公社や農村で働いていましたが、81年に国から畑や家をもらってから自分で農業をしてきました。しかし農業だけでは生活できないので、妻がカシュガルまで行って帽子作りを勉強して2人でこの商売を始めました。ウイグルの帽子はカシュガルから仕入れて、ハンチングのような帽子は妻が作って売っています。今も農業は続けています。毎年利益が1万5000元くらい出ます。帽子売りも同じくらいの利益が出ますが、今年2004年の売り上げは2000年の半分に減ってしまいました。毎年3万元(日本円で45万円くらい)の売り上げだったものが、今はその半分です。

この帽子屋さんの写真も、パソコンの中の移動の際に失われてしまった。

 

 私は高校まで行きました。生活は厳しかった。今、娘も市の人民政府で働いています。孫は4歳。かわいいので孫が喜ぶものを買ってあげることが喜びです。ほかにほしいものはありません。今が幸せです。

私はたくさん本を読みました。しかし、2002年に病気になり、みな忘れてしまいました。あなたもこのことがわかると思います(認知症のことらしい。でも私は認知症ではない、たぶん)。

 

テレビなどで見ると、ウイグル人と日本人の習慣は同じだ。だから私は日本人が好きだ。いろいろやりたいことはあるが、お金がなければ何もできない。仕方がない」。

 

 農民など一般庶民は、貧困と低学歴が理由なのか、自分の将来、子どもや孫の将来を積極的・発展的に考えるということがあまりできないようである。現状維持からほんの少し上向きになればいい、という考え方が農民や商人たちに支配的なのであろう。

ハミ王陵の前で。

よく見ると、この13年前のズボンは、まだある。帽子はホテルの部屋に忘れたので、ロビーで気がついて部屋に戻ったら、「そんなものはありませんでした」と言われた。まだ掃除の途中なのに〜、である。

 

 

※このシリーズも、きょうで71回目です。ハミまで来てしまったら終わるしかありません。

 事情があって西域南道のツアーが中止になって、河西回廊に変更しました。

 ことのついでに、河西回廊編を始めましょうか?

| シルクロードの光と影 | 07:11 | comments(0) | - |
ウイグル人―70  十二ムカーム保存・継承の悩み

 話はさらに続く。

「ハミ人は昔からメシュレプが好きで、ハミムカームを非常に大切にしてきた。特に、ハミのムカームは新疆のほかの地域とちがって独特なものがある。それはほかの地域のムカームはいろいろな楽器で演奏されるが、ハミムカームはこの胡弓だけをつかい、非常に美しいメロディをつくることができる。ハミムカームはわれわれの宝ものである。わたしたちはハミムカームを発展させるというより、今まさにハミムカームを学んでいるところだと言える。今一番心配なことは、ムカームの後継者がいないということである。

この日私は、メモを取るのに夢中であまり撮影していない。

 

現在のハミムカームのレベルでは満足したくない、もっとより深く研究したい。しかし、経済的な困難もあるし、このハミムカームをもっと研究したいという人が少ない。ムカームをどのようにして発展させるかの問題である。新疆ウイグル自治区政府やハミの人民政府も応援しているが、積極的に努力する人が少ない。だから、ハミムカームはまだ整理されていない。完全には整理されていないため、ほかの民族に強い影響をあたえることができない。ただ、ハミ人の日常生活のなかで、歌ったり、踊ったりすることだけに限られている。

わたしは60年間、このハミムカームをやってきたなかで、かなりの努力が求められものであることがわかった。

 

わたしは、ハミムカームはひとつの学問領域であると考えている。社会の要求によれば、たくさんの若い人材=ムカームシュナス=を育てなければならないことである。わたしは12歳から60歳までハミムカームをやってきたが、まだまだわからないところがたくさんある。わたしは、たくさんの若い者にこのハミムカームを勉強してもらいたいと願っている。もっともっと研究してもらいたい。勉強したいという者もいるが、本格的にまじめに勉強する者が非常に少ない。

この写真は、ずっと今でも私の部屋に飾ってある。

 

ハミムカームの由来といえば、紀元1世紀以前から伝えられてきたものと考えられている。地方・環境・習慣・人によってムカームは何なのかが分からない者も、聞きたくないという者もいる。しかし、ムカームが大好きな人がたくさんいる。ムカームはわたしたちの心に精神的な栄養を与えてくれる。ムカームは本当にウイグル文明の宝である。ムカームの本当の価値をわからないから、後継者がなかなか出てこないのだ。

 

自治区の十二ムカームは整理された。ヤルカンドの十二ムカームが整理されたが、ハミのムカームは特性をもっているため、まだ整理されていない。ハミムカームは非常に内容的に豊かであるから、自治区政府は特別な形で整理することを考えているようだ。

 

現在、各地域のムカームは自治区政府によってほとんど整理し終わった。ハミムカームの整理だけが政府のこれからの仕事であると思う。私はきっとすばらしいハミムカームが世の中に生まれると思う」。

ウイグルの地域文化であるハミムカームの継承者を育成することは、個人の努力だけでは不十分であろう。ハミ政府も努力しているようだが、さらなる前進を望みたい。しかし、ここの胡弓が中国にわたり、日本にも及んでいたとは!!・・・・

サラマットの夫デリシャットを挟んだ二人の老夫婦は

今頃どうしているだろうか・・・

 

※『ウイグル十二ムカーム シルクロード・こだまする愛の歌』が、集広舎から2014年1月に出版されている。ウイグル研究者として長い間、ウイグル研究に携わって来られた萩田麗子さんが翻訳・解説をつとめたおられる。日本では唯一、この本をお勧めである。

| シルクロードの光と影 | 08:54 | comments(0) | - |
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