シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
「成長しましたネ」 大慈恩寺・大雁塔

  兵馬俑のあと大雁塔に行く。希望者は塔の上に登っていった。

  私は何度も登っていたので、広場で中国人観光客のウォッチング。大慈恩寺・大雁塔である。塔は現在の西安の東南郊外の慈恩寺境内にある。

大雁塔入り口辺りにあるレストラン


5年前はなかった、一見、お寺の門のようにつくられている正体不明の門

マックのような店

 

 慈恩寺は648年、唐の第三代皇帝の高宗李治が、亡くなった母・文徳皇后の慈恩を追慕して建立した寺で、高宗の皇太子時代に建てられた。当時の慈恩寺は僧房1897室、僧侶300人が集まっていた。しかし、唐代末期、戦乱のため焼き払われ、今の大きさは昔の十分の一に過ぎないという。現在の境内にある当時の建物は大雁塔だけだが、塔の前方には明代と清代の建物が残っている。その講堂の中に金色の阿弥陀仏と昔の仏座が展示されている。

講堂前の「大雄宝殿」には釈迦如来の三身仏と十八羅漢がある。これらの仏像は明代のもので、後年、鍍金(メッキ)をし、塗装して現在に至っている。

 

塔の東南に明、清代の慈恩寺歴代住職の舎利塔が8基ある。庭園には鐘楼と鼓楼があり、その中にそれぞれ大きな鐘と太鼓が掛けられている。

シルクロードを通って西域128ヶ国を歴訪し、インドでの求法の旅を終え、多くの経典と仏像を長安に持ち帰った唐の高僧玄奘三蔵は、慈恩寺が訳経をするには最適の寺として、この寺の境内に塔を建立して、仏像と経典を保存したいということを高宗に願い出た。高宗は玄奘の願いを適(かな)え、玄奘の建議によってインドの塔婆を真似て、五層の塔を建てた。これが652年のことであった。

大雁塔は、はるかなり!

 

この塔に使用された材料は煉瓦、石灰、土、餅米で、内部を土で築き、外面に煉瓦を積んだ。塔が1日でも早く出来あがるように、玄奘は毎日、朝早くから夜遅くまで煉瓦などの材料を籠で背負って運搬したと伝えられている。塔が竣功してから、玄奘の持ち返った仏像などがその中に安置された。そして、玄奘は慈恩寺を訳経院とし、約11年間にわたって経典の翻訳を続けたのである。

 

これが昔から建っている大雁塔です

 

 

 大雁塔は則天武后の長安年間(701〜704)に大改造を行って十層になったが、その後の戦乱などで七層から上が崩壊した。現在の塔は煉瓦造りの七層で、高さ64m、中に螺旋階段があり、階段は人と漸くすれ違うことができるほどの幅だが、最上階まで登ることができ、西安の街並みが展望できる。また、各層には正確に東西南北の四方に窓が開いている。塔の南入口の左右の龕には唐第二代皇帝太宗の「大塔三蔵聖教序」の石碑と唐第三代皇帝高宗の「大塔三蔵聖教序記」の石碑がある。碑文の内容は玄奘三蔵の労苦を称えたものである。

 唐の下部の東西南北にそれぞれ石門の上に横木が一本ずつある。南の石門の横木を潜ると、中央広間の回廊の南側の石碑の上に科挙の合格者の名前と出身地が刻まれている。他の石門の横木にはそれぞれ精巧な線刻の仏像と天王像があり、特に西側の石門の横木に陰刻した釈迦説法図と殿堂図は圧巻である。五門単層四柱造りの仏殿が拓本取りで真っ黒になっているが、陰刻された鴟尾や屋根などの状況は鮮明である。

この仏殿図は日本の奈良〜平安時代の木造建築の原形となっただけでなく、中国建築市場でも唐代の建築様式、絵画、彫刻芸術を伝える重要な文化財になっている。

大雁塔はすでに1300年の歴史があり、その間、震度7以上の地震に2度見舞われているが、昔日の雄姿のままに重厚な姿を見せている。

しあわせ家族

 

 と、以上は前回、河西回廊の旅をしたときの5年前の私の文章である。

だが今回の旅でまたまた驚いた。5年前の時にも、あまりの変わりように驚いたものだが、今回はそれからまたさらに変わっているのである。大雁塔塔そのものは変わってはいないが、それ以外はほとんど変わっている。広い広場もなくなっている。狭くなったわけではないが、無くなっている。説明もしたくないので、皆さん、実際に行ってみればいいです。

お仕事の休憩時間のようです

何をしているのか・・・・・・

せっかく金をかけて造ったモノレールは、賄賂のためにどこかの寸法が寸足らず。

結局、動かないモノレールです。

 

| シルクロードの光と影 | 09:17 | comments(0) | - |
なぜ、長安はシルクロードの出発点というのか

よく人は「長安はシルクロードの出発点である」という。これは、モノの見方考え方からすると、世の中心は中華であり、そのすべては中国から発するという考え方からきている。だからそういうのである。テレビで“シルクロードもの”を放映すると、必ずそうなるでも。わたしたちがそういった呪縛(じゅばく)にとらわれる必要はさらさら、ない。

 

タクラマカン沙漠を説明するときは、必ず“一度砂漠に入ったら、二度と生きては帰れない砂漠”と説明する。そう説明したほうがおどろおどろしくて良いのだろう。とんでもない、その意味もあるのだろうが、ウイグル語のテクリマカンでは、“タクラマカン沙漠は、緑豊かな果物がたくさん採れるところ”ともいうのである。そんなことをいうテレビ局は一つもない。むしろ、そんな“おかしなことを言う”のは私だけではないだろうか。

 

テレビ局に、そのような間違った知識を植え付ける学者の存在があることもある。彼らは戦前・戦中そして現在でも、中華思想によって形成された知識で学んできたからである。自分では学ばないで・・・・

西洋史と言うとローマ史・ギリシア史、東洋史と言えば中国史という、型のはまった学習方法から抜け出せないものか。

 

なぜ、出発点でなければならないのだろうか。終点でも良いではないか。行った者があれば、還ってきた者もいる。西から来た者もいるのである。私たちの今回の旅は、敦煌から西安だった。

 

いつのころから始まったのかよくわからないが、太古、中原で覇を争う国ぐにがあり、やがてそれらの国は「夏(か)」を名乗った。夏の次は「周」であった。

 

ウイキペディアでは、中華思想(ちゅうかしそう)は、華(中国)の天子が天下の中心であり、その徳・礼などは神聖なものであるとして、朝廷が自らを夏、華夏、中国と美称し、他方で辺境の異民族を天子の徳が及ばない夷(野蛮)であるとして卑しむ思想である。中国語の原文によって華夷思想(かいしそう)とも称する、とある。日本の「天皇」も、中華思想に準じている。

よく使われる「中華思想」の絵図である。

 

 

中華思想ではこれらの“卑しまれている人びとや部族”を「東夷(とうい)」「南蛮(なんばんなかば)」「西戎(せいじゅう)」「北狄(ほくてき)」といった。いずれも、虫けらやケモノ、あるいは野蛮人という意味である。よく言うよ、である。

 

秦は「西戎」の末裔だといわれる。さじずめ朝鮮や日本などは「東夷」になる。だからいまでも、中国では“日本人は頭が悪い”ということが定説になっている。だから日本人がノーベル賞をとると悔しがり、中国人がノーベル平和賞を受賞すると弾圧する。朝鮮に対しては、いまでも「属国」扱いである。

またベトナムでも、蕃国(夷狄)としてのラオスやカンボジアに対して自らを中国(中華)とする形での小中華思想が存在した。

 

明治維新以降、“日本は朝鮮を治める責任と義務があるという考え”のもとで、西郷隆盛などは「征韓論」を唱えた。これを私は「小中華思想」と言う。

さらに50回近くも新疆ウイグルの地を訪れている私は、ウイグル人にも「大ウイグル主義」があることを見ている。誰でも“自分はあいつより偉いのだゾ”といいたいのだろうか。

 

始皇帝は、紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げた。そして、中国史上では最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。2200年も前のことである。

皇帝という名称は、神話的な「三皇五帝」から2つの漢字(漢数字)を抜いて「皇帝」という名称がつくられた。

秦の始皇帝

 

ふたたびウイキペディアに拠るが、始皇帝は中国統一を成し遂げたのちに「始皇帝」と名乗った。歴史上の重要な人物であり、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。統一後、始皇帝は重心の李斯とともに主要経済活動や政治改革をすすめた。従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への全国的な中央集権を行い、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを行った。しかし、万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦の始皇帝陵の建設などを、多くの人民に犠牲を払わせつつ行った。

『史記・秦始皇本紀』

 

また、法による統治を敷き焚書坑儒(ふんしょこうじゅ=思想弾圧。儒者を穴に埋め、その書物を焼くことなど)もした。

 

これは、毛沢東が個人権力を確立しようとした文革でも同様のことが起こった。

毛沢東と妻の江青。彼女は上海の二流の女優だったが、毛沢東を追って、やがて権力を握り、暴政をふるった

 

毛沢東が孔子を批判する大キャンペーンを打った。焚書坑儒と同じ狙いである

 

日本では戦前の「治安維持法」がそうであり、現在では安倍内閣が制定した「共謀罪」がそれに当たる。いつの時代も支配者・権力者が自分の都合の悪い場合は、これらに弾圧を加える。

共謀罪に反対する集会とデモの呼びかけ

| シルクロードの光と影 | 09:47 | comments(0) | - |
西安へ。ところで新疆ウイグルの今は・・・

のこちゃんとお別れの西寧の夜は日本食。「うなぎの寿司」には参った。ウナギはウナギで食べなければ・・・・でもまあ、久しぶりの日本食。もうすぐ日本だから・・・という気持ちもあったがこれにした。

 

8月12日

きょうは青海蔵医学博物館などを観光ののち、午後4時すぎフライトの飛行機で西安へとぶ。のこちゃんやご主人とお別れの握手で空港内へ。機内に入ったがいつまでたっても飛ばない。しばらく過ぎてから、いったんロビーへ戻ることに。“これはフライトキャンセルになるかもしれないぞ”とのこちゃんへ、いざという時に西寧で再び宿泊する準備をお願いする電話。

青海省・蔵医学博物館

館内には驚いたことに1960年代前半の文革発動になった「雷峰同志に学ぼう」のポスターがあった

一階正面にある「タンカ」

ガイドのチベット女性のスタイルがあまりにも美しかったので・・・

ウオッチング

ウオッチング

 

しかし、3時間遅れで飛んだ飛行機は西安の空港へ。よく見るとこの空港は西安市内ではなく、咸陽(かんよう)にある。ここは一度来てみたかった歴史遺産満載の街咸陽の都である。

 

税関から出口へ向かうと、自動小銃の引き金に指をかけた兵士(特警)が何人もいる。やはり普段、見慣れない光景なので緊張する。無論、絶対にカメラは向けられない。

この自動小銃に関しては、この連載の一番初めに書かなければならなかったことがある。新疆ウイグルのことである。

 

親友のヌルさんは「私の職場にも安全局が来て、私を調べています」という電話が最後で、いまだにメールの返事はない。

 

新疆での出来事を様ざまな人の話で総合すると、次のような状況だという。

ウルムチでもどこでも、特警が小隊ごとに街を徘徊しており、ところかまわず「検査」をする。買い物でにぎわうスーパーでも、銀行でもバス停でもどこでもあたりかまわず「検査」をする。人びとの持ち物の中身を徹底的に検査するのである。テロの関わるものを持っているかどうかを。本音は「ウイグル人はテロをする。だから検査しているのだ」です。だから買い物をしていても、なにをしてもどこでも大渋滞が続くのだという。

とくに大変なのが、自動小銃を持った特警が道路際に設置したコンクリート製の「トーチカ」のような中にいて、通交する車の検査をする。車の底まで徹底的に調べるという。通りがかりのすべての車を検査するので、当然、道路は大渋滞。

 

“ほんらい「社会主義」というものは、一切の強制や暴力から解放された社会をいうのだとわたしたちは教わりました。中国のこのようなことは社会主義でも何でもありません。

 

昔、『幻想のカイラス』という本を出版したが、いまでは「幻想の社会主義中国像」と言いたいところです。

きょうの朝日新聞には「ウイグル人留学生拘束 エジプトで多数 中国要請か」という記事が大きく出た。

エジプトへ留学しているウイグル人留学生が7月頃から当局に拘束されており、その数は65人ともいわれている。

イスラム教に関してはウイグル人もエジプトも同じスンニ派。トルコ国籍もあるウイグル人留学生の話では、100人以上が拘束されていると話している。報道によると、中国政府は今年初めころから、エジプトの子どもを留学させている家族に対し、子どもを帰国させるよう命じた。さらに子どもへの仕送り禁止、送金した場合は「テロリスト支援」容疑で逮捕されていった。また、昨年2016年、中国政府はエジプト政府に160億ドル以上の経済支援を約束したという。

 

この経過を見るだけで、この問題の系譜がお分かりでしょう?160億ドルと引き換えにウイグル人留学生を逮捕させたのだ。そういえば、ヌルさんにも息子がいた。以前、東京に留学していたことがあるが、いまはトルコに留学しているという話を5〜6年前に彼から聞いたことがある。それらのことも安全局がお父さんである彼を調査している原因の一つかもしれない。

 

スーパーでも道端でも特警が無条件に調査するこのような仕打ちに対する、一般のウイグル人の気分・感情をあなたはご理解出来ますか?人権も民主主義も幸福な生活を送る権利までをも、まったく無視されているこのような事態を、あなたは想像できますか?

 

日本では、これらの一つでも起これば、国内すべてを巻き込む大事件となるでしょう。こんなことが日常、当たり前にまかり通っているのが、中国の新疆ウイグル(そしてチベットも含めて)の毎日なのです。

 

 

ここから下の写真は、みな、インターネットの写真です。

残虐なシーンがありますが、これが現実です。

 

 

7月5日のこの日は数百人のウイグル人がウルムチで虐殺されました。左には子どももいます

説明できません

特警の姿がこれです

 

| シルクロードの光と影 | 11:20 | comments(0) | - |
あ〜〜あ!

ホテル前の道路では、朝早くから道路の清掃。右後方のトラックは「清潔路面」とある。

道路を清潔にするという意味。

この仕事も清掃会社がやっている。

 

天水の街で宿泊した翌日は伏義廟観光。

ここ伏義廟、私は観光を希望していなかったのですが、今日はこのあと午後の高速鉄道で西寧へ行く予定。時間が余ったのでしょう、のこちゃんはここを指定していた。

 

私はまったく関心がないので、廟の前の広場で“広場ダンス”を楽しんでいる女性たちをウォッチング、ようするに広場で休憩。

伏義廟の手前にある門

正門近くの広場は、各種の「広場ダンス」が花盛り

ダンス風の踊りから太極拳風までよりどりみどり

ちびっ子の拳法グループも

 

 

中国のインターネットでは次のように書かれている。

明の弘治三年(西暦1490年)に建設、嘉靖三年(西暦1524年)に修復。伝説では伏羲や神農の部落が、渭水の流域、天水にあったとされ、伏羲の故郷として祀られる。
伏羲は中国伝説の三皇五帝の第一皇である。早くから古書で聖人とされている伏羲は半人半神で、丸い目、濃い眉と鬚、体にまとった緑葉が特徴で、古代の原始人の雰囲気が漂っている。また神話では、伏羲の上半身は人間、下半身は蛇だったとされる。

女媧(じょか)

この写真以外は、すべて私の撮影である。

 

あるいはウイキペディアでは・・・

女媧(じょか)は、古代中国神話に登場する人類を創造したとされる女神。 三皇の一人に挙げる説がある。姓は風、伏義とは兄妹または夫婦とされている。

 

同行の兵庫県の都倉女史の言うことには、伏義は明の時代の人で、「陰陽の根本の八卦、六十四卦の根本をなす人」だという。しかし、わたしにはなんのことだかわからない。

 

彼女とはもう15年くらいの旅の友。朝、起きてこない、集合時間を守らない、自分勝手で自分本位の彼女に長い間、一緒の旅に出るたびに怒りに近いものを覚えていたが、モダンバレエやモダンダンスを教えているという彼女を=要するに芸術家だと言いたいのですが・・・・少しずつ理解できるようになっていた。

今年3月に大学を退職して、何をやるのか模索中。バスの中で1時間ほどじっくり話した。そして私は言った。「日本シルクロード文化センターの関西支部をつくろうよ」と。「今までは大学の研究費で外国へ旅行をして、帰ってきたら学生たちに後始末をやらせてきたんだろうけれど、これからはそうはいかない。自分の力で今までのシルクロードの歴史遺産を関西で広げていけばいいんじゃない?」皮肉とともに激励を・・・・・・

次第に彼女の顔色が真剣なものに変わっていった。

この話はここまで。

同行の旅仲間たち。右端が都倉女史。

私のこの種の写真はほとんど撮らないので、探すのに苦労した。

 

 

先日、蘭州から天水へ高速鉄道で向かう途中に西寧を通過したが、きょうは天水から再び蘭州方面へ向って途中の天水で降りる。どうも、地理と方向がよく理解できていないので、そこがよく理解できなかった。私の希望をコーディネーターの西寧の「のこちゃんは」うまいことセレクトして合理的なコースをつくってくれるんだろうとばかり思っていたが、あちらは「野口先生の言われたとおりにコースを設定しなければならない」と使命感に燃えて設定したという後日談がある。さらに後日談。きのう25日のメールで彼女はこういった。「この日程は普通の日程なのですが、皆さんが高齢なので・・・・」ということ。人のせいにしないで、わが身の高齢を振り返らなければならなかったのだ。

むかし恋人同士で和光大学に留学。アルバイトは居酒屋とソバ屋だったという

 

 

高速鉄道は「和諧○○号」という鉄道。日本の新幹線とほぼ同じつくりのようだ。

 

面白いことを思い出した。

通常、中国の鉄道には必ず湯沸かし器に熱湯があり(煮沸したお湯を「開水」という)、乗客はその開水を頻繁に利用する。即席ラーメンに入れたり、お湯をそのまま飲んだりお茶にしたり。だがこの鉄道にはそれがない。聞くところによると、高速鉄道は普通の鉄道より運賃が高く、したがって“庶民の食べるラーメンなんか食べないワ”という人が多いようなのである。おまけに、ここで売られる弁当が、ことのほかマズイので誰も食べないとのこと。しかも、乗車時間は長くて5〜6時間。私たちも天水から西寧までは1時間少々。スマホを見ていればついてしまう距離だから、という。それは面白い。

 

そういえば、先日の車のマナーの件。

結論的に言うと、長い間、貧しかった中国では、車を持つ、あるいは車に乗るということは狃醋院ι亘蛙佑茲蝓⊆屬望茲辰討い襯レは偉いんだゾ“という感覚になるのだと思う。エリート意識である。だから爐修海里吋愁灰離”の運転になるのだろう。

 

西寧の駅で、のこちゃんと数年ぶりの邂逅・ハグ。相変わらず元気。車にスーツケースを積むときには、グイとばかりに2つを持ち挙げたときには驚いた。私より力持ちである。この日からは彼女の夫も「アルバイトで運転手です」と言っていた。彼は西寧の西北民族大学の日本語の先生。両腕におどろおどろしい刺青があったが、よく見るとそれはシャツのデザインだった。

| シルクロードの光と影 | 10:56 | comments(0) | - |
交通マナーはあるのか!そして麦積山石窟へ

中国の地における交通マナーは、いまさら言うこともないほど世界的に「有名」である。

今回特に指摘したいことは、わき道からメインの道路に出てくる車が「徐行」もしないで、飛び出してくる。そのあと左から車がくればスピードを緩めるか、逆にスピードを上げる。飛び出された方の車は、怒ることもせず、道を譲る。

私の被写体に、きょうのテーマのようなものはないので、それにふさわしい写真はありません。

サービスエリアでは、珍しくマイクロバスを洗う光景を目にしました。珍しいことでした。

 

 

ユーラシア大陸は基本的に左ハンドルで右側通行なのである。

 

以前、わが家のすぐ近くでワイフの友人が家に帰るとき、左右をよく見渡せる信号のない小さな十字路で、徐行して進もうとすると、物陰に隠れていた警官が「ストップ」をかけて罰金。抗議すると、そこは「徐行」ではなく「一旦停止」だという。“一旦停止ということはタイヤが正確に止まった状態のことだ”と言ったという。

 

コソ泥のように物陰に隠れている警官が最近は多い。

 

以前、私も家の近くの信号のある交差点に自転車で入っていくときに黄色になった状態で通過した。家までは50メートル位だったが、後ろから2人の警官が自転車に乗ってものすごい勢いで追いかけてきた。わが家の庭に自転車を置いた私に「信号無視です」という。私はこの2人の警官に怒鳴りつけた。「お前たちは泥棒のようにコソコソ隠れて何をしているんだ!交通事故を無くすことがお前たちの仕事だろう。恥ずかしくないのか!!!」と。腹が立って逆上して、彼らの人格を傷つけるようなもっとすごいことを言ったらしい(カミさんが聞いていた)。私にさんざんののしられて、彼らはスゴスゴと引き下がっていった。

もう一つ中国のこと。「割り込み」である。

休憩中のワゴン車の後ろを写しました。家族分の食糧や水、お菓子などが満載。

 

車が前の車と少しでも間隔があくと、必ずスッと右から左から割り込む車がいる。それはそれは巧みに入り込んでくる。割り込まれた車のドライバーは、怒りもせずに割り込まれるままにさせる。

ガイドに「これでは事故が多いんじゃないの?」と聞くと、「多いですよ」との答え。

 

中国では右折優先なので、車が赤信号でも右折車は右折して進むことができる。これが交通事故の大きな原因になっている。とにかく人が青信号で歩いているところへ、車が突進してくるからである。文字通り「突進」である

 

いつも思う。もし私が中国政府の交通大臣になったら、交通事故はたちどころに解消するのに・・・と。

写真の左側が車道で右側が歩道なのですが、この歩道も車が走ります。

駐車場にもなっていて店の前では料金を徴収する人がいます。

 

この原稿を書いているいる今、テレビが中国の交通マナーというテーマで放映していた。まるで私の原稿を見ていたように・・・

 

まず初めは最近テレビで放映する「横断歩道でおじぎをするおじいさん」。これが中国では交通マナーという点で評価されているという。しかし、横断歩道で立ち止まったら逆に危険です。それが分からないで評価するんですね。

こんなノンビリした光景がいいですね。

 

そして、横断歩道を渡らない人に対して「横断ゲート」をつくったという。今、駅で電車に乗り降りする際のあの「ゲート」である。横断歩道を渡らない人が多いのに「横断ゲート」をつくってどうするのかと言いたいが、効果はあるのだろうか。

 

わたしは中国の交通マナーの悪口ばかり言っているわけではない。

 

最近ではドライバーの“歩行者優先”の意識が強まって来たようだ。

原因は、歩行者優先をしないと、免許停止や罰金がかなりの高額だから。

罰金を取らなくても自発的・自主的に歩行者優先が貫かれるようになることを期待しています。百年でも千年でも待っています。

 

きょうは麦積山石窟まで進めませんでした。渋滞で!!?

| シルクロードの光と影 | 10:27 | comments(0) | - |
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