シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
“戦争の犠牲になった大相撲”

  きのうの千秋楽観戦記の続編です。

 仲間たちとかつての戦争の加害と被害に歴史を研究しています。

 そこで分かったことは、日本が起こした過去の侵略戦争は、大相撲まで奪っていたということです。

 

 力士たちは徴用され、、金属製品の優勝カップは軍部に供出され、国技館は風船爆弾の製造工場となり、ついには東京大空襲で炎上しました。

 当時2歳だった私の家も深川にあったためすべて焼失しました。

 6000坪の土地と家屋敷はすべて灰燼に帰しました。

 2度とこんなことがあってはならないと思います。

 

大相撲に下賜された天皇賜杯。金属や鉄製品不足のため軍部が「金属類回収令」を出して没収しました。そのほか、優勝や敢闘賞などで授けられる銀杯や思い出の詰まった宝物30余りも供出させられました。

 

徴兵制のもと、力士にも「赤紙」の召集令状が来て、戦地に向かいました。戦後、横綱になって活躍した栃錦、吉葉山も出征していたのです。残った力士は、俵担ぎや荷造り、火消しなどの力仕事に駆り出されました。

 

 

国技館は1944年(昭和19年)に軍部に接収され、風船に爆弾を乗せ、偏西風でアメリカ本土を攻撃するというのです。おとぎ話のような志向ですね。

大相撲の興業は国技館を追い出され、後楽園や回向院でやらざるを得ませんでした。

 

1945年3月未明、東京の東の下町は大空襲に見舞われ、国技館の丸屋根に焼夷弾が落ち、桟敷席も観客席もすべてが焼け落ちてしまいました。この空襲では2人の力士が亡くなりました。

 

相撲博物館の「戦後70年『大相撲と戦争』展」のコメントには、「大相撲から戦争をとらえることで、戦争の悲惨と平和の尊さについて考える機会になれば幸いです」とあります。

 

| 大相撲を論ず | 09:42 | comments(0) | - |
大相撲千秋楽に行ってきました

  24日、急なことでしたが、大相撲の千秋楽に行ってきました。その2〜3日前、前から声をかけていた方から「8500円のチケットが2枚手に入りました」との電話。うちの奥さんにもフラレ、友人たち2〜3人にも声をかけたのですが、みんな急なことで無理。

 金額に見合った席で、須藤さんは「わっ、こんな前の席で、取り組みが良く見えるわね〜」と。自分はいつも最後部席なので感嘆しきり。いつもテレビで見る角度のちょうど後ろ側。向こう正面の二階の前の席

 その女性とは、以前シルクロード講座でお話していただいたことのある須藤明子さん。チベットなどを撮影しているプロカメラマンなのですが、最近になって分かったことは、彼女は大相撲の大ファンで、1回の場所で4〜5回は見に行くとのこと。しかも最上階(一番うしろ)。いつも10人以上の彼女の「配下」の男女の若者たちがいます。

幕内以下の相撲が面白い

 

 

 私が入場したのは午前11時半頃。ちょうど三段目の取り組みでした。相撲はこれくらいの取り組みが面白い。

 これくらいの金額のチケットとなると、館内に入場するとまず、指定されているお茶屋さんへ顔を出し、席まで案内してもらう。慣れた人は事前にお弁当やお酒あるいはお茶・つまみ・菓子などを注文しておく。それを紙袋に入れて運んでもらう。席に着くと袋に包んだチップを手渡して観戦となる。私は一切を省略。自分の好きな弁当と酒・ビールを買いたかったから。

十両の相撲です

 

 そして必ずもらえるものが、きょうの取り組みや星取表、あるいは取り組みに掛けられる懸賞の会社やメーカー名を書いたもの。会場のアナウンスでは必ずこの懸賞の提供会社の名前が呼ばれる。3本かけた会社は同じ会社名が3回呼ばれるから面白い。

誰の相撲だったか忘れました

 

 取り組みが次第に番付の上位になります。しかし、1時2時になっても会場は空席が目立ちます。やはり3時近くになっての十両の取り組みが始まるころから席が埋まっていきます。

 給料のない幕下以下の位置から、勝ち越すと十両に上がって給料が100万円になり、付き人もつく位置とでは月とスッポンのような違いが出ます。ですから必死になって取る相撲が見えるここらあたりの相撲が一番面白いのです。

 

 結論として幕内優勝はご存知の通り日馬富士の優勝。

 

 私の隣の席には仙台から来た若いママさんと4歳に女の子。前日から両国近くのホテルに泊まってこの日も泊まって明日帰るという。彼女たちは日馬富士の大ファン。私は「大丈夫だよ、きょうは日馬富士が必ず優勝するから安心してみていていいよ」という。しかし、この母娘、日馬富士の取組みが近づくと「もう心臓がバクバク、助けてください!」と大騒ぎ。母娘で「せ〜〜の!」といって「はるまふじ〜〜〜!!!」と大声で声援。4歳の女の子もかなり相撲にくわしい子でした。見ていて気持ちがいいくらいの日馬富士ファンでした。わたしもモンゴル出身の相撲取りはなじみがあるので応援していますが、この母娘のまえではそんなこと言えませんでした。

 そうなんです、場所でも次第に星を下げてきた豪栄道と次第に星を上げてきた日馬富士でははっきりしていました。当然の日馬富士の優勝でした。

 

本割の相撲では日馬富士が圧倒していました。

 押し出しだと思います。

 そして優勝決定戦です。

 

 

これも押し出しで豪栄道を圧倒

 

 表彰式では、知ってはいましたが驚きました。

 ガソリン1年分とかビール・酒1年分とかたくさんたくさんありました。自分の気になるモノばかり書きましたが、優勝賞金は1千万(十両は100万円)、各国大使館からの賞品も多く、幕内で優勝するとこういうことなのかと思うくらいたくさんの賞金・賞品が出ます。技能賞などの三賞は200万円。

 因みに、年収はと言うと横綱は約5千万円、大関で4千万円、三役が2千万年、平幕で1500万円といいます。白鵬などは1億円になるといいます。平幕で励みになるのは「金星」4万円。これは引退するまで毎月の給料に付け加わるそうで、なくなることはないと言います。

 まあ、こんな世界ですが、それだけの苦労もしているわけです。

表彰式です

これだけで30分以上もやっていましたね

 

 しかし、城内にいるとテレビで見るような、今の取り組みの分析や星の推移などが分かりません。野球でもやっているように、会場に大型のテレビをつけてよくわかるようにすればいいのにと思います。まだまだ、古いんですね考え方が。

 

  終わってからの打ち上げは若い人が多いのか、両国駅の裏側の横丁。ジンギスカン(羊の肉)食べ放題とアルコール飲み放題で5千円。私も久しぶりの羊の肉でしたが、彼らの食べっぷりにはかないません。2時間ほど頑張ってから一人で帰ってきました。

  久しぶりの相撲観戦と若者たちとの交流でした。

| 大相撲を論ず | 06:54 | comments(0) | - |
偉大なるかな白鵬関ー2

白鵬の記録がなった時、不覚にも嗚咽が漏れそうになり、涙が浮かんできました。

 

白鵬の偉大さは、まだまだあります。私は、新聞やテレビがあまり触れないことに触れたいと思います。

まず、特筆すべき「偉大」さは、負け数が極端に少ないことです。白鵬は1847勝で219敗、休場は58。これに比べて魁皇は、700敗、千代の海は437敗になっています。これを見るだけでも、白鵬はいかに負けた相撲が少ないかが分かります。強い相撲取りは「負けない相撲をとる」ということなんですね。

白鴎(右)は押し倒しで高安をくだし、歴代単独トップに立った。

 

それから最近になって急に取りざたされるようになったことは、白鵬の日本国籍取得問題です。

 

白鵬が「一人横綱」で孤軍奮闘、大相撲界を支えてきました。あるいは7年前の野球賭博問題でも、翌年の八百長問題でも、「一人横綱」として協会を支えてきました。そのことは万人が知っています。

東日本大地震の際でも、力士協会の会長として、全関取から1人毎月1万円の募金を訴えて10年間送り続けたことを私は知っています。

最多勝記録を更新し、花道でガッツポーズをする白鵬=21日午後 名古屋市の愛知県体育館で、戸村昇撮影

上の写真とも朝日新聞からとりました。

 

 

わたしも震災後、銀行からもらった「500円硬貨を50枚収納できる貯金箱」に貯金をし続けて数年。3ヶ月で5万円貯金できたとして、1年に20万円。5年間で100万円!自分でも驚きますが、送り続けています。

 

目安で、20回以上の優勝を遂げれば「一代親方」として、生涯、しこ名を残すこともできます。それにもかかわらず、日本相撲協会は“規約”をタテにとって白鵬の一代横綱を認めませんでした。理由は、彼がモンゴル国籍だからです。この大相撲を支えてきた中でモンゴル国籍の関取はかなりいます。白鵬だけが国籍が違うという理由があるのであれば、規則を変えればいいのです。グローバル時代のこんにち、「国籍」の違いで何かを認めないなどは、子どものやることです。

 

彼が国籍変更をしなかった理由は(私の推測ですが)、彼のお父さんがモンゴル相撲(ブフ)の横綱であり、68年、メキシコ五輪のロスアンゼルス五輪で銀メダルを獲得した、モンゴルの英雄だったからです。私もモンゴルでお会いしたことのあるそのお父さんが国籍変更に反対だったようです。朝日新聞では、はじめて国籍を変更したのは元関脇の旭天鵬で、母国で家族が非難を浴びたということも原因になっているようです。

後列の左から2人目が白鵬のお父さんです。私の席のすぐ後ろでした。

そうそう、モンゴルの首都ウランバートルのモンゴル相撲(ブフ)競技場です。

そのとき、3〜4人隣が首相でした。この2枚の写真は2010年10月29日。

ウランバートル市発足371年記念のブフ大会でした(筆者撮影)。

 

 

その英雄であったお父さんも、迫りくる老いのなかで、認知症を患っているとのうわさも聞こえてきます。白鵬にまだまだ待ち受けている苦難の道のりの一過程で起きた今回の最多勝利記録。讃えても讃えても讃えきれないその労苦に報いることが協会の仕事ではないでしょうか。

 

まだ追うことのできる記録があります。それは、北の湖が持つ横綱在位場所の最多記録、幕内勝ち星は歴代最多の954ですから、あと3場所で達成することができるでしょう。さらに、双葉山の69連勝の壁を突破する仕事も待っています。まだ32歳。これからです。

| 大相撲を論ず | 10:56 | comments(0) | - |
偉大なるかな白鵬関

私は基本的に“天の邪鬼”(アマノジャク)ですから、めったに人のことをほめません。生理的にできないのです。

しかし今回は別です。白鵬関が通算1047勝目を挙げました。

 

これについてもわたしはアマノジャクですから、家の中では、こういっています。「アナウンサーが、記録!記録!と吠えても、魁皇の記録を塗り替えてからが本当の新記録じゃないか。まだほめるのは早い!」と。

しかし、きょう明日にも間違いなく新記録は達成できるでしょう。その時のために、前もってほめたたえておきましょう。

 

横綱白鵬の初土俵から98場所での達成は、元大関の魁皇より42場所も早い記録です。優勝38度。実績は名横綱たちと比べても群を抜いています。

 

先ほど私は友人の元モンゴル相撲のバー・ボルドーさんのフエースブックにが白鵬関を讃えるメッセージを掲載していたので、こう書きました。

 

「いま、わたしたちは白鵬関という偉大な横綱の時代に生きている。そして自分の目の前で白鵬の相撲を見ることができている。生涯にない僥倖であるし、私はこのことを幸福に思いたい」と。

彼からは早速返事が来ました。「とてもいい言葉ですね。お借りします」と。

 

白鵬関は、単に強かったから横綱になったわけではありません。

例えば、90分の稽古に60分の事前トレーニングをします。すり足、しこ、てっぽうに。人並みすぐれた自己管理能力がなければできません。

 

私などは、親友のトレーナーが作成してくれた「トレーニング計画表」にもとづいてトレーニングを進めても、3日で「休憩」状態になっています。彼が「はじめは一気にやらないで、疲れたら休憩をしてください」と書いてあるからです。

私ごとはともかく、白鵬関は稀代の英雄です。

 

この偉業はまだまだ続きます。

明日も書きます。

| 大相撲を論ず | 09:53 | comments(0) | - |
最近の出来事とわたし

“最近、ブログが見えないですね”などの声に怯えて、10年前に発行した拙著『シルクロードの光と影』の旅日記を連載しています。原稿があり、写真も何とか残っているので「連載」できています。7月のツアーも同じコースを行くので、復習のつもりもあります。

 

最近の出来事では、少し旧聞に属しますが、大相撲3月場所の照ノ富士と琴奨菊の取り組みでした。

 

“優勝”が目の前にぶら下がって来た照ノ富士、大関から関脇に落ちて復帰するかどうかの瀬戸際の勝負。

体をかわした照ノ富士に対して“モンゴルへ帰れ”の怒号とは別に、私なりの考えがあります。

“立ち合いの変化”は相撲の決まり手です。「髷をつかんで投げる」のは禁じ手で反則です。立ち合いの変化を反則として「禁じ手」にしているのであれば非難されるべきです。そうではない。立派に相撲を取って勝った。相手の表情・態勢・立ち位置、さまざまの状況を見ての判断で勝負に勝ったのです。

「卑怯」とか「大関らしくない」とかは、これは別の考え方でしょう。

 

“大相撲は国技だから”相撲の精神を外国人は知っていない。“日本人の心”を知らないモンゴル人、などの声があります。断っておきますが、大相撲は国技ではありません。政府・文科省の法律にも条例にもどこにも書いてありません。大相撲専用の体育館を建てて、その名称を「国技館」としたために、多くの国民が“相撲は国家が認めた国技だ”と勘違いしているのです。

※きょうの写真は、すべてインターネットからとりました

 

相撲は古くからの歴史と伝統があります。そこへ外国人が入ってきて相撲を取るなどとは想像もできなかったでしょう。しかし、戦後の世界、ましてやグローバルな時代になってきて、日本にも大勢の外国人が来ています。相撲の世界にも入ってきました。特に大相撲がNHKからも放映もされなくなるような危機的な時も含めて、モンゴル人の白鵬が相撲協会に果たした貢献は特筆に値するでしょう。

 

相撲の決まり手にも変化が現れました。大相撲には俗に言う「四十八手」の決まり手がありましたが、モンゴル相撲の「ブフ」が入ってきてから20手くらいの決まり手が増えたといわれています。相撲の内容にもモンゴル相撲は大相撲に貢献しているといえます。

 

本題に戻ります。

 

照ノ富士が真っ向から勝負をして勝ってほしかったと私も思います。しかし、鶴竜との勝負で前から痛めていた膝を再び痛めて、照ノ富士も瀬戸際だったと思います。一方で琴奨菊は、あのような突っ込んでいく立ち合いで何度も負けています。思い切り後ろに下がった立ち合いで突っ込んで行けば、体をかわされることは目に見えています。照ノ富士が戦略として勝ったのです。これは勝つか負けるかの勝負です。日本人が負けたからといって、筋違いの「モンゴルへ帰れ」などは言うべきではありません。

 

それにたいして「排外主義」とか「ポピュリズム」であるとかのレッテル貼りはしたくありません。ただ、いま世界を席巻している問題は、トランプやヨーロッパの極右政党などが主張している、イスラム教徒は出ていけ!の志向と共通する「モンゴルへ帰れ!」はいただけません。明らかにこれは「ヘイトスピーチ」です。

最近、テレビなどで“日本のここはすご〜い”などの番組が氾濫しています。見ていて心地よいでしょう。でもあれにはメディアの戦略もあるようです。

 

自虐史観とは、分かりやすく言えば、アジア太平洋戦争などで日本(軍)が各国に与えた虐殺などの負の部分を強調するという使い方をして、事実上、与えた被害を過小評価する考え方です。

 

これに対して自讃史観は、自虐史観にたいしてことさら日本あるいは日本人は他国に対して優性である、優れているということをより強調することに使われているようです(この分野は素人ですので主観です)。

いってみれば、他国や外国人はダメで、日本(人)はすぐれているという意味になるようです。ここから、モンゴル人が勝つと「それは卑怯な手だ。モンゴルへ帰れ」となるわけです。ヘイトスピーチは法律でも禁じられています。それ以前に外国人であろうと日本人であろうと、なぜ、同じように思えないのだろうかと不思議に思えます。

 

そして、スポーツは国と国とのたたかいではなく、あくまで人と人の勝負なのです。

私の意見に賛成する人は少ないでしょう。しあkし、私はこの意見をあえて言います。

| 大相撲を論ず | 10:37 | comments(0) | - |
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