シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
3月10日、11日というこの頃

 

74年前、1945年の3月10日は、米軍のB29の無差別爆撃により、深川を中心とした東京東部の下町一帯が焦土と化し、10万人以上の方がたが亡くなった日です。

 

 

生まれて2年が過ぎていた私は、母親と2つ年上の兄、それに数人の家の子郎党(古い言い方ですが、まったくこの通りでした)とともに東北へ疎開していたので生きながらえました。

父親と15歳になっていた姉は深川に残っていましたが九死に一生を得ました。それからの私と家族の20年近くの生活は貧困のどん底の生活でした。

 

8年前の2011年3月11日は、東日本大震災の地震と津波によって行方不明を含む2万人以上の方がたが亡くなりました。今でも多くの方がたが、家に帰れないでいます。

 

福島第一原発は大きく破壊され、今も放射能を完全にはコントロールできておらず、自宅に帰れなかったり、帰っても元の生活には戻れない方がたもいます。

 

私と妻とその友人は、この年の4月、被災地を訪れるとともに、秋田県の渤海国使節の迎賓館の遺跡を訪ねる旅をしました。

ある程度道端に寄せたがれきの道を黙々と歩く老夫婦がいました。話しかけましたが、ただ、首を振るだけでひと言も答えませんでした。

この写真は私のPCの画面の背景写真に据えています。

震災直後の11年3月頃に発行された週刊朝日の震災特集号にあった写真です。

両親を津波で奪われ、がれきの前で涙を流しながらトランペットを吹く

女子高生ということでした。

 

 

この3月10日前後と言う時期は、世界の各地でいろいろなことが起こっています。

 

今日の朝日を見ていて、ハッと思いおこしました。

そうです。3月10日はチベット動乱と言われる日です。

でも、私はこの「動乱」という言葉は好きではありません。これは「チベット人による民族蜂起の記念日」なのです。

 

中国=正確に言うならば、清、明、元などの王朝は「チベットを支配していた」と歴史を偽っています。これは支配ではなく単なる「駐藏大臣がラサにいた」ということを「支配していた」といっているだけでした。要するに大使を配置していたというだけのことです

 

チベットには正規の政府があり、軍隊があり、切手もあったのです。

1949年10月1日に毛沢東の中国共産党が全中国の権力を握ってすぐの1951年、中国人民解放軍と言う侵略軍がラサに進駐しました。

この時は、平地から3500m、5000Mの高地への進軍で数千人が高山病で死んだということです。

 

その後、チベット各地で侵略者への反乱が続きました。

その頂点に立った反乱が1959年3月10日の蜂起でした。

この日、駐留軍の司令官たちがダライラマを観劇に招待していました。このことを知った僧侶や市民たちは「これはダライラマ猊下が中国軍にどこかへ連れていかれる策謀だ」と思い、決起したのです。

 

ダライラマの冬宮であるノルブリンカ宮殿前は、国民党との戦争で勝利し、鍛え抜かれ、最新式の武器を持った軍がありました。

撃たれて死んだ僧侶や市民たちが5000人ほどいたといいます。市民たちの武器は一発ずつ弾を込める旧式銃だけでした。

2007年のノルブリンカ宮殿。

2007年の旅の友の一行。関西方面の弁護士さんたちと。

これはノルブリンカ宮殿の中にあったダライラマの寝室

同じくダライラマの椅子

ステレオなどがあるダライラマの居室

 

ダライラマはこの時に亡命行をはじめて、最終的にインドのダラムサラへの亡命を果たしたのです。

この十数年は国境を越えて亡命しようとするチベット人にたいして、軍の優秀な狙撃兵が狙い撃ちするのでほとんどの亡命者が殺害されるので激減しているといいます。

 

私が最初にチベットへ行ったのは23年前の1996年のカイラスへの旅でした。

その後、2007年に行った時にはガイドがこう言いました。

「ポタラ宮には五千人の僧侶がいましたが、今ではチベット人僧侶は12人だけです。そのほかの僧侶はみんな僧侶の姿をした若い中国人の兵士たちです。ポタラ宮内部の金の仏像などはすべて奪い取られました。いまあるものはすべて金メッキなどの偽物です」と。

2007年当時のポタラ宮。部屋数は5000くらいあるといわれているが、

誰も正確な数は知らない

 

わたしたちは3・11が来ると震災を思い出すのでなく、いつも東北を思って復興の努力をすることが必要でしょう。それは特別に行政とその長に責務があるはずです。政府と安倍首相のことです。

 

チベットに関しても、今この瞬間でも多くのチベット人が抑圧され、殺されていること、隣のウイグルの地でも百万を超えるウイグル人が強制収容所で塗炭の苦しみを味わっていることに思いを馳せることが大切なのではないでしょうか。

そして日本においても、あの戦争の惨禍を二度と再び味うことがないようにすること、そして2千万人をも殺害したアジア各国への侵略戦争に二度と手を出さないことが大切だと言えます。

この遊牧民の女性が綱を持っている犬は、オオカミとも戦うといわれるチベット犬。

今では上海や北京の金持ちがみんな買って連れて行ってしまったといいます。

 

下の写真は人々の幸せと輪廻転生を祈ってはためくタルチョ

| 東日本大震災関連 | 11:26 | comments(0) | - |
東日本大震災4年目を迎えて、いま、何が問題なのか
東日本大震災4年目を迎えて、いま、何が問題なのか
                                150311  野口信彦
 
東日本大震災の発生からきょうで4年目。
警察庁の調べによると、10日現在の死者数は12都道府県の15,891人
岩手・宮城・福島各県を中心に2,584人がいまもなお行方不明のままです。
復興庁によると、震災後の傷病悪化による「震災関連死」は3県で3,139人となり、6割近くを東電福島原発のある福島県が占めています。
 
避難者は約22万9千人。県外への避難は福島が47,219人、宮城7,198人、岩手1,589人。
プレハブの仮設住宅で暮らす人は3県で8万1千人
完成した災害公営住宅は5,000戸余りで、計画総数の2割にも達していません。

日が暮れた岩手県陸前高田市では、復元された「奇跡の一本松」の後方に、
巨大なベルトコンベヤーの姿が浮かび上がる。かさ上げ工事のため、
山を削った土砂を運ぶ。東京ドーム約10個分(約1200万立方メートル)の
土砂が運びこまれる予定だ=10日、杉本康弘撮影(朝日新聞)


 
被災地では4年が経過した今でも、たった2割の住宅しか建設できていません。
その原因の一つは、円安と物価値上げ、公共事業のバラマキ、消費税増税とそれに便乗した建設費高騰(建設坪単価が50万円から70万円に跳ね上がるなど)の原因をつくった「アベノミクス」にあることは明らかです。
 
震災関連の自殺や孤独死も増えています。
医療、介護などを充実させる仕事も遅れています。その逆に、サポート体制や支援員の縮小や廃止などの動きもあります。また、JR東日本は、被災した気仙沼線、大船渡線の復旧計画をいまだにつくっていません。
そのうえTPP参加を強行すれば、被災地の基幹産業である農林漁業と食品加工や輸送をはじめ地域経済に壊滅的な大打撃を与えることになります。
 
そして政府は、そのような被災地を積極的に支援するのではなく、国が決めた「集中復興期間」が終わる2016年度以降は「現在の仕組みが全部続くのは難しい」(竹下亘復興相)などと言い出しています。
未曾有の大災害が5年で終わるはずがありません。それは被災者いじめとしか言えません。
 
また安倍政権は、原発再稼働と一体で、賠償をはじめ被害者支援策を打ち切り、縮小させる動きを強めています。
東京電力が示した、商工業者等への営業損害の賠償打ち切りの「素案」は、商工業者をはじめ県民の怒りに直面して、「見直し」を言わざるを得なくなっています。
商工業の次は農業、漁業などが狙われます。ただちに、賠償打ち切りの方針を撤回し、被害の実態に見合った賠償を継続するべきです。
 
上からの一方的な「線引き」が被害者を分断し、新たな困難をつくりだしています。
いまだ12万人が県内外に避難しています。国による指定区域が解除されても、多くの被害者はすぐに帰ることができません。
それにもかかわらず、賠償の縮小・打ち切りや、復興住宅への入居対象を指定区域によって条件から外すなどの切り捨て策が進んでいます。
 
4回目の3月11日を迎えて、この大震災からの復興のために力を尽くすことは政府の当然の義務であり責任です。
今日までの数日、マスコミは挙げて被災地の取材をしています。
しかし、上に掲げたような指摘をしているところはきわめて少ないと言えます。
 
私たち一人一人の支援の動きも大切ですが、最も効果的で緊急の仕事は、この政府のスローな動きを批判し、被災者支援の後退をやめさせ、東電への監督を強めるように指摘することだと言えます。

次の内容は、朝日新聞に掲載された吉永小百合さんの記事です。
 
詩を朗読する吉永小百合さん(右)=10日、東京都渋谷区、主催者提供

吉永小百合さん(69)が10日、東京電力福島第一原発事故の被災者たちが作った詩を読む朗読会「祈るように語り続けたい」を東京都渋谷区で開いた。約500人を前に「美しい福島が本来のふるさとに戻りますよう、サポートしていければと強く思っています」と語りかけた。

 「今も原発という戦車は 放射能という弾をうち 人々の心をうちぬく」。被災後にツイッターで発信し続けた詩人和合亮一さんが指導する「詩の寺子屋」の子どもたちの詩。吉永さんはこの詩のほか、和合さん自身や福島県富岡町を追われた佐藤紫華子(しげこ)さんの詩などを尺八や琴の演奏にのせて読んでいった。これらの詩24編は、東日本大震災から4年になる11日にリリースするCD「第二楽章 福島への思い」に収録されている。

 1986年から原爆詩の朗読活動を始め、「第二楽章」と題して広島、長崎、沖縄の詩の朗読CDを出してきた吉永さん。朗読会の後、「福島の苦しみは終わっていない。忘れないよ、というメッセージを送りたい。(脱原発を決めたドイツ首相の)メルケルさんもおっしゃったように、私たちが決めないといけない。無関心ではいけない」と語った。(副島英樹)
 
| 東日本大震災関連 | 11:14 | comments(0) | - |
ザマナイ(Zaman-ai)〜時代よ〜を聴いて
きのう午後、所用で小一時間かかるところへ車で出かけました。

そのときワイフが貸してくれた表記の「ザマナイ〜時代よ〜」というCDがあったので、 Podにコピーして運転中にかけて聴きました。その旋律と歌詞を何度も繰り返し聴いた。衝撃でした。

 

曲は、「ザマナイ〜時代よ〜」という曲です。

歌手の朋子(TOMOKO)さんがNHKテレビで歌ったのを契機に、著作権問題など大変な苦労をしてCD自主制作にたどり着いたようです。

 

次に曲の、キャッチコピーをご紹介します。

 

旧ソヴィエト支配下のカザフスタンにおいて、日本の四国ほどもある核実験場で、40年間にわたり500回近い核実験が秘密裏に行われてきた。

チェルノブイリを遥かに凌ぐ大量の放射性物質が環境に放出され、120万人とも

言われる周辺住民が被曝し、苦しむこととなった。

癌、白血病、心臓病...他にも様々な病気や障害児出生率の増加、若年での死亡率の増加、そして自殺率の増加。
ペレストロイカを機にカザフスタン全土で200万人が抗議運動に参加。

「ザマナイ」はこの運動と共に歌われ、多くの人々に勇気を与えた。

1989年、セミパラチンスク核実験場を閉鎖させることに成功したが、周辺住民の苦しみは今日も続いている。人類は、核と共存することはできない。

旧ソ連下カザフスタン40年の核実験を止めた歌。魂の歌声を聴け。

 

次に歌詞を紹介します。

【訳詞】高橋朋子
【作曲】T.Muhamad Janov

1.すこやかな子らはなぜ消えた 風になびく髪はなぜ消えた

  心ない仕打ちよ ザマナイ ザマナイ ザマナイ 清き故郷はなぜ消えた

  哀れなるわが大地 数え切れぬ 爆発 閃光に 引き裂かれたわが心よ

2.父祖の眠る地を壊して 豊かな大地を汚して 罰として苦しみ続けよと?

ザマナイ ザマナイ 誇りよ 今いずこ

哀れなるわが大地 数え切れぬ 爆発 閃光に 引き裂かれたわが心よ

3.泉に毒を流すものよ 愛しき子らを奪うものよ

何故ふるさとを貶(おとし)めるのか 

ザマナイ ザマナイ 恥じてこの身が地に埋まる

哀れなるわが大地 数え切れぬ 爆発 閃光に 引き裂かれたわが心よ
  哀れなるわが大地  数え切れぬ  爆発 閃光に

http://www.youtube.com/watch?v=OB9O9-ANmV4  で動画と歌が聴けます。

20121111日 全国で100万人の原発なくせというスローガンのもとの集会で文科省前で歌手のTOMOKOさんがカザフスタンの核実験を止めさせた歌 『ザマナイ〜時代よ〜』を日本語バージョンで歌ったそうです。

http://blog.goo.ne.jp/song_of_eternity/e/1c39e54cafb265edb37eb2b68dd4286a

自主制作であり、音源はもうすでにないそうです。

このCDは買って損しません。定価は1000円だそうです。

 

わたしの研究仲間のグリさんも、新疆ロプノ―ルの核実験の影響で甲状腺がんの疑いがあり、目下、カナダのトロントで病院にかかっています。

彼女の住んでいたトルファンはロプノ―ルとセミパラチンスクの中間にある地域です。

双方の核実験はとっくに中止されたにもかかわらず、わたしの身近な方が、いまだに放射能の犠牲にされようとしています。

現に彼女の甥は昨年、この甲状腺がんでわずか24歳の生涯を終えました。

その日本ではどうなっているでしょうか・・・・・・考えてみましょう。

| 東日本大震災関連 | 05:02 | comments(2) | - |
東日本大震災と斉藤 暁(さとる)のこと
原稿2本を今日明日中に書かなければならないので、今日は簡単にします。

 

今日のテーマの彼、斉藤暁(さとる)は俳優です。私は彼の出ているテレビドラマなどはあまり見ていません。「科捜研の女」や」はじめは「事件は会議巣室で起こっているのではありません」とかのセリフで有名なドラマなどに出ていたようです。

カメラに向かって笑うときは、口をあけるということを教わりました。

 

きのう午後、ひとりでしたので撮り溜めていたビデオを見ました。そのなかで年末の「秘密のケンミンショー」を、早く削除しようと思って流していました。

 

しかしいつもの内容と違って、被災地へ行く内容でした。

岩手、宮城、福島の各地をみのもんたと女のお笑いがまわる内容です。

それに3県出身の俳優や芸人たちが出演するのですが、久しぶりの被災地めぐりのもので私も何度か涙をぬぐいました。飲みながらでしたので、余計そうなったのだと思います。

 

斉藤さんは、ご存じの方はご存じでしょうが、知らない方は知らないと思います。

チビでデブではげ頭ですが、いい男です。

福島県出身でアングラ劇団に所属しており、テレビや芝居関係以外で、狛江では「大ちゃんバンド」のメンバーでトランペットを吹いていました。よく多摩川べりで練習しているのを見かけました。今、バンドは解散しています。

 

以前、我が家でのみました。我が夫婦が行く成城のスポーツクラブでも一緒になります。良く、2人でお互いのおなかの出具合を話します。

今日はワイフと話したそうです。その「秘密のケンミンショー」の裏話しもしていました。その内容は彼の営業に差しさわりがありますのでここでは省きます。

我が家での飲み会


最近、被災地の話題が少なくなりました。

復興は遅々として進んでいません。

国防軍や原発建設の話は新首相から勢いよく出されています。

どうか原発被害で県外避難10万人、県内避難6万人という被災地の皆さんのこと津波彼岸の方がたのことを忘れないでください。

| 東日本大震災関連 | 14:18 | comments(0) | - |
チェルノブイリの今
  来年、チェルノブイリへ行く予定があるのですが、たまたま1025日の朝日夕刊に記事があったので、転載します。

 

チェルノブイリ原子力発電所の位置。左上囲み内の赤い印、キエフの北西。青い部分はウクライナ


 放射能との戦い今も  チェルノブイリ

 20世紀最悪の原発事故を起こした旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発が24日、放射能物質を封じ込めるための新たなシェルターの建設現場を朝日新聞に公開した。

 

チェルノブイリ原子力発電所発電施設(2007年)


 チェルノブイリでは、1986年の事故後間もなく建設された「石棺」と呼ばれるコンクリート製の構造物が老朽化。放射能漏れが問題となり、今年4月に石棺を覆う新シェルターの建設が本格的に始まった。

 2015年完成予定で耐用年数は100年。完成後、原発の解体と、残された放射能物質の取り出しがはじまる。


 

 事故後4半世紀経って石棺が老朽化、その後、1世紀保てる新シェルターを造るということですね。

 日本政府と電力会社はこのニュースをどう見たのでしょうか。

 平成30年に徐々に減らすとか、最近になってからは、それも怪しくなってきています。きのう辞職した石原慎太郎は、「原発や消費税など些細なこと」と言ってのけました。

チェルノブイリ原子力発電所(中央付近)周辺の衛星画像。中央の黒い部分は冷却水用の池。その左上に発電所がある。1997年撮影

 

 原発は人類の頭脳では処理・管理しきれない未曾有の世界のことなのです。それを無責任に放置したままでいる当局の責任は重大です。

 まだ16万人の福島県民が避難しており、家に帰れないのです。その復興予算が他に流用されているなど、信じられないことも起きています。

 まだまだ首相官邸を包囲しなければなりません。

 全国津々浦々から「原発ノー」の声と運動を高めなければなりません。

 

 チェルノブイリ原発は1986年4月26日1時23分、チェルノブイリ原発四号炉で生きた原子力事故です。

 のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される事故でした。

 チェルノブイリ原子力発電所(中央奥)の遠景


 以下、ウイキぺディアから借用します。

 かなり長い文章ですが、敢えてコピーします。

 お時間のある方と関心のある方はお読みください。

 私もまだ読み終えていせん。

 

 当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)RBMK-1000型を使用した4つの原子炉が稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(世間一般でいう「メルトダウン」)ののち爆発し、放射性降下物ウクライナ白ロシアベラルーシ)・ロシアなどを汚染した、史上最悪の原子力事故とされている。

1991年のソ連崩壊以後は原子力発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。

事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験[1][要高次出典]を行っていた。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。爆発により、原子炉内の放射性物質[注釈 1]大気中に量にして推定10t前後、14エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された[2] 。これに関しては、広島市に投下された原子爆弾リトルボーイ)による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残されている[3]影響 も参照)。

当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れこの事故を内外に公表せず、施設周辺住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した[4][要高次出典][5]。しかし、翌427スウェーデンフォルスマルク原子力発電所にてこの事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が検出され、近隣国からも同様の報告があったためスウェーデン当局が調査を開始、この調査結果について事実確認を受けたソ連は428にその内容を認め、事故が世界中に発覚[6]。当初、フォルスマルク原発の技術者は、原発所内からの漏洩も疑い、「核戦争」が起こったと考えた時期もあったという[7]

日本においても、53に雨水中から放射性物質が確認された[8]。なお報道やインターネット上などで一時期目立った「福島原発事故の線量はチェルノブイリの〜倍」という表現は、この国内計測の線量を根拠にしたものであり、現地線量のことではない。

爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。アメリカ軍事衛星からも、赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソ連当局は応急措置として次の作業を実行した。

1.   火災の鎮火と、放射線の遮断の為にホウ素を混入させた砂5000tを直上からヘリコプターで4号炉に投下。

2.   水蒸気爆発(2次爆発)を防ぐ[9]ため下部水槽(圧力抑制プール)の排水(後日、一部の溶融燃料の水槽到達を確認したが水蒸気爆発という規模の現象は起きなかった[10])。

3.   減速材として炉心内への大量投入。

4.   液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる。

この策が功を奏したのか、一時制御不能に陥っていた炉心内の核燃料の活動も次第に落ち着き、56までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解をソ連政府は発表している。

砂の投下作業に使用されたヘリコプターと乗員には特別な防護措置は施されず、砂は乗員が砂袋をキャビンから直接手で投下した。作業員は大量の放射線を直接浴びたものと思われるが不明。

下部水槽(サプレッション・プール)の排水は、放射性物質を多く含んだ水中へ原発職員3名が潜水し、手動でバルブを開栓する作業だが不動により失敗(作業員は大量に被曝したがその後の消息は不明とされる)。これを受け消防隊12名がプール排水のためポンプとホースの設置作業を行いこちらはおおむね成功した[11][12][要高次出典]

爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せきかん / せっかん)と呼ばれている。

事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。避難は427から56にかけて行われ、事故発生から1ヶ月後までに原発から30km以内に居住する約116000人全てが移住したとソ連によって発表されている。しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの一部の住民は、移住せずに生活を続けた。

放射性物質による汚染は、現場付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシロシアにも拡大した。

死者数 [編集]

ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に多数の死者が確認されている。長期的な観点から見た場合の死者数は数百人とも数十万人とも言われるが、事故の放射線被曝白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地がある[注釈 2]。事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が急増しているという調査結果もある[13]

19868月のウィーンでプレスとオブザーバーなしで行われたIAEA非公開会議で、ソ連側の事故処理責任者ヴァレリー・レガソフは、当時放射線医学の根拠とされていた唯一のサンプル調査であった広島原爆での結果から、4万人が癌で死亡するという推計を発表した。しかし、広島での原爆から試算した理論上の数字に過ぎないとして会議では4,000人と結論され、この数字がIAEAの公式見解となった。ミハイル・ゴルバチョフはレガソフにIAEAに全てを報告するように命じていたが、彼が会場で行った説明は非常に細部まで踏み込んでおり、会場の全員にショックを与えたと回想している。結果的に、西側諸国は当事国による原発事故の評価を受け入れなかった。20059月にウィーンのIAEA本部でチェルノブイリ・フォーラムの主催で開催された国際会議においても4,000人という数字が踏襲され公式発表された[14]。報告書はベラルーシやウクライナの専門家、ベラルーシ政府などからの抗議を受け、表現を変えた修正版を出すことになった[15]

事故から20年後の2006年を迎え、癌死亡者数の見積もりは調査機関によっても変動し、世界保健機関 (WHO) リクビダートルと呼ばれる事故処理の従事者と最汚染地域および避難住民を対象にした4,000件に、その他の汚染地域住民を対象にした5,000件を加えた9,000

| 東日本大震災関連 | 07:43 | comments(0) | - |
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE