シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
2019年 モンゴル大草原の旅

5日目 28日 ジレム・ツーリストキャンプでフリータイム

 

20厠イ譴織殴襦Εャンプへ行き、この日はフリータイム。

20劼箸い辰討癲途中の悪路はすさまじいもので、人が歩くのとあまり変わらないくらいのスピード。ドライバーはバスの下部分がデコボコの道路にぶつからないように慎重にルートを選びながら右に左に進むからである。このバスはドライバーの持ち込みのバスである。

 

モンゴルにおける運転の悪癖を発見した。わたしたちの乗った車もそうなのだが、どの車も蛇行運転を繰り返している。究極の「あおり運転」「迷惑運転」のようなのだがそれは違う。

デコボコのくぼみをかわすために、ハンドルを操りながら、くぼ地を避けて走る。しかし、迷惑運転はそれだけではない。右側走行の道を、くぼ地を避けるために反対側の走行車線に入り込むのである。

 

私たちの車はおおむねこうである。ほとんどの車はいつも中央車線のほぼ真ん中を走る。くぼ地を避ける運転になると、反対車線の端まで行って走ることもある。そこに対向車が走ってきてもなかなか元の右側の車線に戻らない。反対車線を走っていてなかなか元に戻らないことを「勇気の証」のように戻らないのである。これこそが究極の「迷惑運転」だろう。

この写真の説明は不要だろう

 

その道路から左にそれて小高い丘のふもとへ向かってゲル・キャンプへ向かうが、これがまた、道路よりすさまじい悪路。草原の上に車が通って自然にできた「道」を道路以上に遅いスピードで7劼鬚垢垢燹

 

幹線道路もぬかるみの道なのだが、その道を走ることを嫌って、そのまた更にわきの草の上を走る車が後を絶たない。車のほとんどはトヨタやニッサンの四輪駆動車である。だから草原に茶色の車のあとがどんどん広がっていく。まさに人による自然破壊である。広い草原から見れば大したことのないように見えるが、これが数か月や何年も続けば大きな破壊になる。

大草原と見るも無残に汚されている道

 

キャンプ場もやはり雨。小雨ではあるが時折は傘もカッパもいらないくらいの程度の雨である。辺りはカスミがかかったような見通し。想像していた自然の景色より何か気持ちがいい。

ここはジレム・ツーリストキャンプは今年3月にできたばかりのキャンプ場でオーナーは中年の女性社長。かなりの日本びいきのようである。新しい木造の家だが、やはりここはモンゴル。

 

ここで苦労したことは、出来立ての「家」を出るときになって部屋から外への鍵では家から出られなくなったことである。いくらカギを回しても出られない。やむを得ず外を歩いている女性2人の仲間に声をかけ、手を振って「こっちに来てくれ!」と叫んでも相手はただ単に私が手を振っているのかと思ってにこやかに手を振り返す。

 

結局、若いスタッフを呼んでもらったが、彼もあけられない。やむを得ず網戸をこじ開けてそれを乗り越えて室内に入って中から開けてもらった。来てもらったついでに、冷たい水しか出ないシャワーも温かいお湯が出るようにしてもらった。わたしはモンゴルに来て以来、はじめてぬる〜いシャワーを浴びることができた。

 

この日はフリータイムの日。希望者は乗馬体験ができる。キャンプが用意した馬の「調教」シ-ンがあった。“この馬もプルジェワルスキー馬だ”という人もいたが。これは普通のモンゴルの馬である。牧童たちはなかなか馬をつかまえられない。

このころになると、私の体は奈落の底に落ちていくように悪くなっていった。乗馬は1990年の夏に天山山脈のカザフ側で一か月ほど馬を乗り回したので、かなり自信があったが、この日は馬に乗る自信はなかった。。

ここからの3葉の写真は、たぶんうちの奥さんの撮影だろう

Iちゃんも楽しそう

これは翌日の有料乗馬体験の際の私である。右側

 

7月24日まで続いた大きな仕事が終わった直後であり、1年以上かけて準備した今回の旅がスタートしたからであろう。わたしにとってはやっとスタートしたことよりも、やっと準備活動が終わったという気持ちのほうが大きい。普通の風邪に下痢が加わった。わたしがリーダーであるゆえ、このような時、旅の初心者は旅の不安を覚えるので、早く治さなければならない。

 

夕食後、例によって宴の輪ができた。わたしも付き合う。みなさん「こんなのんびりした旅は初めてよ」「野口ツアーは今回が最高に良い」と企画した私に賛辞を送ってくださる。コーディネーターとしてこれ以上の言葉はない。

| モンゴル関連 | 11:28 | comments(0) | - |
2019年 モンゴル大草原の旅

3日目 26日 モンゴル帝国の首都だったカラコルムへ

 

この日はブルド・ツーリストキャンプから100劼琉榮阿任△襦

その前に、ブルドというところはカラコルム遺跡の見学に出かける土地だが、ここは草原と砂丘と小高い岩山のあるところ。このあたりでは白く映える砂丘が少ないので、それだけでも有名である。

ゲル・キャンプの朝。わがワイフと体の動かし方を学ぶ参加者

紺の服を着ているHさんも踊りをやっているそうで意気投合したようだ

 

幹線道路はいうまでもなくマッサージ道路だが、そこのどこかを突然、左折してマッサージよりも格段にレベルが急上昇する初期の自動洗濯機のような悪路の三乗くらいの超々悪路を進む。

 

チンギス・ハーンの子孫が造ったモンゴル帝国の首都カラコルムへ向かう。

ちょっと待ってほしい。そのような説があると同時に、別の節もある。

16世紀末、モンゴルのアルタン・ハーンが死ぬと,地方の遊牧君主たちがチベット仏教の力を借りて人びとの信頼を得ようとして、チベット仏教サキャ派の力を借りてエルデニ・ゾー最初の仏教寺院の建立を始めたという説である。

これは卒塔婆である

 

なるほど事前の学習以上のものがここにはあった。エルデニ*ゾーをはじめ、数々の歴史的な建造物があった。極め付きはカラコルム博物館であった。

 

「カラコルム」とは、トルコ語やモンゴル語で「黒い砂漠」になる。いうまでもなく「カラ」は「黒い」である。

どういうことか現代モンゴル語では「ハラホリン」と呼ばれる。かなり昔のペルシャ語の資料では、カラコルムの由来は、近くにある「カラコルム山」という黒い色の石材が取れる山の名前に由来しているといわれている。

しかし、私たちはバスの窓が、日よけの遮光のプラスチックのカーテンに覆われているのであまりよく見ることができない。日焼けを嫌うものへのサービスなのだろうが、日焼けOKの私のようなものにとっては迷惑で邪魔なだけであった。しかも悪路で泥が跳ねあがって窓を汚しても掃除をしない。

 

カラコルムというと多くの方は、新疆ウイグルから中央アジアへ抜ける道「カラコルム・ハイウエイ」を思い出すだろう。しかし、考えてみると「カラ」をいただく言葉はこの辺りには多い。驚くにはあたらない。

 


これを中国式の建築というか、モンゴル式というのか・・・

エルデニ・ゾ―から墓に入ると亀石がある。

 

(下)カラコルム都城跡、エルデネ・ゾー寺院周壁外のモンゴル時代の亀趺

2人そろって写真を撮ることはあまりない。理由は彼女が写真嫌いだからである。

 

オルホン渓谷の文化的景観 世界遺産のエルデニ・ゾー。

 

 

このカラコルムの地は当初、旧ウイグル帝国が9世紀に造ったという説がある。

さらに、チンギス・ハーンがヨーロッパ征服行の際、兵站基地を造営したことが始まりといわれてもいる。

それをチンギス・ハーンの息子のオゴデイ(第2代ハーン)が1235年に宮殿や城壁を築いてモンゴル帝国の首都に定めた。オゴデイの時代にジャムチ(駅伝制度)が整備された。はるかキエフやモスクワあるいはアラビアや現在のベトナムから、当時の「全世界」から報告が集まり、同時にその地へハーンの命令や指示が行き渡っていったのである。世界を統治する新しいスタイルを確立したのである。

| モンゴル関連 | 11:07 | comments(0) | - |
2019年 モンゴル大草原の旅

2日目 26日 ブルド・ツーリストキャンプへ

私たち日本人は贅沢が身についているなどとは決して言わないが、初めての参加者にとってゲルの生活はかなり厳しかったと思う。文句ばかりいう複数の女性がいたからである。

 

電気はついたりつかなかったり、ドアはよく閉まらない。ストーブは、マキを加えることが普通だが、ほとんど忘れられるのでずっと寒い。雨の中、懐中電灯をつけてトイレへ行かなければならない。わたしはトイレの帰り道、小石につまずいて転んだ。旅行中はずっと「バンドエイド」を張りっぱなしであった。わたしはやっと4日目にシャワーを浴びた。

初見参の方にとってのゲル生活体験はいかばかりであったろう。

 

ブルド・ツーリストキャンプまでの車の旅は320辧迫り来て、去り行く大草原の景色を肌に感じながら、みな感動の面持ちだった。雨や「マッサージ道路」との称号を与えられた悪路など頭に入らぬほどの面持ちである。

果てしのない大草原、青い空と黒い雲!!!

悪路の先に羊、ヤギが「邪魔」してくれている。かわいいものだ

 

大きめのゲルのレストラン。手前左側のK老は87歳で参加。

我が家のすぐ近くに住んでいる。大酒を呑み、たばこをプカプカ。

とんざ不良老人であった。

 

途中「オボー」に立ち寄る。

これが道の途中にあったオボーである

 

オボーとは、一種の標柱といえようか。小さくはない石が積み上げられ、道の途中にある少しだけ小高いところにある。

オボーは宗教的にはチベット仏教と共通するものであり。山岳信仰やテングリという宗教的な意味を持ちつとされている。

 

テングリ=精霊とは中央アジアのキルギスやカザフそして新疆ウイグルの国境にある「ハン・テングリ峰(精霊の峰)」という名にもあるように、聖なるものなのである。

 

この山や天山山脈には何度も行ったが、このハン・テングリ峰は、従来は6995辰良弦發世辰燭、ソ連崩壊の末期1990年に「国際キャンプ」が開かれる際に突然、7005辰乏幣紊欧気譴討い襦9餾なのであろう。そんなことをしていたから崩壊したのである。

 

ゲル訪問

この自然との営みを営々として繰り返してきた遊牧民たちの生活をホンの少しだけ体験した。小雨の中で馬乳酒づくりやゲルづくりの体験などもした。

遊牧民の仔馬の世話

みんな家族が一緒に生活。中学生くらいの彼女もけなげに働いていた。

どこかカザフ人の面影がある

わが孫娘は小学3年生。中学生になったらこんな可愛い

働き者になればいいのに・・・

 

ゲルの造りはみな同じ。わたしは自分のゲルから出てレストランやトイレなどに出かけては、帰りに毎回迷子になる、みんな同じ白い色のゲルだからだろう。ゲルの入り口辺りまで行くと番号が書いてあるのだが、どうも私には距離感覚と方角の感覚が他人より少しだけ遅れているのかもしれない。少しだけ・・・

吉祥寺から参加したH女史。遊牧民の娘さんに踊りを教えて

私たちに披露して下さった

どこまでも続く草原の道である

 

そして、時たま襲ってくる突然の大雨、ゲルの中はスタッフしか火をつけられないので、寒さを我慢したり、まきをくべに来ると暑すぎたりと大変である。

トイレとシャワー室は、思ったよりきれいである。

 

出かける前から調子の悪かった体調が、ここへきて今までの疲れとが重なったのか、咳と頭痛が重なってすこぶる調子が悪い。ここで同行のシルクロード仲間の仕事が整体師なので彼が見てくださった。以前は「整体」というのは何やら妖しげなものだと思っていたが、見方が変わった。ウランバートルについた夜、ホテルで様態がおかしくなった!氏の体に触れてだいぶ良くなったこともあったからだ。

バスに乗っても眠りこけて、車中でほとんど寝たことのない私をみて、妻が驚いている。

| モンゴル関連 | 09:53 | comments(0) | - |
2019年 モンゴル大草原の旅

 

7月24日 

“長〜い長〜い、私の準備の1年が終わった”これが、モンゴルへの旅がスタートした私の実感である。

1年がかりのツアー準備期間があった。

まじめな話、私は非常に几帳面な性格なのだが、気になったことは最後まで処理しないと気が済まない、いや、気になって寝られないのだ。どんな細かいことでも気になって眠れない性格である。ときには、ベッドの上であることを思い出して“明日の朝には必ずやる”と思っても忘れてしまうことが、ママある

総勢18人のツアーは初めて。しかし、何人かを除いてはほとんどの人は知っている方がたである。そして、成田で集合した18人の面々はウランバートルへ向かった。

 

初日 25日 久しぶりのウランバートルの街

 

東京はこの日7月24日に梅雨明けしたようだが、モンゴルへの空は、まだ梅雨空

ウランバートルの「チンギス・ハーン空港」へ

10年前と比べて空港の施設は格段と良くなっている

 

 

 ウランバートルの街は、かなり近代化が進んだといわれているが、私にとっては10年前の街とあまり変わらない。

 ガイドは20歳と5歳の男の子2人の47歳のママさん、ムンフデウル(女性)(MUNKHDUL)。ウランバートルで日本語を学んだ。

 

 彼女はさっそく、みんなをバスまで案内し、スーツケースを運んだり

小さな体でコマねずみのようにはたらく。

ホテルへ向かう途中、渋滞が原因なんだろう。隣の乗用車と先頭争い。大きなバスのくせに幅寄せをし、頭から入り込むなどしている。少し接触されてしまった。大きな声で言い争っていたが、小さなことで他車と小競り合いをするなどとんでもない。

 

日本の道路に慣れていて、歩行者優先、他車優先を貫いている私にとっては、これは全く理不尽で危険な運転である。

18人の外国人観光客を乗せて走るのに、他車と争い、前へ行くことに血道を上げるなどとは、とんでもないことである。

ガイドには「こんな危ない運転をするドライバーはクビだ!」という。翌朝、ホテルに来た女性のバヤル社長にも同じことを言ったが、ここはドライバーが「自車持ち込み」で運転するもの。繁忙期の今となっては、おいそれと代わりのバスなどない。それを知っていて話すのだから代わりのバスが決まるわけはない。バヤルもはじめから“そんなことできるわけがない”という顔をしている。

親友のI氏が体調が急変したと奥さんのI子さんからの知らせ。

たまたま同行の士のⅯ氏が整体の先生なので急遽、見てもらう。下記はⅯさんから帰国後の手記である。

 

夫はウランバートル到着直後に突然の体の異変に見舞われ、妻は成田到着後に荷物紛失という災難に…。

 ☆野口注=妻I子さんは、帰国の成田で自分の荷物を他の乗客に間違えて持って行かれてしまったので、私も含めて最後まで担当職員と行方を探していたのです。結局間違えた乗客からの連絡で翌日には解決したのだが・・・

Iさんの体調異変も短い時間のエピソードに見えると思いますが、おそらく通常なら確実に救急車もので、しかも救急車で病院に運ばれてもたぶん簡単には解決できなかったはずの症状で、病院ではまず各種の検査に時間がかかり、その原因を突き止めることさえ難しいので1日や2日の入院は不可避だったと思います。

そうなれば、その後の全行程に置き去りになる可能性もあっただろうと思っています。

ああいう場合の整体の威力は実際、驚くべきものがあると私自身は今も思いますし、あの場に居合わせてよかったと思います(これを私が言うのも変ですが、野口さんには今後のために一応お話しする次第です)。 

実は、あの翌日の朝、ゲルから食事に出かけようとした瞬間に、同宿のKさんが突然、脚の強いヒキツレを起こして苦しみましたが、これも瞬時に解決して、何事もなかったかのように2人で食事に出かけました。 

そんなことが重なったせいもあったのか、私自身も4日目か5日目の深夜、真っ暗なゲルの中でいきなり床に転倒し、側頭部と肩をかなり強く打ったのですが、旅の日程や緊張のなかで十分手当てできずにいたため、帰国翌日から痛みだし、38度の熱まで出るに至りましたが、今はうまく経過しつつあります。

ちなみに、整体では打撲の影響を非常に強く警戒し、後々の内臓の異変の元にもなると考えています。

 

 

この日はホテル泊。

私も体調が悪いのでバスにも入らずに、着てきた衣服のままベッドに倒れこむ。

| モンゴル関連 | 04:00 | comments(0) | - |
きょうからモンゴルへ行ってきます。帰国したら報告を書きます。

8月2日に帰ってきます。

 

モンゴルでのんびりしてきます。

総勢18人にもなってしまいました。

 

7月24日  野口

| モンゴル関連 | 06:05 | comments(0) | - |
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