シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
きのうシルクロード講座でお話ししました。

「シルクロードの真髄を極める旅―西域南道から河西回廊、青海と長安―」

 きのう10日(土曜日)午後、表記の講座を開きました。

一生懸命、お話ししました。

講座が終わって・・・

 

 この間、公私ともに多忙で、といいたいところでしたが、わたしに「公」なんてありません。「私」の多忙さばかりですが、極端に多忙で疲労困憊しました。

 とくに、行き先を急に変更せざるを得なくなった河西回廊の旅の準備は、3日間でパワー・ポイントをつくりました。それでも110枚ほどの写真を一枚一枚説明することができました。

 15人ほどの聴講者のうち8人のツアー参加者のうち、兵庫県と千葉県の方を除いて5人が参加されました。驚いたことに宮崎県からの参加者が、この日の講座のために、朝一番で起きて参加してくださいました。

また、お1人は講座終了直後に参加を申し出てきました(飛行機の座席があるかどうか12日にならないと分かりませんが)。

懇親会で。ツアー参加者中、最年少の愛子さん。右は懇親会を取り仕切るうちの奥さん

 

 

 わたしも一生懸命旅先の特徴を覚え、過去の旅を思い起こしてお話ししました。なかなか難しかった敦煌莫高窟の窟の説明もできました。

ツアー参加者中最年長(84歳)の加藤さん

 

 

 講座を終えて、本当にほっとしているところです。でもまた、7月22日(土)には「現代シルクロード研究会」の講義があります。それがおわると、いよいよ8月5日から河西回廊の旅が始まります。

 来月の講座は、わがクラブの若手役員・田中浩太による「イヴン・ファドランと旅する10世紀の中央ユーラシア」です。是非、ご参加ください。

 

| シルクロード講座の報告 | 10:39 | comments(0) | - |
はじめまして ちゃるぱーさ です。   野口信彦

 13日の土曜日、第83回目の「シルクロード講座」を開きました。

 出演は、音楽ユニット・ちゃるぱーさ(佐藤圭一、やぎちさと)さん。

 どういうことか3年前の前回、わたしはどこかのシルクロードに行っていて、お目にかかっていなかったのです。

「左手の拳を結んで上向きにするとアフガニスタンです」と佐藤さんが説明すると、

彼あきらくんが実演してくれます。

 

 音響などを持参する「ちゃるぱーさ」は、携帯用の音響や楽器の搬入があるので、早めに来ました。前回はまだ1歳前の赤ちゃんだったあきらくんも、今回は3歳の可愛い盛りの坊やでお出ましでした。4年前の孫娘を思い出します。

ご両親の演奏中でも、あきらくんはコックリコックリをはじめました。

でもご両親は、そのまま演奏を続けます。三人のイキはピッタリです。

やがてお布団を出してもらって、オネムリです。大人たちは彼ばかり気にしていました。

 

 あいにくの雨でしたが、あきらくんは両親が準備中でも、お二人から片時も離れないで遊んでいます。この日は2組の主役の1人でした。

 

 7月のシルクロード・ツアーに参加するMさんから翌日、早速、メールが来ました。

 

 「ちゃるぱーさ」の演奏 すごくよかったです。

 心地よい音楽でした。アキラ君の助演もよかった。

 乾いた風の吹く木陰で聞いたら どんなに素晴らしいだろうと思いました。

 ・・・これで参加費 1000円 安いです。ありがとうございました。

 参加者の中に、2010年モンゴル旅行で一緒だった神(じん)さんがいたような気がします。勘違いですか?

では、6月10日にまた。            M子

 

 神さんは来ていましたよ。

 

 ちゃるぱーさは、今度は11月4日の日本シルクロード文化センター恒例のイベントに出演してくれます。

 

 この日ははじめ、佐藤圭一さんからアフガニスタンの過去と現在、政治、宗教そしてミュージック・シーンなどのお話がありました。この話だけの講演会も必要かなとも思いました。

 

 アフガンの人口の半数を占めるパシュトゥーン人はアフガニスタンと同じ意味で、その意味は「気高くて強い人たち」だということ。ビンラーディンは訪問者としてアフガンに来たので、客人としてもてなさざるをなかったので、敵(アメリカ)に差し出さなかったということなど、はじめて聞く話もたくさんありました。

 

 

 そういう点でいえば、昨年の我が日本シルクロード文化センターの年一回のイベントを、アフガニスタンを中心にして構成しましたが、大使に講演をお願いして「来る」という確約だったものが、案の定、大使館の別の者が来たということとは別に、アフガンのソ連侵攻から内乱・内戦、アメリカの攻撃に至る焦眉の課題の話がほとんど出ないで、アフガンが天国か極楽であるかのような話しかしなかったということがありました。

 

 佐藤さんは、そのことについては「彼らは、国内の最も悲しいことを語りたくないのでしょう」という意味のことを言っていましたが、私はいまだにこのことについては納得できていません。まだ抗議しています。心の中でですが。

 

また、国内の民族構成、言語、イスラームのこと、バーミヤンなど古代遺跡のことなどなど、わたしにとっては、この種の話をこそ聞きたかったのだという思いでいっぱいでした。

おくさんの「やぎ ちさと」さん。

とても素敵な女性であり、良きママでした。

「ママさん」でなく「ママ」という言い方に私の称賛の気持ちが込められています。特にその音=音楽に対する感性、太鼓に特化した感性がとても素敵でした。今度はソロを聞きたいのです。

 

懇親会も、彼の独断場です。

| シルクロード講座の報告 | 09:58 | comments(0) | - |
2月のシルクロード講座の報告です。

第80回シルクロード講座「古代オリエント世界の魅力 ― 『ギルガメシュ叙事詩』をめぐって ―」が、講師:古代オリエント博物館長 月本昭男さんで行われました。

少し遅くなりましたが、日本シルクロード文化センター役員の持ち回りで感想文を書いていただいていますので、鈴木昇さんの感想文をご紹介します。

 

その前に、改めて「古代オリエント世界の魅力 ― 『ギルガメシュ叙事詩』とはなにかについてお知らせしておきます。

「シュメール人の英雄叙事詩でメソポタミア文明の代表的文学。『旧約聖書』に先立つ「大洪水」が見られ、世界最古の物語とされている。楔形文字で粘土板に書かれたものが残されている」講師。

講師の月本昭男さんをご紹介します。

 

アッシリア学者、聖書学者、宗教学者。東京大学卒業。上智大学神学部神学科特任教授。立教大学文学部キリスト教学科名誉教授。
著書『目で見る聖書の時代』、『古代メソポタミアの神話と儀礼』『この世界の成り立ちについて 太古の文書を読む』など。翻訳『ギルガメシュ叙事詩』『創世記』など多数。
会場は「みんなの広場」(狛江市東和泉2-
20-
12 えのき2番館1階)でした。

楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板

 

 

鈴木昇さんのシルクロード講座感想

 

ギルガメッシュ。ごぞんじの方は少ないそうです。聖書に詳しい知り合いに聞いたところ、はじめて聞く、と言っていました。
ギリシャの「オデュッセイア」と同列に扱われる世界最古の文学作品。バビロニアの叙事詩とのことです。
粘土板にくさび形文字で刻まれてきた作品が欠けた部分を補うとき、再構成がされ、まとめられてきたこと。
旧約聖書で言う「ノアの方舟」の原型といわれる大洪水伝説がでてきます。


お話そのものは、岩波書店から「ギルガメシュ王物語」全三冊の大型絵本で出ています。ただ、3冊目が品切れです。お話の概要がよくわかります。全文は、筑摩書房から出ています。
叙事詩では、友情が大きなテーマとなっています。主人公が大きく変わっていく様が描かれています。興味深い、聞かせる話でした。

 

| シルクロード講座の報告 | 09:21 | comments(0) | - |
1月のシルクロード講座では・・・・

 14日の土曜日、今年初めてのシルクロード講座を開きました。

 この日は、ともかく寒い日でした。今年最強の寒さと言っても、このところ連日“今年最強の寒さの日”ですから・・・・

 九州及び東京・神奈川・静岡くらいまでの地域以外はほとんどが雪ではないでしょうか。列島が凍えて縮こまっているような寒さですが、この日も元気に13人が集まりました。

皆さん熱心にナヒードさんのお話を聞いています。

 

 そしてこの日の演者はナヒード吉成さん。もう、正月のシルクロード講座はこの人の指定席のようです。ナヒードさんはイラン生まれで東京在住の長い方です。ラジオジャパンのペルシア語翻訳とアナウンサーで、ペルシア詩の朗読を介し、様々なメディアでの出演やライブ演奏などを行っています。よく、六本木などでのライブの案内が来ますが、若いころは毎日のようにいきましたが、いまの年金生活にとってはなかなか行かれません。

 彼女は年末には故郷イランの北部地方へ帰郷したようですが、この日もイランのお土産を持参してくださいました。

お話し中でも、活発な質問が出ます。

 

 テーマは「ペルシアの詩と音楽を楽しむ」です。しかし、この日の直前、わがクラブの事務局長に「奈良へ行ってきたので、そのことを話したい」と言ってきました。お願いし宣伝したテーマと違うし、このお話はとても貴重な内容なので、改めてお話をしていただこうということになりましたが、私が電話しときにも再度、要請されました。「それでは、それで全部を使うのでなく、ある程度ということでお願いします」ということになりました。

寒い日です。このような日に参加される方々は、もう常連さんです。

 

 

 彼女はNHKの仕事で11月の3日間を奈良で過ごしたそうです。パンフレットもみんなの分を持ってきていただきました。題して「正倉院展『式部省木簡の世界』―役人の勤務評定と昇進−」。

 

 副題にもあるように、発見された木簡には役人の勤務評定などもがあったそうです。ナヒードさんが何よりも強調したかったことは、ここで発見された1300年前の女性の衣装がペルシアの衣装と似ているということでした。「日本では当時の飾りとして残されているが、ペルシアでは日常生活にあるものとして身に着けているものです」と強調していました。

衣装をここでご紹介できないのが残念ですが、浦島太郎の竜宮城の乙姫様が着ているような衣装です。

皆さんの関心が最も高かったことは、文字を右から書くことでした。

 

 

 雑談のような懇談会のような極めて気楽な雰囲気で行われたシルクロード講座は、楽しい雰囲気のうちに終わり恒例の懇親会に移りました。

懇親会の席ですが、これでも随分と熱心に会話しているんですよ。

 

 その席で私は彼女にあるお願いをしました。2月15日に武蔵野市の老壮連合会シニア講座での講演会に一緒に出席してほしい、と。まだ、運営側の方に打診はしていませんが、断られることはないでしょう。

 とにかく“私たちのシルクロード”は、このようにしてスタートしました。

 

 わたし自身のことと言えば、1月28日には「現代シルクロード研究会」でのモンゴル史のレジュメづくりとパワーポイント作成に全力を挙げなければならないし、2月の武蔵野市での講演会にも全力を挙げなければなりません。

 さらに、最近私が引き受けた全国的なスポーツ関係の交流組織の事務局長としての様ざまな仕事が津波のように押し寄せて来ています。年だからといって、一休みする暇もありません。まだまだ人生最盛期です。

| シルクロード講座の報告 | 11:42 | comments(0) | - |
シルクロード講座報告  登山家ティルマンのワハン回廊 吉田博美

※少し遅くなりましたが、10月8日の「シルクロード講座」の報告を行います。

 きょうの報告は新入会員の吉田博美さん。

 長い間、中央アジア方面の旅行業に従事していましたが、現在はフリ―。

 報告者の吉田さんはオクサス学会の会員で、講師とは以前から面識もあり中央アジアやパミールに精通した方です。

 写真は、周東三和子さん。    (野口信彦)

 

 講師の越田和男氏は、甲南山岳会(甲南大学山岳部OB会)会員、パミール中央アジア研究会会員、日本山岳会会員。夜来の雨も上がった午後1時から始まったシルクロード講座は、ティルマンの人物像紹介から始まりました。

10月8日に行なった「シルクロード講座」の講師・越田和男さん。

 

 H.W.ティルマン、1899年英国リバプール生まれ。

 1915年から1919年まで陸軍士官学校を経て軍務についており、第一次大戦中は砲兵隊に所属し西部戦線に出陣。2度の負傷、戦功十字章を授与されています。

 

 1919年に21歳で軍を退役し、退役軍人には無償で貸与されたというケニアに入植しています。

 1930年には、のちに名コンビとなるエリック・シプトンと東アフリカで登山を始めます。その後キリマンジェロ単独登頂、ウガンダからアフリカ西海岸まで自転車で単独大陸横断を成し遂げています。この大陸横断については著書があり、日本では吉沢一郎氏訳の『赤道の山』(あかね書房、1967年)として出版されました。

 

 その後、1934年シプトンとヒマラヤのナンダデヴィ(7816m)遠征を行い、内院に至り登路を見出します。また同年アルパイン・クラブ(英国山岳会)に入会。

 翌年、シプトンが隊長を務めた英国隊第5次エヴェレスト遠征に参加、1936年には当時登頂最高峰だったナンダデヴィに初登頂を果たします。これは、ケンブリッジ大学出版から1937年に出版され、日本では池野一郎氏が翻訳しています。『ナンダデヴィ登攀』(朋文堂、1942年)

 

 その後も彼の活躍は続き、1938年には、英国第7次エヴェレスト遠征隊長を務めます。アッサム・ヒマラヤ踏査、ゴリ・チェン試登などを行い、1939年から1945年までは第二次世界大戦に従軍します。アルバニアで落下傘降下、パルチザンとの共同作戦に連絡将校として参加、北イタリアでの抵抗運動への協力、ベルノの解放に貢献するなど大活躍、のちに名誉市民に選ばれています。

玄人好みのテーマで講師も年配でしたので参加は13名でしたが、淡々とお話しする姿と深い内容には、ゾクゾクするものがありました(野)。

 

 2年後の1947年にはスイス隊に参加しラカポシ(7788m)試登。カシュガル駐在中のシプトンと合流し、ムスターグ・アタ(7546m)も試登しています。

 帰路、ワハン回廊を下降。その時に逮捕されファイザバードまで連行される事件が起こります。これについてもケンブリッジ大学出版から本が出ており、日本では1975年薬師義美氏訳で『カラコルムからパミールへ』というタイトルで白水社から出版されています。

 

 1948年シプトンと新疆省の天山山脈の支脈であるボグド・オーラとチャクラギールを試登し、翌年ネパールが解禁されたのでネパールのランタン、ガネッシュ、ジュガール・ヒマールなどを踏査します。

 1950年アンナプルナIV峰試登。ムスタン踏査、マナスル及びエヴェレスト南面ルートの偵察を行います。深田久弥氏訳『ネパール・ヒマラヤ』が1971年にあかね書房からでています。

 1950年から3年間は、独立後のビルマで外交官として、マンダレー近くにマイミョで英国領事を務め、1954年にはセント・アンドリュース大学から名誉学位を受けています。

 

 この後、ティルマンの興味は海に向かいます。老帆船ミスチーフ号を入手し、遠隔地の航海に乗り出し、英国航海史に名を残しえいます。パタゴニア探検、西部グリーンランド、パフィン湾とパイロット島、東部グリーンランド、サウス・ジョージアと南シェトランド群島、スピッツベルゲン周航など。しかし、

1977年に南極海・南シェトランド諸島のスミス島遠征に参加し、フォークランドに向けリオデジャネイロを11月1日に発ったあと消息を絶ちました。79歳でした。

 生涯独身で、1934年に入会し、57年には副会長になったものの、女性が入会したことを怒って退会しています。

 

 テーマの「ティルマンのワハン回廊」ですが、ティルマンは第二次大戦後間もない1947年、スイス隊に招かれラカポシ登山隊に参加したあと、盟友シプトンを新疆に訪ね、ムズターグ・アタを目指しました。両山とも登頂には至らず、帰路はオクサス川源流のワハン回廊を単身で下降したのです。この旅は、大戦直後の混沌とした時代の間隙を縫ったものであり、査証も持たぬ大胆きわまる旅は、アフガンの官憲に拘禁連行のすえ国外追放されるという顛末で、1600キロに及ぶ苦難の長旅の末チトラールに帰還したのでした。

 吉田 博美(新入会員、オクサス学会会員)

| シルクロード講座の報告 | 06:02 | comments(0) | - |
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