シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
第94回シルクロード講座は「雲南のお茶と古茶樹」

6月9日(土)は第94回シルクロード講座でした。周東がご報告します。

 

講師は鈴木朋博さん。中国茶の高級評茶師で吉祥寺で「青蛾茶房」という無農薬の中国茶のお店を開いています。鈴木さんとは、シルクロード講座で2回講師をお願いしたカワカブ会の小林さんを通して知り合いました。いつもおいしいお茶を淹れて下さるので、下心もあってお願いしました。

 

パワ—ポイントはNational Geographic風に黄色い枠で囲まれた"UNNAN GEOGRAPHIC"。

主人公は鈴木さんが訪ね歩かれた中国雲南省の樹齢1,000年、2,000年と言われる古茶樹たち。お茶の樹といっても、日本の茶畑の丸く刈り込まれた人の腰ぐらいの樹とは違います。標高2,000m以上の高地に樹齢200〜300年以上のお茶の樹ですが、近年までその価値が認められずに薪にされていたとか。葉は長さが20cmもあるような大きな葉で、30mくらいの高さの樹に梯子をかけたり、やぐらを組んだりして、年に1回その若芽だけを摘んでお茶にするそうです。

 

野生種の他に挿し木で増やした栽培種もあって、古茶樹とうたっていても栽培種で、その味わいは雲泥の差ということもあるようです。よいお茶は4煎目以降の味で見分けるのだそうです。

 

話は、茶農家が摘んだ茶葉が製品になるまでの過程、それが遠くまで運ばれて行くための工夫などが紹介され、数年前カワカブ会で茶馬古道を旅したときの体験を思い出して、うんうん、そうそうと一人うなづいていた私でした。ちなみにその旅で整形を体験させてもらったプーアル茶は、未だ大事に保管してありますよ。日本のお茶と作り方が違うので質問続出。

 

 

休憩時間には、茶藝師の渡辺さんがわざわざ来て下さって、おいしいお茶を淹れて下さいました。暑い日向けのさっぱりするお茶「紫娟白茶」(冷茶)とジャスミン茶をいただきました。

 

 

後半は、鈴木さんが訪れた古茶樹たち。日本人研究者が初めて紹介した樹齢800年の二抱えもある茶樹王は、その後道が整備され、回りが踏み固められて枯れてしまった話や、記念切手にもなっているが保存のため周りに柵がつくられている例、標高2,500mにある推定樹齢2,700年の茶樹王、道無き道を通って会いにいった古茶樹たちの話はとても興味深いものでした。

 

 

講座の後は、いつものように狛江駅近くに場所を移しての懇親会。茶談義で話に花が咲きました。

 

 

 

| シルクロード講座の報告 | 17:23 | comments(0) | - |
奥の深ーい北インド古典音楽〜ラーガの世界

4月14日(土)、恒例の第92回シルクロード講座が開かれました。今回は何と90回を超えたこの講座で初めてのインド、しかも北インド古典音楽。講師は大学在学中にインドの古典音楽に出会ってしまったバーンスリー奏者の寺原太郎さんと、タンプーラをさわり続けて下さった百合子さん。

 

 

まず、インドの広さ、多様性にびっくり。広さはEU(欧州連合)くらいあり、29州6連邦直轄領一特別区に分かれ、州ごとに言語が違い、それぞれ独特の歌や踊りがあり、独自の文化があるとのこと。人口13億人。公認言語21。つい最近これまで知られていなかった言語が発見?されたそうだ。こんなインドでも古典音楽は大きく南と北に分けられる。

紀元前、遥かヴェーダの時代に端を発し、16世紀ムガル帝国の治世下で宮廷音楽として大きく発展を遂げたのが北インド古典音楽。イスラム勢力の侵入によって南インドに逃れ定着したのが、南インド古典音楽だそうだ。古典音楽を聞くのは王様や貴族たち。インドの映画で私たちが耳にする賑やかな音楽とは全く別物の感じだ。

 

北インド古典音楽はラーガという規則に基づいて、その時、その場で即興で演奏されるという。ラーガには音階の上がりと下りが別だったり、音の使い方、装飾の仕方、演奏されるべき季節や時間帯、表現すべき感情などが決まっている。その決まりごとのラーガが数百から数千個あるとか、、、。ここで完全に目が点状態。

例えば時間帯では、朝(夜明け前)のラーガ、日の出後のラーガ、昼、午後、夕方(日没前後)、夜、深夜というふうに用いる旋律が異なるそうだ。夜のラーガと早朝のラーガを聞かせてもらったが、確かに違う。これに季節や月齢、恋、悲しみなどの感情まで加わったら、私たちにはお手上げ。でも向こうの人たちは、ちゃんと分かるのだそうで、夜に朝のラーガを演奏してはいけないのだそうだ。(今日はレクチャーだからOK)

 

それでも、この決まり事があるおかげで、インドで生まれ育った人でなくても演奏することができる音楽なのだそうだ。

 

タンプーラは調音された絃を指で撫でるように弾き続ける楽器で、声楽者に基音を伝える物だそうだが、バーンスリーやシタールなどのメロディを弾く楽器の裏でずっと奏で続けられており、聞いているとうっとりしてくる。

太郎さんのバーンスリー(竹笛)と百合子さんのタンプーラの世界に心地よくなったところで、時間切れ。

またの機会を期待したい。

そのあとは、参加者一同で懇親会。いつも懇親会に使っていた狛江の鮮の庄が改装中ということで、引き続き「みんなの広場」をお借りしての懇親会で、談論風発。楽しいひとときだった。(周東)

| シルクロード講座の報告 | 23:57 | comments(0) | - |
イランの歴史をお話ししました

 遅くなりましたが、先週土曜日の10日、「第91回シルクロード講座」でイランの歴史をお話ししました。

 10日の講座をなぜ、今日まで書かなかったのかというと、撮影したCANONの写真をパソコンに取り込むものが一つも見当たらなかったのです。毎日毎日、家の中を探したのですが、いまだに見つかりません。すぐに見つかるだろうと思っていたのですが、皆目見当たりません。当日の写真はないのですが、イランそのものの写真はありますので、それでいきましょう。

 

 4年前の2014年に2回目のイラン旅行に行ったわけですが、イランを考えれば考えるほど、実に長い歴史があるところだと思います。ブログとしては、だいぶ長くなりますが、本文と写真の次に、イランのおおよその歴史をメモしておきます(当日の写真より、そちらのほうが大切なのですがね)。

 

 そして、イランには世界遺産に登録されたものがたくさんあります。その一覧もあるのですが、一覧ばかりでは怒られますので割愛します。

 

 講座の当日は、事務局長をはじめ、常連の皆さんの何人もが欠席でした。前月よりも少ない人数だったのですが、お話しする側としては、聴講する方が10000人でも1人でも同じことなのです。同じ市内に住む男性の方が見えました。神奈川県に住む女性の方も見えました。初めての方がたです。

 

 パサルガダエにあるキュロス王の墓

 歴史遺産のお勉強に来た高校生。鼻のあたまの白いものは、「鼻が高くなる薬」だそうだ

イスファハーン 

こちらは中学生のようです

絢爛豪華なイスファハーンのモスク内部

ここでは女子大生が「写生」。私たちのメールアドレスを聞いてきた。

戒律と規制のおかげで、外国人と知り合いたのだそうだ。

 

 アケメネス朝

 紀元前546年〜紀元前333年、アケメネス朝は、キュロス2世によりメディア王国、リディア王国、新バビロニア王国を滅ぼし、新バビロニア王国によって移住させられたユダヤ人を解放し、“バビロンの捕囚”を終焉(しゅうえん)させた。そしてキュロス2世の息子カンピュセ2世により、エジプトを併合して古代オリエント世界を統一した。そのダレイオス1世はペルシア戦争を起こしたが敗北し、ダレイオス3世のとき、マケドニアのアレクサンドロス大王により征服され滅亡した。

 

  このころ日本は、縄文時代であり、アケメネス朝がアレクサンドロスに敗れて滅亡したのが紀元前333年であった。日本は縄文時代がそろそろ終わりをつげ、弥生時代に入ろうとする頃だった。


アルサケス朝
 紀元前248年、アルサケス朝成立。アルサケス朝は、アルシャク朝パルティアとも呼び、古代中国との交易があった関係で「安息国」とも呼ばれていた。セレウコス朝シリアから独立し、アルサケスにより建国された。ローマ帝国との抗争で、ローマ将軍のクラッススを戦死させた。
サーサーン朝
 西暦226年、サーサーン朝ペルシアが成立。サーサーン朝はアケメネス朝の正統な後継者を称し、アルサケス朝と戦い勝利し、アケメネス朝ペルシアの称号を引き継いだ

 ローマ帝国との抗争では、シャープール1世はヴァレリアヌスを捕虜にした。東ローマ帝国との抗争で、ホスロー1世はユスティアヌス1世から賠償金を得た。

 ホスロー1世は突厥(とっけつ)の室点蜜と同盟を結び、サーサーン朝を圧迫していたエフタルを滅ぼした。


 570年、ムハンマド誕生。             日本は古墳時代に入る。
 651年、ヤズデギルド3世の時代、ニハーヴァンドの戦いで、正統カリフ時代のイスラーム帝国に敗北、サーサーン朝が崩壊。再起をめざしたが滅亡。初代イマーム・アリーがカリフになる。
 661年、3世紀ころからゾロアスター教がペルシアの国教になる。サーサーン朝が滅亡したころ、日本は飛鳥時代に入る。
 661年、ウマイヤ朝成立。
 749年、アッバース朝成立。            日本は奈良時代に入る。
 818年、イマーム・レザー没。
 874年、サーマーン朝成立。            日本は平安時代に入る。
1038年、セルジューク朝成立。
1256年、イル・ハーン朝成立。
1370年、チムール朝成立。             日本は鎌倉時代に入る。
1501年、イスマイール、サファヴィー朝成立。
1722年、サファヴィー朝滅亡。           日本は江戸時代に入る。
1736年、アフシャール朝成立。
1750年、ザンド朝成立。
1850年、バーブ教弾圧。              日本は明治時代に入る。
1905年、立憲革命。                日本は大正時代に入る。
1925年、パーレビ朝成立。             日本は昭和時代に入る。
1951年、石油国有化宣言。
1979年、イラン革命。イラン・イスラム共和国成立。
1980年、イラン・イラク戦争。
1989年、ホメイニ師死去。             日本は平成に。

| シルクロード講座の報告 | 02:10 | comments(0) | - |
第90回 シルクロード講座の報告  (報告者 大塚純子) 

2月のシルクロード講座は1週間前に開きましたが、日本シルクロード文化センター役員の大塚純子さんにレポートを書いていただきました。写真は一部を除いて末尾にまとめて掲載します―野口

  

 

 開催日時:2018年2月10日(土) 13:00〜16:00

 会場: 「みんなのひろば」  狛江市和泉2-20-12-103

 

 テーマ:「カザフ牧畜民が生み出す美しき装飾世界―手芸技法の紹介を中心に」

 講 師:廣田千恵子さん(カザフ装飾文化研究者)

(講師プロフィール):モンゴル国バヤン・ウルギー県に2年滞在しカザフ人とともに生活しながら彼らの文化を学ぶ。帰国後は全国各地でカザフ刺繍ワークショップを開催。また、留学中からWEBサイト「カザフ情報局KECTE」を通じて情報発信をおこなっている。現在は千葉大学大学院後期博士課程在籍中。

 

 モンゴル国内のカザフ人の人口は約10万人、モンゴル国の総人口のうち約4%を占め、そのうちの約9万人はモンゴル国の最西北のバヤン・ウルギー県に居住している。

モンゴル内のバヤン・ウルギー県の地図

 

 ロシアの南下政策が始まるにつれてカザフの一部の牧畜民たちは南へ北へと移動しこの地に落ちついた人々は、そのあとにモンゴル・ロシア・カザフスタンの国境が定まったためカザフに帰れなくなりモンゴル国民となった。モンゴル国内の少数民族と位置づけられ、カザフ人は少数民族中、人口第1位でその89%を占めている。

 

 バヤン・ウルギー県では全人口(約11万人)の4割が牧畜を専業としている。この地のカザフ人の文化とは遊牧、イヌワシを用いた狩猟、ドンブラなどの民族楽器・音楽、天幕型家屋の内側を飾る室内装飾の製作その技法、文様です。

 今回の講座は、このうちの天幕型家屋(キーズ・ウイ=フエルトの家の意)の伝統的室内装飾の作成技法とその文様、材料等の紹介です。

 

  • カザフの天幕型家屋(ユルタ)とモンゴルの天幕型家屋(ゲル)は少し違う

・カザフのユルタは屋根が高くモンゴルのゲルよりも大きい。

・モンゴルのゲルは真ん中に屋根を支える支柱があり屋根をしっかりささえている。カザフのユルタは屋根が2段になっていて高く、屋根は支柱で支えるのではなく全体のつり合いを取ってかぶせるので支柱がない分やや柔い。

カザフのユルタ

 モンゴルのゲル 

  • カザフの天幕内の装飾とモンゴルの天幕内の装飾は違う。

 ・カザフでは室内を装飾布で飾る伝統がある。色彩鮮やかで技法に富み、砂防や害虫の侵入を防いだり、風を通したり塞いだり室内の温度調節をする簾に似た機能を持つ装飾布もある。バヤン県は冬は―30℃〜―40℃の半乾燥地帯で防寒対策は欠かせない土地柄である。

・ユルタの造りはゲルより頑丈な造りではないので、重量のある装飾布を多く架けるには注意が必要である。

*この地のカザフ人は、夏は高い山に移動して天幕型住居に住み、冬は山を下りて定住用の固定木造住宅(スタック・ウイ)に住む。固定住宅の中は冬に使うストーブで空気が汚れ装飾も汚れるので室内装飾は少ないという。^

・モンゴル人は常に移動に適した天幕式ゲルに住む。モンゴル人のゲルの中は装飾が少ない。装飾は家具そのものに彫刻・彩色をほどこし簡素である。

移動の際には解体、運搬、建造がしやすいことを旨としている。

 

3.カザフの装飾作成技術一覧(カザフ語表記)

  • 彫る(Oio)オヨ     木材を彫刻する。フェルトを切り取る。
  • 縫う(Tiry)ティゴ     刺す。縫う。*針を突き立てるイメージで布にさす。

            壁掛け布を作成する技法で、道具は針・かぎ針

            フエルトに刺す場合は()サロ

  • 巻く(Opay)オラオ   巻く。包む。くるむ。*芦の茎に糸や裂いた布等を

            巻き付け、これを簾のように編んでいく技法。

            砂防壁を作成する技法

  • 織る(Tepy)テロ    織る。拾い集める。*一か所に集めるイメージ

            手織紐を作成する技法

  • 織る・編む(Toky)トコ 織る。編む。*物を構築するイメージ

 

4.文様を作り出す技術

 )イΑ憤貳姪にティゴ)*縫い方によってさらに名称が分かれる。

             ・刺し縫いする

             ・縫い合わせる

             ・押し縫う

             ・仮縫いする

           *道具=針(イネー)、大針(テペン)あるいはかぎ針(ビズ)

           *素材、フェルト、布、皮

∋表する(刺繍=ケステ)

・かぎ針刺繍、手刺繍、大針刺繍、(縫い目によって)○○刺繍

 大きな布のまま製作できる。壁掛け布、マット、ベッドカバー、マットレス等

 の装飾によく使われる。技法は難解ではなく反復練習すればだれにでもできる。 

  ・刺し子≠刺繍とは別の分類。 布が丈夫になる。

・左右対称の整頓された模様を表現するための技法 

・ケステ=〇表 一覧表は)イΔ汎韻

 ・織は芦を刈り取って乾燥させ、茎の一本一本に糸や細く切った布、紐を巻き付け

  これを何本も並べて簾を作るように織紐で括っていく技法で、芦の間隔を変えて用途に合わせ、砂防壁に仕立てたり、風を通す暖簾に仕立てたり、虫を防ぐ簾にもなる。

 ・機織り機は無く、簡単に木の枝を何本か固定し、間に縦糸を通し、これに横糸を

  くぐらせていけば布が織れる。

  縦糸の本数を多くすれば布幅は大きくなるが、文様の都合で一般的、伝統的に

  縦糸の本数は決まっているようだ。

  草原でも、道端でも、家の中でも簡単にこの仕組みで布を織ることができるので、

  場所や時間を選ばずに作業ができる。熟練すれば高度な文様の布もできる。

 

5.文様 

文様は動物の角、耳などがモチーフになっており、左右対称の図形が繰り返される。

 布全面を刺繍で埋め尽くすのが特徴。微細に正確に埋め尽くす。

 かぎ針網や刺繍では繰り返し文様の他に、自由な絵柄、色使いが出来る。

 しかし、これも基本的にはびっしり布地を埋め尽くすのが伝統である。

 

6.装飾品は商品化されていない。

 カザフ人の装飾布は生活の必要から生まれ、技術が高く昇華したものであって

 手空きの時間にコツコツと造りだされた。したがって売るほどに造るものではなく

 市場にはほとんど出回らない。

 したがって手に入れるのは難しい。

 大作は絢爛豪華で目を奪われるが、技法は難解とまではいえず、素材、糸、布地も手近に入るもので作られ特別高価なものでもない。化学繊維も使用するし、時代につれて登場する新しい素材も取り込んでいる。今までもこれからも大量清算は可能ではない。

 

 この宝物はこれからどう発展していくのだろうか。

モンゴル西北部地方の美しい景色にあこがれている身としては、遠くない将来にこの地を旅し、カザフ人のユルタに立ち寄って装飾品の数々を見せて頂きたいと思う。

                                

| シルクロード講座の報告 | 06:51 | comments(0) | - |
盛況でした! 1月のシルクロード講座

1月13日(土曜日)。今年初の「シルクロード講座」を開きました。

この日の会場は「泉龍寺 仏教文庫」。

 

狛江駅北口から直線でおよそ100メートル。静かな環境のその境内のはずれにある仏教文庫は、私たちが2〜3ケ月に1回開いてい行なっている「現代シルクロード研究会」の会場となっています。

 

こちらの会場のシルクロード講座は毎月定例というわけにはいきません。お寺さんですから葬儀や法要、仏教研究の予定などの日程が組めないからだと思います。したがって「毎月第2土曜日午後」というシルクロード講座の日程は組めないのです。

で、この日の講師はペルシャの歌姫ナヒードさん。

今回は「イランのおもてなし」についてイランと日本の違いを話していただきました。

もうこれで3年連続の1月の出演です。

 

お話の内容は、たとえば“お客さんを大切にする”ということ。

知らない人と知り合っても、必ず食事か何かを勧める。

あるいは何かをすすめられても「3回」は“いりません”と遠慮をするなど、日本とのあまりもの違いに驚くやら大笑いするやら・・・

面白おかしい話もあれば、フーンとうなづいて感心するお話もありました。

 

この日は横浜から参加の女性や、常連さんがお誘いした方の参加、あるいは狛江と縁が深かったという中野区在住のウォーキングクラブの長老の参加などで20名近い参加の大盛況でした。

なかでも横浜から参加された方は、自ら「シルクロードを勉強したいので」と申し出て入会。もと税関に勤めていたのでPCは得意。わがクラブの弱点を補ってくれそうです。

 

講座終了後の全員写真

わたしの55年来の親友・石井賢二とワイフとナヒードさんと

楽器を持参したナヒードさんは、講座で演奏するのを忘れました。

それで懇親会の席で・・・・

ナヒードさんの席の前に置かれた「八海山」のマス酒。

でも彼女はそれほどのん兵衛ではありません。

| シルクロード講座の報告 | 04:49 | comments(0) | - |
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