シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
日本に伝わる前の仏教知る鍵 ウズベキスタンで壁画発見(11月18日の朝日新聞の見出しから)

※ここからは野口の文章です。

 

2016年8月のこと、キルギスからの帰国の途次、ウズベキスタンのブハラ空港に着きました。そこで、見たことのあるような、ないような高齢の方を見かけました。

 

それが加藤九祚先生でした。いまで思えば病気のために痩せておられ、風貌が変わってしまった九祚さんの前を何度か、行きつ戻りつして、ご本人であることを確認してから話しかけました。「九祚さんじゃないですか。こんなところでお会いできて・・・」と話しかけました。「おやおや野口さん。どこからお帰りですか?」のような会話を交わしました。

九祚さんは、立正大学のメンバーとご一緒でしたので、それ以上話すことは控えましたが、これが私が九祚さんとお会いした最期でした。

 

先生の遺志を引き継いで活動されている立正大学が中心となった今回の壁画発見を、天国の九祚さんは目を細めて喜んでいることと思います。

 

加藤九祚さんは創価大学を退職されてから、研究活動を続けるためにご苦労されていましたが、奈良の薬師寺さんの協力がありました。その後、私も奈良を訪れたことがありますが、先生の研究への執着が多くの者を引き寄せたのだと思います。

 

私たち日本シルクロード文化センターは、毎年1月の講座には必ず九祚さんをお呼びして、終わってからの懇親会でもしたたかに飲んだものです。そして、二次会は成城学園のなじみの店でした。

そしてもう一つの研究団体「パミール中央アジア研究会」でも、会の設立者でした。

ここでも講演をお願いしてからの懇親会では、いつも心から楽しそうに飲んでいました。

まさに、高歌放吟  2011年1月のシルクロード講座終了後の懇親会で

 

晩年になってからの九祚さんは、『アイハヌム』を読み上げるだけの状態になりましたが、私たちは九祚さんにお会いして、一緒に楽しく酒を飲むことが何よりの楽しみになっていたのでした。

もう20年近く前になりますが、1999年、九祚さんが「南方熊楠賞」を受賞した際、吉祥寺のホテルで祝う会を催した時のことを、忘れることはできません。九祚さんは心の底から嬉しそうな表情でした。

今回、カラ・テペでの壁画発見は、この九祚さんの長年の苦労が報われたものだといえます。

 

わたしや私を含めた何人かはテルメズでお手伝いをしたいといったことがあるのですが、ことごとく断られました。それはこの発掘現場はウズベクの軍の基地の中にあるからです。それで私はすっぱりと諦めることがきました。

 

しかし、加藤九祚の夢はやっとかないました。わたしや多くの友人たちはそのように思っていることと確信しています。

この内容を詳しく知り、実物に対面できる日が訪れることを心から待っていたいと思います。

 

ウズベクの空港で偶然お会いできた時のことが、今でもまざまざと思いだされます。

九祚さん、ほんとうによかったですね。おめでとうございます

狛江のなじみの店で・・・

 

| シルクロード | 05:14 | comments(0) | - |
日本に伝わる前の仏教知る鍵 ウズベキスタンで壁画発見 

きょう(18日)の朝日新聞からの引用です。

             編集委員・永井靖二

2018年11月18日05時04分

カラ・テペ遺跡で見つかった壁画の一部=立正大学ウズベキスタン学術調査隊提供

カラ・テペ遺跡で見つかった壁画の一部

=立正大学ウズベキスタン学術調査隊提供(以下の写真も同じ

 

 

 

 

 シルクロードをへて広がった仏教美術の源流をうかがわせる極彩色の人物壁画が、中央アジアウズベキスタンで発見された。立正大学と現地の研究者による共同調査団が見つけた。2〜3世紀の作とみられ、仏教が日本に伝来する前にいろいろな文化に触れながら変容してきた姿がわかる貴重なものという。

 

 壁画はウズベキスタン南部、アフガニスタンとの国境の街テルメズ郊外の仏教遺跡「カラ・テペ」(カラ・テパともいう)で2016年秋に見つかった。丘の上数百メートル四方の範囲に仏塔や僧院がある遺跡で、北端の仏塔の脇を約2メートル掘り下げて見つかった石室内に描かれていた。壁画の全体像は解明に至っていないが、このほど提携先のウズベキスタン芸術学研究所から画像の公開が認められた。

 

 縦横1メートル余の範囲に複数の人物が描かれており、赤や青の鮮やかな色彩が残る。この遺跡では、様式などから2〜3世紀のものとみられるギリシャ・ローマ風の人物やインド神話の巨鳥ガルーダの頭部の像のほか、バクトリア語が記された陶片などが出土しているが、まとまった壁画は見つかっていなかった。約300キロ南にあり、タリバーンに破壊されたアフガニスタン仏教遺跡バーミヤン(6〜7世紀)より古い。

 

 この一帯はバクトリア地方と呼ばれ、北インドのクシャーン朝で2〜3世紀に最盛期を迎えたガンダーラ美術の影響下にあった。紀元前5世紀ごろに釈迦(しゃか)が唱え、その後約1千年かけて日本へと伝来した仏教はインドから北西へ出て、アジア内陸部を時計回りに伝わったとみられ、その経路にあたる。日本側の調査団長で立正大学仏教学部の安田治樹教授は「釈迦の生涯を描いた物語図の一部ではないか。彫像や陶器に比べて壁画は残りにくいだけに、日本へ伝わった仏教の変遷をたどるうえで貴重な知見だ」と話す。

 

 私の意見や加藤九祚先生との思い出や感想などは明日、掲載します(野口)。

| シルクロード | 10:40 | comments(0) | - |
シルクロードの音楽を堪能しました

 

 会場の設営は役員みんなでやります。

 

 11月10日の土曜日、日本シルクロード文化センター恒例の「シルクロードの集い2018」を開きました。

 内容は佐藤圭一(ちゃるぱーさ)さんのお話しによる「アフガニスタンの歴史と音楽」の講演。

佐藤圭一さんのお話しは、とても分かりやすいアフガニスタンの歴史でした。前回のアフガニスタン大使館の館員による“アフガニスタンはこの世の天国だ”式のお話しよりもよほどわかりやすい内容でした。

 

続いて、「アフガニスタン:歌と音楽と踊り」。

やぎちさとさんが加わって「ちゃるぱーさ」としての歌と演奏、そして若い女性2人「シャランシャラン」によるアフガニスタンの踊りがありました。

「シャランシャラン」のお2人。左が上村菜々子さん、右が中井夏美さん

 

ちゃるぱーさの演奏ではお2人の息の合った演奏とともに、真ん中にちょこんと座っている息子のあきら君の姿が印象的でした。彼も両親と一緒に演奏しているのでしょうね。

ちゃるぱーさ一家です

若いうちから鍛えなければ・・・割りばしでお酒をお口に

 

若い2人のうちの1人、上村菜々子さんは狛江市の隣の調布市で美術の先生をしながらアフガン舞踊をしています。もう一人は中井夏美さん。

菜々子さんと話し合ったことがあります。

狛江市で毎月続けている「シルクロード講座」をとなりの調布市でも開きたい、と。“いつでも全力で応援するから・・・”と言ってはいるのですが、なかなかうまく進みません。そのうち、うれしいお知らせができるかもしれません。

 

 

 2番手は「アミン&慶九さん」のお2人。

題して「ペルシアの詩・声・弦の響き」。

アミンは東大大学院で放射線分野の研究をしている学者の卵ですが、幼いころから民族音楽を学んでいる青年です。

 歌法は、西洋音楽と違った歌い方。特に余韻のところで、さらにバイブレーションを駆使しての歌法が印象的でした。

アミンと慶九さん

懇親会であきら君と遊ぶ慶九さん

 

慶九さんは、変わった名前ですが、イラン留学中に名付けられたニックネームだそうです。

わたしは会ったことがないのですが、慶九さんはまるで「紫式部」を現代版にしたような方。“不思議な魅力を持った謎の女性”とでも言えそうな人です。

 ここでは「マーフール旋法」という何やら難しい演奏法の説明などもあり、イランの音楽を堪能することができました。

 

 

 最後がお馴染みの「モンゴル舞踊研究会」による踊りと馬頭琴の演奏です。

 主宰のマンダブインさんと佐藤淳子さん。もうお2人とも小さな子どもを持つママさん舞踊家です。そして馬頭琴で初出場のアラタンチロさん。38歳。

モンゴル舞踊研究会の佐藤淳子さん

マンダブインさん

馬頭琴演奏のアラタンチロさん

 

 今回のイベントは昨年まで、多くのグループに出演していただいたので、一つのグループの演奏時間が20分ほどの短いでした。

 

分かりやすいアフガニスタンの歴史のお話しと、今回は出演を3グループに絞ったので30分×3グループの舞台を堪能することができました。

参加者の皆さんにとっては、かなり贅沢な時間だったと思います。

 

 一方で、昨年より少なかった演奏者も含めて40人前後という参加者ですが、やはりアフガニスタンやイランとなると、国際的な紛争や内戦、テロや「制裁」などのマイナスイメージがある地域です。自然と人が集まるようなものではありませんでした。それは先刻承知だったのです。これまではウイグルやモンゴルの踊りや演奏が重点でしたので。ウイグルの歌と踊りと演奏は、当人たちが出演することに勇気のいる情勢になっているからです。日本でもどこでも中国当局(大使館や特殊なメンバー)の目が光っているからです。

そして、私たちの広報力にも限度があります。

 

 シルクロードだから人が自然に集まってきて、歌や演奏や踊りなどを見たいという状況にはなりにくい国際情勢に変化してきているのです。

 そして私たちのイベントも10数年続いています。毎年の常連さんたちも高齢化してきていますし、マンネリ化しつつあります。

 

 次回からは、それらのところをじっくりと検討していきたいと思います。

| シルクロード | 03:23 | comments(0) | - |
シルクロードの旅 余談

 

カラホトの仏舎利塔

 

 

衣・粧・出

 

 中国の女性がとてもきれいになりました。

 何がキレイになったかって、わたしは服飾関係は全くダメなのでよくわからないのですが、とにかくきれいになりました。

先日もご紹介した村祭りでシャーマン役を演じるというチベット人女性です

 

 それはチベット人女性のことです。何が変わったのかな〜〜って思ったのですが、化粧法でしょうか。でも、それだけではないはずです。“少数民族”としていわれのない抑圧の下で、それにくじけず、雄々しく戦っていることから来る内面の美しさだと思いました。

 これだけですと科学的な根拠がないのですが、それ以上のことはわかりません。

この上下2葉の写真は、村の祭りで出会った学生たちです。

お化粧っけのない顔ですが、健康美に輝いていました。

 

 そして漢人の女性についても触れないと不公平ですね。

 特に日本と変わらない、今はやりの服装です。なんというのか知らないのですが、シースルーのようなスカートを巧みに着こなしています。

 特に女性を狙っての私の写真は少ないのですが、あればご紹介します。

 そしておしなべてお化粧がきれいでしたね。

 肌がきれいになったのか、化粧法が良くなったのか、良い化粧品が出てきたのか知りませんが・・・

 強調したいことがあります。きれいになった女性の多くは子持ちの人か中年の女性が多いということです。

これはあまりというか、全く根拠のない話になりました。

 撮影というものは、対象を絞って写さないといいものは撮れないということがわかりました。

 

 そして「出」です。

 

 それはトイレのことです。

 中国の、というより外国人観光客が行くようなところのトイレは、「革命的」にきれいになりました。原因は北京オリンピックが画期でした。

 その当時、北京の都心以外でははあまり革命的な変化はなかったのですが、その後、全国的に次第に変化が見え始めました。

 

 昔、私が1965年当時、北京に留学した際はそれはそれは悲惨でした。

 北京の中心街の王府井(ワンフジン)の公衆トイレに入ったときでした。真っ暗な中にうごめく黒い頭。丸い穴に座っている男たちでした。座りながら、友達なのでしょうか世間話をしながら話しています。

 私たちの留学生宿舎でも、日本以外のアジア、アフリカなどからの留学生たちは,大きいほうでも扉を閉めません。もちろん、女性もだそうです。こればかりは慣れることがありませんでした。

 

 中国でというと、1949年の解放以前には、都市部以外にトイレはなかったようです。

 日本でも、私が子供のころの農村地帯では「大小便は家に帰ってからにしろ」と言われていたようです。

 貴重な肥料だ他からですね。

 以前のブログで、中国のこの種の惨状をお伝えしたことがあるのですが、これは不評でした。「隠し事はあまり表面に出さないで」と。ですから今回も撮影はしていません。

 

 コトのついでに事のことも書きましょう。

これはチベット人の家庭料理ですが、ラクダの肉です。おいしかったですよ 

これもラクダの肉です

 

“インスタ映え”とかなんとかで、よく料理をスマホ(写メというのかな?)で映す人がいますが、私はそういう撮影という行為と内容にあまり価値を見出さないので、しません。でも、思わず撮影したものをご紹介してみます。

 わたしもダイエットのために、最近は少食につとめているのですが、こちらではあまりのおいしさに、ついついたくさん食べてしまいました。

川魚はちょっと・・・

 

 

 帰国後、おそるおそる体重を図ってみると、驚くことに体重は減っていました。何か秘密があるのでしょうね。

 そうそう、雲南省の中国茶の国立研究所で専門家に聞いた話ですが、「ウーロン茶などは痩せるといわれていますが、そのようなことは全く根拠がありません」といわれました。あちらの専門家が言うのですから、間違いはないでしょう。

 

 でも中国のホテルでは、出される料理はおいしいのですが、厨房は驚くほど、汚くて、不衛生だということは覚えておいてください。

 ホテルの高い階の部屋から裏庭を見ると、泥だらけの中を長靴を履いて泥を蹴散らしながら高級料理を作っているのが普通ですから。

 

| シルクロード | 09:40 | comments(0) | - |
シルクロードの旅 余談

 おかげさまでブログの連載は大変好評でした。多くの方がたにお読みいただきました。ありがとうございました。

 ことのついでに、ある全国紙にカラホト(黒水城)の仏舎利塔の写真と短い旅日記を投稿しましたらすぐに掲載され、その日から2〜3日はメールや電話がたくさん入ってきました。

 

 それに調子づいているわけでもありませんが、旅の余談を書きます。

 というのは、実は9月8日(土)の第96回シルクロード講座で「古代日本へのシルクロード文明の流入と沖ノ島・宗像神社関連施設群の果たした役割」と題するお話をすることになっていました。

 

 自ら「やる」といった手前もあるのですが、あれこれ構想はあるのですが、準備は全く進んでいませんでした。旅のさなかにも、そのことが頭にありました。

 時期も迫ってきていたので、旅のブログを早く切り上げてそちらの準備に没入したかったので早めに切り上げたという次第でした。

 

 しかし、我が家から一歩も外にも出ないで準備した関係か、内容はともかく、おおよそのものはできました。でも、レジュメはまだで、パワーポイントだけです。

 それで、気分転換で旅の余談を書くことを思いついたのです。

車は一路、エチナへエチナへと進みます。見えるのは地平線だけです

 

  • “ところ変われば品代わる”

 銀川からエチナへは800kmあるといわれました。およそ11時間で到着の予定でした。

 それが銀川から高速道路(これは日本の高速道路とはイメージが違いますので、単なる有料道路というイメージです)を200kmくらい走ったところで車が止まりました。聞くと、前夜来の大雨で道路が崩れて通行禁止だというのです。したがって、遠回りして行くということでした。“道路が崩れてしまったのでは仕方がないナ”と思っていました。その200kmを戻ってから、新しい道路で行くことになりました。「料金所の職員も知らなかったのです」とガイドは言いますが、それを知って利用者に正しい情報を知らせるのが職員であり道路会社ではないのでしょうか?金を徴収することだけに一生懸命で、そのようなことは二の次なのですね。

「チランタイ」という料金所。ここではもう使用文字もモンゴル語になっています

 

 すると西寧ののこちゃんから電話が入りました。

ここで、なぜ遠い西寧のガイドから電話かというと、彼女は今回の私たちの旅のコーディネーターなのです。彼女が私たちの行程全てを見ていて、なにかあれば地元の旅行社やガイドと連絡を取ってくれて、私たちの便宜を図ってくれるのです。もう20年以上の付き合いになるわたしとのこちゃんとはそのような信頼関係ができているのです。43歳になる彼女はわたしの娘のような存在です(実の娘は45歳ですが)。彼女も時々間違えて「ね〜ね〜、お父さん」と言ってから恥ずかしがることがあります。

道路はどこまでもどこまでも続きます。途中の道路標識には「ハミ」や

「トルファン」の名前が出てきました

 

 

 ところが彼女から驚くべき話が持ち込まれました。「エチナまで800kmの予定が道路の関係で1,100kmになります。現地の旅行社は余計に走った分のガソリン代を野口さんたちに支払ってもらいたいといっています」ということでした。そんなバカな話はありません。それを知っているのこちゃんは「野口先生が“そんなことはおかしい”とおっしゃることはわかっています。ですから私が3分の2を払いますから、残りの3分の1をお願いできますか?」。そこまで言われるのなら仕方ありません。

次第に空も夕方になってきます

夕方の空は、まるで交響曲を流しているようです

なんとも美しい夕焼け空です。これを見れば、オーバーロード分を取るんだと

大騒ぎすることがアホのように思えます

 

 オーバーロードの分2,800元のうち1,000元を5人で200元ずつ負担することになりました。でも、この2,800元という根拠は何も知らされません。

 しかし、実際に走った距離は1,350kmでしたから、さらにオーバーした250km追加のガソリン代の請求が来るかと思ったのですが、それはなかったですね。要するに“多少理不尽なことでも自分たちが余計な金を払うのはイヤだ。だからそこにいる旅行者から取り立てればいいんだ”という安易な解決方法を考えたのでしょう。面白い国です。

 

| シルクロード | 11:26 | comments(0) | - |
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