シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
怒涛の3週間!

 シルクロード・ツアーの中止を決めたものの、何人かからは“シルクロードならば、どこでもいいですから、どこかへ案内してほしい”と言われました。それはそうです、私もそれはすぐに考えていました。私に関しては新疆には50回近く行っていますし、ほとんどのところへ行っています。だいいち今回のあとでは新疆のどこへも行かれません。で、あれば、河西回廊か敦煌(敦煌も河西回廊ですが・・・)あるいはモンゴルへと考えるしかありません。

 

 

 

 チベット青海省(もともと青海は清朝の頃には全土がチベット領でした)の西寧市に住む通称“のこちゃん”にメールしました。「敦煌から河西回廊を通って青海湖へ。最後は長安の都のルートを検討して」と。2〜3日ですぐに返事が来ました。なぜなら、そこは私たち3人とガイドののこちゃんたちとで5年前に行ったからです。

敦煌郊外の鳴沙山

敦煌莫高窟の蔵経洞で文書・経典などを調査するポール・ペリオ(30歳)。

陽関で

天水郊外の麦積山石窟

 

 上海から敦煌の直接行って莫高窟をみる。次は私も初めてなのですが、林窟。そこから河西回廊を東に向けて走り、嘉峪関、馬蹄寺、もう一つのウイグル・裕固族にも会い、蘭州から炳霊寺石窟、天水からは麦積山石窟へ。さらに青海省へ入って西寧のタール寺、西寧から往復で300劼寮蝶じ弌∈埜紊歪弘造療圓愼って兵馬俑・大雁塔や古代博物館など。かなり盛りだくさんですが、この11日間の個人旅行に行きます。

青海湖は海軍の魚雷訓練基地にもなっている

西寧市郊外のタール寺

西安の大雁塔

 

 こう書くと、何ごともなく時が過ぎゆきたとお思いでしょうが、とんでもありません。キャンセルの文書作成・通知、申込金の返金、新しい企画の検討、日程の調整、見積もりの再検討(費用をまけさせる交渉のこと)、国際便の発注、そこの社員(西遊旅行でしたが)との一日10回程度のやり取り、参加希望者だった方々への今度の企画の参加の可否の問い合わせ、航空便の立て替え払いなど。おかげさまで年間の予定が8月上旬からと決まっている方を除いては全員が参加することになりました。

 

 次には今週10日に迫った「シルクロード講座」でテーマを少し変えて、今度行くコースのパワーポイントの作成、レジュメの作成など、嵐のような3週間でした。

長安の都の西門。ここから、いつ帰れるとも分からない西域=シルクロード=での兵役に就くものが別れを惜しんで出ていった。

 

 それに加えて、わたしはシルクロードとは全く別のスポーツ分野の全国的な交流組織の事務局長の仕事も担当しているため、そちらの仕事も風雲急を告げる出来事が起こっています。全国各地から毎日のように問い合わせが来て送受信しています。発信するニュースも担当者に原稿を送って1日おきにメールニュースを発信しています。新聞からの取材もあります。それらに一つ一つ丁寧に応えなければなりません。丁寧といえば、卓球でも中国の世界チャンピオンの「丁寧」選手がいますが、日本の中高生選手が大活躍。目が離せません。

 

 毎日・毎日、嵐のような毎日が続いています。嵐と嵐がミックスして「怒涛の3週間」でした。この3日間はシルクロード講座のパワーポイントの作成に没頭していました。予定の100枚の写真が200枚近くになっていて、これからその写真の削除作業です。そして今日は午後に家を出て、帰りはおそらく11時でしょう。この毎日が刺激的で楽しいんですね。

 

 もう一つ心配事があります。新疆へ行かないことにしたから安心なんでしょうか?そんな甘いことを言っていられないと思います。甘粛省でも中国政府のやることは同じなのででしょう。私が上海で“入国禁止”になるかどうかわかりません。このブログも彼らは見ているでしょうから・・・

ホータンの繁華街でも特警のバスや自動小銃を持った兵士が引き金に指をかけて「警戒」しています。

| シルクロード | 10:17 | comments(0) | - |
シルクロードの友あり、遠方より来たる

 表題の意味を分かりやすく書くと「遠き宮崎県から友来たる、また楽しからずや」になります。

 

 おととい(23日)、わが家のカミさんが夜遅く帰ってきて、ポストにあった郵便物をもってきました。10年前に出版した拙著『シルクロードの光と影』の出版社「めこん」からのハガキです。でも、なかなか意味が分かりません。

 

 眼鏡を取り出してよくよく見ると、昨年4月に朝日の外信部記者だった友人の伊藤千尋氏の案内でウズベキスタンへ行って、帰国後、この本を購入して読んだのですが「・・・なんでもっと早くこの本に出会わなかったのかと大後悔・・・」とのハガキを出版社経由で私宛に送って来たのです。

Kさん、Iさんがツアーで訪れたサマルカンドの

レギスタン広場

 

 彼Kさんは宮崎県に住んでいて、今回は「確定申告で上京」とのこと。Kさんも定年前は朝日の写真部記者で、いまはカメラマン&ライターだそうですが、要するに「著者に会いたい」とのこと。79歳。

新宿でお会いした宮崎県のKさんと

 

 いま、ヨーロッパの国際情勢の分析という、小難しい作業の最中だったのですが、「せっかく宮崎県からきているのだから・・・」とのワイフの進言もあって、頭の休養も兼ねて新宿のあまり行ったことのないような(昔の厚生年金会館の奥)ところにある小さなホテルまで行きました。

 

 ロビーに立っている彼を見て、すぐにこの人だなと分かりました。すると、私のうしろからもう1人の男性が近づいてきてやはり彼に挨拶しています。“なんだ、2人まとめて会うつもりだったんだ”と少し気を悪くしようとしたのですが、せっかく宮崎県から来たのだからとガマン。でもKさんは「せっかく著者に会うことができるのだからと友人をお誘いしました」とのことでした。私もこれで機嫌が直ってしまうのですから、大したことないですね。

サマルカンドで少しの間、教鞭をとっていた合間に学生たちと訪れた

シャーヒズィンダ廟、私のもっとも好んだ場所でした。

廟はお墓のことです。大学は「サマルカンド国立外国語大学」。

 

 

 その人は八王子から自転車でやって来たIさん。初めのあいさつで、私が現役のころ勤務していた「労山」加盟の八王子の山の会「おおるり」の会員が友人にいるとのことでした。その他の面でもいろいろ気が合う話が続きました。その!さんとこれからも友情が続くことを願いたいものです。彼とはすっかり意気投合してしまいました。このお2人はウズベキスタン・ツアーの旅の友だったのです。

八王子から自転車で来られたIさんと

 

私のシルクロードにたいする考え方や道程、あれこれ質問を受けるだけでなく、私からもあれこれお話しました。

 

 2時間弱のお話で終わりましたが、これもまた楽しからずやの時間でした。Kさんには、わたしの別の著書2冊を進呈しました。

 

 宮崎県に咲くであろう、“新しいシルクロードの芽”との出会いのお話でした。

シャーヒズィンダ廟で日本語の上手な元学生2人とバッタリ。

同じ大学で日本語を学んだとのこと。

 

 

 新しく買ったザックが背中にぴったり合うので、ルンルン気分で新宿駅まで帰る途中、偶然、富士国際旅行社の前を通りかかりました。そうだ、あのお2人のシルクロード・ツアーもこの会社のツアーだったのだと思って入って行きました。でも、担当者に会うと(あとから思い出したのですが)、そのことには全然触れないで、4月に何人かで計画している沖縄へ行くことの打ち合わせになってしまいました。この会社の、5年前に亡くなった社長市原さんとはかなり親しい友人だったのです。

 

 帰りの新宿駅までの道は背中が汗ばむほどの天候で、思いのほか楽しい一日でした。帰宅してお風呂に入ってビールでこの日は終わり。

| シルクロード | 06:09 | comments(0) | - |
武蔵野市でシルクロード講演会をしました

 2月15日(水)。武蔵野市教育委員会と武蔵野老壮シニア市民講座の共催事業の「武蔵野市老壮シニア講座」で講演を行ないました。

 

 題して「シルクロードそのロマンと歴史の真実」

 以前にもこの欄でご紹介しましたが、昨年末、韓国の百済(くだら)・新羅(しらぎ)の遺跡が公開されて、そのツアーがあり参加した際、同行されたKさんという方がこの講座の運営メンバーで、そこから講演してほしいとの話が舞い込んだのです。

 会場は武蔵境駅前の「スイングホール」。定員180人の会場。

縦位置の写真を90度曲げることができません。

 

 

 私はそれまでのシルクロードの旅の総決算のつもりでたくさんの写真をご披露して、シルクロードのロマンをご紹介しつつ、世の中で知られていない「歴史の真実」をお話ししたいと思っていました

 その前に、1月の我が「シルクロード講座」には、イランのナヒードさんをお呼びしました。終わってから懇親会の会場へ行く途中、彼女にも出てもらおうと思いお願いしました。70過ぎのジジイが一人むさくるしく話しするだけでなく、美しい女性が舞台に立って彩を添えてもらうことも必要だと思ったのです。それだけでなく、その国の歴史や伝統、人びとの生きざまなどを紹介していただきたかったのです。

 

 そして最近、入会したマネージャーの吉田さんとうちの奥さんが同行。7月のシルクロードツアーのチラシ配布と、拙著3冊のサイン入り頒布やらをお願いしました。その前に、朝、ナヒードさんの家まで行って一緒に会場入りしました。吉田さんはそれまで勤務していた旅行会社を退職したばかりですので、わがクラブのツアー部門の後継者に考えているところです。

左がうちの奥さん、真ん中が吉田さん、右が私です。

まだ、講演前ですね。

 

 近年は、この種のイベントでは消防法の規定で定員以上入場させてはならないとのこと。市の共催ですからそれは厳しくて180人ピッタリで入場を締め切ってしまいました。満員です。無論、武蔵野市民が対象で入場は無料です。

 今までは“立錐の余地もない”という表現が当てはまっていたのですが、もう今では、“立錐の余地”がなければ消防法違反になるのですね。なかには私のウォーキング仲間が新宿区の住人にもかかわらず夫婦でちゃっかり座っており、家の奥さんの友人の歌手さんも三鷹からきて座っていました。

イス席180人分は全部座っています。

 

 お話しそのものは、私が経験・体験してきたものですから、たいして難しいものではなかったのですが、この20年近いシルクロードの旅を紹介する画像ですから写真の数は膨大なものになっていました。

 1週間ほど前に我が家で試写会をしました。私が準備したパワーポイントの300枚近い写真を家の奥さんに見てもらって、削っていい写真を言ってもらって映写枚数を削る作業をしたのです。230枚くらいに削りましたが、南米大陸が欠けていたと言って増やしたり、アフリカもなかったから・・・と増やしたり、個人的な写真は削ろうとか、試行錯誤しました。

 

 写真を準備した地域は、はじめに7月に行く西域南道各オアシスの写真、そこから西域北道へ行って北新疆、次にはシベリアのトゥバから始まってモンゴル、チベット、中央アジアから中東と予定していました。

最後の15分間はナヒードさんの時間でした。

 

 当日は案の定、時間が足りなくなってしまいました。最前列に座ってもらったカミさんとマネージャーさんが“時間がないよ”としきりにサインを送って来るのを無視していたのですが、ついにペルシアの民族衣装を着たナヒードさんが舞台にまで上がってきて「私の15分間の時間も無くなりますよ」と直談判に来ました。結局、北新疆の手前で強制終了でした。

 

 

 私の時間配分と計算のミスでした。しかし、運営側の方がたは「シルクロードのロマンをたっぷり味わせていただき・・・」とか言って下さいます。もちろん90%は社交辞令でしょうが、果たして・・・・

 

 持ち込んだ拙著は3種類のうち、やはり新疆シルクロードを書いた『シルクロードの光と影』(めこん刊、2007年、2500円。まさに10年前の今日、2月18日発刊でした)がダントツの20冊売れ、『シルクロード 10万年の歴史と21世紀』(本の泉社刊2009年1月刊1,800円)と『シルクロード万華鏡−それぞれのグレートジャーニー』編著(2012年5月、本の泉社刊、2381円+税)などはそれぞれ2〜3冊でした。

 

 今までこんな本を書いたことなど忘れていましたが、書店から取り寄せて10万円ものお金を払ったので、これからは売らなくちゃと思っています。皆さんもどうぞよろしくお願いします。

拙著4冊です。

 

 

 もう1冊『幻想のカイラス』は、すでに絶版になっています。拙宅にも2冊しかありません。出版社もなくなりました。1998年の刊行ですが、誰かが何冊かを持っていて、ネットオークションでは1万5千円になっていました。そんなことしないでもいいのにと思いますが・・・

 もう1冊くらい出版しているはずですが、どんな本だったか忘れました。

| シルクロード | 10:36 | comments(0) | - |
「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」試写会に行きました。

                                             日本シルクロード文化センター役員・坂田政隆

 「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」試写会に行きました。   

当日本シルクロード文化センターお馴染みのキルギスのコムズ奏者・カリマンさんが、「私、ヨーヨー・マと演奏したことあります!」と何かの折に洩らしたことがあります。(その一言が誘因でこの試写会に臨みました)。

パンフレットにはカリマンさんらしき人物がグループの一員として演奏している写真がありましたが、動画を見ると残念、全くの別人でした。

 

 それはともかくスクリーン上では世界4地点に渡って演奏者の背景が映し出されます。イラン、スペイン、シリア、中国・・・彼らは自らの伝統音楽との関わりを語ります。ヨーヨー・マの招聘により彼らはアメリカに集い、キーもリズムも異なる故郷とはかけ離れた新音楽を即興的に紡ぎ出します。・・・・

 

 おっちゃんたちの「ロックは中国で生まれた!」と主張するグループも真実をついているようで笑いを誘います。

・・・・師のR、バーンステインの音楽観は初めて接するものでした。他にもたくさんのシーンを交えながらの、あっという間の95分でした。

 

 

                 

 

 本作品の本年度グラミー賞「最優秀音楽映画賞」受賞おめでとうございます。

 因みに他部門では内田光子さんが昨年の小澤征爾さんに引き続いて受賞されていますが、さてG賞主要4部門以外にいくつあるかと見てみると、驚きました。

 

 カメラはメンバー4人の出身地域を中心とし、時間的に遡ったり現在に戻ったりと多面的に捉えていきます。伝統音楽が自分にとって切っても切れない関係等々を語ってゆきます。他の音楽集団のユニークな活動も伝えられていきます。ヨーヨー・マの師でもあるレナード・バーンスタインの講義中の言葉も引用されます。いろいろな視点から彼らの活動が浮き彫りにされます。彼らが集まってヨーヨー・マは草原のゆったりしたイメージのメロディを奏でます。メンバーはそれを受け止め、やがて自分の楽器で音を加えていきます。才人たちの即興的無国籍的音楽……。シルクロードに点在していた楽器が、一ヶ所で一つの音楽になります。あっという間の95分でした。

 

 

画像はインターネットから。

 

| シルクロード | 10:01 | comments(0) | - |
徐々にシルクロードへの現場復帰を

生涯で初めてといえるような風邪の症状でした。

正月は飲んで過ごしましたが、第2週以降はずっと調子の悪い状態でした。

 

9日からの温暖の台湾では症状は緩やかでしたが、帰国後は一変して風邪が暴れはじめました。激しい咳で腹筋が痛み、ぎっくり腰寸前の状態になりました。食事ものどを通りません。軽く食事をして寝るだけでした。でもビールは欠かしませんでした。が、横になると激しい咳が出ます。

むかし、母が生きていた頃、私は風邪で仕事を休んで、夕食時にお酒を飲むと「酒が飲めるんだからたいしたことはない」と安心していたものでした。

タクラマカン砂漠南縁(チャルクリク)を歩くウイグルの老人

 

 

1月27日に予定していた武蔵野市での2月の講演会の会場下見もキャンセルせざるを得ない状況でした。あとからの連絡では、当日、運営側は教育委員会のメンバーなど10人近くが集まったそうです。しかし、身体が動けないので仕方ありません。色々な団体やセクションへ欠席やキャンセルの電話をかけると、みなさん私のガラガラ声ですぐに納得します。いまでも、声があまり出ません。

 

私の風邪の峠も今週になってようやく下火になりました。きのうはパソコンの修復で少しだけ出かけ、きょうはワイフと私のベッドを買いに行きました。「あなた、狛江市内に“家具のニトリ”でできたわよ」というわけで、近くなのですが車で出かけました。ところがどっこい、入り口でストップ。まだ開店準備中でやっていないということ。うちの奥さんは相変わらず、元気に“天然”で頑張っています。結局、世田谷区の甲州街道にある、お馴染みの中古品販売の店で電動式のフランスベッドを買いました。

チベット高原で。

 

今の私の悩みは、2月15日の武蔵野市での講演会です。

名づけて「シルクロード その悠久のロマンと歴史の真実」。

 

昨年11月上旬の韓国・百済&新羅研究の旅でご一緒した方の紹介で実現しました。共催は「武蔵野老壮連合会」と「武蔵野市教育委員会」。しかし、あちらは、「とにかくシルクロードのロマンをたっぷりお話してほしい」とのこと。私の天の邪鬼ぶりをご存じないからそんな甘いことを言えるのですね。

 

いまその、写真をパワーポイントで準備中ですが、余りにも多い写真で困っています。でも、それは選択すればいいこと。「ロマン」の部分もたっぷりお見せできますが、問題は「歴史の真実」をどう表現するかで困っています。毎日毎日、机に向かって何もできないで終わってしまいます。でも、最後には何とかなるのですがね。今もこのブログを書いているのは、レジュメ執筆が進まないからです。

ホータンのポプラ並木

 

まっ、きょうはこれくらいにしてテレビでも見ようっと。

| シルクロード | 15:52 | comments(0) | - |
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