シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
チベット仏教ゲルク派の六大僧院のひとつラプラン寺へ

哲学教授と論争・奥さんと娘が「お父さんの負け〜〜!」

 少々、ウィキペディアでお寺の紹介を。

 ラブラン寺甘粛省甘南チベット族自治州夏河県にあるゲルク派の寺院。ラプラン・タシーキル寺とも言う。中国語では拉卜楞寺と表記する。チベット自治区ガンデン寺セラ寺デプン寺タシルンポ寺青海省クンブム・チャンパーリン寺(タール寺)とともにゲルク派六大僧院のひとつとされる。

 1710年にジャムヤン・シェパ一世によって創建。往時は108の寺があり、活仏も500人前後が在籍していたという。しかし、文化大革命で閉鎖され、多くの堂・僧院が破壊された。その後多くの建物が再建され、現在在籍している僧は千人規模となっている。現在はチベットのゲルク派寺院では最高レベルの学問寺となっている。

甘粛省の略図です

ラプラン寺の境内です

仏像

マニ車を回しています。先頭がK爺、その後ろが、のこちゃん、S氏、H田さん

 

 ラプラン寺の境内は広い、そして暑い。私は何度もこのようなお寺を見ているので、途中で切り上げてK爺が入り口近くで休んでいるところまで行きました。するとそこへ40代の夫婦と18歳の娘さんの家族連れがやって来ました。奥さんは43歳だといっていたのですが、その夫(46歳)が、私が昔、北京に留学していて、中国語が少しできると聞くと哲学論争を吹っかけてきました。彼は北京のどこかの大学の哲学教授だといいます。

 

 以下、彼とのやりとり

彼「毛沢東思想はマルクス・レーニン主義の最高峰だと思うがどうか」

私「昔は中国では毛沢東自身も含めて勝手にそう言っていたが、当時も今も世界の誰もそんなことを信じていない。中国でも一部の幹部だけがそう思っているだけだろう。しかもそれは、自分の出世の為であって、誰も真のマルクス主義など知らないのに、だ」。

 

 さらに私「あなたは、今はそんな偉そうなことを言っているが、まだ中国に浸透していない、人権・民主主義・言論の自由などを、あなた自身が政府と党に守らせるべきではないか。それが国民としての義務だと思うけれど、今それを言うと捕まるということも知っているよ。その現実を知りなさい。これは中国の憲法に書いてあることだから正しいことなのだよ」といいました。

 

 私の追及の手は緩みません。「まだある。チベット・モンゴルやウイグルなどの少数民族に弾圧を加えないで、彼らの主張をよく聞いて、尊重すべきではないか」といいました。珍しく、中国語がポンポン飛び出てきます。政治哲学分野の用語は得意なのです。教科書は「毛沢東選集」だったからです。逆に日常使う言葉をあまり知りません。でも、このようなときは昔の記憶が思いだされるのでしょう。

 

 すると彼の奥さんと18歳になるという娘さんが驚くべきことを言いました。

 「は〜い、お父さんの負け〜〜!この日本人の先生の言うことが正しいよ」と。

 私の周りを取り囲んでいたチベット僧たちも口には出せないのですが、「そうだそうだ!」という表情が読み取れます。漢人たちも「まいったな〜ァ」という表情をしています。

 夫は悔しそうな顔もせずに引き下がりました。“オトシマエ”は一緒の記念写真でケリがつきました。

 バスまでの長い距離をK爺と2人で駐車場まで歩きました。残りの3人はショッピング。

 ここから250km走って蘭州へ向かいます。ここ甘粛省の夏河は今日は昨日の豪雨と打って変わっていい天気で暑い。

| シルクロード | 04:49 | comments(0) | - |
標高3662メートルを越えて浪加(ランジャー)村・タンカ工房

 雨の草原を走って、やがて訪れたのは浪加(ランジャー)村。

ドライバーのチベット人青年は左の人差し指に器具をはめています。聞くと“一度、お祈りをするたびに、これが1回カウンターされる”のだそうです。驚きました。そこまで信仰にこだわるということと、信仰に篤いということを、です。いや、これは“信仰の篤さ”の問題ではなく、生きること、生活そのものが信仰のもとにあるということですね。

ご覧ください。左手人差し指にはめられている器具がそうです。

 

 タンカの工房ですが、いずれも数十万円から百万、二百万円(日本円でです)の値段。T女史が20万円までなら買うと粘っていたのですが、あきらめさせました。ここは彼女の買い物に付き合う場ではないからです。しかし、あきらめきれない彼女は翌日になってガイドを通して17万円に値切って買い付けていました。彼女の買い物はいつもこのようにすさまじいものです。年金生活になっても、現役のころの高給取りの習癖がなかなか抜けないのでしょう。

 

このようなタンカがずらっと並んでいます。

 

 どうせなら、「日本シルクロード文化センター」の「関西支部」をつくって、自宅も改造し、それらの品々を展示してみたらどうかと提案したのですが、自分から何かを始めることはできないだろうと私は判断して、あきらめました。

 

 それに引き比べて、建物の工房内でとても美しい若い女性とすれ違いました。日本でいえば小池栄子似のようです。お化粧がきれいなのと背中で編んだ髪の毛とその飾りがなんとも美しいこと「写真を写していいですか?」と聞いてから話すと、今日の村のお祭りでシャーマン役をするとのこと。彼女の表情も誇らしげでした。チベット女性はとても美しい。

写真が横位置ですが、PCを横にしてご覧ください

 

 途中には大草原で草をはむ羊やヤク、ラクダを見たH田さん「あ〜!野生のラクダがいた!」。野生のラクダは決して人のいるところへは現れません。まして「ラクダを初めて見ました」という彼女が野生かどうかわからないのに、言います。考えてみると、ラクダを見たほとんどの人は、「野生のラクダ」といいます。なぜでしょう?あれにはちゃんと飼い主(遊牧民)がいるのです。

 

 

 

 時間があればこの草原で大の字になってゆっくりしたいところですが、前夜来の大雨でがけ崩れがあちこちで起こり、道路が通れなくなっているので急ぐことにしました。途中では標高3662メートルの標識もありました。

私の呼吸も息苦しくなってきます。深呼吸、腹式呼吸です。

トレパン以外に長いズボンをもってこなかったので、ショートパンツでは寒いくらいです。

 

 8月4日朝、チベット・アムド地域最後のラプラン寺へ。チベット仏教ゲルク派の六大寺院の一つです。

私は数年前、チベット鉄道内で重度の高山病になりました。それまで何度もチベットの標高5000m以上のところへ行っているのに、です。そのときは、私の新疆シルクロードの旅が終わってから、チベットの旅をしようと提案した2人の妙齢の女性たちと西寧で合流してから2日でお別れすることになってしまいました。

 

 その鉄道内では高度障害で何人もの漢人が亡くなっているとのことです。

 10年ほど前、日本人の私の友人も鉄道内でなくなりました。

 人民解放軍がラサを侵攻した時も、多くの若い兵士たちが高山病で亡くなっています。

 でも、侵攻されたチベット人たちは、その何倍も殺されていることをお忘れなく。

 

 原宿にある三浦雄一郎さんの高山病対策のトレーニングも受けたのですが・・・そんなことするからバチがあたったのですね。ですから私にとって標高の高いところは高度障害の危険があるのです。

 

 この日の車は3600メートル以上を走りました。腹式呼吸で大きく酸素を吸います。そして涼しい風、くしゃみ、鼻水、体力減退。メロメロです。

| シルクロード | 03:05 | comments(0) | - |
チベットのお祭りと草原

 午後、ゲンジャ高原を抜けて夏河(シャーホ)へ向かいました。アムドの草原の自然のなかを。

 ※アムドチベット語)とは、チベットチベット高原)を構成する地方のひとつで、その東北部を指す。

伝統的にチベット人とともにオイラトホシュート部を中心とするモンゴル人や一部のテュルク系などが多数居住してきた。当地に居住するチベット人はアムド方言を用い、アムドーワ(a mdo ba)と自称した。

現在も青海省には多数のチベット仏教寺院が残り、チベット人・モンゴル人の僧侶によって守られている。 (ウィキペディアより)

雨のアムド高原

 

 清王朝は、もともと「チベット国」だったこの青海地域と四川省のかなりの部分、雲南省と甘粛省の一部を無理やり切り取って、その後、青海省などと称させました。ですから、チベット・モンゴルのほとんどの人びとはここ青海省を「アムド」と呼びます。以前、ラサ市内から空港まで送ってもらう際、ラサのチベット人ドライバーとのこちゃんが喧嘩しながら会話するのに同席していたのですが、ここは主にチベット方言であるアムド方言で話しています。ラサのチベット語では通じないので、漢語で話していました。

 

 途中で「村の祭り」を見学することになっていました。会場に着くと祭りのイベントが終わったばかり。次のイベントまで1時間半から2時間くらい待つことにしました。

 そこには四川省の成都から来たという中年の女性が3人。何十万円もするようなCanonの望遠レンズを持っています。写真撮影の同好会かなにかでしょう。一見、日本人の中年女性のようでした。

以前は、漢人は日本人と違うことがすぐわかったのですが、最近では見分けがつかなくなりました。原因は、着るものが日本と変わらなくなってきたことと、詳しくはないのですが、お化粧が上手になったことのようです(この情報は日本人女性からのものです)。わたしはCanonのバッテリーが見つからなかったので、プロのカメラマンから勧められた小型の「SonyNEX−7」を持って行ったので、位負けしていました。

 

 

広場を囲むようにして多くの人びとが待っています。私に勧められてK老は、空いていた主賓席の椅子に座りました。わたしも同席。開始時間近くになってから、村の党の幹部の誰かでしょうかが現れました。露払いのような男が「幹部が来るから、どいてどいて!」と私たちを追い払いました。「私も幹部だから座る」(根拠はありませんが)と言いましたが、ダメでした。でも彼らは、ここでは権力者なのです。

 

 やはりお祭りだけあって女性たちの原色の衣服はとても美しいものです。その女性たちも驚くほど美しく、お化粧もとてもきれいです。

 男たちも民族色豊かな衣装をまとっています。やがてT女史がチベット女性たちと大声で笑いながら話しているのが見えました。“言葉が通じないはずなのに・・・”と思っていましたが、そこに「青海民族大学」の学生たち5〜6人も加わっていました。その1人が早稲田大学に2カ月間留学していたとのことです。

お祭りの女性たち。メガネの女の子は、私の知り合いの娘さんとそっくりです

T女史(左)が村のおばさんたちと交流

西北民族大学の学生たちと。右の男性が早稲田留学の学生

チベットの若い学生たちはみんな元気で楽しいです

おめかししてお祭り会場に来た女性たち

 

 しかも彼らの先生が「タシ先生」だといいます。タシさんは、のこちゃんの旅行会社の社長でもあります。彼は私が代表を務めている「日本シルクロード文化センター」の月例「シルクロード講座」で一度講演をしていただいたことがあります。奥さんが日本人ですので、よく日本へ来るようです。ですから、のこちゃんは彼ら学生たちの先輩にあたるのです。

 

 あちらでは、どんな職業の人でも副業を持つのは普通のことのようです。ちなみにトルコ語で「タシ」は、岩とか石のような意味ですが、チベット語でどのような意味なのか聞きそびれました。

 

 雨は次第に強くなる一方でした。寒くなってきて私も長袖シャツを着ました。が、彼らとの楽しい会話が続きます。気温は12度。さらに雨も強くなってきて、学生たちも帰るようでした。残念ながらわたしたちも祭りをあきらめて出発することにしました。ここの住民や学生たち、旅行者たちと触れ合うことができたことは嬉しいことでした。

 

 車が出るとまたもや渋滞です。前のほうで大型トラックが道路の路肩を踏み外して横転しています。やはり渋滞です。道路の路肩が軟弱でこんな大きなトラックは走れなくなるのですね。道路をつくる作業は、砂利を敷いたあとに固めて舗装をするというごく簡単な舗装のようですから、雨が降るとすぐに壊れるようです。

 

 あとから、再開されたお祭りの様子をのこちゃんのスマホで見ることができました。かなり激しい踊りを踊っていました。雨の中をみんな嬉々として踊っていました。

 帰国後、テレビの報道などで見たのですが、中国西北部からインドシナ半島にかけて、かなりの大雨で大きな被害が出ているといっていました。まさに地球規模の異常気象です。

車はアムドの草原をどこまでも走ります

| シルクロード | 10:46 | comments(0) | - |
チベット人社会へ分け入って

 チベット人のお宅で夕食

 

 モスクからは車で2時間半ほど250キロ行った同仁市へ向かいました。そこのホテルでやっとシャワーをすることができました。日程が半日以上遅れているので、追いつくのに大変です。休息後、のこちゃんのご主人の実家へ行きました。夫は4人兄弟の末っ子だそうです。西寧の大学で日本語教師をしています。

 昨年会った時は、腕に入れ墨をしていたのでギョッとしたものですが、それは刺青模様のシャツでした。

ここが、のこちゃんの夫の実家です。家の周りの塀は牛のふんで塗り固められています。

このあたりの生活水準は知りませんが、わたしの家などと比べてもずいぶんとレベルの高い家だと思います。

ここでは、いわゆる「お金持ちの家」ですね。

 

 82歳のおじいさんとお嫁さんで出迎えてくれました。8歳と5歳の女の子たちもいました。82歳といえばその地域の長老ですし、皆から尊敬されています。やることはお経を唱える、孫と遊ぶくらいだそうです。しかし、そこへ日本から86歳がやってきました。さア〜もう大変です。

おじいさんとお嫁さんと可愛い孫たちです

この方が82歳のおじいさんです。同行の86歳のK爺さんともすっかり気が合っていました。

 

 そして、そのお宅で夕食です。お嫁さん(長男の奥さん)が甲斐がいしくお世話をしてくださいます。すべてのものがチベット風です。一生懸命準備をして下さったのでしょう。うれしい限りです。みんなはとくにチーズとミルクが美味しいといっていました。みんなは「こんなおいしいものは日本で食べたことがない」と言っていますが、私は乳酸菌類がダメなので、どれくらいおいしいかわかりません。

シルクロード風にいえば、ナンですね

 

 やっと9時ころホテルの部屋へ。それから朝6時まで9時間も熟睡しました。空港内を激しく歩き回った疲れはなかなか簡単には取れません。

 気温は12度くらい。昼間でも22度くらいです。空には雲がどんよりとかかっていて、雨模様です。

 日本を出る前の、あの猛烈な暑さとは打って変わった気候です。長いトレパンと長袖でのシャツで寝ました。

 忘れずに「ワンカップ」を飲んでから・・・

このひとが、のこちゃんです。滅亡寸前だったわれらの救世主です。

 

 

3日 同仁(トンレン)から夏河(シャーホ)へ

 朝、まだ出発まで40分あるからと思ってゆっくりいると、のこちゃんが「先生、大丈夫ですか?」とノック。病気でもして起きられないとでも思ったようです。数年前にベトナムで購入した時計を時差の違う国で活用しようと思って持参したのですが、3年も使ってなかったので遅れていたのです。大慌てで荷物をスーツケースに放り込んで集合場所のホテルの玄関へ行きました。責任者が20分も遅れてしまいました。出かけてからの朝食は小籠包、これがおいしかったのです。

 

チベット仏教ゲルク派ロンウォ寺院

 チベット仏教ゲルク派の最大寺院ロンウォ寺院へ。大経堂、大ガラン、山の中腹には立ち上る1本の鳥葬の煙。本堂の周りをお経を唱えながらコルラ(まわる)する人びと、小さな赤ちゃんを抱っこして回る若いお父さん、シティガールのような娘さんたちも・・・何度も何度もまわります。

この仏塔の向こうの山の中腹に立ち上っているのが「鳥葬」の煙ですが、見えませんよね。

こんなに信仰の篤い人々は世界のどこにもいないでしょう

これがいわゆる「タンカ」です

本堂の周りを「コルラ」する市民。おなかの大きい女性もいます。

お寺の外にもこのような仏塔があります。ここでもコルラする人びとがいました

そこには板が敷いてあって五体投地する人びとでいっぱいです

 寺院の外の道路を隔てた広場にも仏像があり、そこでも五体投地をする人、コルラする人、最近若い女性の五体投地をする人が激増しているとのこと。要するにダイエットにいいからだそうです。きっかけは何であったっていいのです。

 

 以前、チベット・ラサのポタラ宮へ行った時も、そこを朝、廻る人々が増えているという話をのこちゃんから聞きました。信仰と健康思想を兼ねるということは、とてもいいことだと思いました。私自身は、信仰とは関係ないのですが、ウォーキングクラブのメンバーですから。10月にはその全国組織で仙台の松島で全国ウォーキング交流会に参加することになっています。

| シルクロード | 03:57 | comments(0) | - |
奇跡の西寧行き

 帰りの北京から成田までも含めてすべてのチケットがダメになって、15万円も出して買い直しかと思ったのですが、それもクリアーできました。

 機内の朝食は、ふだんであれば、まずくて(習慣に合ってないという言い方が適切なのでしょうが・・・)食べられないのですが、味もそっけもないおかゆやインスタントのまずいコーヒーでさえ、なんともおいしく、いとおしく感じられたものです。

夕食も食べないで空港内を駆けずり回っていたので、おなかもすいていたのですが・・・結局、その日の夕食を食べられたのはその店最後のハンバーグ一つを半分に割って2人で食べました。

 

 そうそう、「空港内においしいラーメン屋がある」とT女史が言っていたので、そこへ行ったのですが、あったのはマックでした。彼女は「10年前の話ですが・・・」と!

 

 午前11時西寧空港着。7人乗りの狭い車はチベット青年のイケメン(29歳、子持ち。初めて参加のH田女史の弁)君の運転で西寧市の清真寺(イスラム寺院)へ。

 

 H田さんは、上海から飛行機に乗るときにも、私たちが乗っていなくて、空港でも私たちの荷物も出てこなくて心配だったといいます。それはそうでしょう。機内乗務員に何度も私たちの名前を言って確認したとのことです。「行く先を間違えて乗ってしまったのかしら」という不安だったと。

 西寧についてからは、スケジュールを追いかけるたびになりました。

 はじめは、“仏教寺院だけでなくイスラム教のモスクも・・・”とこちらで注文したところでした。

 

 下記は旅立ちの前に、のこちゃんから寄せられた清真寺の紹介文です。

 

清真寺(イスラム教のモスク)

青海省東関清真大寺

 

東関清真大寺は西寧市の代表的な建物で、西寧市東関大街路南の片側にあります。清真寺の面積は1.194万平方mであり、正殿の本体の面積は1102平方mです。そして南楼と北楼の面積は各363平方mです。 東関清真大寺は歴史の中で何度も破壊されてしいましたが、その都度修復が行われました。現存する建物は1913年に再建されたもので、1946年の改築によって拡張されました。そして1979年(文革で徹底的に破壊されたあとですね)にまた再建され、中国西北地方で一番大きいモスクの一つになりました。

礼拝に来た双生児の青年。なかなかイケメンのようでした

右から2人目の女性は「スカートが短い」と注意されて、

何かを腰に巻き付けて入っていきました。漢人です。

 

東関清真大寺の建物は非常に雄大です。清真寺は東向きであり、中国の古典建物と民族様式を融合させ、かなり特徴がある建物です。正殿の内は広く、天井も高いのでとても明るいです。同時に3000人余りのムスリムが集まって礼拝を行うことができます。正殿は建物全体が至るところで古風と素朴な雰囲気を感じます。上品さと厳粛さを兼ねた東関清真大寺は、イスラム教の特徴がたくさんあります。青海省の重要な文化財として保護することが認定されました。

東関清真大寺は明の時代の洪武年間(1380年頃)に建てられました。青海省内において最大規模のモスクです。歴史も悠久であり、中国西北地区の西安市にある有名な化覚寺と蘭州の橋門寺と新疆のカール清真寺と合わせて、西北四大モスクと言われています。現在、東関清真大寺境内には1914
年5月に建てられた「再建西寧大寺碑」と、1948年8月に立てられた「再建西寧東関大寺碑記」の2つの石碑があります。この石碑によって東関清真大寺が、すでに600年余りの歴史があることが証明できます。東関清真大寺は塔、壁、殿を融合させたイスラム風建物であり、真ん中にある正殿は1102平方mを占めています。建築全体は様式が奇抜で構造が明確です。礼拝日と三大宗教の祝日であれば、15万人ものムスリムがここに集まり、盛大な礼拝をします。東関清真大寺はイスラム教を研究できる学校として国内外に名を知られています

 (囲みの文章は当局かモスク自身が作成したもののようです)。

モスク内の民俗展示館にあった「年2回のお祭りには15万人が礼拝に来る」

という写真を写しました。

 

 もう少ししつこく、「東関」についてご紹介しましょう。

 

 清の時代の1862年に中国の陝西省辺りから起こった回族の反乱が鎮圧されたのち、当時はまだソ連領だった中央アジア各地に逃げ込んだ人々の子孫を主体とする民族です。ウズベキスタンやキルギス、カザフスタン辺りでは「ドンガン」と呼ばれています。

 また、この反乱の鎮圧では、回族や少数民族が清の軍隊によって百万人以上も殺害されました。漢民族は少数民族を徹底的に憎み、蔑んで殺しつくします。ある集落では住民が絶滅する、あるいはいまだに人口が極端に少ない地方があるといわれています。

これはウズベキスタン内の「東関(ドンガン)」の女性の写真です。

ネットから拝借しました。

 

| シルクロード | 09:28 | comments(0) | - |
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