シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
初見参!榆林窟−2

林窟」は敦煌から車で2時間くらいのところにあります。

ここも敦煌の一部をなしていると聞きます。

“こんなに離れていても敦煌の一部か”と思いましたが、行ってみてここが敦煌の一部だということがよく理解できました。

 

ここの発掘作業も分析もガイド(解説員)も何もかも「敦煌研究院」が把握・運営・研究しています。

まだまだ発掘過程で、観光客も少なく、とてもいい雰囲気で歩くことができました。

入場料金を払うところも、チャンチキの机(四本脚の長さが長短あるという江戸言葉)にスタッフが粗末な椅子に座っています。

 

解説員は上手な日本語でした。ただ「チベット密教」という言葉を繰り返すので、「今は国際的にも“チベット密教”とは言わないで“チベット仏教”というようになっているんだよ」と言っておきました。

見ることができた窟は、13,14,15,19,26,27,43。

仏教と道教が同居している壁画もありますが、とりわけすばらしいものが「飛天」の図=絵です。

この窟はいずれかの機会にご紹介します。

 

ただし、どういうことか、ここ林窟の写真と「陽関」の写真が見当たりません。せっかく心を込めて撮影したのですが、間違えて削除してしまったようです。初めて行った林窟の写真をなくしてしまうという失態に愕然としています。

河の向こう側は、まだ発掘中で見ることはできません。しかし、

同行の85歳になる加藤さんは「30年くらい前に、当時、成城大学の

先生に案内されていったことがある」といい、解説員が驚いていました。

 

 

余談になりますが、同行の士には元朝日の報道写真部の方で、いまはプロカメラマンという80歳の方がいるのですが、“彼は彼、私は私”という気持ちで接していました。そのKさんは昨年、某旅行会社のウズベキスタンツアーに行って、同じ新聞社出身のIさん(その方はわたしの友人で同じ市内に住んでいる人。彼の奥さんは日本シルクロード文化センターの副代表を務めていた人なのですが・・・)の講師で行ったのですが、“もうあのツアーには行きたくない。インターネットで野口さんの著書を知って読んで、こんどからは野口さんのツアーに行くことにしました”と勝手に決めて宮崎県から参加した方がいました。不破になった原因が、“あのツアー”の側に原因があったのか、彼にあったのかは次第に分かってきましたが・・・そのことはここまで。

 

解説員に「この榆林窟こはホームページもない、紹介するパンフや写真集もない。私が日本へ帰るまでにはつくっておくようにしなさい」と。半ば冗談のように言っておきました。

ですから、今日の写真はインターネットからの借用です。

| シルクロード | 10:48 | comments(0) | - |
今週末から河西回廊の旅に出ます

 8月5日から、日本シルクロード文化センター企画・主催の表記のツアーに行きます。

 

 旅行法の関係で主催事業とはなりませんが、ここは日本シルクロード文化センターの会員仲間の旅行。わたしもかつて2012年に行ったことがありますが、こんどのコースは私が組みました。

 

 旅の企画は青海省西寧市在住のチベット人ガイド通称「のこちゃん」。彼女とは二度三度と旅を共にしたことがあります。以前、ご主人と一緒に和光大学へ留学。アルバイトはお蕎麦屋さんと居酒屋さんだったそうで、彼女の日本語は、チャキチャキの江戸っ子の話し方。下手なわかものより正しい日本語を話します。航空便は西遊旅行にお願いしました。

 

 で、肝心の旅のコースですが、次のようなものです。

 

 羽田から上海に飛んで、国際空港の浦東空港へ。そこから国内空港の虹橋空港へはバスに乗って1時間くらい。私は何度も行っているのですが、北京から中国入りすることが多かったもので、上海をわたしが案内していくのは久しぶりです。

 

 以前、北京空港で時間があったので市内観光をしていて、ウルムチ行きの飛行機に乗り遅れたのです。無論、時間前には飛行機の乗り場へ行ったのですが、ナント!飛行機は我々10数人を積み残したまま飛んで行ってしまったのです。そんなことがあったので、プロのガイドを頼みました。

 

 上海からは西安経由で夜の11時近くに敦煌へ着きます。

 そうなんです。河西回廊を敦煌から東へ戻るコースをとったのです。

敦煌・莫高窟

 

 

 敦煌では2泊して、莫高窟、鳴沙山、月牙泉や陽関へ行きます。ただし今、中国政府は「内需拡大」だそうで、観光地はどこもかしこも超満員だそうです。おそらくいや絶対に私たちのコースもそうなっていることでしょう。

 敦煌の2日目からは「榆林窟」へ。私も敦煌は4〜5年ぶりですので榆林窟へはまだ行ったことがありません。

榆林窟

 

 

 この日のうちに林窟から嘉峪関へ走って、各地の長城などを見ます。そして3日目は、馬蹄寺石窟へ。

馬蹄寺

 

 

 そこには以前会ったことのある西のもうひとつのウイグル族である裕固族の方がいます。

左が、裕固族の男性、その右がウイグル族、その右がチベット族、右端がヤマト族。

 

 

 そこからは汽車で酒泉〜張掖〜武威を経由して蘭州へ行きます。この蘭州が曲者で、先進工業地帯として発展中で、ということは工場排出規制も何もない、煙モクモク出し放題の蘭州です。数年前に行ったときは、くしゃみ・鼻水・せき出放題で塗炭の苦しみを味わいました。街から100キロ離れてもその害は衰えません。私にとっては恐怖の町蘭州です。

| シルクロード | 09:54 | comments(0) | - |
ー21  シルクロード余話

シルクロード余話

 

コルラの出前演奏家夫婦。奥さんは、どことなく悲しそうな表情ですね。

 

 今回の河西回廊の旅のシリーズも、西安まで戻ってきました。

 

 わたしは、8月の私たちの旅のコースを、西安からいきなり敦煌にまで飛んで、こんどは地上を東の西安まで戻るルートを考えました。

 

 でも、なぜ、「戻ってくる」と言うんでしょうか。なぜ、“シルクロードは長安が出発点”などと言うのでしょうか。

 

 これは「中華思想」のなせるワザ。

 “すべては中華が天の中心”“中国の皇帝は、唯一、天が定めた”という考えがあるからです。

いまその中国政府と党は、「中華思想」の枠を取っ払って、漢族と異なる少数民族(わたしはこの、少数民族という言葉が嫌いなのです。なぜかって?少数より大のほうが偉いと思い込んでいる民族がいるからです)を、こともあろうに「中華民族」と呼ばせるようにしています。

 ハテサテ

 

 シルクロードが世界遺産に登録された時も、世界遺産委員会の席上(だったと思うのですが・・・)、韓国の代表が「韓国にもシルクロードがある」と発言すると、中国代表は「シルクロードは長安からスタートしている。だから長安の東はにシルクロードはない」と、この意見を切って捨てました。

 

 私はこのことを、昨年行なわれた、国際シンポジウムの席上で「そのとき、日本政府代表はどのような態度をとったのか」と質問しました。中国代表が韓国代表に対してそのようなことを言うのであれば、日本などはシルクロードの枠外になってしまいます。そのことに反論したのか、と質問しました。

 政府・文化庁の代表は、そのことには一言も触れないで「回答」しました。質問に答えない「回答」をするとは、神業だと思いました。中国に気兼ねしているのです。

 

 もうひとつ、質問をしました。「中国の『シルクロード一帯一路=AIID』政策は、シルクロードのロマンにかこつけた経済的な覇権主義につながるのではないのか」と。(会場からの質問は、あらかじめ配られた紙に書いて事前に質問していました。)司会をしていたどこかの大学教授は、わたしの質問を読み始めて、すぐに「これは、んん・・・・」とか言いながら中断してしまいました。“政治的な事柄だから”とか何とか言っていましたが、昔も今も、シルクロードが政治と無関係に進んだことが一瞬でもあったでしょうか。

 

 これが21世紀の現代における、日本と世界のシルクロード研究の到達点のひとつなのです。

| シルクロード | 06:44 | comments(0) | - |
怒涛の3週間!

 シルクロード・ツアーの中止を決めたものの、何人かからは“シルクロードならば、どこでもいいですから、どこかへ案内してほしい”と言われました。それはそうです、私もそれはすぐに考えていました。私に関しては新疆には50回近く行っていますし、ほとんどのところへ行っています。だいいち今回のあとでは新疆のどこへも行かれません。で、あれば、河西回廊か敦煌(敦煌も河西回廊ですが・・・)あるいはモンゴルへと考えるしかありません。

 

 

 

 チベット青海省(もともと青海は清朝の頃には全土がチベット領でした)の西寧市に住む通称“のこちゃん”にメールしました。「敦煌から河西回廊を通って青海湖へ。最後は長安の都のルートを検討して」と。2〜3日ですぐに返事が来ました。なぜなら、そこは私たち3人とガイドののこちゃんたちとで5年前に行ったからです。

敦煌郊外の鳴沙山

敦煌莫高窟の蔵経洞で文書・経典などを調査するポール・ペリオ(30歳)。

陽関で

天水郊外の麦積山石窟

 

 上海から敦煌の直接行って莫高窟をみる。次は私も初めてなのですが、林窟。そこから河西回廊を東に向けて走り、嘉峪関、馬蹄寺、もう一つのウイグル・裕固族にも会い、蘭州から炳霊寺石窟、天水からは麦積山石窟へ。さらに青海省へ入って西寧のタール寺、西寧から往復で300劼寮蝶じ弌∈埜紊歪弘造療圓愼って兵馬俑・大雁塔や古代博物館など。かなり盛りだくさんですが、この11日間の個人旅行に行きます。

青海湖は海軍の魚雷訓練基地にもなっている

西寧市郊外のタール寺

西安の大雁塔

 

 こう書くと、何ごともなく時が過ぎゆきたとお思いでしょうが、とんでもありません。キャンセルの文書作成・通知、申込金の返金、新しい企画の検討、日程の調整、見積もりの再検討(費用をまけさせる交渉のこと)、国際便の発注、そこの社員(西遊旅行でしたが)との一日10回程度のやり取り、参加希望者だった方々への今度の企画の参加の可否の問い合わせ、航空便の立て替え払いなど。おかげさまで年間の予定が8月上旬からと決まっている方を除いては全員が参加することになりました。

 

 次には今週10日に迫った「シルクロード講座」でテーマを少し変えて、今度行くコースのパワーポイントの作成、レジュメの作成など、嵐のような3週間でした。

長安の都の西門。ここから、いつ帰れるとも分からない西域=シルクロード=での兵役に就くものが別れを惜しんで出ていった。

 

 それに加えて、わたしはシルクロードとは全く別のスポーツ分野の全国的な交流組織の事務局長の仕事も担当しているため、そちらの仕事も風雲急を告げる出来事が起こっています。全国各地から毎日のように問い合わせが来て送受信しています。発信するニュースも担当者に原稿を送って1日おきにメールニュースを発信しています。新聞からの取材もあります。それらに一つ一つ丁寧に応えなければなりません。丁寧といえば、卓球でも中国の世界チャンピオンの「丁寧」選手がいますが、日本の中高生選手が大活躍。目が離せません。

 

 毎日・毎日、嵐のような毎日が続いています。嵐と嵐がミックスして「怒涛の3週間」でした。この3日間はシルクロード講座のパワーポイントの作成に没頭していました。予定の100枚の写真が200枚近くになっていて、これからその写真の削除作業です。そして今日は午後に家を出て、帰りはおそらく11時でしょう。この毎日が刺激的で楽しいんですね。

 

 もう一つ心配事があります。新疆へ行かないことにしたから安心なんでしょうか?そんな甘いことを言っていられないと思います。甘粛省でも中国政府のやることは同じなのででしょう。私が上海で“入国禁止”になるかどうかわかりません。このブログも彼らは見ているでしょうから・・・

ホータンの繁華街でも特警のバスや自動小銃を持った兵士が引き金に指をかけて「警戒」しています。

| シルクロード | 10:17 | comments(0) | - |
シルクロードの友あり、遠方より来たる

 表題の意味を分かりやすく書くと「遠き宮崎県から友来たる、また楽しからずや」になります。

 

 おととい(23日)、わが家のカミさんが夜遅く帰ってきて、ポストにあった郵便物をもってきました。10年前に出版した拙著『シルクロードの光と影』の出版社「めこん」からのハガキです。でも、なかなか意味が分かりません。

 

 眼鏡を取り出してよくよく見ると、昨年4月に朝日の外信部記者だった友人の伊藤千尋氏の案内でウズベキスタンへ行って、帰国後、この本を購入して読んだのですが「・・・なんでもっと早くこの本に出会わなかったのかと大後悔・・・」とのハガキを出版社経由で私宛に送って来たのです。

Kさん、Iさんがツアーで訪れたサマルカンドの

レギスタン広場

 

 彼Kさんは宮崎県に住んでいて、今回は「確定申告で上京」とのこと。Kさんも定年前は朝日の写真部記者で、いまはカメラマン&ライターだそうですが、要するに「著者に会いたい」とのこと。79歳。

新宿でお会いした宮崎県のKさんと

 

 いま、ヨーロッパの国際情勢の分析という、小難しい作業の最中だったのですが、「せっかく宮崎県からきているのだから・・・」とのワイフの進言もあって、頭の休養も兼ねて新宿のあまり行ったことのないような(昔の厚生年金会館の奥)ところにある小さなホテルまで行きました。

 

 ロビーに立っている彼を見て、すぐにこの人だなと分かりました。すると、私のうしろからもう1人の男性が近づいてきてやはり彼に挨拶しています。“なんだ、2人まとめて会うつもりだったんだ”と少し気を悪くしようとしたのですが、せっかく宮崎県から来たのだからとガマン。でもKさんは「せっかく著者に会うことができるのだからと友人をお誘いしました」とのことでした。私もこれで機嫌が直ってしまうのですから、大したことないですね。

サマルカンドで少しの間、教鞭をとっていた合間に学生たちと訪れた

シャーヒズィンダ廟、私のもっとも好んだ場所でした。

廟はお墓のことです。大学は「サマルカンド国立外国語大学」。

 

 

 その人は八王子から自転車でやって来たIさん。初めのあいさつで、私が現役のころ勤務していた「労山」加盟の八王子の山の会「おおるり」の会員が友人にいるとのことでした。その他の面でもいろいろ気が合う話が続きました。その!さんとこれからも友情が続くことを願いたいものです。彼とはすっかり意気投合してしまいました。このお2人はウズベキスタン・ツアーの旅の友だったのです。

八王子から自転車で来られたIさんと

 

私のシルクロードにたいする考え方や道程、あれこれ質問を受けるだけでなく、私からもあれこれお話しました。

 

 2時間弱のお話で終わりましたが、これもまた楽しからずやの時間でした。Kさんには、わたしの別の著書2冊を進呈しました。

 

 宮崎県に咲くであろう、“新しいシルクロードの芽”との出会いのお話でした。

シャーヒズィンダ廟で日本語の上手な元学生2人とバッタリ。

同じ大学で日本語を学んだとのこと。

 

 

 新しく買ったザックが背中にぴったり合うので、ルンルン気分で新宿駅まで帰る途中、偶然、富士国際旅行社の前を通りかかりました。そうだ、あのお2人のシルクロード・ツアーもこの会社のツアーだったのだと思って入って行きました。でも、担当者に会うと(あとから思い出したのですが)、そのことには全然触れないで、4月に何人かで計画している沖縄へ行くことの打ち合わせになってしまいました。この会社の、5年前に亡くなった社長市原さんとはかなり親しい友人だったのです。

 

 帰りの新宿駅までの道は背中が汗ばむほどの天候で、思いのほか楽しい一日でした。帰宅してお風呂に入ってビールでこの日は終わり。

| シルクロード | 06:09 | comments(0) | - |
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