シルクロード日誌

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私のおすすめチベット映画 2本
お勧めのチベット映画「風の馬」(ルンタ)&「雪の下の炎」をどうぞ!
                            野口 信彦

少しふるい話をします。その日に書いたのですが、ブログが立ち上がりましたので、加筆して掲載します。

すぐる3月10日は、終日、チベットの民への追悼の気持ちとともに、我が家も含めて焼き払われ、多くの人が虐殺された深川大空襲という二つの「死」への悲しみの気持ちで過ごしました。
この日は渋谷の「UPLINK=アップリンク」のプレミア上映会でした。
二つの映画が4月11日から渋谷のアップリンクで上映されます。
プレミア上映会の感想を含めて、皆さんに是非、この映画を見ていただきたいと思いました。

お目当てはチベット映画の「風の馬」と「雪の下の炎」でした。
前者はアメリカ人の監督・脚本、後者は日本人女性が監督でした。
会場は私のような年代は少なく、20代、30代がおおく、半数は女性でした。
「雪の下の炎」は後半に上映されたのですが、両方とも息を呑む迫力でした。

70人ほどしか入れない会場は7時から「風の馬」が始まりました。
会場の多くの人、私の隣に座った50代の女性2人は、ときおり、「アーっ」とか「オーッ」などとうめき声を上げながらみていました。
しかし天邪鬼の私は、チベットの実際の姿を知っているためか、それほどの「うめき声」は出ませんでした。

なぜなら、その原因はこの映画の「風の馬」の監督・脚本がアメリカ人だったからだと、映画が上映されている最中から感じていました。
彼らが“アジアを描く”と往々にして、「欧米の人間は弱い人や虐げられたアジアの人々を助ける正義の人」になってしまうからです。色濃い「欧米中心思想」を見て取れてしまうのです。
この種の映画にはよくある手法で、確かにネパールでロケがなされた映画(チベットやラサの実写もありますが)は迫力のあるものでした。
「汚い顔」をしたチベット人が中国の軍に抵抗する姿は映されていましたが、それを援助し、拷問を受けた尼僧を撮影し、アドバイスをするのはアメリカ人の女性だったからです。いつの間にか、まるでチベット語を話せるアメリカ人の彼女が主演のようになってしまっていました。
監督の意図したものは、そのようなところにはなかったでしょうが、生まれついての「白人」の血がそうさせてしまったのでしょう。

私の次著のテーマは、「戦争と平和」とともに、「欧米中心思潮と中華思想の負の遺産の克服」ですから、余計敏感に、においを感じ取ってしまったのだと思います。
でもみなさんは、私のこの言葉には余りとらわれないほうがよいと思います。
純粋に映画を鑑賞したほうがいいです。

逆に「雪の下の炎」は、実際に33年間を拷問と虐待のもとで刑務所で過ごした僧侶の「語り」がメインでしたが、こちらのほうが逆に迫力がありました。実際に刑務所で過ごした人たちが出演しているからです。
1960年から1992年まで、獄中にあった僧侶パルデン・ギャツォが、あらゆる迫害を受けながらも泰然自若として笑みを絶やさなかったのは、「信仰の力」があったからです。

しかも、ほとんどすべての人は気がつかなかったと思うのですが、アデ・タポンツァンが友人として何度か画面に登場していたことです。
アデは7歳にして中国軍に石を投げて投獄され、27年間を監獄で過ごした女性です。10年前に『チベット女戦士 アデ』(総合法令刊)で読みました。
その彼女よりも長い33年間も監獄で過ごした人物の術懐ですから、迫力があります。

監督は1973年生まれの日本人女性。ニューヨーク在住で楽真琴(ささ・まこと)さんという人です。
昨年のトライベッカ・フィルム・フェスティバルでプレミアム上映され好評を得たこの映画が4月11日から渋谷のミニシアター・アップリンク(http://www.uplink.co.jp/top.php)でも上映されることになりました。
楽真琴さんはこういっています。「大学を出てすぐニューヨークに行ったばかりのとき、挫折感と孤独感でどうしようもなかった。でもパルデン・ギャツォのことを思うとがんばれた。30年以上も投獄されて、ひどい拷問にもあっても、笑顔を忘れないチベットのお坊さんがいるんだ。こんなことで泣きごといっちゃだめだ」と。
 ≪拷問にも屈せず≫
チベット僧、パルデン・ギャツォ師のことを少し紹介します。
1933年生まれのラサ郊外のデプン寺院の僧侶。1959年3月のラサの蜂起に参加したとして60年に投獄される。尋問や思想教育に抵抗し、脱走を重ねたためその後も延々と投獄され続けることになりました。
殴るけるは言うに及ばず、電気棒を口につっこまれてはすべての歯を失い、体中にやけどを負わされる拷問も受けました。しかし最後まで自分を失わず、飢餓や暴行死、自殺で次々政治囚の仲間が亡くなっていく中を生き抜きました。アムネスティ・インターナショナルの働きかけで1992年に釈放された後は、インド・ダラムサラに亡命し、今もフリー・チベットを訴える活動を続けています。
彼は自伝『雪の下の炎』(ブッキング刊)の中でこう語っています。「人を自らの命を絶つところまで追いつめるような極限状態の絶望感は、誰にも理解できるものではない。私自身は仏教の僧侶であり、人の命をこの世で最も大切なものと考えるように教えられてきた。それに、私を苦しめる者たちに、まだ屈してはいない」と。
どのような迫害にあっても希望を持ち続けることが抵抗であり、当局がもっとも恐れることなのです。だから、壮絶な経験を経ながらもパルデン師は希望に満ちた穏やかな笑みを見せることができるのです。
こういう精神の強靭(きょうじん)さこそが、過酷な自然の中で鍛えられたチベット仏教の神髄なんだろうと思いました。
 ≪絶望しないチベット≫
ダライ・ラマ14世がインドに亡命してから50年の今年、チベット自治区や周辺のチベット族地域の現状は以前にもまして厳しいものがあります。
3月21日は青海省ゴロク・チベット族自治州で僧侶を含む大勢の市民が警察署を襲撃し暴動が起きたと、国営新華社通信が報じました。この件で93人の僧侶を含む95人が逮捕されたといいます。
四川省アバ県ではチベットの正月の2月、キルティ寺の僧侶が街中で抗議の焼身自殺をはかり、軍の発砲を受けたともいいます。相互監視、密告、思想教育。最近のめざましい経済発展とは裏腹に、チベット族地域ではかつての「文化大革命」に匹敵する暗黒の時代ともささやかれているのが現状です。
精神的支柱のダライ・ラマ14世は高齢で、国際社会も中国の機嫌をそこねたがらないのが現状です。客観的にみれば希望と呼べるものはほとんどないのに、しかしなぜか、余裕がないように見えるのは中国当局の方ではないでしょうか。
チベット問題は日本人になじみが薄く、自分と関係のない遠い世界のことのように思う人が多いのですが、この万年雪の下で燃え続ける炎のような「絶望しないチベット」に心動かされないでしょうか。
もし、あなたが「もうダメだ」と思うような不幸や試練に直面したとき、ふとそういう強い魂がこの世にあると思いだすだけで、自分を励ます力となるかもしれません。

2009年3月28日   野口信彦
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