シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< 漢字誕生の伝説 | main | 旧暦から太陽暦へ >>
実用的ではなかった小篆
                        091018 野口 信彦

秦の始皇帝によって文字の統一がなされ、標準字体となった小篆(しょうてん)ではあったのですが、この文字はあまり仕事向きではなかったようです。
小篆は曲線が多く、装飾的で、書くのに時間がかかったようです。
これは、短時間に多くの文章を処理する事務・実務には不向きだったようです。

そのため字形を簡単にし、直線を基準とする書体が考案されました。
これが、隷書(れいしょ)という文字でした。
隷書の成立には、ある逸話があります。

この文字は、秦代の「程はく」という下級役人がたまたま罪を犯し、牢内で日ごろ感じていた小篆の書きにくさを思って考案したものだといいます。

これが始皇帝に認められ、彼は再び役人として採用されることになります。
「隷書」という名は、下級役人のことを「徒隷」と言ったことに由来しているといわれています。

おそらくこの話も伝説にすぎないのでしょうが、当時の役人たちが小篆を不便に感じていたのは事実でしょう。
隷書は自然発生的に起こり、秦の役人たちの間で定着したようです。

国家の公式な文書の作成には、小篆ではなく隷書が使われることが多かったようでした。

なお、書道で用いられている毛筆。
筆は筆記用具として殷代にはすでに用いられていましたが、毛筆の原型をはじめて作ったのは秦代の蒙恬(もうてん)だったといわれています。

蒙恬は始皇帝からの信任が厚く、当時、強勢を誇っていた北方遊牧騎馬民族匈奴の侵入を防ぐために、北方に張り付いていました。
匈奴がその姿を中国の歴史書に登場したのは、秦の始皇帝が中原を統一した6年後のようです。

始皇帝は、近い将来、国に危害を及ぼすのは騎馬遊牧民であろうとの判断のもとに、将軍の蒙恬(もうてん)に大軍を与えて国境を守らせました。
しかし、始皇帝が死んで蒙恬が国境から離れたために、匈奴が勢いを盛りかえしたといわれています。

話をもとに戻しますが、この書きづらい漢字は、20世紀半ばに新中国が生まれるまで続いていました。
実に非効率的で形式ばかり重んじていた字体でした。

「八股文」というのは、やたらに形式ばかり重んじて、内容の薄い、字画の多い文字ばかりを連ねている文章を言ったそうです。

「山のはざまのたけのこは、口先とんがり、眼は天井・・・・」。
これは、毛沢東が若い頃、北京大学の図書館勤務の頃に書いた一文です。
私が16歳のときにこの文句を知りました。
この先は今は覚えていませんが・・・・・・

要するに、官僚や学者というのは、世間知らずで、口角泡を飛ばして議論ばかりに夢中になり、それでいて出世ばかり考えている連中のことと、あげつらった文章です。

今、中国と台湾の関係がよくなりつつあるようですが、両岸は漢字が違います。
大陸側は簡体字で、日本人が見てもなかなかわかりにくくなっています。
台湾は現在の日本で使われているような漢字でなく、戦前に使われていたような、繁体字という字画の多い漢字です。
文字からも、人と人の交流が生まれるのですから、大事なものなのですね。
| コメント | 03:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://blog.silkroad-j.lomo.jp/trackback/1271851
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE