シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< 唐招提寺・安如宝関連のビデオを見ました | main | 映画「ウイグルからきた少年」とは何か! >>
ソグド人と日本との関わり
                      091111 野口 信彦

きのうは唐招提寺第4代目の住職となったソグド人・安如法さんのテレビドラマのことを書きましたが、それ以外にもソグド人が日本へ来たことが明らかになっています。

それはそうでしょう。現世人類が10数万年前にアフリカ東部から発生し、地球全土に拡がって行ったのですから、もともと日本にいた現世人類はいないわけです。主として大陸から渡来したことになります。
そのうちのソグド人が日本に来たことは、偶然とはいえ、でも、あまりにもロマンを感じると私は思っているのです。

ソグド商人は海のシルクロードでも活発な交易活動を展開し、その面からも日本にも来ていたことが証明されています。
主として加藤九祚先生の文献から分かったことです。

たとえば、法隆寺献納宝物の一部に、白檀2点と沈香1点が伝わっています。そのうちの白檀2点に刻まれた謎の刻印と焼印は、8〜9世紀のソグド商人の海と陸にわたる交易のネットワークについて手がかりを示しています。

☆白檀に記された墨書は天平宝字5年(716年)のものである。
☆刻名の文字はパフラヴィー語(中期ペルシア語)で「ボーフトーイ」(人名)とある。
☆焼印の文字はソグド文字で「ニーム・スィール」とある。
☆ペルシア人およびその来航船に関する史料としては、義浄(635〜715)『南海寄帰内法伝』に671年の広州に住むペルシアの船商人について書かれている。
☆慧超『往五天竺伝』(8世紀前半)によれば「トカラ国より西に1ケ月行くと、ペルシアに至る。この王は以前には大食(タージ)を管理していた。・・・・・
この地の人は生まれつき興易(交易)を好む、常に西海(アラビア海)に船を汎(浮)かべ、南海(インド洋)に入る。獅子国(スリランカ)が宝物を産するためであるという。さらにベトナムでは金を入手する。さらに船を漢地(中国本土)へ浮かべ、直接、広州に到着して綾絹・生糸・真綿などを入手する」。

☆アラビア語史料に現れたファールス商人は、ソグド系イラン商人の活動を、次のように記している。
スィーラーフの人アブー・ザイドとマスゥーディーの記録:黄巣の乱(875〜884年)の反乱軍が広東を陥れた時(878年)、そこに住む外国人12万人(一説では20万人)が殺戮された。さらに中国船(ジャンク)が進出。それまでは大食船・ペルシア船が中国に直接、来航していた。
☆日本の正倉院にあるペルシア風の文物は、実はペルシア人ではなくて、ソグド人が作ったか、あるいはソグド人を介して東方に伝わったものだと思われる。
☆日本の法隆寺には奈良時代に日本に入った香木がある。それにはソグド語の焼印が押されていて、ソグド人が日本に来ていたかもしれない。ソグド人の商売の手広さをはかることができる。
☆実は日本にもソグド人が奈良時代にやってきている。それは奈良にある唐招提寺の二代目住職が安如宝なのだが、この人は中国揚州のソグド人である。これは文献の記録にはっきりと書いてある。したがってソグド人と日本とはまったく無縁の話ではない。『日本書紀』にも何ヶ所か出てくる。

この項は、「ハルブーザ会」における家島彦一氏の「海の道再発見―海洋交流から見たダイナミック・アジア史―」を参照しています。
財団法人秀明文化財団による「MIHO MUSEUM 研究紀要 第四号」における、加藤九祚氏の「講演資料」中のシンポジウム「中国の中央アジア人―シルクロード東端の発見」における演者の発言から、箇条書きにして拾い、一部を補強しました。

この安如法さんが、私の調査では第4代目ということがはっきりしたものです。
それらをあわせると、西からの民族が怒涛のように中国に入ってきて、その潮流のような層の人々=安如法さんら=が鑑真和上に随いてきたのです。

もし安如宝さんがあのまま揚州にいたら、「安史の乱」で、安禄山、史思明憎さで8千人ものソグド人が殺されたので、彼も殺されていたかもしれません。
よくぞ日本へ来て唐招提寺の4代目住職になってくれたという気がしています。

タイミングも良いので、改めてわたしの調査活動で明らかになってきたうちのいくつかを抜書きでご紹介してみました。

はるかなる中央アジアのかなたから、シルクロードを通って中国各地で活動した交易の民ソグドは、金儲けのためばかりで生きていたのではないことがお分かりと思います。
しかし、その怒涛のようなソグドの流れが日本にまで及んでいたとは、まったく思いもよりませんでしたし、痛快極まりないことではないでしょうか。

ついでですが、玄奘三蔵が「ソグド人は金に汚くて云々」といっていましたが、それはあくまでも中華思想のなせるワザ。
漢民族以外は、みな金に汚く、人品卑しいものという断じ方です。
玄奘三蔵でさえも中華思想の呪縛から抜け出せなかったのですね。
| コメント | 06:12 | comments(1) | trackbacks(0) |
コメント
如宝さんが来たのは安氏の乱の前で10年放浪していたのですので、最初はお寺に預けられたソグド人の子だったのかもしれませんね。その頃の唐ではなんといういろんな民族が活躍していたことでしょうか!権力闘争で挙兵するのですからやはり元凶の楊貴妃はすごい人だったのでしょう!なんて歴史って面白いのでしょうか!そしてその頃の人のエネルギッシュさはただものではありません。
| はつせ | 2016/07/29 12:34 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://blog.silkroad-j.lomo.jp/trackback/1283627
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE