シルクロード日誌

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シルクロード日誌5《文化遺産としての「ナボイ劇場」建設の“真実”》その2
胡口靖夫●サマルカンド国立外国語大学教授

(昨日の続き


調査
の結果は、拙著で次のように述べた。

     ソ連邦第1級の建築家・シュー セフの設計により、1939年に着工。独ソ戦の苦戦で1942年に工事中断。戦況好転で1944 年に工事再開。ぃ隠坑苅鞠11月上旬に日本人捕虜が建設に参加した時には、基礎はもちろん建物本体はほとんどできていた。日本人捕虜が行った作業の中心は、左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大 理石の床張り・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった。ィ隠坑苅掲11月の「革命記念日」に完成式が挙行された。


したがってタシケント大地震で崩 壊しなかったことの最大の功労者は、ロシア人シューセフやウズベク人を核とするソ連邦の技術者・労働者である。しかし大地震でも彫刻が崩落しなかった、あ るいは電気機器が破壊されなかったという日本人捕虜の技術力は高く評価されるべきである。日本人捕虜のご労苦や従事された工事をおとしめるつもりは毛頭な い。


 文化遺産としての『ナボイ劇場』 はその中央アジア随一の美的価値、構造力学的価値のみならず“日本とソ連邦の合作”というグローバルな価値を合わせ持っていることを忘れてはいけないので はなかろうか。」


  拙著を読んでくださった方や私の講演をお聞きくださった方から「日本 人捕虜が『ナボイ劇場』の建設現場に到着したときには建物本体はほとんどできていた」という私説を支持する新証言を3例教えていただいた。


 特に兵庫県三田市在住で「ナボイ 劇場」建設に従事された田畑正雄氏(89歳)が、今年6月ビデオカメラでの録画・録音を許可された上、証言していただいた“大英断”には心から感謝してい る。


  ご高齢にもかかわらず日々農作業に精をだされ、2〜3時間のドライブ は平気のかくしゃくとしたお元気な方だが、淡々とした話しぶりには「最後に“真実”を言い残して置きたい」という気迫が感じられた。


 取材のなかでお聞きした 峪笋 が昭和20年11月上旬ころに着いたときにはもう建物はほとんどでけていました。これは間違いありません」∋匐,里い覆ぢ舁石の床張り職人であるウズベ ク人のシードロフ親方から「私の息子にならないか」といわれたというエピソードウズベク人に親切にしてもらったから無事に帰国できたというお話はとても感動的であった。


 この証言はDVDに保存したの で、今後の講演活動で“真実”を語る大きな武器にしたいと思っている。

 【付記:田畑 正雄氏の取材ならびに録画・録音には、畏友・佐野允彦氏(「編集工房さの」代表、神戸市在住)のご協力をいただきました。記して謝意を表します。】
| サマルカンド便り | 08:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
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