シルクロード日誌

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新疆の仏教系の民族
   栄光の歴史を持つ モンゴル民族

 

小部族の長カブル・ハーンが諸部族の統一を果たしましたが、金代に崩壊しました。現在のモンゴル北部というよりシベリア南部でのことです。この曾孫に当たるテムジンが、さまざまな苦労と戦いの末に再統一をはかって、1206年にクリルタイ(部族の大集会)を開いて首長になりました。ここで、はじめてテムジンはチンギス・ハーンと称したのです。これ以降〔モンゴル〕という名のもとに、言語がほぼ同じような諸部族がまとめるだけでなく、言語を越えてチュルク系の民族のモンゴル化がすすんだのです。

きのう生まれたばかりの仔馬―2006年撮影、以下同じ。

 

因みに、モンゴルを中国は、「蒙古」というようになりましたが、「蒙古」の「蒙」は、いわずとしれた、「無知蒙昧」から来ている言葉なのです。

「中華思想」は、自分以外の民族を貶めることに長けているのです。

 

のちに王朝を構成した元朝が、明に追われて漠北のかなたに戻った集団、いわゆる「北元」を、漢族が〔韃靼(だったん=タタール)〕と呼んだのは、元朝の後継として理解されるような〔蒙古〕の漢字を使用するわけにはいかなかったからです。


ソ連崩壊後に各地にできたチンギス・ハーンの像。

 

この〔韃靼〕という名前はほんらい、モンゴル統一以前におけるモンゴル系の別の小集団のひとつだったのです。統一以後のモンゴル族が自身の民族名として、タタールを用いたことは一度もなく、おもにヨーロッパが勝手につけた他称といえるでしょう。

日本でも「韃靼海峡」があり、「韃靼ソバ」がありますが、司馬遼太郎は別なのかもしれませんが、各地で使用しているところでは、そこまで理解して使われているか疑問です。

 

一方、東トルキスタン(現在のほぼ新疆に当たる地域)のアルタイ西部に割拠したモンゴル系諸集団は〔オイラト〕あるいは〔オイロト〕と総称されるようになりました。元朝の後裔であるモンゴルとそうでないオイラトとの間の対立は強く、その後のモンゴル史を決定づけ、こんにちでも民族内の対立が潜在しているのが現状といえそうです。

 
ゲルの中でも、「今度の選挙は民主党を勝たせよう」と語り合う女性たち。国際キャンプ場の支配人(左)とツアーガイド。


それでは、現在のモンゴル国を見てみましょう。

モンゴル高原からジュンガリアを含んだ満州族の清朝が崩壊したのち、1924年に成立したモンゴル人民共和国は、実質的にソ連の植民地化されていましたが、ソ連崩壊のあおりを受けて、92年に「モンゴル国」とその名称を改めました。

 

ロシアと中国の二大国のはざまにあって、一応の独立国家を維持し、総人口は270万人に達していました。この地域は、15世紀から16世紀にダヤン・ハーンやその孫アルタン・ハーンが制圧して以来、東部から移動してきたハルハ族が主体となっていました。北部には、ブリヤートが多く、その大半は1920年にロシアから南下してきた集団であり、スターリンから反革命分子とみなされて、大粛清の犠牲となったため、系譜が断絶しているのです。

モンゴルでも有名な馬頭琴奏者が、私たちのために
ウランバートルから同行してくれました。

 

社会主義の夢と理想をぶち壊したスターリンは、おそるべき数の人々を殺害しました。カザフスタンの天山山脈へ山登りに行ったとき、友人になったあるカザフスタン登山協会の会長が、ソ連の崩壊直前にこういっていました。「ヒトラーはユダヤなど外国人を殺したが、スターリンは自国民を殺したという点で、ヒトラーより悪人だ」と。

 

一方、西部にはオイラト・モンゴル系のドルベド・バヤト・トルグート・ウールドおよびミャンガン・ザハチンなどモンゴル諸集団やカザフ、ホトン、ウリヤンハイなどの諸集団が集中しています。

 

中国ではどうでしょうか。

内モンゴルウジリスタンで(2010年夏)。

 

新中国の成立に先立つ1947年、中国共産党が確定した「民族区域自治政策」が適用された最初の少数民族の自治区として、内蒙古自治区が設置されました。ここは単にモンゴルが内外あるいは南北に分裂したものではありません(経過が複雑ですので、いずれ日を改めてご紹介します)。1936年に49の諸公が集まって清朝に服従したことに由来する地域的単位です。

 

中国の内蒙古自治区では、農耕化や牧畜の定住化などによる沙漠化、高等教育の機会を得るために漢語が重視されて、モンゴル語を喪失するといった問題が顕在化しています。

自民族の言語を失うということが、民族の喪失につながることを予測できるということは、とても悲しいことです。さらに、そのことにたいする議論が起きているのか問いたいとも思っています。


ゲルの入り口で遊ぶ遊牧民の子どもとママ。

 

しかし今年の5月、遊牧民が中国の乱開発に抗議しているところを漢族の運転手が引き殺して、抗議運動が大規模に行われました。ご記憶の方も多いと思います。それまで中国の統治に抗する運動は根絶やしにされていたのです。

 

新疆ウイグル自治区ではバインゴル・モンゴル自治県、ボルタラ・モンゴル自治州、ホボクサイル・モンゴル自治県にモンゴル人が集住しています。

青海省には海西モンゴル族チベット族自治州、甘粛省に粛北モンゴル族自治県、吉林省に前ゴルロス・モンゴル族自治県、黒龍江省にドルベト・モンゴル族自治県、遼寧省にカラチン左翼モンゴル族自治県、阜新モンゴル族自治県があり、他集団との微妙なバランスが保たれています。ほかに元朝の駐屯部隊の系譜をひく人びとが四川省や雲南省通海県あるいは新疆にいます。


おなじ国際キャンプ場の遊牧民たち。
 

さらにモンゴル国に北接するブリヤート共和国では、ソ連時代からロシア化が著しく、1980年代後半のペレストロイカ以降、文字や言語などほんらいのモンゴル文化を復興する動きが強まっています。

 

またヴォルガ河下流域に住むカルムイク人は1630年頃に移動したトルグート・モンゴルが1771年、イリ方面に帰還する際に現地に残った集団です。帰還した人びとの落ち着き先である新疆ウイグル自治区のトルグート人との間でペレストロイカ以降、活発な文化交流が行われるようになりました。

 

このように、ソ連崩壊後の民主化の流れは、モンゴル民族主義を高揚させ、各種行政区界を越えたモンゴル系諸集団の交流を促しています。その中心的存在としてモンゴル国が注目されたこともありましたが、現在では援助依存率が世界5位といわれるまでの被援助国となり、リーダー役を果たすことは困難だろうといわれています。

また中国や韓国からの資本進出が目覚しく、漢族や中国籍モンゴル族、また韓国人にたいする暴行事件が多発する傾向がみられることは残念なことです。

| 諸民族 | 04:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
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