シルクロード日誌

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中国共産党大会を論ず―11
きのうは「冬至」でした。毎朝、二階の自分の部屋から眺める景色がありますが、“朝の日の出の早さ、遅さ”がいつも気になっています。

今日からは暗い日の出の時間が少しずつ早くなります。

これがなんとなく嬉しいのです。

 

「核心」になれなかった胡錦濤

さらに胡錦濤は5月、北京で「党員・指導幹部会議」を開催し、党大会での政治局常務委員・政治局員の人選に向け、会議に参加した幹部が候補者を推薦する制度を導入しました(1115日国営新華社通信)。

常務委員7人を前提に、既に常務委入りし、留任が決まっていた習近平と李克強を除き、5人を推薦することになったとされています。

権力基盤強化に向けて胡錦濤が描いた戦略のうち、「常務委7人制」は実現しました。しかし7人の中で、多数派または一定の割合を占めて「院政」を敷くという「核心」問題は、皮肉にも薄熙来事件と、薄追及の中心だった側近・令計画の不祥事の影響を受けたと言わざるを得ません。

江沢民は自身を毛沢東、小平に続く「核心」と位置づけ、江時代は「江沢民同志を核心とする第3代中央指導部」と呼ばれていました。しかし胡錦濤時代は10年を経ても「胡錦濤同志を総書記とする党中央」にとどまり、「核心」と呼ばれませんでした。

江が健在を誇示する中、胡は江に配慮して「核心」を名乗るのを避けてきたという見方が強いのですが、この10年間、総書記・国家主席として、胡は全面引退をしたにもかかわらず「序列1.5位」を続けた江が目の上のたんこぶだったのです。

軍事委主席に残れなかった胡錦濤

こうして胡錦濤は今回の常務委人事を5年前の第17回党大会に続き、思うように進められませんでした。しかし同じ共青団出身で、チベット自治区で仕事を共にした「小胡錦濤」49歳の胡春華内モンゴル自治区(広東省党委書記に就任予定)を政治局員に昇格させ、5年後の第19回党大会で政治局常務委入りさせ、「ポスト習」の座に就かせるためにも影響力を誇示しなくてはならないのでした。

胡錦濤は、尖閣問題を受けて周りから慰留される形で、いったんは党中央軍事委員会主席に留任する意向を示しましたが、最終的には退任し、「完全引退」する意向を固めました。

総書記退任後も2年間にわたり軍事委主席を続けた江とは違う決断でした。江を「道連れ」に「長老政治」を終わらせるとの見方が出ているのですが、「違うと思います。胡は軍事委主席に残りたくても残れなかった」(中国筋)というところが実際のところでしょう。

軍人事の前倒しで江沢民排除

胡錦濤は自身が軍トップを退く前に、人民解放軍制服組の軍事委副主席(2人)から何としても江派を排除しなければならなかったのです。軍4総部トップの中で唯一、年齢上、軍事委副主席への昇格が濃厚だった常万年総装備部長は、蘭州軍区時代の先輩だった制服組トップ・郭伯雄前軍事委副主席と緊密な関係を構築していました。

瀋陽軍区司令官時代の常は、北京に来るたび、郭の元に直行したほどの仲だったといいます。郭は最後まで、江沢民に忠誠を誓い続けた江の側近でした。郭は江の影響力を盾に、常を後継にするとの見方が強かったのです。

これに危機感を抱いた胡は、軍事委主席を辞める前の自分の力のあるうちに、まず軍の4総部トップの総入れ替えに着手。通常、軍指導部人事は党大会直後の1中総会で動くものでしたが、前倒したのです。副主席も党大会に先立つ第17期中央委員会第7回総会(7中全会)で、江派とは言えない范長竜済南軍区司令官と許其亮空軍司令官を選出しました。そして常万全を国防相に押し下げたのです。

反日デモ契機に対「薄熙来」強硬に

指導部人事をめぐり難航を極めた9月中旬。反日デモが各地で吹き荒れましたが、これが薄熙来の命運を決めた、というのが、中国政治に精通した学者の見解です。

「薄事件後の党内の混乱を受け、『低調』(控え目)に薄の処分問題を決着させようとした胡指導部は、反日デモ前後から急に強硬になった」。

英国人実業家ニール・ヘイウッドを毒殺した薄の妻・谷開来の公判(8月9日)には、薄の関与を匂わす表現はありませんでした。しかしその後、薄の元腹心・王立軍元重慶市公安局長の公判(9月18日)では、谷の毒殺事実を報告に来た王に対して激怒した薄がビンタをし、この2人の決定的対立が、王の米総領事館(四川省成都)駆け込みにつながった流れが具体的に描かれたのです。

薄熙来・毛沢東という亡霊

前出・学者は「胡錦濤は、薄を支持する左派勢力の台頭を恐れた。毛沢東の肖像画を掲げる反日デモ参加者に左派勢力の影を見た胡は、これら勢力を抑えるためにも薄に対する刑事責任追及という強硬な方向に転換した」と明かしました。胡は9月28日の政治局会議で、11月8日の党大会開幕とともに、薄の党籍剥奪と刑事責任追及を決定したのでした。

10年前の就任当初、毛沢東の力を利用した胡錦濤も、薄熙来事件以降、「脱毛沢東」路線を強め、党大会の政治報告では「閉鎖的で硬直した『老路』(かつての道)を歩まなかった」と訴えました。しかし胡錦濤の前には、薄や毛が亡霊のように現れ、権力闘争に敗北するという結末を迎えたのでした。

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