シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< 中国共産党大会を論ず―11 | main | 中国共産党における政治運動のいくつか―1 >>
正月4日、NHK BSで、シルクロードの名峰ハン・テングリが放映されます
きのうは高田馬場の早稲田大学の隣り、新宿スポーツセンター会議室で、「スポーツ基本法と地域スポーツ」というシンポジウムを企画したので出席しました。

遠く神戸大学や京都からも参加がありました。旧友が京都立命館大学の名誉教授になっており、それらの遠来の友も含めて、難しい議論ののち、激しい懇親会に移りました。“激しい”というのは痛飲したという意味です。

 

今日のブログはお休みするつもりでしたが、シルクロードの天山山脈中の名峰ハンテン・グリ峰(7010m)登頂の記録が正月に放映されるというので、友人近藤和美の文の転載を含めて掲載します。

 

89年、私が事務局長を務めていた日本勤労者山岳連盟創立30周年記念のイベントとして、ハン・テングリ峰とポべーダ峰(7439m)への2登山隊を派遣しました。それと並行して、総勢130名を超えるトレッキングチームを募って参加しました。AコースからEコースまで、レベルに合わせてのトレッキング隊です。Eコースには、我がワイフも含めた我が山の会の仲間たち、そして添乗員には我が息子も含まれていました。

 

前年もハン・テングリ登山隊を派遣しましたが、残念なことに事務所で私たちの片腕としてアルバイトとして働いていた北沢真一が、日本人初登頂を果たしましたが、2回登頂した下山途中に滑落死してしまいました。

 ピラミダルな実に美しい山容です。

名峰ハン・テングリ(7010メートル)。この山は私たちが行く前までは、6995メートルだったのですが、どういうことか当時のソ連は、7010メートルに「変更」していました。


このとき私は、遺体収容の段取りと、ご遺族のお宅長野市に行って2週間ほど遺体を待つ身となりました。日時が過ぎて行くので、遺体のない葬儀も行いました。後日、死臭を辺りに発散させて金属製のひつぎで帰国した北沢の遺体を、新潟市の葬儀屋さんで木のひつぎに移し替えて長野市まで運びました。

 

お父さんは農業用の小型トラックで息子を運ぶと言ってきかなかったのですが、「法律でそれはできないんですよ」と必死に止めたことがありました。

ご実家では、変わり果てた息子の姿を一目でもみたいと泣いてひつぎに取りすがるお母さんの姿もありました。わずかな皮膚と骨だけになっている遺体を、母親に見せたら卒倒して死んでしまいそうことが分かっていましたから断念していただきました。今になって思えば、私にも同じような息子と娘がいますので、理解できるのです。

 

翌年の90年、Aコースの私たちとともに追悼に訪れた北沢の父君と、ヘリコプターをチャーターして遭難現場上空から花束と記念の品々を散布しました。

そのときは、ヘリの爆音で聞こえないだろうと北沢の名を叫びながら号泣していると、隣りのお父さんも大声で息子の名前を叫びながら号泣していたことを思い出します。

このときソ連の登山隊がルート上6400m付近の岩場に慰霊プレートを設置してくれました。

 

それから21年、今夏NHKの取材で同峰に登った平出和也(石井スポーツグループ所属)がその慰霊碑の映像も収めてきたそうです。

NHKの山岳番組のアドバイザーを務めている友人の貫田宗男が当時の経緯を労山関係者に問い合わせてきたのをきっかけに、その後のやり取りで「同峰日本人初登を為したが帰路に事故死した」旨のナレーションをかぶせて映像が流されるようです。

 

それはともかく、1時間半の同番組は登山までの導入部であの辺りの風物も描かれるでしょうから、シルクロード愛好者の皆さんには興味深いものと思われます。周りの方にも広めていただければと思います。

 

| シルクロードの光と影 | 07:55 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< April 2019 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE