シルクロード日誌

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河口慧海のインド滞在日記など、新たに見つかる
 「河口慧海 命がけの旅日記発見」というニュースがきのうの夕刊各紙に掲載されました。

そのうち読売新聞に掲載された記事を転載します。

 

河口慧海のインド滞在日記など、新たに見つかる

1897年(明治30年)11月、日本を離れる直前の河口慧海(32歳)


堺市は9日、日本人で初めてチベットに入った同市出身の僧・河口慧海(えかい)(18661945)がインド滞在中に記した日記帳や、書簡13通、写真など21点が見つかったと発表した。

 23日から来月17日まで、同市博物館などで一部を展示する。

 慧海は1900年、原典に近い経典を求め、鎖国状態のチベットにヒマラヤを越えて潜入。帰国後に旅の様子をまとめた「西蔵旅行記」は英訳され、国内外でベストセラーとなった。その後も仏典研究のため、インドやネパール、チベットを訪ねた。

 資料は、幼なじみだった実業家・肥下(ひげ)徳十郎(18661915)の孫(大阪府松原市在住)が保管。日記帳は縦20・5センチ、横13センチで、慧海が2度目のチベット入りを前にした13年、インド滞在中に使ったもの。約200ページのうち85ページは中央が長方形に切り抜かれていた。帰国後の15年の新聞記事に「チベットで命を落とすかもしれないので遺書などを箱に入れて肥下氏に送った。箱の鍵は日記をくりぬいて入れ、小包で送った」とあり、この日記帳とみられる。

 チベット行きの際に肥下氏から様々な援助を受けたことがうかがえる書簡や、慧海が、当時のダライ・ラマ13世から下賜されたチベットの民族衣装を身につけた写真もあった。

 問い合わせは、市文化財課(072・228・7198)へ。

2013192056  読売新聞)

1902年11月、インドのダージリンでチベットの僧の姿をしたチベット脱出後の河口慧海(37歳)

 

次は私が以前、ある団体の会報に書いた文章です。

 

 河口慧海

 大阪で25歳で僧になっていた河口慧海は、修業するうちにサンスクリット語からの漢訳である日本の経典が非常に難しく分かりにくいということで、仏法を自ら極めようと決意してチベットに渡った。当時、インドではすでに仏教が廃(すた)れており、チベットにその真髄が存在しているといわれていたからであった。

 彼は東インドのダージリンでチベット語を学び、ネパールから西チベットのカイラスを経てラサに入った。これだけ書くとなんでもないように思えるが、とんでもない。私でさえ、1990年代に近代装備を備えてカイラスに向かってもたどり着けなかった困難極まる旅であった。

 しかもそれだけでなく、夏が過ぎればすぐに雪と氷の世界が訪れる。そして山のふもとには凶悪な山賊がいる。実に神戸を出てから3年以上を費やして1900年3月にチベット僧と偽ってラサに入っている。彼はそのラサのセラ寺で修業したのである。

 漢方医学にも通じていた河口慧海は、ダライラマ13世にも謁見が許されたが、おかげで日本人であることがばれそうになり、出国して1903年に帰国。その後も1914年から1915年までチベットにわたり1年あまり滞在した。

『チベット旅行記』『第二回チベット旅行記』がある。

『Three Years in Tibet(チベットの三年)』河口慧海・著 明治42年(1909年)


『西蔵(チベット)旅行記』河口慧海・著 明治37年(1904年) 博文館

 

| シルクロードの光と影 | 09:27 | comments(1) | - |
コメント
チベット旅行記は、河口慧海自身の翻訳により『Three years in Tibet』と題して1908年インドで出版されました。慧海は、日本語、英語、チベット語、サンスクリット語の4ヶ国語を読み書きできるマルチリンガルでした。しかもすべてほぼ独学です。英語で書かれた論文もおびただしい数があります。現在USS出版から刊行されている『河口慧海著作集 補巻1  英文草稿編(上)』には、421ページもの英文の論文草稿、
『河口慧海著作集 補巻1英文草稿編(下)』には、394ページ合計815ページ分もの英文で書かれた論文草稿が収められています。学校で学んだ正式な英語学習の記録は無くほとんどすべて独学です。哲学館(現在の東洋大学の全身)は卒業しましたが当時の哲学館では、哲学や仏教学を学んでおり英語の授業などは受けていません。しかもひどい貧乏で授業料と生活費を稼ぐため朝の5時から午後2時まで団扇の張り紙の内職をしながら学校に通っていました。見る影も無き超貧乏人の耐久生活でしたが彼には、大きな夢があり頑張ることができました。
その夢とは、立身出世するとか金持ちになるというようなものではなくもっと崇高なものでした。中学、高校、大学と10年間も英語を勉強した皆さんは、どれくらい英語ができるでしょうか?
| 正直正太夫 | 2013/03/09 3:29 PM |
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