シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< これはヘンだぞ?! | main | 北京〜パリ大陸横断ラリーin1907 その3 >>
北京〜パリ大陸横断ラリー1907 その2
大陸横断ラリー1907を再開します。

 

その前に・・・・きのう50年来の友人のお母さんのお通夜に行きました。

我が娘が小学生の頃、一緒にお宅を訪ねたとき娘に大正琴を教えてくれたことが印象的でした。最後まで頭はしっかりしていて、彼のつくる食事に文句ばかりいっていたそうです。ときどき私が電話をしてもはっきりと答えており、あと一カ月で百歳を迎える大往生でした。

 

輪廻転生とはいえ、そして「順番」とはいえ、今月26日に古希を迎える私としても人の人生というものを考えさせられる一夜でした。

御親戚のどなたかが言っていました。「あの年まで生きたのだから万々歳ですよね」。私は即座に否定しました。「いくつになっても実の母親が死ぬことは本当に辛く悲しいものですよ。私だって、死んだ母親や父親のことをときどき思い出して涙ぐむことがありますよ」。彼は一瞬ひるんだ顔をしていました。

 

話を戻します。

ラリーが行われた1907年当時の時代背景を見てみましょう。

中国は清朝崩壊(1911年)の直前でした。

欧米と日本が清朝を資本主義の餌食として、多方面からの侵略活動の真っ最中で、民衆は社会不安と生活苦で塗炭の苦しみの最中でした。

 

そこで外国人排斥やキリスト教会に対する反抗としての義和団事変(1900年頃から)が起こり、八カ国連合軍との戦争、その後の破壊と混乱の時期が続いていました。日本でも今、右翼の新しい動きとして外国人に仕事を奪われるからといって、これを排斥する動きがあります。ヨーロッパではさらに極端な形でやられています。ファシズムの胎動です。日本では「ねとうよ」もいます。「ネット右翼」ですね。

 前回と同じ写真です。ほかに資料がないのです。


当時の清朝では鉄道建設のための調査かと疑う目がありました。さらに民衆は、見たこともない鉄道が建設されると、長い間の先祖の墓が壊されるという疑心暗鬼もありました。あるいはさらに、自動車による清朝への侵略の調査かと疑う向きもいました。

 

国境を接しているロシア帝国の時代背景としては、シベリア鉄道が全線開通したのは1904年。工業化は進みますが、日露戦争「敗戦」が1905年で、民衆の困窮と不満は頂点に達していました。

第一次ロシア革命(血の日曜日1905年)後で社会不安は極端に不安定でした。因みに日本は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代でした。

| シルクロードの光と影 | 07:08 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE