シルクロード日誌

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シルクロードを東へ――74  130717 青の都・サマルカンド
  かつて、歴史の絵巻物であった中央アジアの華ともいわれるサマルカンド。

紀元前4世紀、アレクサンダー大王の侵入以来、8世紀のアラブ侵入と圧制を経験し、13世紀、チンギス・ハーンが占領して完全なる廃墟と化したこの地は、まるで不死鳥のようにそのたびごとに蘇ってきました。チムール時代の首都でした。

愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス (拡大図)

上の地図はアレクサンダー大王の東征図。紀元前4世紀ころ。


アレクサンダー大王の在位は紀元前336年〜323年 


5月とはいえ強烈な陽射し。サマルカンドを歩いていると眼に飛び込んでくるのは美しい建築物。そのすべてがチムールによって造り上げられたものだといってよいでしょう。かつて、チムール時代のサマルカンドは、その建築物に使われた「青」によって“空の青が隠れて見えなくなる”といわれるほどでした。

 

一代の英傑であるとともに建築王でもあったチムールが造り上げたサマルカンドは、“青のドームの都”とも呼ばれ、イスラームの世界でも“東方の真珠”と称えられてきました。8世紀のアラブによる侵攻と1220年、モンゴルのチンギス・ハーンによる徹底的な破壊の跡によみがえったサマルカンドは、800年を過ぎたいまでも私たちを惹きつけてやみません。

 表の門


古都サマルカンドは、チンギス・ハーンの遠征軍によって徹底的に破壊され、人口も激減したのですが、チムール朝時代に見事に復興し、かつてない壮麗な都市に生まれかわりました。現在のサマルカンドの街は、かつてチンギス・ハーンが破壊した跡地に建てられた都市ではありません。古い都は再起不能なまでに都市機能を破壊されたため、止むを得ず放棄され、全く新しい場所に都が再建されたのです。

レギスタン広場。左・ウルグベク・メドレセ、中央・ティラカリ・メドレセ、右、シェルドル・メドレセ。

 

そのサマルカンドは土塁と深い濠で囲まれ、郊外に広がる果樹園の中にも、チムールの宮殿や壮麗な建物がありました。食品も工芸品も豊富に生産され、市場は昼夜にぎわっていました。人口はチムール時代に15万人を越え、アラブ人・ギリシア人・アルメニア人など諸国の商人も多く往来し、中国の絹やインドの香辛料、ロシアの皮革などが取引されていました。破壊された都の跡が、アフラシアブの丘なのです。

現在のこのァフラシャブの丘からは想像しようもないが、「この地上で最も美しい街」 といわれた。廻りを砂漠に囲まれながらも、このサマルカンドの街だけには緑の木々が繁り、花々が咲き誇り、運河が流れ、豊かな農地がどこまでも続いていた。

 

チムールは、商店街をつくるために、サマルカンドを貫通する道路をわずか20日間で建設させ、チムールの妻と母のために、モスク(ビビー・ハヌィム・モスク)の建造を自ら監督したといいます。美しい庭園も数多く造りました。

チムール在世中に、彼の孫のムハンマド・スルタンが建設した神学校(マドラサ)は、後にチムール一族の霊廟(グル・イ・エミール)となりました。

グル・エミールは、1404年にチムールが孫のムハンマド・スルタン22歳の死を悼んで建設したともいわれています。

ビビー・ハヌム・モスク。ドームの高さは40mに達する。

 

チムールの孫のウルグ・べク(在位144749年)も公共浴場や庭園など多くの建造を行い、なかでも神学校はこんにちにまでその美観をとどめ、また天文台は特筆すべきもので、ウルグ・ベク自身の手になる天文観測記録は、デンマークのティコ・ブラーエのそれと並んで、望遠鏡発明以前におけるもっとも精密なものと賞賛されており、人類文明の発展に偉大な貢献をなしたといえます。


チムール帝国が、サマルカンド政権とへラート政権に分裂したのちは、へラートでチャガタイ・トルコ文学のミール・アリー・シール、細密画のビフザードなどが活躍したのに比べ、サマルカンドは精彩を欠き、1503年、ウズベク人に占領され、その繁栄もひとつの時代を終わっていくことになります。

 

サマルカンドは、紀元前4世紀にアレクサンドロスによって破壊されたソグド人の古代都市であるマラカンダと同じ街です。世界で最も古い都のひとつといわれているサマルカンドは、4世紀以降に復興を果たしましたが、7〜8世紀になると中国の唐王朝にも支配されるようになりました。

 

ここはゾロアスター教が隆盛を誇っていた時期もあったのですが、8世紀にはアラブの侵攻を許し、12世紀にはモンゴルのチンギス・ハーンによって徹底的に破壊されました。しかし、サマルカンドは不死鳥のようによみがえり、現在では街全体が世界遺産に登録されています。

 

中央アジアを制したチムール帝国が現代に残したものは、青い空に挑むようにそびえる青いモスクやメドレセ、そして、赤、青、緑と鮮やかな色彩の衣服を纏う女性たちでした。

 

ウルグ・ベクの天文台跡

 ウルグ・ベクは、チムール帝国の第4代君主(在位144749年)でした。

ウルグ・ベクの天文台跡。下の2枚も同じ。


 ウルグ・ベク天文台は1420年、サマルカンド郊外のチュバン・アタの丘にあります。当時は望遠鏡だけではなく、大きな六分儀を使用して天体を観測していましたが、この天文台で観測された1年の長さ(365日と6時間10分8秒)は、今日の計算とくらべてもわずかに1分以下の誤差だったといいます。彼は当時最も正確な「キュレゲン天文表」を作成するなど、東方イスラーム世界を代表する科学者でした。

 

 チムール帝国の第4代君主となったウルグ・ベクは、戦争よりも学問を重視したために、彼の息子と保守派の反発を買い、暗殺されてしまいました。天文台も破壊され、土に埋もれていましたが、1908年にロシアの考古学者によって発掘されました。現存するのは、天文台の基礎部分と、地下に掘り下げられた六分儀の一部だけです。

 

続いて、かつて旧サマルカンドが存在した「アフラシァブ考古学博物館」で7世紀のソグド人の壁画を参観。中央アジアの観光地には必要な案内のパンフレットを発行していないので、内容が分かりません。ロシア語はチンプンカンプン。

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