シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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困りました!

 

 いや〜苦労しました。パソコン・メールの送受信のうち送信部分が故障したので、プロの先生にお願いして修理をお願いしました。しかし、インターネットが使えません。結局、買い替えになりました。ところが買い替えたパソコンもインターネットが使えません。

 

 どこかの新聞の特集で、女子高生から何日か携帯電話を持たない生活をしてもらったところ、パニック状態になったとありました。先日の朝日新聞でも、記者に1週間携帯を持たない仕事をやらせたところ、仕事にならなかったとありました。

 

 私ももうすぐ長い旅に出るので、チベット関連、新疆関連、旅行社関係、同行の友人たちなどとの連絡を頻繁に行っていたので、大変困りました。何も手が付きません。反面、そんな自分を見て“インターネットに左右されるような生活からの永遠の脱却”を考えましたが、そんなことはもう想像だにできないITに埋没している自分に愕然としたものです。

 

ブログを書き終えてからかなりたちました。前回のブログは7月31日でした。今日から再始動しようと思っているのですが、新しい機械ゆえ機能が呑み込めていません。果たしてブログの更新までたどり着けるのかわかりませんが、挑戦してみます。いささか旧聞ですが、世界的にはこれから大きな問題になっていくと思います。まずは8月1日に書いた原稿を掲載します。


 まだ、機械の未習熟のため写真をうまく挿入できません。おいおい慣れていきますのでご容赦を!

 

案の定やりました。あの男。

 数年前、東洋大学でウズベキスタン関連のシンポジウムがあったあと講演した大使も含めた懇親会が開かれました、学長のあいさつのあと、件の麻生太郎氏があいさつしました。しかし、ウズベキスタンの位置もよくわからないままトンチンカンな話をしているので、会場のあちこちから失笑が漏れたことがありました。失笑というより爆笑だったのですが、ご当人は、自分の話が受けたものと勘違いして得意顔でした。

 

 彼は7月29日、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に代わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べました。

 

 これに対して素早い反応を示したのは、米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・ロサンゼルス)が“麻生発言”の批判声明を発表しました。「一体どのような手法が、学ぶに値するものなのか。民主主義をひそかに機能不全にすることなのか」とただしています。

 朝鮮日報も韓国・中国外務省も、日本の侵略戦争と植民地支配と関連づけて抗議しています。

 

 麻生太郎は自身の発言について、「真意と異なり誤解を招いた」とし、ナチスの例は「悪しき例」として挙げたもので、「否定的にとらえていることは発言全体から明らか」と釈明しました。しかし、彼のあの発言は確信のあるものです。決して“誤解を受けた”とか、“私の発言はナチスを否定的にとらえている”などというものではありませんでした。

 

 冗談じゃありません。確信に満ちたこの発言は、第1にナチズムを肯定する許しがたい発言であり、安倍内閣の閣僚として副総理としての資格はもちろん、政治家としての根本的な資質が欠如した発言です。

 

 第2に重大なことは、「ワイマール憲法」を持ち出すのであれば、もっと勉強してから持ち出すべきで、ワイマール憲法とナチズムとの関連も一知半解のまま口から出まかせに発言していることです。

 そもそも、ドイツにおけるナチス独裁政権の誕生とワイマール憲法の機能停止は、「誰も気づかないで」おこったわけではありません。

 

 1933年1月に首相に就任したヒトラーは、就任直後に国会議事堂放火事件をデッチあげ、それを機に、共産党、労働組合、社民党などを次々に非合法化し、最後には政党の結成まで禁止して一党独裁体制を敷きました。その過程でヒトラーは、いわゆる「授権法」(全権委任法)を成立させワイマール憲法を機能停止に追い込みました。

 

余談ですが、この「国会議事堂放火事件」では、ブルガリア共産党の幹部であったディミトロフが、たまたまベルリンに滞在中だったものを、彼を真犯人として逮捕し裁判を公開して、共産党による非道な国会議事堂放火事件を世界に知らしめようとしたものでした。ディミトロフは自ら弁護士となり堂々と裁判ででっち上げを追求し、最後には無罪釈放を勝ち取ったという事実は世界的に評判となったものでした。

 

 こうして、ナチス独裁政権の誕生と、ワイマール憲法の機能停止は、「誰も気づかないですすんだ」どころか、無法な暴力と弾圧の嵐の中で強行されたのです。麻生太郎がこの「手口」を学んだらどうかというのは、むきだしのナチズム肯定と民主主義否定の暴論というほかありません。

麻生太郎は、このナチズムの暴虐を「手口」として学ぼうとしたのでしょう。これは「悪しき例」として言及したものだなどという弁明は、到底成り立ちようがないものです。

 

 第二次世界大戦後の国際秩序は、日独伊のファシズムと侵略戦争に勝利した世界の民主主義勢力が、それらへの断罪を共通の土台としてつくられているものです。その土台を根本的に否定する者に国際政治に参加する資格も日本の国政に参加する資格もありません。

 

 日本は侵略戦争の代償を払い、永久に武器を持たない憲法を持ち、戦後68年を過ぎて、軍隊が海外でだれ1人殺していない、国民の誰1人として軍隊の侵略行為で殺されたことのない平和憲法の下で過ごしてきたのです。

 

 彼の大学時代、射撃のオリンピック候補選手として、部員証を机の上に出しておけば、試験の回答を書かなくともパスしたといわれている話は有名です。   スポーツこそ正々堂々と競いその技術と体力を競うもの。彼はスポーツマンシップそのものにも根底から反している人物です。

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