シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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「三国志」の歴史背景
今日は「シルクロード講座」の日です。
講師はイランの花・ナヒード吉成さんです。
日本シルクロード文化センターが、昨年の1020日に開催した「シルクロードの歌と踊り 2013」にトップバッターとして出演していただいた美しい女性です。
 
NHKのラジオ講座でペルシア語を教えたり、歌手として六本木のクラブで歌ったりしている方です。
時間のある方は是非、お越しください。会場は小田急線・和泉多摩川駅下車5分「みんなの広場」。
さて今日は「余談の日」です。「三国志」に関する若干のお話です。
 
三国時代とは
 
三国時代の勢力範囲

歴史年表でいうなら、紀元220年、魏の曹丕(そうひ)が後漢の献帝に迫って禅譲という形で帝位を譲り受けた時から始まります。これに対して、蜀で劉備が221年、漢王朝の再興を宣言し、225年には、長江の中下流域で孫権が呉を名乗りました。その魏も2年後には家臣の司馬氏に禅譲によって帝位を奪われてしまいます。晋が呉を滅ぼして全土を統一したのは280年、三国時代は約60年で終わりました。
 
ただ、我われが「三国時代」と呼ぶのは後漢末期、霊帝(在位168190年)の乱脈な政治に抗して184年に起こった「黄巾の乱」以降の時代を言います。この乱によって後漢王朝の政治的権威は完全に失墜し、中国全土は群雄が割拠する争乱の場と化したからです。したがって、「三国時代」の歴史とは、この乱以降約100年の歴史です。

三国志の公園の入り口です。無錫そのものは呉の孫権の勢力範囲でした。
 
この時期は民衆にとって極めて過酷な時代だった
 
三国時代には、分裂した諸侯が天下統一をめざして激しい戦いが展開されました。戦いの犠牲になるのは必ず民衆でした。三国時代のそれぞれの国が滅んだ時(蜀=263年、魏=265年、呉=280年)の人口の記載が歴史書にあります。それを概数で比較してみましょう。
 
蜀 戸数 28万   人口95万
魏 戸数 66万3千 人口443万3千
呉 戸数 52万3千 人口230万
             
これは戸籍に記載されているもので、富家に雇われている奴婢のような人たちや、流浪者、異民族の人たちは含まれていません。
魏は併呑した職を差し引いた数字であり、記載の年も違うので正確とは言えませんが、三国時代の戸籍人口は約767万3千人でした

無錫市郊外にある三国志にちなんだ公園で。ここは魏の将軍たちの像


やはり日本人は判官びいき。蜀の像の前でのワイフです。


呉の孫権の水軍を模しています。
 
後漢書の郡国志に属国を含めた、州・群・県・郷などの地域ごとの詳細な戸数、人口の記載があります。158年当時の総戸数は2607万906戸、人口は5006万6856名とあります。およそ100年前のこの数字と比較すると、三国時代の戸籍人口は15・3%に激減していることがおわかりでしょう。
 
多くの人たちが収奪と戦乱によって郷里を離れざるを得なくなり、流民となったり、苦難のなかで死んだり、富家の奴婢となったりして生きていかざるを得なかったのです。こういう過酷な時代、それが「三国時代」だったのです。
 
私の深川の生家も、まさに3月10日の大空襲で焼かれ、終戦後は、一家が流民となって東京・神奈川をさ迷い歩いていたのですから・・・・
戦争とはこれほどの被害を生むものなのですね。

やはり、ここで見るウイグル人は「外国人そのもの」でした。
すっかり意気投合して記念写真です。カシュガルから来たと言ってました。

 
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