シルクロード日誌

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人類の歴史とグレートジャーニーー21  大陸につくられた国ぐに。アーリア人の大征服
「人類の歴史とグレートジャーニー」は、まだまだアーリア人の項にたどり着きました。この先は古代中国文明、ギリシア文明からイスラエル王国の戦い、ペルシア帝国の誕生へと果てしなく続きます。
途中棄権のないように頑張りますが、旅行などで休むこともあります。忍耐強くお読みください。私自身もとても勉強になっています。
 

私は以前から、なぜ、ヒトラーがアーリア人の優越性を叫んでいたのかよく分かりませんでした。要するに白人優位思想の極端なものであったようですが、過去に研究したこともありませんでした。しかし、古代から人類史を解き明かそうとすれば、アーリア人を避けては通れません。で、はじめに少し乱暴なようですが、インターネットに掲載されていたこの種のことについて書かれたものに一部手を加えてコピーで記載します。お許しください。


アーリア人の民族移動
 
歴史学的には紀元前2000年〜1800年頃、カスピ海、黒海沿岸からコーカサス地域に居た遊牧民族が北上し、バルト海沿岸へ、また西方へはギリシアや今のトルコがある小アジアへ、そして南下は今のイラン(イランとはアーリア人の国という意味)、インドへ到達しました。つまりは、中央アジアからヨーロッパ全域にわたっているのです。

アナトリア
高原で建国したアーリア人はヒッタイト王国を築き先住民族から鉄の精製を得ました。「旧約聖書」ではヘテ人と呼ばれメソポタミアの古バビロニア帝国を滅ぼし、ラムセス2世の率いる古代エジプトと戦いその軍を破りシリアで版図としました。

またギリシアまで至った部族は「ミュケナイ文書」を、イランへ侵入したアーリア人はゾロアスター教の最高教典「アヴェスター」を、インドへ到達したアーリア人は「ヴェーダ聖典」を残し「ウバニシャッド哲学」と呼ばれている世界最古の哲学的思惟で書かれているものを残しました。ウバニシャッドの熟成時代は紀元前700年から500年頃と見られ、その後仏教の誕生を迎えます。


インド・イラン系アーリア人の習俗


『リグ・ヴェーダ』に拠れば古代アーリア人には死者(自分の祖先達)の霊魂を崇拝するという原始宗教の源基があったことが知られています。
先祖の霊が今生きている家族を加護しその祈願のために供物を捧げる。当初は供養の儀式は他家の者は参加できず、従ってその神は一家の成員の供物しか受け取ることをしません。つまり家族神である以上、子孫の礼拝しか認めない神だったのです。

そしてまた、祭儀が外部の者に見られると穢(けが)されたという認識もありました。つまりそれぞれが独自の祭事を行いその家に伝承された祈祷や呪文と讃歌を持っていて家長が神官として存在していました。インド・イラン系古代アーリア人にとって竈の神(アヴェスタ)は同時に氏神(ペナテス)となり守護神(ラアレス)であり、祖先の超人的な霊魂なのです。

竈を象徴するゆえ祭壇には火が絶やされることはなく、その一族の家長が取り仕切っていました。

これはあるブログに掲載されていたある質問とどなたかの回答の一例です。

Q.「戦場のピアニスト」の原作を読んでいてわいてきた疑問です。
同書ではユダヤ人と対比して(?)、ポーランド人のことをアーリア人といっているように思えるのですが、私はアーリア人とはドイツ人のことで、ポーランド人はスラブ人と思っていました。この理解は正しいですか?


 
A.日本人でも誤った考え方が浸透しているので困りますが、歴史学的アーリア人は二系統しかありません。一つはインド系アーリア人で、もう一つはイラン系アーリア人です。
BC3000年頃、中央アジアに居住していた印欧語族の共通祖先から分化した後の欧州人はアーリア人ではありません。従って実は歴史学的にはドイツ人もスラブ人もアーリア人ではないのです。


18世紀の言語学者ジョーンズがインド・イランの言語と欧州人の言語の共通性を発見し、サンスクリット語が印欧語族の母語であり、サンスクリット語のインド系アーリア人の自称のアーリア人を印欧語族全体の自称と曲解したのがきっかけで、欧州人もアーリア人であると誤った考えが広まりました。

やがて19世紀のドイツの言語学者シュライヒャーがその誤りに気づき、サンスクリット語は印欧語族の母語でなく、欧州人はアーリア人でないと言語学的には決着を見たのですが、帝国主義時代に入りインドは植民地化されイランも凋落すると、欧州人のみがアーリア人という政治的考えが暴走し、それがさらに偏狭に特化したのがナチスのアーリア人思想です。

ナチスの鉤十字は本来、インド系アーリア人のシンボルとして神聖なものであったのは皮肉なことです。今ではドイツでは鉤十字を書いただけで逮捕拘束対象になりますが・・・
 
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