シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< おことわり | main | 鉄勒(てつろく)の歴史 >>
柔然の歴史
柔然は4世紀末〜6世紀半ば、モンゴル高原を支配した遊牧民族集団です。蠕蠕(ぜんぜん)あるいは茹茹(じょじょ)とも表記されることがあります。言語はモンゴル系といわれていますが、何せ記録がないため確証はありません。
北魏にしばしば侵入し、対立関係にありました。同じく北魏の敵である南朝の諸王朝とは、こんにちでいう甘粛や青海方面を経由して交流があったとされています。

4世紀の後半、柔然とその周辺国
 
柔然の君主は可汗を名乗っていました。かつてはこれが可汗号使用の最初と考えられていたようですが、それ以前に鮮卑の拓跋部が使っていたことが最近明らかになりました。5世紀には西方に勢力を拡大し、高車を打ち破り、エフタルとも戦ったといわれています。

柔然の騎馬戦士=資料から


柔然の人々=資料から
 
女巫が国政を壟断(ろうだん)しようとしたエピソードが伝えられており、シャーマンの影響力の強さがうかがえます。
6世紀初めにモンゴル北方の丁霊を破り、その反攻に備えて木末城という砦をつくりました。

 
これに関連して興味深いのは、柔然最後の可汗阿那瓌(あなかい)が522年に北魏に対して1万石の穀物を種蒔用に要求して支給された翌年、一転して北魏に侵入し、2000人と家畜を略奪して北方に逃げ帰るという事件が起こったことでした。これは匈奴の場合と同じくモンゴル北方に城砦を築き、その周辺で漢族に農耕をさせようとした表れでしょう。
 
6世紀中ごろ、配下の突厥に滅ぼされました。その一部が西方に逃れてアヴァルになったという説もあります。
 
建国402年、滅亡555年。首都は不明。
 
| 諸民族 | 14:30 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE