シルクロード日誌

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インドシナ半島の旅―2 ベトナム編

ここで印象的な場面に出会った。若い女性2人が金バサミを持ってなにやら拾っている。グエン君に聞くと、彼も驚いたようで「今まで見たことがなかったですが、彼女たちはボランティアのようですね」という。民間のボランティア団体ができたようだ。

ドイモイと党・政府幹部による汚職や腐敗した政治風土のなかでも、民間の中から自然発生的に動き出したある種の大衆運動なのであろう。泥沼に咲くハスの花のような存在に思えた。

背中の文字はベトナム語。だから分からない。

彼女たちは、主に生ごみを拾っていた。

ホアンキエム湖は学生の天下。ここでも自撮り棒がはやっていた。

大人はバイクだが子供は自転車。街頭の自転車修理のおじいさん。

フィットネスクラブもある。

 

グエン君のお父さんが仕事でホーチミン市へ行くのに空港までタクシーを利用したので、そのタクシーを呼んでホテルへ。ことらでは流しのタクシーは危ないのである。明日、同じ時刻の便でツアーの皆さんが同じホテルにやってくる。というより、私はツアーの宿泊するホテルに1日早く前のりで宿泊するわけである。

ビールは小瓶なので3本飲む。

 

少々ベトナムについて

 

一般に「ベトナムは東南アジアの一員である」といわれている。では、東南アジアは、どこの地域を指すのだろうかと思った。

ベトナムに関する著名な学者であり、東大副学長を歴任した古田元夫氏の著書『ベトナムの世界史』(東京大学出版会刊、2015年9月、増補新装版)によると「ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、フィリピンの10カ国から構成されるようである」と指摘している。

私の行程は、まずベトナムのハノイへ行き、そこからはツアーでフエ、ホーチミン市、

そこからは独り旅になって、バスでカンボジアの首都プノンペン、さらにバスで

アンコール・ワットの遺跡群があるシェムリアップ、そこからは飛行機でラオスの

ルアンパバーン、さらに空路タイのバンコク、そこでアユタヤ王朝の跡をみてから、

さらに空路ミャンマーのヤンゴン市、帰路はハノイ経由で成田、という経路でした。

 

 

今回は、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイの4カ国は行かない。フィリピンはこの旅行から帰って1週間後に行くことになっていたが、それでは疲れも取れていないだろうということで出発前にキャンセルしておいた。

 

もう少し古田先生を引用してみよう。

「ベトナムの人びとが、いつから、自らを東南アジアの一員と考えるようになったのかというと、歴史の問題として、この命題を考えるみると、その自明さは一挙に失われる。なぜならば、フランス植民地の支配下に入る以前のベトナムは、自らを中華世界の一員と考え、周辺の東南アジアとは隔絶されていたからであり、“ベトナムは東南アジアの一員である”という命題は、ベトナムの近現代史の中で見出された、新しいアイデンティティにほかならない。これが、本書が扱っている中心的な命題である」。

と述べている。

 

少し、個条書きで書き加えてみると、

・ベトナム――国際世論の評価で浮き沈みの激しい国。

・フランス、アメリカの支配と独立戦争、抗米戦争=第三世界の輝ける星

・難民の流出、カンボジア問題など=一転して「アジアの悪者」

・「ドイモイ」=国際的孤立から脱して、経済的にも優れた動き

・現在の「ベトナム・ブーム」と経済的発展

 

しかし、そのような観点からだけではなく、ベトナム現代史の基本的な流れをみることが必要、と書いてもいる。

グエン君と歩いたホアンキエム湖の湖畔に、道教の寺のようなものがあった。

今どきは、ベトナムで中国風のものを見ることは難しい、といいたいところだが、

このあとの旅では、あちこちで漢字も見ることになった。

 

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