シルクロード日誌

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ベトナム編−3 東南アジアの民族大移動について

本論に入る前に。私の主宰する「現代シルクロード研究会」で2015年12月の研究会で提起した、現生人類(ホモサピエンス)発生以降における各地各民族の大移動のうちの「東南アジアの民族大移動」の部分についてのみコピーして記載する。

ブログにしては、少々長いので我慢を。面倒な人はパスして下さい。

人類史最初の民族の大移動は、いうまでもなく

「グレート・ジャーニー」であろう。

 

「民族の大移動」というと、「ゲルマン民族の大移動」しか思い起こせないのでなく、インドシナ半島もそれに劣らない民族大移動があったことを知っておいてほしい。

この頃の主役は、なんといっても越族、タイを建国したタイ族、そしてミャンマーの人口の70%を占めるビルマ族がある。

 

越族は中国の春秋戦国時代の「越」と同じ民族である。越族発祥の地は長江下流の浙江省(上海の位置を思い起こすとわかりやすい)だといわれ、春秋戦国末期に急速に強大化した越は、一時、山東省南部にまで達し、中原を窺っていた。ところが「楚」に滅ぼされて移民たちは南方に逃れた。それらが長江以南東シナ海沿岸の浙江、福建、広東、広西に広く分散し、それが「百越」の名前の由来になっている。

春秋戦国時代、黄河文明に押し出された人の流れ。

 

越族が百越となっても、当然のこととして混血は進むので、春秋戦国時代の越人とは相当違ってきていた。ただ言語的には古越語を話す呉語、閩語(びんご)などを話す人たちであった。彼らは南下する漢民族に圧倒され、その生活の中心を次第に南方に移す。紀元前207年、越国成立、紀元前43年ころの「微(ウェイ)姉妹の乱」はまさに越族の起こした反乱であったため、少なくともこの時代までには河内地方(ハノイ。「越南」とも呼ぶ。現在のベトナム北部)に達していたものとも思われる。ベトナムは単一民族国家ではないのである。

 

南部にはアウストロネシア語族に属する古代海洋民族チャム族が占城(チャンパ)王国を建国し栄えていた。これは西暦192年に成立し、1832年、阮(グェン)王朝の大越国に滅ぼされるまで続く。北ベトナムと南ベトナムはもともと民族が違うほどの国だといわれている。ただし滅亡後のチャム族は越族に圧迫され、人口が激減したことも事実のようである。

 

次にタイ族を見てみよう。タイ族は意外なことに、彼らの発祥の地がアルタイ山脈の麓(ふもと)あたりという。そう、新疆ウイグル新疆ウイグル自治区の北、ロシア・シベリアとモンゴルの南端といえばわかりやすいだろうか。太古の昔はヤマト民族と近い関係にあったのかもしれない。従来はチベット族とみられていたが、最近の学説ではタイ・カダイ語族(タイ・ラオス・一部ベトナム)と言い分けて考えられている。

タイ族の女性

これはバンコクの空港で見た、タイ航空のポスターの

モデルさんの写真。きれいな女性だった。

 

 

春秋戦国時代の楚はタイ族であったとされている。越族とタイ族は稲作の発祥にも深いかかわりを持ち、長江文明の主要な担い手だったと推測できる。

楚族も越族と同様、膨張する漢族に追われて南下した。(さんせいたい)文明や古代蜀、古代巴族もタイ族の国であったとみられている。

 

紀元前5000年ころには長江流域まで南下しており、さらに漢族に追われて紀元1000年ころには、すでに中心は四川、湖南、雲南あたりに移っていたようである。三国志の諸葛亮が遠征した南蛮というのは、まさにタイ族系の少数民族だったようで、南詔(なんしょう)国や大理王国といった雲南に成立した蜀と伍する強国もタイ族の国だったという。

 

彼ら諸民族は、およそ10世紀ころまでには雲南省、貴州省を中心に分布し、インドシナ半島へは7世紀ころから徐々に浸透していったようである。当時、その地はクメール族(のちにカンボジアを建国)が住んでいたが、タイ族はこれを駆逐し、1235年、スコータイ朝を建国する。

やはり写真に出すのは女性になりますね。きれいだから。

こちらはクメール舞踊を踊るクメール女性。

 

 

これがタイ族の主流だが、メコン河沿いに南下し、途中でとどまった民族にラーオ族などがあり、かれらがラオスを建国した。中国大陸で鍛えられていたタイ族は、戦争にも長(た)けており、大国であったクメール王朝の領土を蚕食し、ほぼ現在のタイの領域を平定したばかりか、ビルマやカンボジアにも進出する。

伝統衣装シンを着たラオスの女性

 

もとインドシナ半島の主人だったクメール人は、東西を強力な異民族(越族、タイ族)に圧迫され続け苦しめられ、領土も最盛期の3分の1以下に落ち込み、現在のカンボジアの領域になる。タイ族は諸族全体が南下したわけではなく、その多くは雲南省や貴州省に少数民族として現在もとどまっている。

 

最後はビルマ族である。ビルマ族の前身は五胡十六国をつくった5つの民族のひとつ、(てい)である。そして彼らは一時、北中国を統一して前秦を建国している。彼らはどちらもチベット・ビルマ族である。もともとはチベット高原に住んでいた民族で、チベット東部、雲南西部の山岳地帯を通ってイラワジ川沿いに南下、ビルマ地方に定着する。

ビルマ族の女性

西晉時期北方各族分布圖

 

 

これが大体9世紀ころのことである。氐はそのころにはすでに中国大陸本土での活動を停止している。

ビルマ族は戦闘的な民族で、先住のモン族などを駆逐してベンガル方面まで進んでいった。ビルマ族最初の王朝は1057年に成立したパガン朝である。ビルマとタイ、ベトナムは歴史的にしばしば戦争をしているが、これは中国大陸に住んでいた頃からの宿敵同士だったと考えれば因縁深いといえる。民族の遺伝子なのであろうか。

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