シルクロード日誌

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ベトナムの旅―44 ソロソロこの辺で

 

5月3日

 きょうも終日、休養にあてる。年が年だから4日に1日は休養日兼執筆日。そして次の目的地へ行くのが1日。滞在が3日というパターンで旅を続けることにしている。年金生活者の気楽さである。で、ホテルで旅日記の執筆や写真の整理。とはいえ、いつまでも書き続けられるわけもない。アイフォンでメールやニュースを見る、テレビも見る。NHKの国際放送は、ここではこれしか日本語放送がないので見るが、もう少し工夫してもらいたい。

まだこのようなポスターが多い

 

 日本のバラエティー番組でよく見る、「ダレノガレ」とかいう変な名前のきれいな女性タレントが、ここではネイティブな英語で話している。お相手は鴻上なんとかという、英語は絶対にしゃべれないだろうと思える俳優が訥々(とつとつ)と話している。これはなかなか良い組み合わせで好感が持てる。だが、中身が面白くない。相も変わらず、神社やお寺の風景とお琴の音楽や日本の民俗舞踊。日本はもちろん、それらの一つ一つは日本の歴史をかたどってきたものだから、どうこういうものではない。日本にはこれだけしかないのかと思われる内容になっているからである。これだけしかないのではない。いまでは、かえって日本に関心を持っている外国人の方が、現代日本を的確に捉えている。NHKの後進性・非文化性が悪い方向であふれ出ている。

アテもなく歩いたホーチミン市内

 

 こうしてわたしの2回目のベトナムの旅は終わった。いろいろな出来事があった。この旅で、アメリカがいかに非人道的な侵略行為を働いたかが、ますます明らかになった。そして、半世紀ぶりの旧友と出会えたことが、もう一つの大きな出来事にもなった。こんどはバスと汽車で街から街へと歩くのんびりした旅がしたい。

 

 

ドイモイに関して

 書かなくてはならないこととして、

まだ書いてはいなかったので、書く。

 

 ドイモイ(刷新という意味)は、1986年のベトナム共産党第6回大会で提起された政策スローガンである。主に、経済(価格の自由化、国際分業型構造、生産性の向上)、社会思想面において新方向への転換をめざすものとなっている。

 その概要は、市場メカニズムや対外開放政策が導入され、経済面では大きな成果を挙げてきた。ただし、ベトナム共産党の一党支配体制は堅持されている。

 

 切り離せないのは、「社会主義指向型発展」の理念である。ドイモイの思想分野の一部で、民富や強国・民主・文明社会を掲げて発展するという理念、これは中国がめざしていた改革開放政策の系譜をたどっているという見解もある。いずれにしても、社会主義国の官から民へ経済志向がシフトしている。

 

 ドイモイと農業

 

 ベトナムの党は、諸外国からの支援があった戦争中から社会主義をめざしていた。

 配給切符の採用、農業には中国を模倣した合作社、そして5%を自留地として許していた。そして市場に出るのはこの自留地の農作物が40%にも上っていた。矛盾である。

 

 ベトナムは人口の80%が農民か農村居住者だといわれる。社会主義をめざすベトナム政府としては、近代化・工業化の過程において、ドイモイ政策実施までは国家政策として、農業はあまり重視されてこなかった。しかし、日本のベトナム研究の大先達である先述の古田元夫氏によれば“ドイモイを導いたのはベトナムの農業の現実”であった。

 しかし、ベトナムの党は間違った政策をとっていた。集団化政策、南の傀儡軍兵士たちへの差別化、ボートピープルを生み出した諸政策等。スタート直後も未経験による政策の過ちとはいえ、国民に与えた影響は深刻だった。

 

 ベトナム共産党は、本格的なドイモイに踏み切ったあとの1988年4月、政治局第10号決議で事実上、個々の農家が農業形成の基本単位であることを認めた。この決議により、合作社が農地の大半を所有して農業経営の基本的単位となる集団農業の存在に終止符が打たれることとなった。

 

 それまでは闇商売であった「もぐり請負制」が合法的なものとされたのである。これは、農民のやり方に追随したものとして特徴的であろう。これが、ドイモイにつながっていったのだという。西側のマスコミは“ベトナムはこれで社会主義からたもとをわかった”というが、果たしてそうだろうか。それは、これからのベトナムが決めることであろう。実際に農民の生活水準は変化し、向上した。

 

 さらにベトナムには、近代の歴史における戦争という大きな枷(かせ)があった。フランスの植民地時代はカンボジアとラオスを合わせた「仏領インドシナ」として統治された。大戦中は日本の占領と飢餓、戦後はフランスとアメリカとの戦争。それが終わるとポルポトとの戦争、さらには中国・小平による、傲慢極まりない“懲罰戦争”など、ドイモイまでには百年にわたる戦争が続いた。

 

 それらのうち続く戦争にベトナムは光栄ある勝利を重ねてきた。そのような国は、地球上でも稀有の存在であろう。しかし、国民の生活は一向に良くならない。ここからドイモイが提起されたのである。しかし、若者は我が国と同様に農業嫌いである。これをどうするか。難問は続く。

 

 まだまだ書きたいことは山ほどあるがモノには限度がある。今回はこの辺にしてベトナム編は終わりにしたい。

終わりに、明日は、極めて長いが(A×4で7ページある)ベトナムの略史を掲載する。長いので、見なくともよいが、いつの日か参考にしていただければ幸いである。

 

 次はカンボジアの旅である。いずれ近いうちにご紹介していきたい。

 

《参考文献》

『ベトナムの世界史』(古田元夫著、東京大学出版会刊、2015年9月、増補新装版)

『人類・激動の10万年の歴史』地球史研究会著

『五胡十六国 中国市場の民族大移動』(三崎良章著 東方新書 2013年刊)

『蛮族の侵入』(ピエール・リシュ著、久野浩訳 白水社 1982年刊)

『これならわかるベトナムの歴史Q&A』三橋広夫著 大月書店刊 2012

枯葉剤被害者国際友好施設の「ベトナム友好村 日本友の会」のパンフ

ウイキペディア各種

そのほかたくさんあったが、キリがないほど活用・引用させていただいた。旅日記ゆえ、これでお許しを請う。

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