シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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河西回廊を行く−1

 きょうからは、今年8月に行く河西回廊の各地をご紹介していきます。

 私の著書や友人たちの執筆した論文などを引用することも含めてご紹介していきます。

 

敦   煌

    始め月氏は敦煌、祁連

    (祁連山脈) の間に居りしも、

    匈奴の敗る所とな) るに及び、

    乃すなわ)ち遠く去り、苑を過ぎ、

    西のかた大夏を撃って之を臣とし、

    遂に嬀水(きすい) の北に都して王庭と為す。

    其の余の小衆、去ること能(あた) わざりし者は、

    南山のきょう)を保ち、小月氏と号す。

 

 

 

 これは『史記』の「大苑伝」に出てくる文章で、「敦煌」という地名に触れたもっとも古い記録の1つといわれている。

 意訳すると、”敦煌から祁連山のあいだ、すなわち河西の地方にいたのは、「大月氏」という遊牧民族だった。その月氏が匈奴に攻撃されて敗北を喫し、西のかた苑(本来は、草かんむりのない漢字。現在のウズベキスタンのフェルガナ地方をいう)を過ぎ、大夏(アフガニスタン北部にいた民族)を降し、水(きすい。アム・ダリヤ=河)の北に本拠地を置いた。そして逃げおくれた小部族は祁連山の羌族の土地を領有して、小月氏と称した”と述べている。「羌族」は後の始皇帝を生んだ秦になる。したがって、その祖先は現在のチベットにつながる。

敦煌郊外・陽関からゴビ灘を見る

 

 中国歴代王朝は多くの場合、周辺の遊牧騎馬民族や部族が中原を支配して皇帝を名乗っていた。羌の秦がそうであり、元はモンゴルの中国における「屋号」であり、清朝が満州族であるように。

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