シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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11・4シルクロードの集いレジュメの追記

 シルクロードの集い前半は、私の講演でした。いわば、歌と踊りの前座です。

ブログのきのうの続きです。当日お配りした2ページのレジュメの追記です。

 そのレジュメを苦労して作成したのですが、会場ではパワーポイントを使ってのお話。当然、会場内は暗くなります。ですから手元のレジュメを見ることはできません。無論そのことは先刻承知。むしろパワーポイントを作成する項目順のためにつくったものでもあるのです。ですから、お話した内容・順番とこのレジュメは合致していないところが多分にあります。また、最大限要約してありますので(ですからレジュメと言いますが)、そこのところをご承知の上でお読みください。

“シルクロードというと、砂漠をお姫様がラクダに乗って進むという絵本のような幻想”だけではなく、シルクロードの原点と私のシルクロード史観をはじめに明確にしようと思ったわけです。それに多少、色付けして今日の内容にしています。※が付いて斜体文字にしています。

開会のあいさつをする坂田政隆副代表

始まりました

シルクロード その悠久のロマンと歴史の真実

ウソッ!本当っ!シルクロードで分かる歴史の真実

東京都狛江市・泉の森会館  11月4日 野口 信彦

いわゆる「シルクロード」は、人類文明の交流のルート

現生人類=ホモ・サピエンス  旅=移動

グレート・ジャーニー=旅の目的は生きるため。原因は気候変動による環境破壊と寒冷化からの避難活動

 

※私のシルクロード史観は、いわゆる“シルクロードの淵源はグレートジャーニーにあり”です

 この視点からは、肌色の違いで人を差別するという発想は起きません。また、力の強いものが弱いものを抑圧して、欲しいものを奪うという発想も起きないはずです。まさに、“シルクロードは平和とともに”発展してきたのだと言いたいのです。

 

1.匈奴=漢を圧倒して中央ユーラシアを掌握した大騎馬遊牧民

だが力を蓄えた漢の武帝は満を持して反撃し、匈奴を漠北へ追いやった。

南北に分裂した北匈奴は、現在のクルグズ(キルギス)からカザフスタンの草原地帯に2〜300年間滞在し、世間から隔離された状態で草原地帯にいた。

記録をつくることには全力を挙げる漢は“すでに漢の統治の及ばない遠隔の地”にいる匈奴の存在を知ることはなかった。

 

※歴史を転換し、前に動かしたのはギリシアでもローマでもなく、騎馬遊牧民。

どこの国の歴史教科書にも書かれていないこの歴史の事実。欧米は肌の違いだけで人種差別をし、中国は、いまだに「中華思想」で遊牧民を差別し、東夷・西戎・南蛮・北狄という差別意識に燃えています。そこからは、各種の民族が歴史や文明を共に発展させていくという意識は生まれてきません。

この状態ですから手元のレジュメは見えません

 

2.フン族の勃興.

やがて北匈奴は西進しはじめ、西ゴート族は西へと逃げ出した。

4世紀後半から「ゲルマン民族の大移動」が始まった。

ゲルマン民族が去ったあとにはスラヴ系民族が南下した。

そして現在の中欧や東欧、ロシアができていった。

匈奴はフン族となってゲルマン民族を追って西へ向かった。のちの476年、西ヨーロッパ帝国が滅亡した。

 

※匈奴=フン族が起こしていった“ゲルマン民族の大移動”は、単に民族の移動にとどまらず、東の「五胡十六国」とともに人類文明が顕著なユーラシア大陸の東西で、歴史を古代から中世に促進するという人類史的な意義がありました。そのことを歴史教科書ではどこの国も書いていません。

馬頭琴で「荒城の月」を演奏して下さいました

 

3.五胡十六国

一方、東へ向かった西匈奴は現在の中国東北部一帯に入り、いくつもの征服王朝をつくりながら「五胡十六国」を形成し、やがて北中国の地から隋・唐の征服王朝をもたらした。

実に匈奴=フン族という騎馬遊牧民が人類史の発展=古代から中世へ=を促進したのである。

 

※日本の歴史教科書には「五胡十六国」の視点は存在していないと思います。

匈奴は人類史を転換させるほどの影響力を持っていたのです。

歴史教科書に言う、ギリシア、ローマが世界史のすべてだという誤謬(ごびゅう)を糺すための論建てです。しかし限られた時間でのお話、できればこの一項目だけで数時間お話できるのにと思いました

ちゃるぱあさのメンバー

 

4.陸のシルクローダー・張騫

匈奴の圧倒的な武力によって臣下の礼を取らされていた漢の武帝は、匈奴を挟み討ちにするため、部下・張騫(紀元前114年生)をオーディションの末に西へ向かわせた。匈奴によって十数年とらわれていた張騫は帰国後、武帝に西域の情報をもたらすことができた。

これによってはじめて当時の漢=東アジアに、のちに言う“シルクロード”の概念がもたらされた。

ここにはかつて我が国の教科書には記載されていない歴史の真実がある。

 

※まさに陸のシルクローダー張騫です。

 

5.モンゴル・チンギス・ハーンの果たした歴史的役割

人類史に残る英雄チンギス・ハーンは、モンゴル高原の小国の部族長だったが、やがてユーラシア大陸全体に影響を及ぼす大帝国を築いた。

東は日本以西、東南アジアはベトナム以北、南アジアはインド以北、西南はアフリカ以北、そしてユーラシア大陸の西はキエフ、モスクワまでを統治した。

それまで、多くの国々を経て=のちにシルクロードと呼ばれるルート=交易をするのに、多数回にわたって高額の税を治めていた交易は、一度の納税で済むようになり、交易量が激増した。

文明が交流し、官吏・徴税吏、軍隊、宗教者、学者などが頻繁に往来するようになり、繁栄した国々が栄えた。

これを“パックス・タターリカ”=「モンゴルがもたらして平和」と呼んだ。

 

※モンゴルのチンギス・ハーンに関しては、語っても語っても語り尽くせない歴史の醍醐味が充満しています。

「歴史を前に進ませる原動力は何か」。

それは、ギリシア・ローマだけではなく、現代でいえば、「欧米優性思考」でもなく、また「欧米崇拝志向」ではなく、騎馬遊牧民なのだという視点を強調したかったのです。

そのはじめは「スキタイ・サカ」だったのですが、それをお話する余裕がありませんでした。騎馬遊牧民の絶頂の姿がモンゴルであったのですね。

妖艶な美しさをたたえたナヒードさん

 

6.21世紀のいま、“シルクロード”は?

“シルクロードを世界遺産に”の本質と本音

「朝鮮半島にはシルクロードはない!」と言ってのけた中国官僚

脊梁山脈に沿った文明の交流路

日本各地にある“シルクロード”

千石船、「鎖国」とはいえ世界の各地と交流していた江戸時代、

◆屮轡襯ロード一帯一路構想」とは?

最近の中国の動向から

 

※この項目については、あまりに大きなテーマなので、いずれ研究を重ねて論究したいと思います。ちょうど中国共産党大会も終わったばかりですので。

この写真はナヒードさんから送信されてきました

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