シルクロード日誌

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朝鮮通信使ものがたり−1 「川越唐人揃い」に行ってきました

シルクロードは、単に長安からローマまでを、お姫様がラクダに乗って砂漠を進むという幻想ではなく、人・モノ・宗教・軍隊・交易などのキャラバンが往来する文明交流のネットワークだというのが、シルクロード研究をしてきた私の考えです。

 

それを、まさに具現化したような姿が「朝鮮通信使」でした。

埼玉県の川越市で毎年、それをやっているという話は聞いていたのですが、これほどの内容だとは知りませんでした。

 

この催しがあることを知ったのは、60年来の人生の友人、私の生涯の友・石井賢二でした。かれは私より3歳年長ですが、いま、日朝協会の都連理事長を務めています。その都連の機関紙に書いてあったのです。彼とは会場で会いました。

 

といってもわたしは、すでに2008年に対馬・壱岐の旅に行っています。それは、このブログの冒頭に書いた問題意識があったからでした。中央ユーラシアや中国・モンゴルなどの文明が対馬や壱岐をとおして日本へ渡来したことは間違いがないので、それをじかに見てみたいということでした。

その時のブログに書いた内容をコピーしてご紹介したいと思います。

 

「遣隋(唐)使よりも足繁く往来した朝鮮との交流・交易

1万2千年ほど前、日本と大陸が海によって隔てられるようになって以降の交流は、間違いなく海路を通じてでした。大陸と日本列島が陸続きの頃ではなく、飛天が空を飛んできたわけでもありません。日本へのルートはさしずめ「海のシルクロードの東海ルート」といえるでしょうか。

正倉院の宝物といえば、唐やローマなどがまず想起されます。そこには西域との関わりなどがイメージされると思いますし、遣唐(隋)使船によってもたらされた文物がほとんどだと思われている向きが多いでしょう。

しかし遣唐使の往来は630年から894年までの264年間のうち15回でした。むしろ最近、朝鮮半島の新羅(しらぎ)などとの交易のほうが圧倒的に多いことがわかってきています。今、注目を集めているのは、新羅や渤海(ぼっかい)などとの交流関係です。その点で九州国立博物館(通称・キューハク)の果たす役割は非常に大きいものがあります。そしてその入り口としての対馬と壱岐の役割は大きいものでした」。

 

 

その朝鮮通信使のお祭りやパレードが、なぜ、川越でやられているのか、これに大きな関心があったわけです。場所は川越市の蓮馨寺(れんけいじ)。

 

わたしはワイフがメモしてくれたルートで行ったのですが、東武東上線の川越駅で降りたので、会場まで小一時間もかかってしまいました。小春日和の日でしたが、下着まで汗びっしょりになりました。あとから会場に来た彼女から怒られました。「だから言ったでしょ!川越駅でなく川越市駅と言ったでしょうッ!」。駅の名前は大した違いはありません。場所が違っただけです。

その通り、帰りは実に早く川越市駅まで行かれました。

 

もう13回目。13年も続いていたのですね。

長くなりそうなので、きょうは写真を少々。

毎日とはいきませんが、しばらくはこの連載を書いてみます。

1回で終わらせたかったのですが、そうもいかないとこれを書きながら思ってしまいました。

 

このお寺は「檀林」です。仏教僧が学ぶ大学という意味があるようです。

 

真ん中の帽子をかぶった人物が石井賢二日朝協会都連理事長。

12時開会なのに、私が会場のついたのは10時すぎ。まだ受付する準備中でした。

まず「朝鮮通信使」をユネスコの世界記憶遺産へ!という看板が目につきました。

今年10月に決まったようですが・・・

会場で最初に出会ったのが、どういうことか「ベリーダンス」の女性たちでした。

トルコという民族のことなのでしょうかね

朝鮮のなにかの踊りだと思います。

これも

| 古代朝鮮の歴史 | 10:34 | comments(0) | - |
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