シルクロード日誌

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朝鮮通信使ものがたり−3 榎本弥左衛門と朝鮮通信使

なぜ、埼玉県の川越で朝鮮通信使のお祭りを開くのでしょうか。

それは榎本弥左衛門という人物がカギでした。

この人物は16261686年没の川越の大商人だったそうです。

彼は19歳の時に日本橋にも塩の店を持っていました。

塩だけでなく穀物やたばこなども水運を利用して川越に運んでいたそうです。

 

弥左衛門は165510月、朝鮮通信使を見るためにわざわざ江戸まで行きました。そしてそこで見た朝鮮通信使行列の華やかさや規模の大きさに驚いて、その後、弥左衛門が住んでいた本町では、川越氷川祭礼の「練りもの」として、朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」が始まったという話です。

 

弥左衛門は「三つ子よりの覚(おぼえ)」と「万(よろず)の覚」という『覚書』を書いていました。近世の町人で文書を残しているのはきわめて少なく、歴史的に貴重な書物としても有名だそうです。この本によって弥左衛門の人となりが分かると思います。

東洋文庫の『榎本弥左衛門覚書』平凡社刊

 

このように、むかし、朝鮮通信使は川越に行ったことはないようです。しかし、江戸から日光東照宮までは1636年、4355年の3回ほど行っているようです。埼玉県の草加・越谷・春日部・栗橋などの日光街道を通っていったようですが、川越には寄っていません。

 

弥左衛門はその後、1700年頃の川越氷川まつりで、朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」と呼ばれる練り物を出しました。

「唐人揃い」とは中国人のことではなく、この頃は広く外国人を指していました。

また、川越氷川神社には、「唐人揃い」が描かれた「氷川祭礼絵巻」や実際の通信使を描いた「朝鮮通信使行列大絵馬」も奉納されており、川越町人の進取と異国情緒を楽しむ心意気を感じ取ることができるとされています。

 

以上は、当日会場で配布されたパンフレットを参考にしています。

 

会場には約束した11時には石井賢二さん、踊りの稽古で遅くなったうちの奥さんは1時半頃に顔を出しました。会場で日朝協会の役員を紹介されました。

 

「第13回 復活! 唐人揃い! 朝鮮通信使! 多文化共生国際交流パレード 川越唐人揃い  争わず互いに助け合った歴史を現代によみがえらせる!」

と銘打ったこの日は、12時に市長や正使の子孫や参加者たちがそろって、この珍しい行事に集い合いました。

 

障がい児学級の「けやき学園」の子どもたち

 

次からは、順番が逆になっていますが、朝鮮通信使の歴史やそもそもについてお話を進めていきましょう。

ときあたかも、世界記憶遺産に登録されたばかり。その意義はともかくとして、地元や関係者、参加者たちは心から集いを楽しんでいました。そして私たちも楽しみました。

「世界記憶遺産登録」を喜んでいました。

「シンチャオ」ベトナムのグループがパレードにも参加していましたが、屋台も出ていました。フランスパンにベトナム風のものを挟んだものですが、私はそれとビールでランチにしました。そこでは多くのベトナム人がビールを飲んでいましたが、そのお父さんに「高い、高い」をおねだりして大喜びをしていた女の子がいました。印象的なシーンでした。

 

| 古代朝鮮の歴史 | 08:45 | comments(0) | - |
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