シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< 朝鮮通信使ものがたり−9  「しばやんの日々」から | main | 大相撲九州場所が終わりました―1 >>
朝鮮通信使ものがたり−10 いよいよスタートした交流

いま大相撲界は、日馬富士の「暴力問題」で、揺れに揺れていますが、当事者からの声がなく、“オレもオレも”の声で本当のことが分からなくなっています。いずれ明らかになるでしょう。この際、マスコミに警告しておきます。「軽々しく発言すると、みっともないことになる」と。

 

だいぶ、まわり道をしました。本道に戻りましょう。

ここからは、『日本と朝鮮 2000年』(下)(NHK「日本と朝鮮 2000年」プロジェクト 編著)を参考にしています。

 

漢城(ソウル)に対馬藩からの使者

 

豊臣秀吉による朝鮮侵略は、朝鮮半島に大きな傷跡を残しました。

1592年から7年。のべ29万人の大軍を朝鮮半島に派遣しての暴虐でした。

朝鮮王朝は、秀吉が死去して日本軍が撤退したあとも、再侵略を強く警戒していました。

日本軍撤兵の翌年1599年、対馬藩から使者が訪れて「和を結びたい」と伝えられました。王宮では「本当か?」「再侵略の動きはないのか」と、日本側の真意が分からないまま、議論が紛糾しました。

 

そこで王朝は、公式ではない形で使節を派遣し、日本の国情を偵察させることにしました。朝鮮王朝は僧侶の政(ユ・ジョン)=松雲大師に白羽の矢を立てたのです。

 

僧侶の政は家康と秀忠に対面

 

かつての僧侶の政は、僧侶の兵を率いて日本軍と戦った経験がありました。

日本軍の再侵略の有無、それを探ることを主な任務として1604年、「探賊使」として日本へ向かいました。

 

わたしも行ったことのある対馬は、漁業を中心にして、交易もしている海の民が多い島です。政は対馬の藩主である宗義智(そう・よしとし)から情報を得ようとしました。

 

対馬藩の薦めで京都の伏見まで赴いた政は、そこで家康に面談します。

家康は朝鮮と「和を結びたい」と述べています。

対馬藩に残っている『朝鮮通交大紀』では、「私は朝鮮出兵には関係していない。朝鮮と私には何の恨みもない。私は朝鮮と和を通じることを望んでいる」と言っています。

まあ、かなりご都合主義的な話ですがね。

狩野安信『朝鮮通信使』大英博物館蔵。1655年・承応4年・孝宗6年

羽川藤永筆『朝鮮通信使来朝図』。

江戸市中を行列する延享度朝鮮通信使の行列を描く。神戸市立博物館収蔵、池長孟コレクション。

 

| シルクロード | 09:36 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE