シルクロード日誌

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大相撲を論ず―5 大相撲は国技ではありません

なぜこのような暴力事件が起きたのか、から、その原因について考えてみましょう。現在の公益法人・日本相撲協会の中身について。

 

で、よく言われる言葉。「国技」

大相撲は公益法人・日本相撲協会が運営しており、衆目も一致しているように見える、この「国技」


当麻蹴速(たいまのけはや)と角力を取る野見の宿祢

(月岡万年 『芳年武者無類』より)

大小の刀を佩刀し武士と同じ待遇であった力士。

江戸時代まで力士は大名や旗本に召し抱えられていました。

良くない言葉ですが「男芸者」と言われた時期もありました。

 

実は法律にも文科省の条例にも、どこにも「相撲協会の大相撲は国技である」、などと定めていません。なぜ、そうなったのでしょうか。

簡単な話です。相撲専用の体育館を「国技館」と名づけたからです。そこにきて、神話か伝説にある“野見の宿祢(のみのすくね)以来の伝統”がかぶせられ、「神事」などといわれるので、「国技だろう」となってしまったのです。

當麻蹶速と野見宿禰の天覧相撲

 

野見宿禰 Wikipediaより

天穂日命14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士で、第12代の出雲国造である鵜濡渟(宇迦都久怒)の子。またの名を襲髄命という[1]垂仁天皇の命により当麻蹴速角力(相撲)(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた[2]。また、垂仁天皇の皇后日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)のを与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった[3]。第13代の出雲国造、襲髄命はこの野見宿禰のことである[4]播磨国の立野(たつの・現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬された

野見宿禰

 

まだあります。きのうきょういわれている「横綱は神である」

これは「神事」からきているのでしょうが、何も根拠はありません。

そして「横綱の品格」。これは外国人には翻訳不能です。

分かるようでわからない言葉ですね

 

私はいつも言います。“横綱だから品格が必要”なのではなくて、力士なかんづくアスリートすべてに求められることでしょうし、さらには人が人であるからには、生きていく上で、この「品格」というものは、絶えず追求されるべきものでしょう。ですから横綱だけに求めることはないわけです。

| 大相撲を論ず | 09:43 | comments(0) | - |
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