シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
<< カナダの10年前−◆ | main | いそがしかった2日間 マラソン大会と大相撲観戦 >>
カナダの10年前−

見参!カナダ

 

トロントに着いて所用(ブナの森の自然観察関係の活動)で、1週間で帰国するワイフと1ヶ月のステイをするわたしのために、グリさんが2泊3日の旅行を計画してくれた(私たちのおごりの旅で、こちらからお願いしたのだが・・・)。

 

今まであまり知らなかったが、紅葉の時期には世界各国から観光客が訪れるというメープル街道の旅であった。メープルシロップという言葉がここから来たこともはじめて知った。一行はグリさん一家の3人に私たちも含めて5人である。コースはカナダの首都オタワ、1976年に開催された冬季オリンピックの開催都市モントリオール、フランス語圏のケベックそしてキングストンであった。

 

交通手段は大型観光バスであるが、同行の士はみなマンダリンや黒人であった。マンダリンというのは広東語を話す人たちのことである。広東や台湾からの移住者やそのハーフたちであった。女性のガイドは中国人ガイドは恐ろしく早口の英語とそれを5倍くらいの長さで翻訳しながら話すので、どれが英語で、どこからがマンダリンなのかわからないほど。“マンダリンの嵐”で頭が痛くなるほどであった。

 

しかし、まるっきり理解できなかった英語も、3日目には多少の単語くらいは理解できるようにはなったが、とにかくマンダリンの伝播力はものすごいものがある。これもよくよく聞いていくと、同じ中国語だからか多少は理解できるようにはなった。

 

彼らは自分たちを決して中国人だといわない。世界中で中国人というだけで嫌われるからだそうである。しかも彼らは自分たちを漢民族だとも認めないという。それはそうだろう、昔から中華思想は、中原の純粋の漢民族をこの世でもっとも優れた民族として、その中心思想である中華思想を流布しようと努力してきたのだから。漢民族の範疇は当初、中原だけであった。広東や台湾あるいは福建の人たちは中華思想で言うところの「蛮族」そのものだったのだ。

さてさて、話を旅にもどそう。

 

首都オタワ

 

わたしたちは、マンダリンの洪水の中を日本語でがんばってくぐり抜けてきたが、グリさん一家はウイグル語である。そして彼らが誰かと話すのは、まだカナダに来たばかりで十分でない英語である。私たち夫婦だけが日本語で通した。マンダリンを馬耳東風と聞き流せば、旅はとても快適なものだった。

 

トロントはカナダ第一の都市だがオタワは政治の中心・首都である。だが、移民の国カナダはまだまだ歴史の浅い、若い国である。

オタワ市ではオタワ川がフランス語圏と英語圏を二分している。東のフランス語圏はすでにケベック州になり、河を見下ろす丘には国会議事堂や国の機関が集中している。

 

オタワという名前は「交易」を意味する。

先住民と17世紀初頭からのヨーロッパの毛皮商人がここを拠点としていた。定住が始まるのはアメリカ人の材木商人が製材所を開業した1800年頃からだという。1857年にイギリス女王ヴィクトリアの裁定によって、この地が首都に選ばれたのは、ここがアメリカの軍事的な脅威から比較的距離があったからだという。さらに、この地がイギリス系とフランス系の人々の両勢力から中立的な位置にあったからだとも言われている。

建物の中で金貨や銀貨などの硬貨を製造している国会議事堂のほかに、「文明博物館」という聞きなれない博物館に入った。そこは北米カナダ先住民の歴史や風俗・生活様式などを扱ったところであった。

 

近年、わたしはシルクロード研究の過程で、(端的にいえば)シルクロードという用語は、歴史のロマンを感じさせてくれる、日本人がこよなく好む言葉だが、現在では逆にかなりの誤解を生む用語にもなっていると思っている。

 

それは、日本人には“シルクロードは長安からローマまで”という感覚がしみついていることである。だが、わたしと共同研究者であるグリさんとは、ユーラシア大陸東西の交易だけではなく、およそ地球上に人類文明が存在していて、そこに文明の交流や人の往来があれば、それはいわゆる“文明の交流路=文明のネットワーク”であったという考えに到達している。

だから、欧米がアフリカを侵略して、横暴にもそこに住んでいる人々を銃や機関銃や大砲で殺し、脅して、好き勝手に「奴隷貿易」というおぞましい限りの「売買」をしたが、それも悪しき交流の一端ではあったといえなくもない。

 

南米大陸や中南米に存在していた豊かな文明をことごとく破壊し去り、植民地として教育を与えないで「劣等民族」とあざけったスペイン、ポルトガルも同様に残虐な殺戮と侵略をほしいままにしたのである。その尖兵がヴァスコ・ダ・ガマでありコロンブスでありマゼランだったのである。

イギリス、フランスなどヨーロッパの後進国家が、遅ればせながらインドや東南アジア及び中国を侵略し植民地・半植民地としたのも同様の論理であった。

 

さらにいえば、アメリカ西部劇で“凶悪なインディアン”をジョン・ウエインの騎馬隊やカウボーイがやっつけるという痛快な図式も、先住民族を侵略者が描くワンパターンの構図である。

他の映画でも、欧米人がアジアに行って、アジア人を“間抜けな召使い”にしか扱わないことや、アジア太平洋戦争での日本兵は、いずれも度の厚いめがねを掛けてチョビ髭を生やした腰抜けだったり、女性をだらしない帯の締め方にしておいて、芸者だか売春婦だかわからないような描き方しかしない意識と共通しているのである。

 

映画「GEISYA」で中国のトップ女優のチャン・ツィ・イーが芸者の役を演じたが、中国国内でかなりのブーイングが起こった。それは単なるナショナリズムだけではなく、中国人の心底に残っている被害者意識がそうさせたのであろうとわたしは理解している。

 

想いがあまったようだが、わたしがカナダを訪れるのであれば、この先住民のインディアンや以前からカナダと往来していたバイキングなどについても学びたかったのである。それもシルクロード交流の一端だから。

だがアルズグリさんも含めてわたしたちの英語力では、まだ無理なことがわかったのである。

トロントのチャイナタウンで

チャイナタウンの雑踏

静かな住宅街

グリ一家とコリアンタウンの焼肉屋で

近くのアパートにはチベット難民の住まいが

近くのマーケットで

| 旅日記 | 04:00 | comments(0) | - |
コメント
コメントする









CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE