シルクロード日誌

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40年ぶりのキューバに行ってきました 

 年が改まってからの24日から、長年の希望の地であったカリブ海のキューバに行ってきた。

 考えてみると前回行ったキューバはたしか1978年のこと。40年ぶりである。

 それはキューバで開催された「第12回世界青年学生祭典」に参加するためであった。別名、「世界平和友好祭」。

これがキューバ島。

 

 ウィキペディアで1978年のころを調べてみた。昭和53年のことである。

 身近なことでは池袋のサンシャインビルが60階建てとしてオープンし、地下鉄千代田線が開通し、原宿では竹の子族が踊り狂っていたころである。

 わたしの関心のある分野では、植村直己が日本人初の北極点到達を成し遂げ、日中平和友好条約が結ばれ、キャンディーズが解散した時でもある。

水谷さんご夫妻です

 

 なぜ、キャンディーズが身近なことかといえば、ワイフが教員としての務めていた学校の教え子に「蘭ちゃん」夫婦の子どもがいて、彼らとうちの奥さんが、学園祭で踊りだか芝居だかをするために、練習と打ち合わせのために我が家にも来たことがあるからだ。お互いに「豊さん」「蘭さん」などと呼び合い、尊敬しあっている素敵な夫婦だった。最近、一人娘の趣里ちゃんが頑張っているようだ。

 

ハバナで開催された世界祭典はソ連主導型の国際的なイベントだった。往復はソ連の航空会社で、コムソモールから「往復ともモスクワでゆっくり過ごしていってください。全員をご招待します」という干渉と誘惑をはねのけてだった。

 

私は新日本体育連盟(旧称・現在の新日本スポーツ連盟)代表団の事務局長として参加した。総勢で15名だったが、世界からは12,000名が参加していたと思う。日本からは150名くらいだっただろうかよく覚えていない。いまほど写真や記録をとる生活習慣がなかったからだろうか。

 

 今回の旅は、最近おなじみになっている「富士国際旅行社」のツアーで「ゲバラ・カストロとともに闘った高齢者たちと交流」と銘打った「キューバ 歴史と文化の8日間」。だからと言って参加者は高齢者ばかりではない。父と娘、3人家族に娘がいた。2人の「娘」とも30代半ば。だが私は上から2番目の年齢だった。

 テーマがテーマだけに、“社会主義キューバ”に関心のあるメンツがそろった。すでに羽田で時間待ちをしているときに偶然とはいえ「奇遇」があった。

 

 時間待ちをしているとき、隣に座った60歳代の女性と話していると、私も知っているある女性との接点が明らかになった。

はじめに述べた40年前のキューバ行の際、同行の仲間に通称「チャミ」という若い女性がいた。チームのアイドル的存在で彼女はバスケットをやっていた。その彼女が帰国してから何度か私に悩みごと相談の電話をくれた。結婚問題やあれこれのことだった。その女性と極めて近い付き合いのある方だった。

 

「彼女はいまでも美人で(40年前は美人というよりも“元気な女の子”という印象だった)、彼女の娘さんも“日本人離れした超美人(隣に座った女性の方の表現)”だ」という。それでいて愛知県のある市の議員(所属は共産党)をしているという彼女は、他党からも人気のある議員さんだということを聞いた。

 

 まだ奇遇があった。

 いま、私がスポーツ分野であれこれ仕事をしているが、ほとんど毎日のように連絡を取り合い、週に1度か2度は会議で同席する50年近いつきあいの仲間がいる。

 その彼と依然同じ部署で仕事をしていた男性が娘さんと参加していた。

 

 しかも彼は大のポナペ好き。ポナペというのは南洋諸島のミクロネシア共和国にある島だが、実はそこはわが奥方の実際上の出身地。

 少しだけポナペをご紹介しよう。

 

 ポンペイ島(ポンペイ島、Pohnpei)は西太平洋カロリン諸島にある島。ミクロネシア連邦ポンペイ州に属し、同連邦の首都パリキール (Palikir) の所在地である。かつてはポナペ島と呼称された。ポンペイとはポンペイ語で「石積み (pehi) の上に (pohn) 」という意味。ポーンペイ島とも呼ばれる。

よくわからないでしょうけれど、ミクロネシア共和国です。

 

 

 ポナペへは、成田・羽田からグアム島へとび、そこからトラック島へ北上し、小さな飛行機に乗り換えてポナペ国際空港に着く。滑走路が短いので普通の飛行機では離発着ができないのだ。「空港ビル」はまるで夏の海水浴の「海の家」のようなものだった。

いつのころの空港ビルかわかりませんが、これはかなり最近の建物のようです

 

我が家の一家も含めて義母の一家眷属の大集団でポナペ島へ行った。

ワイフの母親が戦前からのプロレタリア作家だったのだが、そのポナペ島(いまはポンペイ島という)がドイツの信託統治領だったころ(第一次世界大戦までのころ)島民の反乱事件があった。それを母親が『ジョカージの反乱』という小説にまとめるための取材旅行だったのだ。

意外や意外という出会いがキューバへの旅のはじまりから展開して、面白そうな旅になる予感がしはじめていた。

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