シルクロード日誌

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40年ぶりのキューバに行ってきました

私が昔からキューバ革命に関心を持っていた理由は、カストロでありチェ・ゲバラでもあったのだが、それよりも誰よりもホセ・マルティに関心があったからだ。それでいて彼のことをよく勉強したわけでもない。理由は、シルクロード研究そのものから言えば、関係はあるのだが一般的には無関係の国、そして何よりも日本から10,000kmも離れており、飛行機で乗り継ぎを含めて20時間近くかかるということも原因している。

 

ホセ・マルティはキューバの著作家であり革命家である。

19世紀後半のキューバ独立革命に参加し、キューバ史における英雄としてだけでなく、ラテンアメリカにおける近代文学の先駆者としても名高い。

彼は19世紀で最もすぐれたキューバ人の一人であると同時に、南米に於ける近代文学の先駆者としても名高い。 ホセマルティの独立に向ける戦いは思想の戦いであり、それは祖国キューバを超えてラテンアメリカ全域の自由獲得に対する理念の下に行われた革命であった。そして、42年という短い生涯で、彼は文学から政治に至るまで、生きることへの信念を自らの才能に反映させ、現在もキューバ国民の精神的支柱となり、更にラテンアメリカの希望の光をともなったのである。

ハバナの国際空港も彼の名を冠している。「ホセ・マルティ国際空港」と。

 

このブログをお読みの皆さんには、キューバそのものをまずご紹介しないわけにはいかないだろう。

キューバの国は日本の本州の半分くらいの広さといえば理解が早いだろう。全長は1250km、幅は200km近くあり、何よりも米国のフロリダから150kmくらいに至近距離にあるということだ。そして周りには1600近くもの大小の島がある。

 

そのキューバはこれまでにも記したように、1492年にコロンブスがこの地に到達し、そしてスペインの侵略を受けて、3つの主要な部族が絶滅させられ、1511年にスペインに征服された。

19世紀半ばからは奴隷の労働による砂糖生産で世界最大の砂糖生産地になり、1868年には第一次独立戦争が始まった。

 

キューバが砂糖産業で力をつけ、混血のクレオール農園主を中心にスペインに対する反発が強まっていき、スペインに対する反発が強まっていった。

普通、独立戦争というと先住民や土着の部族が圧政に抗して立ち上がり、そして中間層やインテリゲンティアが革命に加わるということがパターンなのだろうが、3つの主要部族が絶滅させられた関係で、中間層からの決起というスタイルになった。

 

しかしこの1868年の第一次独立戦争はスペインが独立軍を圧倒して鎮圧されるという結果になった。

しかし1895年、ホセ・マルティの率いる第二次独立戦争が始まった。これに“キューバ解放”を旗印に掲げた米国が参戦して米西戦争(アメリカ・スペイン戦争)がはじまり、ホセ・マルティは95年に戦死した。

1899年、ついにアメリカの軍事占領下で、キューバはスペインの圧政から解放されることになった。

ハバナ市の革命広場にある、ホセ・マルティ・メモリアル像

 

これが曲者だった。アメリカはフィリピンの占領でもどこでも「アメとムチの政策」を採ったからである。日本が連合軍の占領下に入ったが、実際はアメリカの統治下になった。ここでかの有名な「ケネディ・ライシャワー路線」が採用されたのである。

 

見るスポーツが導入され、ジャズが入り込み、ロックンロールが流行し、「3S政策(スピード・スリル・セックス)」が産業としても導入された。キューバも例外ではなかった。

1901年にはアメリカ軍政下にありながらキューバ共和国憲法が制定されもして1902年に一応の独立を見たのである。

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