シルクロード日誌

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−カストロとゲバラを評す―

 あまりよくわからないまま感じたことを書く。

 ソ連が社会主義の理想から遠くかけ離れていき、自壊していったあと、世界的に社会主義・共産主義のイメージダウンが広がった。中国は必死になって「中国こそ社会主義だ」と言っているが、私は個人的には、中国も社会主義のイメージから遠くかけ離れたと思っている。

 

 では、私の言う「社会主義のイメージ」とはなにか。それは“強制のない自由”“権力が人びとを殺さないで尊重し、その人権を守るために存在する”“あらゆることが自由であること”そして“搾取のない社会の形成”であろう。まだまだあるだろうが、今のところはこれくらいにしておこう。

アメリカの爆撃で沈没した貨物船「ラ・クブル号」の

犠牲者追悼行進に参加するカストロ(左端)と

ゲバラ(右から2人目、背広の人物の向かって右側)

 

 カストロのこと

 さて、キューバだが、その社会主義のイメージはなにか? 正直に言ってよくわからない。わからないことの最大のことは、革命勝利の時期にはフィデル・カストロは社会主義者あるいは共産主義者ではなかったこと。59年ころフィデルはアメリカの新聞に「どんな産業も国有化する意図はなかった」と語っていたこと。フィデルが明確にソビエト連邦を中心とする東側諸国への接近を企図するのは、1961年月のビッグス事件の後である。

フィデル・カストロ

 

 

  しかし革命戦争の最初の攻撃が、日中(昼間)の上陸であったためにキューバ空軍によって攻撃され、激しい戦闘で当初の82人のうちの18人だけが生き残りマエストラ山脈へ退き、そこからバティスタ政府とのゲリラ戦を再開した。生存者の中には革命後に閣僚となるチェ・ゲバラ、フィデルの弟のラウル・カストロ、またカミロ・シエンフエゴスなどが含まれていた。そしてその後、フィデルたちの運動は民衆の支援を獲得し、800人以上の勢力に成長した。

 

 1958年12月29日には、この第2軍300人を率いて政府軍6000人が迎え撃つキューバ第2の都市サンタ・クララに突入する。そこで、政府軍の武器と兵士を乗せた装甲列車を転覆させ政府軍を混乱させる。反乱軍を支援する多数の市民の加勢もあり、激戦の末にこれを制圧し、首都ハバナへの道筋を開いた。

 

 1959年1月1日午前2時10分、フルヘンシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命し、1月8日、カストロがハバナに入城、「キューバ革命」が達成された。チェ・ゲバラは闘争中の功績と献身的な働きによりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の国立銀行総裁に就任するに至った。

 

ゲバラのこと

 1959年にバティスタが国外逃亡してキューバ革命が勝利し、カストロ政権が成立した。ゲバラはなぜかキューバの国立銀行総裁に就任。イルダ・ガデアと正式に離婚し、志願して来たのを迎え入れて以来副官同然だった同志、アレイダ・マルチ・デ・ラ・トーレと結婚し4児をもうける。アジア・アフリカの親善大使としても来日、12日間滞在した。このとき、広島市の原爆資料館を訪問し、「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」と案内人に語ったという。

チェ・ゲバラ

 

 ここで日本人としてよく理解できない方もおられると思うが、アルゼンチン国籍の人間が、なぜキューバ革命に参加したのか。しかし、革命勝利後の人事では、なぜ国立銀行総裁やアジア・アフリカの親善大使などになっていたのか。

 

 ゲバラは、これらのことについて次のような話したことがある。

 「国民の英雄たるもの、国民から遠く離れていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところに収まるべきでない」。

 

革命成就

 

 ゲバラの生涯と思想は、反米的思想を持つ西側の若者や、冷戦下における南アメリカ諸国の軍事政権・独裁政権下で革命を目指す者たちに熱狂的にもてはやされた。南アメリカ諸国の大学では、現在でもゲリラ時代のゲバラの顔を描いた大きな垂れ幕を掲げているところがある。0日本でも、とくに大学内外で暴力行為を繰り返していた学生たちがゲバラをもてはやしていた。私たちは彼らを「トロツキスト暴力学生」と呼んで批判していた。

 

 思想的にはラテンアメリカ解放の英雄、シモン・ボリバール、ホセ・デ・サン・マルティン、ホセ・アルティーガス、ホセ・マルティ、アウグストサンディーノらのアメリカ主義の系譜を引き継ぎ、同時代に同じ南米で生きたチリの革命家サルバトーレ・アジェンデとは、お互いを敬愛し続けたといわれた。また、ボリビアの山中で活動していた際にはトロツキーの全集を読んでいたという。

フィデルの弟ラウル・カストロ

 

 私が40年前にキューバを訪問したとき、ゲバラはキューバの義勇軍を率いてアフリカのコンゴに行っていた。私は通訳の学生に「なぜ、キューバがアフリカまで軍隊を出すのか」を聞いた。彼の答えは明確だった。「なぜって、コンゴはキューバの人びとの祖国だからさ」。

 

※今日の原稿は富士国際旅行社発行のパンフレットウィキペディアなどを、写真はインターネットから借用した。

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