シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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3月28日が「シルクロードの日」って本当!?

 

東京は桜が咲き誇っています。

近所の桜並木をカメラに収めましたが、桜は白が勝ってしまってうまく撮影できません。

おととい、15〜6年前だったかのブログを見直す機会がありました。まだ、このブログを書き始めたころです。

そうすると、3月28日は「シルクロードの日」だそうです。私が書いているので確かでしょう。

いや、確かというのは、書いたことが確かなのであって、その説が正しいかどうかは別です。

 

3月28日がなぜ「シルクロードの日」だというのかを、私はこう書いています。たぶん「私」でしょう。

中央アジアの探検家として知られるスウェーデンの地理学者スヴェン・ヘディンが楼蘭の遺跡を発見した日とされています。

 

スヴェン・ヘディンは、1865年2月19日、スウェーデンのストックホルム生まれ、

そして1952年11月26日に死去。

 

1899年から1902年にかけて、タリム盆地および中部チベット湖沼地帯の北部を探検していたヘディンは、その途上、1900年3月28日に古代都市楼蘭の遺跡と「さまよえる湖」ロプ・ノールの湖床を発見しました。

シルクロードという言葉は、今の日本では広く中央アジア地方を指して使われていますが、もともとは西南アジア文化圏と中国文化圏を結ぶ東西交通路のことです。

楼蘭の美女は、このような状態で発掘された

復元したもの

 

中国からは特産品である絹が、西からは玉や宝石、ガラス製品などがこの道を通って運ばれました。また、ブドウやザクロ、ゴマやキュウリなどの植物や、音楽や舞踊、奇術や曲芸など、中央アジア・西アジアの産物や風俗が中国にもたらされました。

インドの仏教、イランのゾロアスター教やマニ教などの宗教もこの道を通って伝わり、中国からは、鋳鉄技術や養蚕、製紙法や画法が西方へと伝わっていきました。商業路としてだけでなく、東西文化の伝達路としての役割を担っていたのです。

楼蘭。私は昨年、この地へ行く計画を立てていたが、中国当局の手でつぶされた

 

なんとも不正確さのにじみ出る困った内容です。本当に15年ほど前に、私はこう考えていたのですね。

それよりも何よりも、近年、この日が「シルクロードの日」だという説は、ほとんど見たこともなければ、聞いたこともありません。

当時の「野口さん」は、何を根拠にこのようなことを書いたのでしょうかね?

 

でも、もっと驚いていることは、なんでシルクロードに記念日を設けなければならないのでしょうか?おかしな話です。

シルクロードも、すでに新疆ウイグルは、旅のできる状況ではなくなっています。地獄の様相を呈しています。アフガニスタンもシリアもイラクもとっくに地獄になっています。

 

紀元前のころからシルクロードは様々な文化の交流路として発展してきました。

交流といっても戦争による軍隊の交流もあったわけですが、今とは戦争の内容も規模もなにもかも違っていました。

私や私たちは、スポーツ分野で働くものとして、昔から“スポーツは平和とともに”という標語を基本的な考えとしてやってきました。

 

そういうことから言えば、地球のあちこちで硝煙の匂いのする昨今“シルクロードは平和とともに”という考えも、ことさら現代社会には必要なことだと痛感しているこの頃です。

| シルクロード | 04:10 | comments(0) | - |
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