シルクロード日誌

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−4 バビロン捕囚とユダヤ教の誕生

 バビロン捕囚

 アッシリアを滅ぼした新バビロニア王国では、ネブトカドネザル2世(在位前604〜前562)が即位すると、エジプトのネコ2世のシリア・パレスチナ遠征軍に当たってこれを阻むなど、領土拡大に熱心に取り組みました。前597年にはパレスチナにあったユダ王国を攻め、エルサレムに入城するとユダ王ヨアキンと配下の有力者をバビロンに連れ帰りました。

 これが第1回の「バビロン捕囚」です。

 

 その後、ゼデキヤをユダ王として国を治めさせましたが、反逆の気配が見えたため再びネブトカドネザル2世はエルサレムを占領し、ゼデキヤと多数の人びとをバビロンに連行します。

 これが第2の「バビロン捕囚」で、ユダ王国は滅亡し、バビロニアの属州になったのです。

 

 もっとも、改宗までは強制しなかったので、ヘブライ人は神ヤハウェへの信仰を捨てなくて済んだのです。捕囚されたヘブライ人は、律法のうち特に割礼と安息日にアイディンティティを求めました。

 割礼を施し、安息日に休むことで、周囲の人間たちとは異なる「選ばれた民」であることを終始、意識するようになったのでした。

 

宗教としてのユダヤ教の誕生 

 やがて事態を打開する救世主となる人物が登場します。

 アケメネス朝ペルシアのキュロス2世(在位前559〜前529)が新バビロニアを征服し、それぞれの民族固有の生活と宗教を尊重し、捕囚されたヘブライ人たちも父祖の地へと帰還させたのでした。

 

 しかもキュロス2世は、ネブカドネザル2世が没収した備品などを返還し、神殿を再建する費用をペルシアが負担することを命じた詔書も発布したのです。詔書には「天の神、主は地上の国のすべてを私に下さり、主の宮(神殿)をユダのエルサレムに建てることを私に命じられた」と書かれています。

 

 考えてみれば、驚くほどの善政を敷いたといえるでしょう。アッシリア帝国以来、長年、残虐な支配者に脅かされてきたアッシリアの世界の人びとにとって、慈悲深いキュロス2世は解放者として歓迎されたのでした。

 

 エルサレムに帰還したヘブライ人たちは神殿の復興に全力をそそぎました。前520年には大司祭ヨシュアとユダ総督ゼルバベルが中心となって再建工事に着手、前515年に完成を見ました。ソロモンが建設した第1神殿に対して第2神殿と呼ばれました。

 

 さらに前445年にユダ総督として着任したネヘミヤと、ペルシア王によって「天の神の律法の書記」を命じられたエズラによって、社会改革が進められました。エズラは神殿の祭儀のマニュアル化を行ったほか、祭司職の体系化、律法を学ぶ学校の創設、シナゴーグ(集会所)での礼拝の制度化を進め、ユダヤ教の基盤を確立していきました。宗教としてのユダヤ教の誕生といっていいでしょう。

M. Gottlieb画、シナゴーグで祈るユダヤ人(1878年)

 

 前332年にはアレクサンドロス大王の東征によって、エルサレムは陥落、ギリシアの支配下に入りました。大王が亡くなると、将軍たちが後継を争い、エジプトはプトレマイオス、アナトリアはアンティオコス、バビロニアはセレコウスが領有することになりました。

エルサレム攻囲戦 (1099年)

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