シルクロード日誌

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中東戦争とその背景

 1947年、第二次世界大戦後、イギリスは、パレスチナ問題を国連に任せると宣言。国連総会は、パレスチナをアラブ人とユダヤ人の2つの国に分割し、エルサレムと周辺を国際監視下に置くという処置を採択しました。これは戦中、ドイツのホロコーストに対する同情がユダヤ人に集まった結果であり、この国連採択にアラブサイドは反発していました。

 

1948年5月14日にイギリス委託統治が終了しましたが、両勢力の戦争が起こり、イスラエルはパレスチナの75%を自国領土として、1949年夏に休戦が成立しました。これが世にいう第一次中東戦争です。

 このため、パレスチナに住んでいた多数のアラブ人たちは、難民として、レバノン・シリア・ヨルダンの3ケ国、ガザ・ヨルダン川西岸の難民キャンプ、クウェート、サウジアラビアなどのアラブ諸国や米国など各地に離散しました。

 

イスラエルとアラブ諸国。
濃い緑がイスラエルと直接交戦したことのある国。

 

1956年、スエズ動乱(第二次中東戦争)、1967年に第三次中東戦争などが起こりました。この戦争は、最終的にはアメリカの多額の軍事援助と武器援助を受けていたイスラエル側が勝利しています。

第二次中東戦争 青い矢印はイスラエル軍の進路(1956年11月1日〜5日)

 

 1964年になると、パレスチナ解放機構PLOが結成されました。これとは、別に1950年末にイスラエルへゲリラ攻撃をすることを目的とした「ファタハ」ができています。

1967年の第三次中東戦争後、PLO内で批判が起き、パレスチナ・ゲリラ「ファハタ」の指導者アラファトがPLOの議長に選出されることになります。ここで、ゲリラ組織を中心としてPLOを運営することになりました。

イスラエルは第三次中東戦争の勝利により、上図の肌色の部分を占領した。

アラブ側はこの戦争の復讐を誓い、第四次中東戦争の要因の一つとなった。

 

1970年代には、「領土と平和との交換」原則が国連安保理決議となり、西岸・ガザでのパレスチナ国家樹立という現実的な目標を追求することになります。

 1987年、ガザでの交通事故をきっかけとして、「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ住民の反イスラエル蜂起が始まりました。これにより、イスラエルがパレスチナ住民を支配している実態が国際社会に知れ渡ることになりました。このことから、イスラエル国内で、パレスチナの独立を認める政党と、あくまでも占領地を保持する右翼政党ができてきます。「労働党」と「リクルード」の2大政党がそれぞれの代表です。

第四次中東戦争

「涙の谷」手前の対戦車壕で撃破・遺棄されたシリア軍のT-55、T-62戦車と

BTR-152装甲兵員輸送車。

 

ナファク基地手前で(停戦ライン上の「拠点116」とする文献も存在する)

撃破されたシリア軍のT-55戦車。

 

 1990年になると、冷戦終結で、PLOも、いつまでも強硬な手段を取っているとアラブ穏健派からの援助を貰えないことになり、それをトリガーとして柔軟な姿勢に変更することになります。

これにより、1993年「暫定自治に関する原則宣言」にPLOとイスラエルが仮調印することになります。

 

このパレスチナ自治政府は、東エルサレムを首都として独立しようとしているのですが、同時にその地は、ユダヤ人にとっても聖地であり、かつキリスト教においても聖地という地です。この地の争奪という宗教戦争が背景になっているため、容易な妥協が両陣営できないことになっているのです。これが問題の核心となっているのです。

| 中東問題、テロ | 10:49 | comments(0) | - |
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