シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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シルクロードと賢治、その続き

先日、シルクロードと宮沢賢治を書いてから、賢治への想いが消えません。今日はその続きを・・・・

 

 

越境するイーハトーブ

「雨ニモマケズ」の草稿

 

イーハトーブは東北地方に限定されず、故郷の海岸や延々と続く丘や山々を超えていく。そして大洋の島々まで伸び広がり、砂漠と大陸を横断し、東方と西方にまたがった理想郷へと昇華していった。さらに『銀河鉄道の夜』で描かれた透明な軌道を走り、はるか天空まで昇りつめ、「永久の未完成これ完成である」(『農民芸術概論綱要』)の彼方へ、永遠へと向かうのである。

イーハトーブは賢治の心の中にある理想郷だ。賢治が生まれた岩手の風土がそのモチーフになっている

 

賢治はすさまじい精神力でイーハトーブの世界を描き続けることで、生命を燃え尽くした。そして今、私たちは作品の中に描かれたイーハトーブによって、賢治が追い求めた夢とは何かを知るのだ。

 

宮沢賢治と中国

 

環境問題への意識がまだ普及していなかった100年ほど前、宮沢賢治はその概念を創出して昇華させ、さらに作品の主題として取り入れた。そしてそれを「イーハトーブ」と自ら呼んだ。

 

賢治のこのような時代を先取りした意識の源は、有史以来の中国思想に深く関係している。春秋戦国時代の老荘思想では人間と環境に対する関係性が説かれた。万物が混成していると主張する斉物論(せいぶつろん)は、人間と自然界における多様な生命が相互に作用して融合するという生成観を表している。賢治はこうした老荘をはじめとする東方の賢者の知恵を融合させていたのである。

 

中国の古典で賢治が最も好きだったのは『西遊記』であったと、弟の宮沢清六さんが明らかにしている。かつて賢治が在学した岩手県盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)の図書館に、当時賢治が愛読した『西遊記』と思われる蔵書が保存されている。

 

賢治は身体を岩手県の郷里に置きながら、心は西域、天竺への漫遊に何度も旅立った。それは共に北緯40度前後に位置する岩手県とシルクロードを結ぶ心の通路であり、イーハトーブの夢を描く空間であった。日常生活もたびたび西域とシンクロし、時には「悟空」(『春と修羅 第二集』)を呼び出して同行させたり、時には父親への手紙の中に「一躍十万八千里」(1918年2月23日)と旅の心境を表したりした。

スタイン採取の有翼天子像

 

西域の古城である「高昌(こうしょう)」の遺跡の写真が宮沢賢治記念館に飾られており、その古城の近くにある「沙車(さしゃ=現在の南疆ヤルカンド(莎車))」や「亀茲(きじ)=現在のクチャ」(『小岩井農場』)などの地名もたびたび自身の作品に登場させている。彼は『西遊記』に示されている地図に沿って創作の筆を進め、西域の砂漠や上海の夜景を記した。さらに古琴の演奏を楽しむなどして、シルクロードに通じる中国に翔(かけ)る思いを綿々と記述した。

橘瑞超採取の有翼天子像(東京国立博物館蔵)

 

 

賢治と中国の関係はわたしたちに多くの示唆を与えてくれる。中華文明に影響された日本文化の深層においては、アジア的な哲理が常に作用してきた。それは静謐(せいひつ)で調和的な世界観と、万物は常に連動しているという重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なる世界観が融合し、現代に生きるわれわれの価値観を大きく揺さぶってくれるのである。

 

(この文章は、王敏(ワンミン)の文章とワイフの所属していた「賢治の学校」から拝借したものを引用しています)。

| シルクロード | 05:31 | comments(0) | - |
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