シルクロード日誌

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カラホト(黒水城)を発見した探検家・コズロフ

 8日 この日は正午にホテルを出発してエチナへ。この日からは連泊です。

 ここらへんで少し長い休息をとらないと疲れがたまる一方になります。

 朝8時まで寝ました。初めての洗濯。シャワーを浴びる足元に洗濯物を置いて、洗剤を振りまき、頭や体を洗いながら足踏み。あとはこれをゆすげばOKです。

 忙しいときは、Tシャツなどは着終わったら丁寧にたたんでおいて重ねておき、次の機会にそっと下から出して着ればOK。日本と違って乾燥しているので汗臭くないから大丈夫なのです。

 

 午後、カラホトへ

 カラホトに関して記すなら、まずシルクロード探検者としてカラホトを最初に発見した、プルジェワリスキーの弟子コズロフを紹介しなければなりません。

 コズロフ(1863−1935年没)1863年、スモレンスク県生まれ。

小学校を卒業し、家計が苦しいため同県のスロボダ村にあるブドウ酒醸造工場で働く。1881年、17歳の時、スロボダ村に転居してきたプルジェワリスキーに出会う。彼の屋敷に書生として住み込む。プルジェワリスキーの助言により、実業学校に入学、卒業後モスクワの歩兵連隊に入隊。

スヴェン・ヘディンと並ぶシルクロード探検家・プルジェワリスキー

筆者が2015年、ロシアのサンクトペテルブルクで撮影

 

 

 1884年、プルジェワリスキーの第4回、1888年の第五回中央アジア遠征隊員に加えられる。

 その後、ペフツォフ隊、ロボロフスキー隊に参加。

 1896年、97年スヴェン・ヘディンとロプ・ノール論争。

スヴェン・ヘディン(1865〜1952年没)スウェーデン生まれ

 

 

★チベットの東南地方(カム)及び四川省への遠征(1899-1901)遠征隊隊長として指揮を執る。

 アルタイスカヤ―コブト―モンゴル・アルタイ―ゴビ砂漠―クク・ノール―長江上流まで。ラサを目指すが失敗する。

 記録―「モンゴリアとカム」

 1904年、イギリスのヤングハズバンドがラサ制圧。これでコズロフはモンゴルに遠征するという方向に転換する。

フランシス・ヤングハズバンド、イギリスの探検家(1663〜1942年没)

 

 

 ★モンゴルとアムドへの遠征(1907-1909)

 遠征隊隊長として指揮を執る。エッチン・ゴル(エチナ河)東部で西夏国の古城ハラ・ホト(黒水城)を探し当てる。

 記録―「モンゴリアとアムドと死の町ハラ・ホト」

 1917年ロシア革命

コズロフがカラホトを発見した際の仏舎利塔の写真

2018年8月、同じ場所で野口が撮影

探検時の光景

 

★モンゴル遠征(1923-1926)

 ウルガ(現、ウランバートル)東方のヘンテイ山麓のノイン・ウラで匈奴の200余りの古墳を発見。さらにハラ・ホトまで足をのばし、西夏国の経典、仏画など持ち帰る。

 1935年、72歳で逝去

ロシア王立地理学協会は「グレートゲーム」におけるロシア側の密偵組織でもある

ほとんど全員が軍人であった

 

※写真は野口の名前入り以外はネットから借用。

 

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