シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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シルクロード&醜女(しこめ)の深情け

きょうの表題は別にセクハラを話題にしようと思っているわけではありません。

昔からある言い方なんです。

 

要するに私の”シルクロード愛”のことです。

おおかたのシルクロード研究者や学者の方がたは、ほとんどは大学で学び、大学院で研究し、卒業後はどこかの大学の教員となり、その大学の学生たちを率いて中国や中央アジアやモンゴルなどへ遺跡調査などに行きます。

ですから、60歳の研究者は40年前後もシルクロードや古代から中世の歴史を研究していることになります。

 

20〜30年前のこと私の地元で「市民大学」があり、そこで近くの大学のある教授が講義していました。

私はふらりと足を運んだのですが、お話しは敦煌の大仏の耳の話。

聞いていると、この耳の話が延々1時間以上にも及びました。

私はたまらず逃げ出しました。

そして思いました。「こういう学者にならないように!」と。

そして、その話より、わたしの話のほうがよほど面白いのに、と思いながら・・・

 

私がシルクロードに関心を抱いたのは北京留学中のことです。

あちらでは、1人の留学生につき優秀な中国人学生が同室になります。

私の隣の部屋に入ったのが、ウイグル人学生でした。

長身の彼はいつも歌を歌いながら部屋を掃除したり、洗濯をしていました。

その歌は聞いたことのない歌ばかりでした。

この写真は2012年に46年ぶりに、懐かしの母校「北京体育大学」を

訪問した時の写真です。わたしの右後ろの建物は留学生宿舎です。

 

 

それまで日本では一般に「シルクロード」という単語さえほとんどなかったのですが、わたしはそこで学びました。

彼も「シルクロード」という中国語さえ知りませんでした。

というより、当時(1965年前後)の中国に、その単語があったかどうかもわかりません。

それはいまでも同じです。シルクロードの地に人びとは、自分たちに住んでいるところが「シルクロード」と呼ばれるところだなどと誰も思ったことはありません。

どういうことか彼とウマが合って、歌を教わり、ウイグルの話を聞き、日本の話をするようになりました。

 

帰国後、10数年たってからテレビで「シルクロード」が大変な人気になりました。

わたしはこのシルクロードブームに触れることもできずに、スポーツ分野でのボランティア活動に熱中していました。

でも少しは思っていました。「いつかはこの道の勉強をしよう」と。

 

それから何年くらいたつのか、はっきりしません。

山岳連盟の全国組織の専従事務局長になってから、仕事の関係と自らの志向でヒマラヤや天山山脈などを訪れるようになりました。

ヒマラヤに登れば”この山の向こうにはチベットがある”、キルギスなどから天山山脈に登れば”この山の向こうには新疆シルクロードがある”と思うようになりました。

そして退職・退任後は、スポーツの分野とシルクロードの分野の二股の生活をするようになりました。

 

いずれも”酬女の深情け”です。

 

この写真は北京体育学院(65年当時の名称)の室内陸上競技場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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