シルクロード日誌

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森安通信を転載します

今日は、大阪在住の著名なシルクロード研究者・森安孝夫先生の「森安通信」を転載します。野口

 

 

森安通信 読者各位

 

 私はこれまで「シルクロード」を「前近代においてユーラシアの東西南北を結んだ高級商品流通と文化交流の幹線道路網」と定義して,この術語は古代・中世史のみに使うべきで,近現代史に使うのは適当でないと主張してきました。なぜなら近代以後,世界の物流の中心は海洋に移ってしまい,内陸のシルクロードは世界物流のメインルートからはずれてしまったからです。近代になっても露清間の貿易量は増大しているから,近代になって陸のシルクロードが衰えたという見方は誤りであるという反論もありましたが,絶対量が増えたといっても地球規模の物流の中に占めるパーセンテージが激減してしまったことこそが問題なのですから,そんな反論は的外れでした。ところが2010年代になって中国の習近平政権が「一帯一路」構想をぶち上げた結果,状況が変わりつつあります。つまり大西洋ルートを欧米に,太平洋ルートを日米に抑えられていると感じる中国が,かつてのラクダや馬に代わる鉄道によって中国と中央アジア諸国と東欧と西欧を結びつけ,陸路による物流を大幅に復活させようとしているのです。その現状が,本日の朝日新聞の附録であるGlobe(朝日新聞グローブ)に「喝采と警戒のシルクロード」として特集されていました。もちろん習近平の一帯一路構想の裏には,巨大な援助を投入して中央ユーラシアの弱小国を債務漬けにしておいて,いずれは意のままにしようという中国の覇権主義が隠されているわけであり,今度の特集ではその影の部分(国内では新疆のウイグル民族を弾圧)にも言及があります。とはいえどちらかといえば,そのうち日本まで巻き込む巨大物流ルートが中央ユーラシアに再生されるという明るい方向で紹介されています。それは事実であり,日本の財界・産業界も今後は目を向けざるをえないことになるでしょう。

 

 ところで先月の23・24日,東京中野の帝京平成大学で,山内和也・帝京大学教授が率いる帝京大学文化財研究所が主宰し,二日連続で開催された国際シンポジウム「シルクロードを掘る──いま蘇る,いにしえの道」がありました。発表は日本・韓国・中国・キルギスからの参加者17名に及び,カラー写真満載の予稿集が配布され,同時通訳が付く本格的な国際研究会でした。山内和也教授は,かつて上野の国立文化財機構・東京文化財研究所に所属していた時期からキルギス共和国国立科学アカデミー歴史文化遺産研究所と協力し,チュー河盆地にある都市遺跡群調査に従事しながら,ユネスコ世界遺産委員会の委員としてシルクロードを世界遺産として登録するための活動をしており,帝京大学移籍後は引き続きキルギス共和国国立科学アカデミー歴史文化遺産研究所の協力のもと,チュー河盆地にある三つの最重要都市遺跡,すなわちアク=ベシムAk-Beshim(スイアブ,砕葉),クラスナヤ=レーチカKrasnaya Rechka(ナヴェカット,新城),ブラナBurana(ベラサグン,グズオルド)の一つであるアク=ベシムを重点的に発掘しているのです。そのような背景があるため,今回のシンポジウムにおける発表はキルギス・カザフスタン・ウズベキスタン・タジキスタンの旧ソ連領中央アジア諸国に分布する遺跡に関わるものが大半を占めていました。これまで私は中国の新疆ウイグル自治区・甘粛省・内モンゴル自治区とモンゴル国での現地調査には相当の回数と日数で参加(大部分は主宰)しており,東部天山地区を含む東トルキスタンからモンゴル高原の状況には親しんできましたが,旧ソ連領の中央アジアすなわち西部天山地区〜西トルキスタンの現地を踏査した経験はないので,今回たくさんのスライドや動画を見ることができたのは,まことに幸いでした。

 

 トルキスタンとはペルシア語で「トルコ人の土地・国」という意味ですが,歴史的実態としてはソグド語・コータン語・トカラ語などの印欧語族が原住民であった土地に東方から漢民族が浸出し,さらに北方から突厥・トゥルギシュ(突騎施)・カルルク(葛邏禄)・ウイグル(回鶻)・オグズなどのトルコ系遊牧民族が次々に支配者として臨んできた結果,全体として「トルコ語を話す人々の土地・国」へと変化したのです。西部天山の北麓でイシク湖に発するチュー河を擁するチュー河盆地(キルギス共和国),並びにその西南隣で西部天山に発するナリン河を擁するフェルガナ盆地(ウズベキスタン共和国)は農業にも牧畜にも適した農牧接壌地帯であり,古くから農耕都市民と騎馬遊牧民が共存していました。それゆえ現在,チュー河盆地にはアク=ベシム(スイアブ,砕葉)をはじめとする多数の都市遺跡が散在し,フェルガナ盆地にもミンテパMingtepa,ダルヴェルジンDalverzin,クヴァKuvaなどの遺跡が点在しているのです。とりわけアク=ベシム都市遺跡は西半分がスイアブ(砕葉)と呼ばれたソグド人の東方進出の橋頭堡の一つであり,東半分は漢人が唐代に築いた砕葉鎮城でありますから,イスラム化以前の中央ユーラシアにおいてソグド世界・トルコ世界・漢人世界が交叉する最重要拠点だったわけであり,その歴史的意義の重要性は計り知れません。今後もアク=ベシムで発掘を続ける帝京大学文化財研究所の活動はますます注目を浴びることになるでしょうが,発掘作業の進展と共に,突厥とりわけ西突厥,並びにトゥルギシュ(突騎施)がチュー河盆地を拠点にして,西のソグド本国や南のタリム盆地のオアシス都市国家を間接支配するに至った経緯についても,文献史料(漢籍・アラビア語など)に加えて遺物やコインなどに残された文字資料(ソグド語・漢文・ルーン文字トルコ語)も参照しながら考察を進めていく必要が生じてくるでしょう。中国の一帯一路政策が,こういう学問研究に大金を注ぎ込んでくれるなら文句はありません。なおチュー河盆地とフェルガナ盆地の遺跡には,ゾロアスター教・仏教・ネストリウス派キリスト教・マニ教などの寺院・教会・墓地遺址やさまざまな遺物や岩壁銘文なども残されているため,宗教の道としての側面を持つシルクロードの研究にとっても,有用な材料を提供してくれるはずです。

 

 昨年12月には,鉄の研究で世界的に有名な村上恭通教授を愛媛大学にお尋ねし,西アジアから中央ユーラシアを通って中国・朝鮮・日本まで伝播した鉄文化についていろいろとお話を伺いました。村上教授の御著書(『倭人と鉄の考古学』1998年,青木書店;『古代国家成立過程と鉄器生産』2007年,青木書店)を読んで一番驚いたのは,私も信じていた「弥生時代終末期までに鉄器の普及が全国におよび,生産力の拡大による安定した経済的基盤が古墳時代成立の前提となる」という従来の考え方が,完全に否定されたことです。弥生時代後期に農具が完全に鉄器化した地域は北部九州・中九州・山陰・西部瀬戸内のみで,それ以外ではまだまだ石器と併用しており,弥生時代は決して「初期鉄器」文化ではなく,いわば「原始鉄器」文化に過ぎなかったということです。

 

 愛媛大学のある松山市は,斉明7年(661年)に百済救援軍を率いていった斉明天皇の船団が停泊し,道後温泉で休息した後,いよいよ出航しようとした時に額田王(ぬかたのおおきみ)が「熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」という有名な歌を詠んだ熟田津の港(現在の松山市西岸)があったところです。そこに出てくる地名を我々はふつう「にきたづ」と読んでいましたが,現地の松山では「にぎたつ」でした。村上教授によれば,関門海峡から瀬戸内海に船で入って来ると山口県側ではなく愛媛県側に自然に着くそうです。ですから逆に瀬戸内海から関門海峡を抜けて玄界灘に出るには,この熟田津の港が最適だったようです。一つ謎が解けたような気がしました。

 

      不具    2019年2月3日      森安孝夫

 

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