シルクロード日誌

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あ〜!天安門!

きのうブログを書いてから、まだまだ書き足りていないことがあります。

天安門事件のことは多くのメディアが書いていますから、おおよそは理解できると思います。

大事なことは、この事件に至る問題の根源が書かれていないことです。

 

中国共産党は、自らが権力を握る以前から派閥闘争が激しかったということがあります。

解放戦争当時、人民解放軍が別の人民解放軍を攻撃して全滅させた事件がありました。これは、やっと党のリーダーになった毛沢東が、自分の路線に賛成していない幹部の指揮下の軍隊を攻撃したということです。万を超える兵士が全滅しました。

 

解放後、「人民裁判」が行われました。貧農や農奴をこき使っていた富農・豪農や地主たちを村人たちが裁判をして判決を下しても良いという方針でした。

これで推計400万人が殺害されました。富農・豪農たちの家族や使用人たちも裁判の対象になったからです。小さな子どもたちも殺されました。

これは、社会主義をめざすという理想からは遠く離れた虐殺行為です。

 

また解放後、中国南方方面では、台湾に逃げた蒋介石国民党の残党が居残って、テロ活動を繰り返していました。軍隊や地元の党の幹部を狙い撃ちにして殺害するというテロ活動です。間違えてかどうか、住民たちにも多くの被害が及びました。中国語では、この「テロ」という言葉を「恐怖」と書きます。この「テロ分子は住民の中に存在する」ということで、互いに疑心暗鬼になって住民同士が互いに相手側の住民を殺しあうという悲劇が起こりました。数は把握できていませんが数百万人が殺害されたといわれています。

 

「反右派闘争」もあります。毛沢東が「中国共産党には間違ったことを言う幹部もいるし、間違った路線があるかもしれない。知識人の皆さん、思う存分、党や幹部を批判してください」と提唱したのです。はじめはオズオズでしたが、次第に声が出てきました。その声が最高潮になったころ、毛沢東が「これはどうしたことだ」という論文を、党機関紙「人民日報」に発表して、意見を提出した知識人たちを一網打尽にしたのです。

 

やがて文革前にその「ほとんどが冤罪だったので名誉を回復する」措置が取られました。しかし、文革が始まると、その「前歴」が問題なって、三角帽子をかぶせられて、市中を引き回され、多くの人が殺害され、自殺しました。

 

中国では「自殺をする」という行為は、「罪を認めない」、「あくまでも抵抗する」という意思なので、「墓まで暴かれ」て、その名誉と精神を痛めつけることになります。

 

「文化大革命」と称した中国共産党による国民殺害の大犯罪行為は、数千万人が殺され、1億人以上が職を追われ、逮捕・軟禁され、数千キロ離れた土地に追放されるなど、想像を絶する殺害・迫害に遭った国家犯罪です。

これまで上述した、あれこれの事件やこの文革は、いずれも毛沢東が自分の権力に影響が及ぶことを未然に防ぐために自ら興した「逆クーデター行為」でした。

その結果としての天安門事件だということです。

 

天安門や西長安街で殺された遺体を、広場に集めてホースで水を大量に撒いて、遺体を広場の地下に流し込んだのです。5千人を上まわる遺体がどこかの川に流されました。

政府が死者数を「319人」だとはよくも言えたものです。政府自身も誰もがその数字を信じていません。

 

このころ1989年前後の世界の動きは、ベルリンの壁が11月に崩壊し、東西のドイツが統一された歴史的な年でした。それらが契機になって、ソ連が崩壊し、東ドイツが統一され、モンゴルや中央アジアなどが民主化されていったのです。

 

中国共産党が自らの政策や路線に自信があるのであれば、自らの政策と路線を国民に問えばいいことです。自信がないから武力で弾圧したのです。この図式は誰でもが簡単に理解できることです。

| シルクロードの光と影 | 06:55 | comments(0) | - |
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