シルクロード日誌

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2019年 モンゴル大草原の旅

3日目 26日 モンゴル帝国の首都だったカラコルムへ

 

この日はブルド・ツーリストキャンプから100劼琉榮阿任△襦

その前に、ブルドというところはカラコルム遺跡の見学に出かける土地だが、ここは草原と砂丘と小高い岩山のあるところ。このあたりでは白く映える砂丘が少ないので、それだけでも有名である。

ゲル・キャンプの朝。わがワイフと体の動かし方を学ぶ参加者

紺の服を着ているHさんも踊りをやっているそうで意気投合したようだ

 

幹線道路はいうまでもなくマッサージ道路だが、そこのどこかを突然、左折してマッサージよりも格段にレベルが急上昇する初期の自動洗濯機のような悪路の三乗くらいの超々悪路を進む。

 

チンギス・ハーンの子孫が造ったモンゴル帝国の首都カラコルムへ向かう。

ちょっと待ってほしい。そのような説があると同時に、別の節もある。

16世紀末、モンゴルのアルタン・ハーンが死ぬと,地方の遊牧君主たちがチベット仏教の力を借りて人びとの信頼を得ようとして、チベット仏教サキャ派の力を借りてエルデニ・ゾー最初の仏教寺院の建立を始めたという説である。

これは卒塔婆である

 

なるほど事前の学習以上のものがここにはあった。エルデニ*ゾーをはじめ、数々の歴史的な建造物があった。極め付きはカラコルム博物館であった。

 

「カラコルム」とは、トルコ語やモンゴル語で「黒い砂漠」になる。いうまでもなく「カラ」は「黒い」である。

どういうことか現代モンゴル語では「ハラホリン」と呼ばれる。かなり昔のペルシャ語の資料では、カラコルムの由来は、近くにある「カラコルム山」という黒い色の石材が取れる山の名前に由来しているといわれている。

しかし、私たちはバスの窓が、日よけの遮光のプラスチックのカーテンに覆われているのであまりよく見ることができない。日焼けを嫌うものへのサービスなのだろうが、日焼けOKの私のようなものにとっては迷惑で邪魔なだけであった。しかも悪路で泥が跳ねあがって窓を汚しても掃除をしない。

 

カラコルムというと多くの方は、新疆ウイグルから中央アジアへ抜ける道「カラコルム・ハイウエイ」を思い出すだろう。しかし、考えてみると「カラ」をいただく言葉はこの辺りには多い。驚くにはあたらない。

 


これを中国式の建築というか、モンゴル式というのか・・・

エルデニ・ゾ―から墓に入ると亀石がある。

 

(下)カラコルム都城跡、エルデネ・ゾー寺院周壁外のモンゴル時代の亀趺

2人そろって写真を撮ることはあまりない。理由は彼女が写真嫌いだからである。

 

オルホン渓谷の文化的景観 世界遺産のエルデニ・ゾー。

 

 

このカラコルムの地は当初、旧ウイグル帝国が9世紀に造ったという説がある。

さらに、チンギス・ハーンがヨーロッパ征服行の際、兵站基地を造営したことが始まりといわれてもいる。

それをチンギス・ハーンの息子のオゴデイ(第2代ハーン)が1235年に宮殿や城壁を築いてモンゴル帝国の首都に定めた。オゴデイの時代にジャムチ(駅伝制度)が整備された。はるかキエフやモスクワあるいはアラビアや現在のベトナムから、当時の「全世界」から報告が集まり、同時にその地へハーンの命令や指示が行き渡っていったのである。世界を統治する新しいスタイルを確立したのである。

| モンゴル関連 | 11:07 | comments(0) | - |
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