シルクロード日誌

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2019年 モンゴル大草原の旅

 日馬富士の国際学校

 悪路を経て、いよいよウランバートルに着いた。

この町は急速な経済発展で車が多すぎる。韓国以外は日本の車が圧倒的に多い。その大渋滞の中、市の郊外にある日馬富士の学校の前に着く。ちょうど夏休みで学校は閉鎖状態。バスから降りて学校の前でしばし休憩。

 ここで分かったのは、ここは相撲学校ではなく、インターナショナルスクール。だということ。とにかく詳しいことはわからない。情報がないので共同通信の記事を引用する。

 

 下記は18年9月1日の開校式風景の写真と共同通信の記事である。

 ここまでの2枚の写真がネット引用である

 

 元横綱日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジ氏が出資して設立した私立学校「新モンゴル日馬富士学校」が1日、モンゴルの首都ウランバートルで開校した。ビャンバドルジ氏は開校式で「祖国への恩返しだ。日本の優れた教育も取り入れ、よい市民を育てたい」と話した。

 小中高の一貫教育で、教養と礼儀を身に付けた人材を育成する狙い。スポーツを通じて忍耐強さや責任感、他人を尊重する気持ちも養うという。ビャンバドルジ氏は「子供たちには、日本にも親しみを持ってもらいたい」と話した。当初の生徒は約740人で教職員は70人余り。将来は生徒数1800人、教職員140人の規模になる計画だ。

わたしは半袖、彼女はヤッケ

 

 旭鷲山の学校

 旭鷲山のビルは9年前に来たときは繁華街のまん中にあったが、ここは(日馬富士の学校も含めて)市の郊外というより、人口が増えて拡大していった新興住宅地にあるとのこと。バスの車中から眺めただけだった。

2人の元相撲取りたちのビルの付近は、まだ貧しい人たちの住む地域だが、

新しいマンションや家が建ってきて、新興の住宅街に変貌していっているようである。

では、貧しい人たちはどこへ行くのだろう・・・・

 

 旭鷲山に関しては、日本での報道に限って言えば、あまり芳しくない情報ばかりだが、横綱にもなれなかった関取が、良くこのような大きな学校を建てることができたなァ〜〜と思ったものである。

 

 国立民族歴史博物館

 チンギス・ハーン広場の北西の角にあるモンゴル国立民族歴史博物館へ行く。
入場料は支払い済みだが、撮影する場合は別途1万トゥグリク(約445円)が必要になる。

監視の館員さんに露骨に撮影料支払い済みの証明を求められた。

博物館の入り口

『大遼契丹」と中国語で書いてある

「契丹族(キタイ)はモンゴルと争った東胡系の部族で、鮮卑の文字を使う・・・」

などと説明してある。なぜか漢語で・・・

 

 内部展示は、2階の民族衣装と装飾品のコーナーが見事。

今回は契丹(キタイ)の展示がメインだった。

チンギス・ハーンが勃興する前にモンゴル高原に覇を遂げた騎馬遊牧民。

だがそれでもチンギス・ハーンの展示があるから奇妙である。考えてみれば、それも却って当然なのかもしれない。ソ連支配時代はチンギス・ハーンの名前を出すだけでも弾圧されていたのだから・・・


 

 

 その他の古代から現代の歴史を追うコーナーは、展示品がやや貧弱で期待外れ。
 1階には、チンギス・ハーン関連グッズが並ぶお土産品店もあるので、そこだけ覗いている人もいた。いいんだよ、それくらいで。

 この博物館は9年前にも行ったが、そのときはともかく展示物の英語文がまことに誤訳の多いものだった。カナダ・トロントにいるウイグル人の友人に翻訳していただいた結論であった。今回の場合はまだ不明。わたしにそんなものが分かるわけがない。

 でもまあ、9年前よりは見る価値の多い展示になっていた。

 

 モンゴルの歌舞

 ここも9年前にみんなで見た歌舞団である。

 見ていくうちにだんだん思い出してくる。

 とにかくプロ集団だから歌でも踊りでも少しの失敗も許されない。

 その点ではまったくミスのない完璧な歌と演技の集団であった。

 

 

 

 

 お土産

 さあ〜、カシミヤやあれこれを買うことのできるお土産屋である。

 お土産屋さんを出てから分かったことだが、このビルも9年前に来た店である。

 私は、あまのじゃくだからではないが、袖のないラクダの皮のベストを買った。あとは自分のシャツ。それだけである。

 みなさんは大奮闘でした。

 

 9日目 8月1日 明日は帰国

 そして8月2日早朝。朝食の弁当を持って空港へ。

 でも驚くべきことに空港でもまだお土産を買っている方がたがいる。

 前日、スタッフの提案で、財布に残った少額の紙幣をカンパとして集めてガイドとドライバーに寄付しようというIちゃんの提案があって、私などはポケットにあった小銭をすべて出したものだが、まだ残していた人がかなりいたのである。

 

 今回は事前に3人の仲間にお願いして「スタッフ」として仕事をしてほしいとお願いした。

 会計やあれこれ。苦情処理などを受ける担当、そして部屋割りなど宿泊に関する担当など、みなさん適確に仕事をされて、それだけでも私の仕事はずいぶんと少なくなった。感謝してもしきれない。

 

 合計で1220劼琉路を走った。

 このハードなドライブを経てモンゴルの数々の自然を訪ねる旅は終わった。

 新しい友人もたくさんできた。

 12月のシルクロード講座は、忘年会を兼ねて、この旅の報告と写真交換会などが待っている。

 

 すでに旅の途中で、3人の女性が手を挙げて「来年はウズベキスタンへ行きたいです」と注文してきた。

 私は蘭州から河西回廊を経て敦煌、トルファン、ウルムチへ行きたいのだけれど〜〜〜〜

(終わり)

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