シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
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シルクロードの粋を学びました

 

11月9日、第107回シルクロード講座を開きました。

 

前月の10月は台風19号の襲来によって中止になりました。

今回は中央ユーラシア研究の第一人者・山内和也先生にお願いしました。

意外なことに山内先生をご存じの方は、わが日本シルクロード文化センター会員にも少なく、受講者は16名でした。

 

山内先生は58歳。イラン生活が7年という方です。

テヘラン大学で3年半学び、修士課程終了後も3年半を大使館で仕事をしたといいます。現在は帝京大学文化財研究所教授。

 

アフガニスタン、インド、キルギスタン、タジキスタン、エジプト、ヨルダンなど、中央アジア・西アジアなど世界各地で広く文化遺産の調査や保護のための活動を行っています。

最近では、中央アジアのキルギスタン・アクベシム遺跡で発掘作業を行なって大きな成果を上げているといいます。

 

この日のテーマは「シルクロードとグレートゲーム」。

19世紀から20世紀の初めにかけて、コーカサスからチベットに至る中央ユーラシアの広大な地域を舞台に展開されたたたかいで、1907年に英露協商をもって終結したとされています。

 

さらに、世界の一体化が進行するなか、帝国主義政策の空白の地域となっていた中央アジアにおいて、先鞭をつけて自国の緩衝国化することが英露双方の重大な関心事となったことで始まり、とくに英露によるアフガニスタンをめぐる抗争を指す、とも言っています。

 

とくに、ロシアの中央アジア進出はピョートル1世以来の関心事で、アム・ダリア川でとれる金の原産地そしてインドからヨーロッパへの陸上輸送の中継地としての中央アジアを手に入れ、イギリスの海上交易への打撃を与えることをもくろんでいました。

 

いわば、ヨーロッパ及びインドへの道によって生じたロシア帝国とイギリス帝国のたたかいでもあったのです。

そのたたかいの過程で、国は政策として、戦争になった場合の軍隊の侵攻ルート、宿営地や食糧や弾薬の補給地などを調査する必要があったのです。

 

淡々と話す山内先生のお話しには、ぐれとゲームを知っているつもりの私も、改めて学問の深さを痛感することになりました。

シルクロードを学ぶ上でのスタートラインの一つともいえるこの講座は、私の頭脳をきれいにしてくれました。

明日からもう一度、勉強のし直しです。

 

 

☆私は写真は一眼レフカメラしか信用していないので、スマホをブログに出したことはありません。

下の写真も、室内の明かりを消して写したものですから、くらくなっており、到底、人の目にさらすものではありませんでした。

しかし、せっかく映したものですし、ゼロより少しはいいかなと思いました。

この写真を見ても、何も分かりませんので、何も気に留めないでください。

山内先生は、シルクロードが世界文化遺産に登録されるうえで大きな役割を果たされた方です。

いまは、アク・ベシム遺跡の調査にも打ち込んでいるようです。

中国の紙が西に伝わったという伝説がある「タラス側の戦い」を

「第0次世界大戦」と表記したのは慧眼です。

お粗末な写真でごめんなさい!!!

| シルクロード | 09:22 | comments(0) | - |
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