シルクロード日誌

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―東トルキスタン共和国の成立と崩壊―

大国の支持を獲得しながら、それを背景に自らの民族独立を達成しようとしたが、結局その手法ゆえに、国際情勢が激しく変化しつつある時代の流れのなかで、大国間の政治ゲームの犠牲者とならざるをえなかったということは、弱小民族としての運命であったといえるだろう。

 

1949年8月25日、エホメッドジャン・カスミ、アブドリキム・アバソフ、イスハクベク・ムノノフ、デレリカン・スグルバヨフら三区のウイグル人・キルギス人・カザフ人指導者は、中国共産党が呼びかけている「新政治協商会議」に出席するため、ソ連の飛行機でソ連を経由して北京へ向かう途中、飛行機事故で全員遭難した、と公式文書で記述されている。

エフメットジャン・カシミ

 

2000年ころ、私が直接会ったある東トルキスタン革命の古老は「我々の代表団は北京で毛沢東と大喧嘩をした。ケンカして別れたので、毛沢東はスターリンに働きかけて飛行機を撃墜したのだと思う。パイロットはシベリアに流刑されていた犯罪者だった」と述べていた。

1949年10月1日 中国建国を宣言する毛沢東

 

9月15日、新しい代表に選ばれたサイフジン(のちの中共中央政治局委員)が北京に到着し、中共に服従する態度を鮮明化し、そして12月に新疆に進軍してきた人民解放軍が「三区」に入り、東トルキスタン共和国運動は完全に消滅したのである。

中共の要職に就いたサイフジン

 

3.共和国内の二重権力構造

 

 東トルキスタン共和国の政治構造のもっとも重要な特徴は、イリハン・トレを代表とするウラマー(イスラム教の上層指導者)およびトルコ系イスラーム住民社会の上層部出身者の勢力と、親ソ的ウイグル人・タタール人の知識人および、直接、ソ連国籍のカザフスタン人などの軍人や政府官僚のソ連勢力という二つの政治勢力が、前者は政府委員会に集中し、後者は軍部に集中して軍を掌握しながらも、政権内部に共存していたことであった。

共和国主席に就任したアリハーン・トラ

 

二大政治勢力の共存体制は、あくまで「革命の初期段階」で対中国人戦争のためにできたものであった。44年の東トルキスタン共和国運動が親ソ的知識人の主導で起こされたため、軍部と内務省などの重要な機関は、親ソ的知識人とソ連勢力によって掌握された。つまり、二大政治勢力の共存体制は、政治権力のアンバランスな状態によって生じたものでもあった。双方の政治理念が根本的に異なっていたため、いったん外部の目標を見失うと、とくに実権を握るソ連勢力にとって、それを存続させる理由もなくなる。その際には、共存体制は東トルキスタン共和国を内部から崩壊させる因子にもなったのである。

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