シルクロード日誌

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東トルキスタンの歴史概況と中国の民族政策 ―イスラームの国際的影響と21世紀―

モンゴルにおける闘い

 

 モンゴルは2200年の歴史を誇る国である。チンギスハンが1206年に建国してからでも約800年の歴史を持つ国である。

チンギス・ハーン

 

 1911年には中国に辛亥革命が起こり、中華民国と同時にモンゴルも独立を宣言したが、まもなく初代中華民国総統の袁世凱の軍に攻め込まれ、漢・蒙の両軍は漠北の沙漠で激突を繰り返した。漢・蒙の激突はそれからも消えなかった。

辛亥革命

 

 モンゴル人民共和国の成立は1924年である。1992年の第12回大会人民フラル第2回議会で国名を「モンゴル国」に改称した。

 内蒙古においては、文革期の1966年には「内蒙古人民革命党」という“分離主義集団”が摘発されて5万人のモンゴル人が処刑・殺害され、40万人が逮捕されるなど血の粛清が行なわれた。それ以外にもモンゴル人の統一国家をはかったいくつかのグループが弾圧されたことがある。中国共産党は文革終了後、「内蒙古人民革命党事件」は、陳伯達のでっち上げであり、冤罪であるとして、そのほとんどの名誉を回復した。

 

 ロシア・シベリアにもモンゴル人による「ブリヤート自治共和国」がある。中国は、これに内蒙古自治区を加えた3つの国家がひとつになる運動を警戒している。

ブリヤート自治共和国

内モンゴル自治区

 

 1995年12月、内蒙古自治区の区都フフホトでモンゴル民族のデモが発生した。掲げられた主張は明確にされていないが、「形骸化された民族自治」にたいする異議申し立てであったとも伝えられている。この際、数百人のモンゴル族で構成される「内蒙古民主連盟」の主席ら数人が政府転覆罪、国家分裂罪、反革命集団組織扇動罪などの罪状で公安当局に逮捕された(「朝日新聞」96年2月3日付ほか)。

 

いずれにせよ中国における民族政策は、民族自治の世論の盛り上がりと国連を中心とした調停の方向で平和的に解決することが客観的には求められている。

 

仏教の東漸

 

漢の武帝は、西域との交通路確保のため、武威・張掖・酒泉・敦煌の河西4郡をおいた。河西は黄河西方の意味。南側は祁連山脈、北はバタインジャラン砂漠に挟まれて細くなっているので、河西回廊という。現在の甘粛省域が相当する。さらに武帝はカラシャールと尉犂(イリ)に屯田兵を置いて西域経営をめざしたが、ハミの車師王国が匈奴と漢の間にあって絶えず動揺していたため漢の西域支配は一進一退が続いた。

 

 後漢王朝と西域の関係は「三通三絶」と史書にあるように、不安定な関係が続いた。しかし有名な将軍班超が苦心して西域を支配した。彼は西暦74年、河西から出撃して車師を攻撃し、80年にはカシュガルまで進んだ。

 

 漢代には都の貴族の間に“胡風”(イラン系風俗)を模倣するのが流行したが、明帝(在位57〜75年)の代に楚王劉英が「浮屠(ふと=仏)を祀り、伊甫(優婆=うば)塞・桑門(沙門)に供養した」という記録があり、これが中国に仏教が公伝した初見とされる。ただ、タリム盆地諸遺跡からは3世紀以前の仏典や仏教遺物は出土していないという。

アフガニスタンのカンダハルでは、ギリシア語訳のアショーカ魔崖碑文が発見されており、月氏が移住したころのバクトリアに仏教が普及していたことは確実で、紀元前後には仏教はパミールを越えて西域に流入していたことが推測されている。

 

 後漢の興起と平行して、大月氏(だいげっし)の故郷に大帝国を築いたクシャナ王朝に、仏教保護者として名高いカニシカ王(在位120〜162年)が現れ、仏教僧がやつぎばやに中国に派遣された。安世高・支謙・康僧鎧などの名が伝わっている(安はパルチア人、支は大月氏、康はソグド人をさす)。

クシャーナ朝

 

 インド僧を父に、亀茲(クチャ)国王の妹を母に生まれた鳩摩羅什(くまらじゅう)は、カシミールやカシュガルで仏典を学び、大乗仏教を西域に宣布した。彼の名声は中国にもとどろき、前秦王苻堅は鳩摩羅什を招くため、382年亀茲を攻略した。

  

クチャ千仏洞にある鳩摩羅什の像

※ここから下3枚の写真は、筆者が2001年に撮影したものです。

 

 

 拉致された鳩摩羅什は384年、涼州(武威)に至ったが、このころ苻堅は淝水の戦いで南朝の東晋に大敗し、前秦は混乱状態となって滅亡した。羅什はやむなく十数年涼州にとどまったが、後秦王姚興(ようこう)が405年、国師として羅什を長安に招き、彼はここで仏典の漢訳に従事し、実り多い晩年を送った。

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