シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
遊牧騎馬民の誕生 3月25日の第8回現代シルクロード研究会に出席して=佐伯政良

きょうのブログは、表題にあるように1カ月前の3月25日に行なった、第8回現代シルクロード研究会の

「第2回 世界史の基礎を創ったモンゴルの歴史 −チンギス・ハーン前後の騎馬遊牧民−に参加しての会員による感想文です。彼は、パソコンを使わない考えの方なので、原稿を役員に送ってパソコン入力を依頼しましたが、現役ゆえにパソコンに向かう時間が取れないまま、今日にいたりました。ご報告が遅れましたことをお詫びします=代表・野口信彦

 

遊牧騎馬民の誕生

 

201742日 佐伯正良

 

 BC4000年ごろ、ウクライナ草原で野生種の馬が初めて家畜化されました。BC1000年ごろ 馬にまたがり草原で家畜を追う騎馬遊牧が黒海沿岸のウクライナ草原でキンメリア人によって始められました。キンメリア人はBC8世紀末に東方から来たスキタイ人に追われて小アジアに移動してドニエストル川からドン川にかけて住んでいました。

 

 現在の中国北方のモンゴル高原と草原地帯にはBC4世紀ごろから東胡・月氏・匈奴の3つの遊牧勢力があり。秦の時代にも中国に侵入して脅威となっていました。その中で匈奴は最初に遊牧帝国を築きBC3世紀ごろ、冒頓単于の治世の時が最も強大な勢力となり、モンゴル高原・中央アジアを支配する大帝国になりました。黄河文明に始まる中国は農耕民族としての歴史を歩んだ国であり、北方の遊牧騎馬民とは生存方法が根本的に異なり、互いに攻めたり攻められたりする関係にありました。

 

 また北方の遊牧騎馬民は強く賢明なリーダーがあらわれると強大な勢力となり、中国にとって脅威となり、時として一時的とはいえ支配されたり滅ぼされる恐れさえありました。それゆえ中国は北方騎馬遊牧民を知り、その動向には常に気を配り、彼らからの侵入から国家規模の財力・人力をもって国を守りました。

 

 遊牧騎馬民の国家は馬という強力な武力を持っているものの、リーダーが死んだり内部で武将同士の反目があると分裂したり衰退がはじまります。後漢の時代、匈奴は南北に分裂し、南匈奴は漢に服属し、北匈奴は他部族に圧迫され、西方に移動しクルグズ草原にとどまり、周辺の遊牧諸部族を従え、一時は中央アジア全域を統治したともいわれています。その後、北匈奴はローマ内の西ゴート族をはじめとするゲルマン諸部族を攻めました。北匈奴はヨーロッパではフン族と呼ばれ、その襲撃から逃れた西ゴート族はライン川を越えて西ローマ帝国に侵入しました。後年、西ローマ帝国は滅び、ヨーロッパは古代から中世へとその歴史を促進させました。

 

 一方、漢に服属した南匈奴は長城を超えて、南の領内に移住、後漢や三国時代の魏や西晋王朝に与し、4世紀にはいると五胡十六国時代のきっかけを作り、その後は五胡の一つとして諸国を建てました。

 

 ゲルマン民族大移動の原因となったフン族と、2世紀末に中央アジアから西進した北匈奴との同一性には諸説がありますが、フン族がトルコ系の言語の遊牧騎馬民であったことはほぼ間違いないようです。また、漢語の発音では「匈奴」が「フンヌ」に近い発音であったこと、五胡十六国時代のソグド語文章で匈奴のことを「フン」と表記していることから、フンと匈奴の名称には著しい類似性があったといえます。

 

 433年、フンの王アッティラはパンのニア平原(現在のハンガリー)に拠点を置き、ガリア(現在の北フランス)に侵攻してカタラウヌムにて西ローマ帝国・ゲルマン諸部族と対決、会戦となり勝敗を決しないまま退却(451年)。翌年には北イタリアに侵攻しミラノなどを占領しますが、結局ローマへの進行は断念し、パンノニアに退却してほどなく、アッティラは急死します(453年)。彼の死後、後継者争いによってフン帝国は崩壊し、小部族に分裂してウクライナ草原方面へと退却していきました。

 

[終わりに]

 叙事詩「ニーベルンゲンの歌」は5世紀ごろのゲルマン民族を題材にし、12世紀のドイツで作られました。前編では超人的な英雄ジークフリートとブルグント族の王女クリームヒルトとの出会いに始まりジークフリートの暗殺まで、後編はクリームヒルトがフン族の力を借りてジークフリートの復讐を果たすという血なまぐさい物語です。読んでみるとゲルマン民族の視点で書かれており、フン族の王エッツェルは、モデルになったといわれるアッティラとは程遠い印象を感じました。(物語の中でエッツェルは異教徒として描かれています)。ゲルマン中心主義=西欧優性主義思想はこの時代からあったのでしょうか。

 

 匈奴・フン族などの遊牧騎馬民が人類史に影響を与えたことは歴史的事実であり、その重要さは計り知れないものがあります。私は世界史・人類史の中に遊牧騎馬民の匈奴・フンのように自らを語ろうとしない無言の働きがたくさんあることを感じます。そして中世ヨーロッパに多大な影響を及ぼしたフン族が、我々日本人の話す言語に近いトルコ系の言語の民族だったらしいことに興味を感じています。聞くところによればトルコ人は日本人が大好きだとのこと。私も勇敢で優しいトルコ人が大好きです。これからの勉強に期待します。

| 現代シルクロード研究会 | 09:57 | comments(0) | - |
ウイグル人の生活習慣あれこれ ―39 トルファンの歴史学者エミット・ニヤズさんに聞きました

 さて、トルファンでは歴史学者の長老エミット・ニヤズさんから伺った話を・・・

この写真は13年前の2004年11月。エミット・ニヤズさんと

トルファンのどこかでした。私も若かったですね。

 

 

 トルファンは長い歴史を持っている。トルファンには昔から多くの種類の民族が住んでいたが、もっとも数が多かったのはウイグル人だった。トルファンの人々は最初は仏教を信仰していたが、イスラームに改宗した。

 

 高昌故城(カラ・ホージャ)、交河故城(ヤール・ホトあるいはイディクート・シャーハリともいう)、ベゼクリク千仏洞、アスターナ古墳(アスターナは「都」という意味)などは千数百年の歴史を誇る仏教遺跡である。だが、今のトルファン人はみんなイスラーム教を信仰している。

 

 西暦840年前にカシュガルでは、カラハン王朝の国ができ、トルファンではイディクート・ハン国ができた(紀元850年〜1250年)。当時、どちらもウイグル人だったカシュガルとトルファンの言葉・文字・習慣・宗教は同じだった。

長老の風格がにじみ出ています。

 

 10世紀、カシュガルのカラハン王朝はイスラームになったが、トルファンのイディクート・ハン国はまだ仏教を信仰していた。その後、両者は400年間戦ったが、トルファンはイスラームにはならなかった。しかし、チンギスハーンの孫であるトゥグルク・ハンの息子ヒズルハンの武装勢力がトルファンに侵攻し、全新疆を征服してからトルファン人はイスラームになった。14世紀のことである。

トルファンの街角でカワップを焼く。

日本の観光客は「シシカバブ」というが、

正しくはシシ・カワップ(トルコ語)。

ウイグルでは、ガイドさんたちは、外来語として

「シシカバブ」というようになってしまった。

| シルクロードの光と影 | 03:18 | comments(0) | - |
第9回 現代シルクロード研究会のお知らせ

お知らせが遅くなりました。

 

今日、下記の研究会があります。

急ではありますが、お越しください。

会場は3月の会場と違いますので、ご注意を!

狛江駅前の泉龍寺・仏教文庫です。

標題とは別に「もうひとつの蒙古襲来」=元による樺太侵攻についても触れていきたいと思っています。

ご期待ください。

野口

 

第9回 現代シルクロード研究会開催のお知らせ

  テーマ「世界史の基礎を創ったモンゴルの歴史」 第3回

−大元ウルスによる高麗・日本侵攻−

講師・野口 信彦                       

 モンゴル研究も3回目を迎えました。現代シルクロード研究会は通算で9回目になります。今回は元による高麗への攻撃と、有名な元寇の役=モンゴルの日本襲来をテーマにしたいと思います。

 どうぞお越しください。

日 時 2017年4月22日(土)午後1時〜4時まで

会 場 狛江市泉龍寺・仏教文庫会議室  電話 03−3480−3251

郵便番号201-0013 狛江市元和泉1−6−1
            小田急線狛江駅下車徒歩3分程度です。

受講費 500円(資料代)
狛江駅北口を背中にして左側を直進。突き当りが泉龍寺。

境内の右手奥にある建物が仏教文庫です。

 

| 現代シルクロード研究会 | 08:56 | comments(0) | - |
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